2 入学式
『……新入生代表、岩崎勇気』
挨拶を終え彼は何度か形式的な礼をとって壇上から降りてくる。
入試で会った時、頭の良さそうな人だと思った。総代をするくらいなのだから入試でも良い成績をだったのだろう。第一印象は間違っていなかったのだな、とぼんやり彼をながめる。
不意に視線がかち合った。何故か睨まれたような気がしたが彼は何も言わずに段から降りた。
岩崎勇気とは同じクラスになった。
当然それは偶然なのだろうが、だからこそ何か縁のようなものを感じる。入試の時のことで聞きたいことがあったため同じクラスになれてちょうど良いともおもっていた。そんなことを友人や弟に話せば楽観的すぎると窘められるだろう。だが、明弥は勇気に対して悪い印象を持っていなかった。近寄りがたいような怖そうな印象はあるが、不思議と悪い印象は持たなかったのだ。
入学式を終えて、教室に戻る人波に乗りながら明弥はぼんやりと別の事を考えはじめる。
トモミとは違うクラスになった。折角同じ学校に合格出来たのに別のクラスになるのは残念だったが、少しだけほっとしている。
彼女のことは好きだが複雑なのだ。
(こればっかりは僕自身の気持ちの問題だよね)
そう、トモミが悪い訳じゃない。少し前だったら本気で同じクラスになれなかったのを残念に思っていただろう。
だが「危険を引き寄せる体質」のこともある。それに何よりも、今気になっているのはバレンタインの時のこと。あの時見た人影。あれがそもそもの原因なのだ。
あの人影は……
「あっくん?」
呼びかけられてはっとした。
明弥はA組でトモミはC組だから近くにいるはずがない。遅れて歩いてしまったのかと周りを見渡すが、先刻見たばかりのクラスメートの顔がある。明弥が遅れて歩いていた訳では無さそうだった。
「どうしたの? 何か暗い顔」
「そんな顔してた?」
知らない振りをするように言うと、トモミは頷く。
彼女にはやっぱり筒抜けだ。
「悩み事なら聞くよ? 家で何かあった?」
「そんなんじゃないよ。昨日パズルやっていて解けない問題があったんだ。懸賞の付いているやつ」
ああ、と彼女は眉間に皺を寄せた。
「それじゃあ力になれないや。……ね、岩くんと同じクラスなんだね」
「岩崎くんのこと? 総代の」
「そー。中学の時クラスメートだったんだ。頭良いとは思ってたけど、まさか総代とはねぇー」
彼女の視線の先には岩崎の姿が見える。
がやがや騒がしいためにこちらの声までは聞こえていないだろう。明弥は小声で尋ねる。
「……どんな人?」
「良い奴だよ、アレで結構話しやすいし。ただねぇ」
「ただ?」
トモミは腕組みをする。
「女の子にもてるからねー。あんま仲良くすると嫌がらせとか来るんだよね。その辺ちょっと問題?」
嫌がらせ、と明弥は呟く。
女の子達を怒らせた男子が痛い目を見ているのは知っているが、そんな風に嫌がらせをするようには思えない。男子一人のために。
「トモちゃんは?」
「え?」
「ああいうタイプが好み?」
一瞬彼女はきょとんとした。
次の瞬間、まさか、と吹き出す。
「格好良いとは思うけど、私あっくんの方が好きだよ。むしろ友達とかになりたいかなー、あ、私クラスここだから」
彼女は入り口を差して言う。
明弥は頷いて彼女を見送った。
「じゃあまたねぇ」
「うん、また」
手を振って歩き出すと、すぐに別の女の子に話しかけている彼女の姿が見えた。彼女から貰うプリクラでも見たことのない顔だから新しい友達だろう。相変わらず友達を作るのが早い。明るく人懐っこい性格の彼女は誰でも気さくに声をかける。それが嫌だと言う人もいるだろうが、誰にでも分け隔て無く接する彼女の周りには自然と人が集まるのだ。
そういうところは見習わなければと明弥は思う。
おい、と声を掛けられたのはその時だった。
明弥が振り向くと入試の時に会った三人組がいた。もっとも、三人のうちの二人と言うべきだろうか。リーダー格ともう一人。三人目の姿が無いところをみると落ちてしまったのだろうか。
「てめぇ、クズのくせに女といちゃついてんじゃねーよ」
どん、と肩をどつかれ明弥は少しバランスを崩す。
騒がしかった周囲がしんと静まりかえる。
入学式を終えたばかりの集団が、興味深そうに明弥達の方を見ていた。これはやはり絡まれているのだな、と思いながらも明弥の頭の中は三人目の事で一杯になっていた。
あの事件のあと、まともに試験を受けられずに落ちたのなら少し責任を感じる。明弥が危険を引き寄せる体質なら彼らは明弥の不運に巻き込まれただけなのだ。
トモミのお守りを捨てようとした事はまだ少し怒っているが、それとこれとは話が別なのだ。
「何とか言えよ、クズ」
「え? ああ、あの、もう一人はどうしたの?」
「井辻は休みだよ、クズ」
リーダー格の男は律儀に答えてくれる。
口は悪いけどいい人だな、と明弥は微笑む。
「ああ、そうなんだ。あのせいで落ちたのかと思ってビックリしたよ」
それにしても入学式に休みなんて井辻って人もついていないな、と明弥は同情した。これからクラス写真の撮影もあるのだから、その井辻は写真の上端に四角い枠の中に収められてしまうのだ。目立っていいっていう人もたまにいるだろうけれど、普通はあまり嬉しくないだろうと。
「てめぇ、舐めてんなよ?」
「ええっと、ごめん、そんなつもりじゃないんだけど……」
「クズとか呼ばれて悔しくねえのかよ」
襟首を捕まれたが、苦しくは無かった。
「あ、ああ、そうか。何で名前知っているのかなとか思ってたけど、そう言うことだったんだ」
てっきり「久住」を省略して「クズ」と呼んだのだと思っていた。実際親しみを込めてそう呼ぶ連中もいたためにそれが罵倒語の一つであると認識するまでに時間がかかった。
これは自分でもぼけていると思う。
怪訝そうな男に明弥は言う。
「俺、名前、久住明弥って言うんだよ。だからクズって呼んだんだなーって……あれ、どうしたの?」
呆れた様子の彼を見て明弥は瞬いた。
また自分は変なことを言っただろうか。
「……お前、馬鹿か」
「え? あ……えーと、多分」
中学のクラスメートにも良く言われた気がする。
馬鹿にされているというよりはからかわれている感じだったから気にしていなかったけれど、会うのが二回目の名前もろくに知らない人にまで言われるとさすがに少し凹む。
成績云々の事を言っているのではないのだろうが、誰からも馬鹿に見えるっての嬉しくはない。
彼は盛大に息を吐いた。
「……やめた」
「え?」
「お前に絡んでも面白くもねぇ」
「えっと……ごめん」
申し訳ない気がして謝ったが、すぐに睨まれた。
「謝るなよ。……くそっ……調子狂うな」
彼は明弥の襟首を放し踵を返す。
いつの間にか廊下には先刻のざわめきのようなものが戻っていた。多分驚いたのは一瞬で、明弥たちの会話を聞いていた生徒はろくにいないのだろう。
面白く無さそうに頭を掻く男に、もう一人が話しかける。
「よかったんスか、安藤さん」
「いいもなにも、あんなの相手してもつまらねーよ」
「まぁ、それはそうですけどね……」
あの人、安藤って言うのか、と明弥は思った。
安藤はC組の教室に入っていく。ともみと同じクラスなら、もう一人の名前も後で聞けるな、と何となくほっとした。
名前も知らない相手の顔だけ知っているというのはどうも気持ちが悪い。
悪ぶっている感じだが、いい人そうだから、友達にもなれるだろうと楽観的に考える。
ふと、明弥は視線を感じ、振り返る。
A組の教室の出入り口の所で岩崎が観察するようにこちらを見ていた。その視線がかち合っても岩崎は逸らそうとしなかった。
「?」
首を傾げると岩崎は不快そうに険しい表情をした。
何か悪いことをしたのだろうか。
「おーい、みんな教室に入れー!」
教師の叫ぶ声が聞こえて新入生達は慌てて自分のクラスに戻っていく。人混みに飲み込まれるように明弥もA組の教室に入った。