8 何を求めて舞い上がる
ばさり、と何か白い塊が太一の眼前で爆発するように弾ける。
「きゃっ……」
短い悲鳴。
鈴華が、庇った斎ごと真後ろに飛ばされた。
「ぐ……っっぁ!」
呻いて太一の身体が転がる。
その姿は獣の姿では無かった。
人の姿に戻った太一は全裸のまま床に転がり苦しそうに頭を抱えている。
微かに、インパクトを使った時の感覚が残っていた。
明弥は軽く咳き込み膝をついた。
少し、吐きそうだった。
「間に合った……のか」
声を聞いて振り向く。
息を切らせた勇気が指に和紙を絡ませながら状況を確認するようにあたりを睥睨する。
今の爆発は彼だったのだ。
ほっとして、泣きたくなる。
「勇気」
「ばっ……か野郎……おせーよ」
太一が頭を抱えながら起きる。
毒づきながらもその声音は明弥動揺ほっとしているようだった。
「鈴華を……早く!」
「分かった」
勇気は頷いて太一に着ていた薄い上着を投げつけて鈴華の元へと駆け寄る。
そうだ、と明弥も気が付く。
鈴華の怪我は。
「触るな!」
刹那響く鋭い声。
勇気が立ち止まった。
鈴華を抱きしめ叫ぶ斎の姿が見えた。
薄暗くてあまりよく見えないが、彼女の肩口は赤く染まっていた。そこを押さえながら斎は彼女を強く抱きしめる。
「誰も……鈴華に触れるなっっ!」
「……兄さん?」
鈴華が苦しそうにもがきながら声をかける。
斎は首を振った。
「貴方の兄になった覚えはありません」
否定するような言葉。
でも、拒絶ではないことがすぐに分かった。
声音が酷く優しかった。
さわさわと、外では再び雨が降り始めている。
まるで泣いているかのようだった。
「何故……私なんかを庇ったんですか。そんな必要なんて………無いのに」
「イッキ……お前」
まるで、もがき苦しむような言葉。
今更幸せになんてなれない。
彼の言葉はそう叫んでいるように聞こえた。
「斎兄さん……」
鈴華は慰めるように斎の背に触れる。
同じ12歳の子供達よりもずっと細くて小さな手。その手が、必死に何かを訴えるように彼の背を撫でていた。
「斎兄さんも、太一君も、私の大切な家族だから……傷ついて欲しくなかったの。傷つけて欲しくも無かった。兄弟なのに、お互いに大切に想っているのに、そんなの、変よ」
「……鈴華」
「何も遅くない。もう一度話そうよ、みんなで話して決めよう? 私、斎兄さんみたいに頭良くないし、太一君みたいな力もないけど、頑張るから。だから……」
鈴華の手が縋り付くように斎の服を掴んだ。
「だからお願い」
一瞬閉じられた瞳から涙がこぼれ落ちる。
「そんなに、自分を追いつめないで」
「……」
言葉にならない叫び声が聞こえた気がした。
十二年の間、斎は叫びつつけていたのではないだろうか。
穏やかな顔の下に全てを隠して叫び続けていた。
罪の意識、それとも自分自身を許せないのだろうか。彼は自分を追いつめ続けることでただ平常を保っていたのだ。
どんな思いで、一体どんな思いで彼は鈴華を妹として育てて来たのだろう。
明弥には分からない。
だが、彼らの言葉の中にはお互いを想う気持ちがあった。それを想うと苦しくなった。胸の奥が締め付けられるように痛い。
ゆっくりと、斎が腕を緩める。
鈴華を抱きかかえて立ち上がり彼女の身体を勇気に預ける。
いつもと変わらない優しい顔の斎の瞳は少し涙に濡れていた。
「……鈴華を頼みます」
「あんたは……」
「私にはまだやるべき事が残っています。鈴華の……いえ、私自身のために、研究を止めることは出来ません。でも、これ以上逃げることは出来そうにありませんね」
勇気は頷く。
「ああ、この周りは警察が完全に取り囲んでいる。今なら、まだ自主を認めると、その意向を伝えに来た」
「そうですか」
斎は懐から取り出した眼鏡をかける。
「やはり、遅すぎたようです」
「イッキ?」
「全員動くなっ!」
斎が鋭く叫ぶ。
瞬間、身体の自由が利かなくなった。金縛りに遭った時のように指一本動かせなかった。見開かれた斎の瞳が僅かだけ揺れて見える。
「なっ……お前っ!」
太一が苦しげに呻く。
柔らかな口調を保ったまま、斎はゆっくりと全員の顔を見渡しながら言う。
「私は自分勝手なんです」
ざあざあと降る雨の音が強くなる。
「警察に捕まるのは嫌です」
彼はゆっくりと窓辺に近付く。
割られた窓ガラスを斎の手がゆっくりと開く。
よじ登るように彼は窓のさんに足をかけて上にあがった。ぎしり、とアルミが歪むような小さな音が聞こえた。
窓枠の上で振り向いた斎の顔には笑みが浮かんでいる。
何をしようとしているのか、理解したくもなかった。
「さようなら、です」
ふ、と斎が自分の身体を支えていた手を離す。
彼の身体が舞うように外に向かって倒れ込んだ。
強まる雨粒に叩き落とされるように、彼の身体が下へと落ちる。
両手を広げた斎の姿は、何かが羽ばたいて飛ぶ時のものによく似ていた。鮮烈で、美しくさえ見えるその姿は網膜に焼き付いたように制止して見えた。
叫ぶことも、忘れていた。