3 友達
「で、断り切れずに貰ってきたのか」
岩崎は呆れたのか、それとも純粋に可笑しかったのか携帯を手に取り眺めながら少し口の端を上げて笑う。
「うん、どうしよう」
「くれるっていうなら貰っておけよ。お前、他に携帯持ってないんだろう?」
「ないけど」
岩崎は自分の携帯電話と明弥の携帯を交互に操作しながら言う。
「南条太一にしてみれば、お前と連絡付かないのは不便なんだろう。俺だってお前と簡単に連絡付いた方がありがたい。……携帯持つのが嫌だとか言う訳じゃないんだろう?」
「うーん、でも」
「気になるなら、新しい携帯持つか、名義変更してもらえ」
そうしたいのは山々だ。
だが、母親に言い出しにくかった。経済的に不安のある家ではないが、やはりお金のかかることは言い出しにくかった。進学する時も私立の南陽高校でなく公立の西ノ宮高校を選んだのも、その理由があったからだ。
岩崎は暫く携帯をいじった後、明弥の手元に携帯電話を返す。
「ああ、やっぱり親に言いにくいのか」
「え? 何で……ああ、そうか」
一瞬彼がどうしてそんなことを知っているのかと問いかけそうになるが、彼の親は岩崎刑事だ。明弥の事情を知っていてもおかしくない。
別に隠すつもりもないから、別に嫌な気分にもならなかった。
「じゃあ、あれだな。月々の使用分渡せばいい。受け取ってもらえるかは微妙だが」
「携帯って……月額、いくらくらいなの?」
聞くと勇気はそういうことか、と頷く。
「珈琲屋でバイト募集してる。あそこは慢性的に人手不足だから」
「お見通しなんだ」
「久住と事情は違うけど、俺も似た経験あるから。母子家庭だし」
「あ……ごめん、そうなんだ」
確かに事情は違うけれど、そう言うことはありそうだった。母親を気遣ってお金のかかることは言い出しにくい。まして岩崎の母親は刑事だ。忙しく飛び回っている母親を煩わせたくない気持ちもあったのかもしれない。
お互いに家庭の事情は複雑だ。
岩崎は少し首を傾げた。
「川上に聞かなかったのか?」
「トモちゃんはそう言うこと、あんまり言わないから。俺も本人のいないところでそう言うところまで詮索するの嫌だし」
「なるほどな」
トモミに聞けばきっと本人に聞け、と怒られるだろう。
彼女に聞かなかったかと尋ねると言うことは、中学時代、そう言う話をしていたと言うことだろうか。
じっ、と彼を見つめると、彼は半ば吹き出すように言う。
「お前、思っていること全部顔に出てる」
「え、嘘」
「お前等、仲良いのはいいけど、あんまりくっつきすぎると誤解されるぞ」
「うーん、俺としてはそれでも構わないんだけど」
明弥は苦笑する。
岩崎は複雑そうに笑う。
「お前のそう言うところ、呆れる通り越して感心するよ」
言った彼の視線が不意に泳いだ。
何かを追った。
そう言う目線。
無意識に明弥も振り向いた。
彼の視線の先には井辻の姿があった。入学式からずっと休んでいたようだが、ようやく出てきたようだ。入試の時に見た彼と少し印象が違う。
何かを吹っ切ったような晴れ晴れとした表情。そして口元は微笑むように緩んでいると言うのに、どことなく周囲を見下したような目つき。
何だか、凄く嫌な気配がした。
「……井辻君、やっと出てきたんだ」
「お前、安藤と馬場が入院したの知っているか?」
問われて明弥は目を見開く。
「どうやらケンカらしい」
一瞬、頭の中で嫌な連想をする。
井辻が二人を殴り飛ばすシーンだ。
今までリーダー格だった安藤を倒して、今度は井辻がリーダーになった。そんな嫌な連想をしてしまった。そんな連想をしたのは彼があんな表情を浮かべているからだろう。
安藤だって根は悪い人じゃ無さそうだった。だから、一緒にいる彼らだってそうだろう。なのに、勝手に井辻を悪役にしてしまった自分の思考がたまらなく嫌だ。証拠もないのに人を疑うというのは人を傷つけた時と同じように嫌な気分になる。
不意に軽く腕を叩かれた。
明弥は我に返った。
「あ、また顔に出てた?」
「分かりやすいな、お前は」
揶揄するように笑ってから、彼は表情を引き締める。
「そう考えるのは多分自然なことだ。あいつにはアリバイはあるが、あの様子だと十中八九関わりがあるだろう。最初はお前関連も疑ったんだが」
「俺関連って?」
岩崎は椅子に寄りかかって息を吐く。
また意味の分からない事を言われるかと思ったが、彼は順を追うように説明した。
「報復だよ。入試の日、入学式の日、色々とあっただろう? お前のインパクトが周りの何に対してどんな影響をおよぼすか、まだわかっていないから」
「でも、俺別にもう何にも思っていないし」
「無意識にも憎んでいないって言えるか?」
「……」
今考えても、トモミの作ってくれたお守りを便器の中に入れようとした安藤の行為は許せない。だからといって安藤が怪我をすればいいとか、そんな風には思っていない。むしろ友達になってあの時のわだかまりをなくしたいと思っている程だ。
彼らがそんなに悪人とも思えないし、思いたくもなかった。
でも、無意識にも憎んでいないかと問われれば答えられなかった。
あの時水道管が破裂してうやむやになったが、一瞬今までにないくらい相手を憎んだ可能性まで否定出来なかった。
それに、と岩崎は付け加える。
「お前自身が、とも限らないからな」
「どういうこと?」
「第三者が、お前がそんな目に遭ったのを怒って報復したという可能性も考えられる。入学式の日、井辻以外がお前に絡んだのを知っているのは十や二十の単位じゃないだろう?」
確かに安藤と馬場が絡んだ時、沢山の生徒がその場に居合わせた。
だけど明弥の為に誰かがそんなことをするだろうか。仮にそんな奇特な誰かがいたとして、どうやって安藤と馬場を入院させたのだろう。
明弥の為に怒るという点ではトモミが一番可能性が高いが、彼女がそんなことをするわけがないし、彼女の腕力で安藤をどこう出来るとは考えられなかった。
もっとも、と岩崎が言う。
「井辻があんな風に平然と歩いている所を見ると、純粋に彼が関わったと考える方が自然だな」
「でも、アリバイとかあるんでしょ?」
「ああ。だが、直接手を下さなかっただけかもしれない。それに……」
言いかけて、彼は言葉を切る。
「それに?」
促すように問いかけるが、彼は何でもないと言う風に頭を振った。
岩崎とは友達だ。
彼の周りにいる他の人に比べ、明弥はうち解けている方だと思う。トモミに指摘されるほど、周囲には二人の仲は良く映っているだろう。だが、まだ彼は時折何かを隠す素振りを見せる。信頼されていないのか、それとも明弥を巻き込むことを心配して口に出さないのか。
どっちにしても何でも話せる「親友」になるには少し時間が必要そうだ。
お互いに。