1 見える影は
バレンタインも当日ともなれば店頭に並ぶ商品も少し飽きたような色を見せ始める。平日と言うこともあってか、街中を歩く恋人達も学生が多い。バレンタインだからといって浮かれている人もそう多くは無かった。
久住明弥は人混みをかき分けながら待ち合わせたファストフードの店へと急ぐ。
今日は受験勉強の為の短縮授業だったが、ホームルームが長引いたために、約束の時間に遅れそうだったのだ。
中学生とはいえ携帯くらいは持っていた方が便利だな、と今更ながら実感した。
駅前通りの黄色い「M」の看板を見つけると、彼は少し走るようにファストフード店の中に飛び込んだ。
冷えたていた全身が急激に暖められメガネが曇る。少し暑いくらいだった。
いらっしゃいませ、という店員に少し頭を下げて彼は店内をさがした。
「あっくん、こっち」
川上ともみが手を振って自分の位置を示した。
店内の客の何人かが一瞬興味を引かれたように振り返ったが、すぐにそれぞれの食事に戻った。
明弥はマフラーを外しながら彼女の向かい側の席に座った。
「ごめん、遅れちゃって。待った?」
「ううん、平気。時間ぴったりだよ」
彼女は時計を見ながら笑う。
相変わらず元気そうな様子に明弥はほっとして微笑んだ。
昔から変わらない大切な人だ。
彼女との関係を問われると正直言葉に詰まる。
幼なじみ。
その単語が一番しっくりくるだろうと思う。幼い頃は良く一緒に遊び回っていたし、今でも頻繁に会っているのだからそれが一番言い得ているようでもある。
勿論、彼女との関係を示すのはそれでは不十分なのは分かっている。けれど、それが一番的確に感じている。
トモミは上機嫌な笑みを浮かべながら綺麗な包みを差し出す。
「はい、これ。バレンタインのチョコレート」
「うん、ありがとう」
「今年は自信作だよ♪」
彼女は弾んだ声で言う。
トモミはそれほど料理が得意ではない。けれど、毎年バレンタインは手作りで用意してくれる。それが暖かくて嬉しい。
綺麗にラッピングされたチョコレートを仕舞うためにカバンを開くと、別のチョコレートが転がり出て床に落ちた。明弥は慌ててそれを拾い上げる。
「んん? 今のも手作りっぽいけど?」
「どうだろ? クラスの女子がくれたんだ。ノート貸したお礼にって」
「ふーん? 何か妬けるなー。あっくん優しいから女の子にもてそうだし」
口を尖らせて言うトモミの言葉を明弥は真っ赤になって否定する。
「え? そんなこと、ないよ」
「そんなこと、あるんだよ。あーあ、私もあっくんと同じ学校だったら面白かったのに」
明弥はトモミに確認をするように問う。
「高校は、西ノ宮だよね?」
「うん、同じ高校。受かれば、の話だけど」
「トモちゃんなら大丈夫だよ」
言うと彼女は声を立てて笑った。
「まーね。あっくんより、頭は悪いけど、運だけは良いから」
トモミは昔から運が良い。くじ引きで欲しい物を当てたり、遅刻覚悟で学校に行ったら先生が遅刻して結果的に間に合ったり。他にも小さな事であるが彼女がいいな、と思ったことは大抵実現してしまう。それだけの運を彼女は持っている。受験だって彼女が大丈夫だというとそうして実現してしまいそうだった。
「あっくんは頭良いから大丈夫だよね?」
「そんなに頭いいってわけじゃ……」
言いかけた時、店内がざわついた。
トモミががたん、椅子を鳴らして立ち上がる。
明弥も振り向いた。
ガラス越しに見える大通りに何か火の手が見えた。ちょうどはす向かいに位置する店から黒い煙が上がっていた。
「火事!」
彼女が声を上げる。
明弥は少し寒気を覚えた。
「………ね、見に行ってみようよ」
「え? トモちゃん?」
まるで何かに取り付かれたかのように、彼女は外へと走る。コート着ることもせずに片手で掴んだ状態で、彼女はそのまま外へと飛び出していった。
彼女が飲んでいたコーラの紙コップをゴミ箱へ捨て、明弥も彼女の後に続いた。
外は既に人だかりが出来ていた。
道を挟んでこちら側と、向かい側。それぞれに野次馬達が集まっている。ガードレールから身を乗り出すようにしてトモミはその黒煙を見つめた。
「……ねぇ、あれ、連続放火事件のやつかな?」
「トモちゃん、あんまりそっちに行くと危ないよ」
「凄い、まるで炎が生きているみたい」
彼女に、明弥の声は届いていないようだった。
その目には燃えさかる炎と黒煙しか映っていない。楽しんでいる訳ではない。彼女にも自分にも火事に対してある思いがある。だから純粋に野次馬として見に来た訳ではないことを明弥は知っている。
彼女がこだわる理由も理解出来る。
「トモ……」
彼女にもう一度呼びかけようとして、不意に、視線を感じた。
明弥は反射的にそちらを見た。
大通りの向こう側にたまっている野次馬の中に、見覚えのある姿を見つけて息を飲んだ。相手も、明弥を見て息を飲んだのがはっきりと分かった。
(……まさか)
四十前後の背の高い男だった。
男は躊躇うように視線を外した。が、すぐに彼の視線が戻される。
『危ない!』
誰かの叫びと、男の叫びが重なった。
はっとして明弥はトモミの腕を掴んで後ろに引っ張った。
車が目の前に接近する。
ぶつかった、と思った。
野次馬に向かって突っ込んできた車は、まるで明弥とトモミを狙ったように真っ直ぐ突き抜けてくる。
時間にしてみればほんの一瞬だっただろう。明弥にはスローモーションの映像を見ているような感覚に見えた。
トモミだけでも助けようと思ったけれど間に合わない。そう判断したのは僅かの間。だが次の瞬間には明弥の目には予想していたのとは別の光景が見えた。
目の前に迫っていた車のボンネットがガードレールにぶつかるよりも前にひしゃげたのだ。
まるで見えない力で叩かれたように車とガードレールが大きく曲がる。
何かがぶつかり合う鈍い音と、タイヤの擦れる高い音。
それが同時に聞こえた。
ばり、と音を立てて車が不自然な形に曲がり、ガードレールの上に乗り上げる形で静止した。
あと数センチ。
それでトモミと明弥は事故に巻き込まれていた。
自分の目の前に曲がった車が見えた。
何が起きたのだろうか。
判断しようとするが、頭が酷く混乱をしていた。
「び、ビックリした~」
トモミの声で明弥は正気に戻る。
はっとして、彼女を見返した。
「トモちゃん、怪我はない?」
「うん、大丈夫。やっぱり私、運が良いんだね」
明るく笑う彼女に明弥はほっと胸をなで下ろす。
それも束の間、ばたり、と地面に何かが落ちる音が聞こえて明弥はぎくりとした。一瞬、トモミが倒れたのかと思ったが、そうではなかった。明弥たちの真後ろで女の人が一人倒れていた。
明弥達の側にいた数人が驚いたように彼女を見たが、事故を起こした車と火事と彼女、どれを最優先すべきか迷ったような素振りを見せた。
近くにいた明弥が彼女に近寄った最初だった。
「だ、大丈夫ですか!?」
髪から靴下まで全身黒づくめの二十歳前後の女だった。
遠くで消防車が駆けつける音が聞こえた。
※ ※ ※ ※
男はバイクに跨り事故の様子を見ていた。
バイクも巨大であれば、跨る男も負けない巨漢だった。
髪は赤茶に染められ、眼光は鋭い。
まるで獣のような男だった。
「……目覚めた訳ではないだろう」
男はぽつりと言った。
低く唸るような声だ。
彼の手には携帯電話が握られていた。手も大きいために何も持っていないようにさえ見える。
「だが間違いはない」
彼はにっ、と笑った。
まるで得物を見つけたような残忍さを含む笑い。
「あれは、‘インパクト’だ」