5 人の噂
噂というものは残酷なものだ。
真実如何はともかくネガティブな内容ほどすぐに広まる。それが目立つ人の噂ならばなおのこと広まりも早い。
「……え? 岩崎ってあの総代の?」
「……が、安藤たちを病院送りにしたらしいよ」
「でも何でそれで普通に学校に来てるの?」
「親が警察なんだって」
「え? それってもみ消したってやつ?」
岩崎と井辻が揉めていたという噂はすぐに広まった。それに尾鰭背鰭がつき、いつの間にか安藤と馬場に大怪我を負わせたのは岩崎だという噂に変わっていた。元々無口で人から距離を置いている岩崎は、冷たいとか怖いという印象を受ける。
頭のいい人や真面目な人が殺人を犯す近年、彼と関わったことがないひとから見れば、その噂は事実のように思えるのだろう。
彼の性格上、聞かれればきちんと否定はしたが噂をしている人達に一々否定して回るようなことはしなかった。だから、悪い噂は広がりたいように広がっていった。
「言いたい奴には言わせておけばいい」
気にする様子も無く彼は言う。
「大方井辻が牽制の為に広げたのだろう。それよりもお前も暫く近寄らない方がいいかもしれない」
「何で?」
「側にいればお前まで悪く言われる。実際、俺があいつ等とやり合った原因はお前だっていう噂している連中もいる。曰く俺と‘できている’そうだ」
「できて……?」
笑い半分で言われた為に一瞬何のことか分からず聞き返しそうになるが、すぐにどういう意味なのか気付き口を押さえた。
岩崎は口元に手を当てながら言う。笑いを堪えていると言った風情だ。
「俺としてはその噂に関しては不本意だが、今までにそう言う噂立ったことあったから、大きく否定する方が広がりやすいってのも知ってる」
「そういう噂立ったの?」
「彼女作ってもそう長持ちせず、周りには伊東さんや藤岡さんみたいな男の刑事がうろついているんだ。中学の時は母親が刑事ってこともみんなに黙ってたからな、変な噂も立つだろう」
「た、確かに」
知らない人が見れば勇気の交友関係を不審に思うだろう。
それでも自分のことなのにまるで他人事のように離す彼が不思議だった。
「事実で無ければ騒ぐ必要もない。噂はそのうち消える。でも、当分距離を置くのが利口な考えだろう」
「じゃあ、俺バカのまんまでいいよ」
「いいのか? ただの噂でも正直キツイぞ」
「それこそ、言いたい奴には言わせておけばいいんだよ」
明弥はふん、と鼻を鳴らす。
実際状況が違ったら明弥も岩崎を避けていたかもしれない。変な噂を立てられるのも怖い。けれど、こんなことでせっかく仲良くなった彼と距離を取りたくなかった。どうせ噂はそのうち消えるのなら、今はこそこそと陰口を言っている人よりも岩崎といる方を選ぶ。
でないとずっと先、後悔しそうだった。
「覚悟があるなら何も言えないな」
岩崎は微笑む。
何だかお礼を言われた気分だ。
「もう一つ、覚悟する必要があるんだが」
「ん?」
岩崎は表情を引き締める。
「……井辻は、PKだ」
「PK?」
「一番分かりやすい単語で言えば超能力者だ。ウィッチクラフトって呼ぶ人もいる」
「ウィッチクラフト……」
魔女の技術、魔女術。魔法。
「入試の一件で目覚めた可能性が高い」
明弥は瞬く。
入試の一件、それは初めて岩崎と出会った時の事だ。あの時、突然水道管が破裂したのは明弥の能力が原因だと聞いた。
「インパクトで? それって太一みたいな人を無理矢理獣にしちゃうんじゃないの?」
「それは結果の一つだ。本来お前の力は人が持っている能力をたたき起こしたり、無理に使わせる能力だ。あの時波は見えたが、誰に対して影響を与えたのかは分からなかった。井辻だったようだな」
岩崎は腕組みをする。
「潜在的に資質があったのだろう。でもそれは表面に出ていなかった。インパクトがきっかけであれだけ強い力を得た。普通、PKと言ってもマッチ箱一つ動かせるのがせいぜいだ。あんな力、身体にも負担がかかっているだろうな」
「それって……」
岩崎くんはどうなの?
聞きかけて、明弥は言葉を切る。
明弥が見ただけでも岩崎の使った力は強いものだった。超能力とは違うのだろうが、彼の身体にも負担がかかっているのではないか。そう尋ねようと思ったが止めた。岩崎は自分のそう言う話を嫌う。
「えっと……太一の時みたいに、もう一度インパクト使えば元に戻るの?」
「どうだろうな。南条太一の場合コインの表裏のようなものだった。自分の意思で裏返せるし、元にも戻せる。ただ、第三者の力が介入したせいで暴走しただけのこと。井辻の場合、鍵のかかった箱に能力が封印されていた。インパクトは……」
「その鍵を壊しちゃったってこと?」
岩崎は頷く。
「まだ仮定の段階だが」
本来その鍵は外れることはなかったのかもしれない。けれど明弥が勝手に壊してしまったのだ。もう元に戻すことはできない。
つまり、井辻に何かあったのなら半分は明弥の責任なのだ。
どうにかして、彼に超能力を使わせることを止めさせなければ取り返しの付かないことになりかねない。
「久住」
「……ん?」
「井辻の身に何かあったとしても、お前が気に病むことはない」
「だけど……」
「遅かれ早かれ目覚めていた可能性はある。それに、井辻は自分の力に溺れている」
それは何となく感じていた。
狂気のような彼の自信溢れた顔。突然手に入れた力に酔って他人を思い通りにしようとしていた。実際あんな力を見せつけられて脅されれば従ってしまう人の方が多いだろう。明弥だってその場に立ってみなければ分からない。
「忠告をしようと近付いたが、あの様だ。止めたいなら、もう少し様子を見るか別の方法を考える必要があるだろうな」
「南条さんなら何か分かるかな? あの人、そう言う方面の研究者だって聞いたし」
「南条斎か」
彼は難しそうな顔をする。
明弥は首を傾げる。
「何かあるの?」
「いや……忙しい人だからな。それに警察にマークされている時に、俺やお前と関わりたいとは思わないだろう」
「ああ、そうか」
「別の専門家を知っているからそっちの方当たってみる。久住は暫く井辻とは距離を置いた方がいいだろう。様子をみよう、今はそんなことくらいしか言えない」
「そう……だよね」
井辻が話を聞いてくれないのなら、話を聞いてくれるまで待つしかない。何か解決の方法が見つかるまでは闇雲に動くよりも様子を見る方がいいだろう。
(……でも、本当にそれでいいの?)
多分明弥がいつものように「考えても答えが出ないなら考えない方が良い」と本当に何も考えずにいても、岩崎は気にしないだろう。
多分、一人で考えて、一人で対処するのだ。
昨日、井辻を説得した時と同じように、誰に相談することもなく自分が正しいと思ったことをするのだ。
間違っていないと思う。
岩崎の考え方も、しようとすることも間違っていないと思う。
だけど、本当にそれでいいのだろうか。
明弥は息を吐いて周囲を見渡す。
視線があった女子にあからさまに視線を逸らされた。ひそひそと何か囁きあう声が聞こえた。どんな内容か聞き取れなくてもおおよそ想像は付く。
噂の真相は違うと大声で言っても逆効果にしかならない。
本当にこれでいいのだろうか。
明弥は首を振った。
良いわけがない。
岩崎ばかりに全てを背負わせて良いわけがない。