1 智慧者
書類をまとめてクリップで留め処理済みのボックスに入れる。
軽く目を通し、印を押すだけの書類を処理するのはそれほどの労働にはならないが、出張でたまった仕事分量を考えると少しの時間も無駄にしたくはなかった。
斎はメガネの中指で押し上げて次の書類を手に取る。
こんこん、と控え目なノックの音がして彼は返事を返した。
「どうぞ」
失礼します、と言って入ってきたのは秘書の女ではなく南条家に昔から務める坂上だった。
彼は斎が生まれるよりも前から南条家に仕えている。身分制度が無くなって久しい現代社会においても、まだ古い家の周りにはその家に対するある種崇拝のような行動を取るものがある。坂上もそう言った昔の身分を重用視する節があった。
幼い頃から父親に従う坂上の姿を見ていた斎は、てっきり彼は父親の人柄に惹かれているのだろうと思ったが、父親が床に伏せて斎が家主として働くようになると坂上は斎の側で働くようになった。
その時初めて坂上が人ではなく家に仕える人間だと言うことを認識した。
坂上は入り口で頭を下げる。
「斎様、警察の方がお見えになられました」
出張先で坂上に連絡は受けていた。
彼が不在の間、坂上が滞りなく対処をしていたようだが、警察はやはり斎と話がしたいとアポをとってきた。忙しい斎であったがこの状況で拒むわけにもいかない。仕事の合間の時間ならば構わないと了承したのだ。
ほぼ予定していた通りの時間に、斎は好感を覚えた。
「ありがとう、通して下さい」
はい、と返事が返る。間もなく小柄な女の刑事と、背の高いがっしりした男の刑事が入ってくる。二人ともまだ若く同輩のように見えたが、男の態度で女が上司であることが分かる。
女性の年齢は分かりにくい。おそらく斎が最初に思った年齢よりも遥かに上なのだろう。
「はじめまして、一課の岩崎です」
「伊東です」
二人は手帳を見せながら軽く会釈をしたが、その視線は斎から外されることは無かった。彼らの後ろで坂上が静かに廊下に出てドアを閉めるのが見えた。
斎は微笑んで挨拶を返した。
「南条斎です。弟がお世話になったそうですね。ありがとうございました。どうぞあちらに」
応接用のソファを示すと二人はソファに腰を下ろした。
きょろきょろと見回す様子は見せなかったが、二人とも確実に部屋の中を観察している。眼光の鋭さはさすが刑事と言うところだ。
間髪入れずにやって来た秘書の女がお茶を三つ運びテーブルの上に並べた。
「随分お忙しいようですね」
女が言う。
「表向きには科学研究所だとか」
初めからその話題が来ると思っていなかった斎は多少面を喰らう。
秘書は無言のままお辞儀をして部屋を出て行く。
「表向き、というのは少し語弊があるようですが」
斎は驚いてしまった表情を隠すように苦笑いを浮かべる。
「実際に科学の研究も行っていますから嘘はないでしょう。研究する対象に超常現象に関することが混じっている、それだけのことです。昨今新興宗教などの起こした事件の影響でカルトを思わせる単語は嫌われますからね。我々もそれと同じと思われては心外です」
斎が責任者を務めるこの研究所は、事件や事故などを含め様々な現象を科学を用いて解き明かしている。彼らと会うのは初めてだったが、警察関係者が捜査協力を求めてここを訪れることは多い。公開はしていないが、超常現象に関する研究も行っていた。
当然警察もそれを知っていただろう。あえて確認を取るのは何かを探っているのだ。斎は言葉に注意しながら話を進める。
「太一さんとは血が繋がらないようですね」
「ええ、弟は継母の連れ子です」
「人とは違うことを知っていましたか?」
「はい、知っています。義母は再婚後すぐに亡くなったので、彼がそうなった経緯は知りませんが子供の事から人と違うことは認識していました」
「よく、一緒に暮らせましたね」
鋭い言葉だった。
怒り出す者もいるだろう。だが、斎は冷静に答える。
「私も子供でしたから、怖いと思うよりは‘格好良い’を思っていました」
「妹さんとは随分と年が離れていますね」
「彼女は父の妾腹の子です。親子ほど年が離れていますが、血を分けた妹です」
「複雑な家庭環境なんですね」
女は淡々と言い放つ。
挑発をしているようだ。斎は瞳の奥を鋭くさせた。あまりにも率直すぎる質問に激昂して何か重要な事を漏らすことを待っているのか、あるいは動揺させて聞き出しやすくしているのか。
「何か、私に聞きたいことがあるようですね」
斎は敢えて直球を投げかける。
女は顔色を変えずに答える。
「回りくどいことは嫌いですか?」
「はい、時間の無駄と思います」
「ならば単刀直入に聞きましょう。あなたは最初の獣化の時、手早く対処しました。その時に、あなたは彼が再び暴走する危険性を認知していましたね。それなのに何故今回、彼を野放しにするような行動を取ったのですか?」
なるほど、と斎は思う。単刀直入と言ったものの、彼女が本当に聞きたいのはそこではないのだろう。
この岩崎という女刑事、なかなかの智慧者だ。他の刑事と同じように見ていれば痛い目に遭いそうだ。
「私は弟を普通の人間だと思っています。檻に閉じこめる事はしたくありません。それに今回は私自身油断をしていました。今までこういった事はありませんでしたからね」
「前例があれば油断はしなかったと」
「どうでしょう。私は弟を信頼しています。それも油断の一因になった可能性は捨て切れません」
彼女はじっと斎の瞳を見る。
斎は逸らすことなく見つめ返した。
お互いに探り合うような一瞬。
観念した、という風に斎は笑って見せた。
「貴女は、この研究所で行われた実験の結果、太一のような子が生まれ、鈴華もまたその犠牲者であると思っていますね?」
「そう言った前例があるならば疑うこともあります」
「私を捕まえるべきと考えているのでしたら、何か理由をつけて拘束するのが宜しいでしょう。大人しくするつもりはありませんが、逃げたり隠れたりするつもりはありません」
「認めるのですか?」
斎は笑みを崩さないまま首を振る。
「いいえ。ただあなたの言動からはそうしたいように思えます。実際私は太一の血液を採取し、研究をしています。それを人体実験と思われても仕方のないことと思いますが?」
何かを言おうと口を開きかけた女刑事を、隣で黙っていた男が止める。
邪魔をするな、と言うように岩崎が睨むが男は構わずに口を開く。
「気を悪くされたのでしたら申し訳ありません。我々は他の捜査班のように犯人を挙げることを目的にしているわけではありません」
男の外見は警官と言うよりはヤクザかマフィアのように見えるが、岩崎の印象が鮮烈すぎるために、むしろ優しい印象を覚える。
だが、この女刑事と組んでいる彼もまた相当なのだろうと思う。
「人は禁忌の力を持てば使いたがる。大惨事に繋がりかねないサインがあれば見逃すことは出来ません」
「同感です」
「いずれ、あなたに協力を仰ぐこともあるでしょう。我々は超常現象に関しては素人ですから」
やはり彼もまた食えない男だ。
斎は息を吐いてソファに寄りかかり、にこりと笑って見せた。
「その時は、出来得る限りの協力はさせて頂くつもりですよ」