9 真実の向こう側
『被疑者死亡』
警察が最初にマスコミに向けて発したのはその言葉だった。
南条斎の部屋からは丁寧に書かれた遺書が発見された。自分が行ってきた実験のこと、父親を廃人になるまで追いつめた能力のこと、暗示をかけることによって人を死ぬように追いつめた事など事細かに書かれていた。
報告書のように淡々と書かれた文面には言い訳めいたことや誰かに対する謝罪の言葉すらもなかった。
同時に発見された遺言書には、万一斎が行方を眩ました場合、全ての権利を妹鈴華に、その後見人として弟太一が立つように示されていた。
伊東は青い袋を下げて廊下を歩きながら小さく息を吐いた。
ウィッチクラフトの重大犯罪者という事で警察は南条斎を包囲した。大事になってしまったためにマスコミに嗅ぎつけられ、それはある男の立てこもり事件として大々的に報道された。彼の特殊能力に関しては伏せられているものの、連日連夜テレビや新聞を騒がしている。
やがて新たに大きな事件が起こればこの事件も忘れられていくのだろう。
関わった人間がどんなに苦悩していようとも。
伊東は壁際にある端末に手をかざしドアを開ける。
中にいた数人の刑事達が振り返った。
「ああ、先輩、お疲れ様です」
「お疲れはお前達だろう? うちの上司から差し入れだ」
軽く袋を上げてみせると、植松を初めとした刑事達から歓声が沸き起こる。
中にはおにぎりやサンドイッチなど、片手で食べられるようなものが入っている。正確には愛からではなく、勇気が作ったものを愛が持ってきただけなのだが、ここは愛からだと言った方がありがたみが増すだろう。顔もよく知らない男子高校生が作ったものよりも、良く見知った女警部が作ったものの方がいいということだ。
重箱を開くと、次々と手が出て、あっという間に半分くらいが無くなった。
「解析は進んでいるのか?」
「褒めて下さいよ、先輩。今さっきパスワードを解読したところです。今データのチェックしてました」
「思っていたより早かったな」
「まぁ、十年以上前のものですからねぇ。技術が違います……って言いたいところなんっすけど、実際すっげー苦労しましたよ」
言った植松の目の下にはメガネで分かりにくいが隈ができている。
数時間の休みなどはあったものの、殆ど籠もりきりで数日間作業をしていたのだ。殆ど眠っていなそうだった。
「このシステム作ったの、古武玲香って人っすよね。ホント天才だったんですねぇ」
植松はペットボトルのお茶を飲みながら感心したように笑う。
南条斎があの扉の向こうに隠してあったのはスーパーコンピュータと呼ばれる類のものだった。パソコンよりもずっと性能がいいが、その分、大きさも数倍はある。まして十年以上前の機材だ。部屋一杯に埋め尽くされた機材を見て、機械オタクの植松ですら辟易とした声を上げたほどだった。
殆どのデータなどは閲覧可能だったが、一部は厳重なセキュリティシステムで保護され見ることも動かすことも出来なくなっていた。
それを解析していたのは植松と、サイバーテロに備えて組織されていたチームだった。
「専門家の意見聞いてきたんですよね。どうでした?」
「理論上は可能。だが、現在の技術じゃ実現不可能だそうだ」
「やっぱ、そうっすよね」
植松はおにぎりをかじりながら言う。
専門家に持ち込んだのは莫大な情報の中にあったほんの一部分だった。働いていたコンピュータ達はクローン技術や移植を初めとして、遺伝子操作、バイオ技術、様々な角度から新しいタイプの「人間」を作るための理論が組まれてあり、それに関する試算を延々と行っていた。そのほんの一部を専門家に見せて意見を扇いだのである。
数人に見せたが、まず一様に驚きを見せ、やがてそれはあまりにも無謀であると意見が帰ってきた。
曰く、最先端の技術でも実現は非常に難しい。というものだ。
偶然何らかの理由で産まれたとしても、同じ条件下でも必ずしも出来るとは限らず、また生み出された個体に何らかの欠陥が生じるのは否めないと。
「でもそうなると不思議なんですよ」
「不思議?」
「俺等が今解析してるほうはともかく、あっちの方は南条斎も関わっていたんですよね」
「そうなるな」
「だったら、何でわざわざ古武玲香が目を覚ますの待ったんでしょうね。俺等だって数日で出来たんです。南条斎がその気になって解けないはずは無かったと思うんですけどね」
「……」
伊東にはコンピュータのことは詳しく分からない。パソコンは出来るが、ネットに接続して簡単なソフトウェアを設定することくらいしかできない。
だから植松が口では簡単そうな事を言っているが、本当は凄く難しいことをやってのけたという可能性も考えた。でも、おそらくは違うと思う。
南条斎はおそらく待っていたのだ。
古武玲香が人為的に輪廻転生を出来ると証明することを待っていたのだ。そうでなければ怖かったのだろう。古武玲香すら厳重なセキュリティで隠した「もの」を知ってしまうのが怖かったのだ。
今となってはどちらか聞くことも出来ないが。
「先輩?」
「ああ、悪い」
「疲れてますね。やっぱり見つからないんですか、南条斎の遺体」
問われて伊東は頷いた。
あの場に居合わせた全員の証言から、南条斎は窓の外に飛び出したのには間違いがなかった。窓の外は崖のようになっており、遥か下の方には木々が覆い茂る森があったが、あの高さから落ちて助かるはずもない。命は助かったとしても、大怪我は免れないだろう。
だが警察が散々捜索したものの、彼が見つかること無かった。
何かが上から落ちてきた痕跡と、いくつか遺留品と思われるものは発見された。だが肝心な遺体が見つからない。森が広大であるために捜査が遅れたのが原因で、森に住む野犬が食い荒らしたのではという憶測から「被疑者死亡」と発表された。
暫くの間は捜索は行われるが、それもじきに打ち切られるだろう。
「こうなってくると死んだのも彼らが見せられた幻というように思えますよね」
「だが、包囲されている状態で逃げられたとは思えないな。まさかあれだけの人数に術をかけたとは到底思えない」
「ですよね、あの後岩崎警部が言う‘念のため’にあの敷地内くまなく捜しましたもんね」
それでも南条斎は見つかっていない。
生きている状態でも死んでいる状態でも。
「伊東さん、ちょっといいですか?」
かたかたとパソコンを動かし続ける刑事に呼ばれ伊東はその刑事の側に寄る。
植松も興味深そうに覗き込んだ。
「礼の分析中のやつなんですが、論文かと思ったらデータの半分は日記ですね」
「古武玲香の?」
「はい。まぁ、なんというか、日記にしては淡々とし過ぎているというか、病んでいるというか。少し読んでみるまで日記なんておもいませんでした。それはともかく、見て欲しいのはここなんですが」
男が画面を指差す。
その文章を見て伊東は息を飲んだ。
確かに日記と言うよりは報告書か、論文のような文体で書かれていた。
だがそれよりも内容に驚く。
『産まれてくる個体Aについて……南条斎の遺伝情報を15パーセント以上引き継いでいる可能性78.25パーセント』
伊東はその文章を何度も見返す。
「個体Aというのはおそらく……」
「……ああ」
複雑な心境だった。
警察が事件を解決するためには「どうでもいい」情報だ。だが、当人達にとっては重要なことだっただろう。
彼は知っていたのだろうか。
知っていたとしたら、知らなかったとしたら、それで何か変わっていたのだろうか。
聡い男だ。薄々は勘づいていたのではないかと思う。けれど、おそらく確かめてはいなかったのではないだろうか。
どちらであったとしても小さな矛盾点を孕む。彼自身本当は何を求めていたのか分かっていなかったのだろう。迷いながら進み、間違った選択をした。それでも彼は迷っていた。その迷いを断ち切ったのは坂上の起こした行動だろう。斎はあの日、全てを終わらせることを決めたのだろう。
今となっては真実を知り得ることが出来ない。
「どうにも……後味が良くない事件ですね」
植松が息を吐く。
「いや……」
本当は、あの時南条斎は鈴華と心中するつもりであの場所へ行ったのではないだろうか。だとしたら。
言いかけて伊東は首を振る。
そんなのは自分の憶測でしかない。
不思議そうに見返す植松に伊東は言い間違えたという風を装って相づちを打つ。
「本当に………後味が良くない事件だったな」