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ウィッチクラフト Ain Suph Aur  作者: みえさん。
終章 無限光 Ain Suph Aur
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4 天を目指す虫


 雨が降っている。

 バラバラとどこかに雨粒のぶつかる音が響く。

『雨って結構好きなんだ』

 少女は窓から雨の降る外を眺めながら言った。

『確かに、雨の日は湿度も気温も穏やかで過ごしやすいわ。思考するのには最適の日ね』

 彼女は本から目を離さずに答える。

 少女は振り向き窓枠に手をかけ寄りかかるようにしながら少し首を横に傾けた。

『雨上がり、好きじゃない?』

 彼女はページをめくった。

『別にどちらでもないわ』

 それに真夏は湿度が上がりすぎて、体感温度が上がるから不快だ。

 彼女はそう心の中で付け加える。

 少女は少し肩を竦めてみせた。

『でも、綺麗な虹が出ると嬉しくない?』

『不可視の存在を肉眼で確かめられるのは興味深いわ』

『そうじゃなくて!』

 少女は本の上に手をかざす。

 文字が見えなくなってようやく彼女は顔を上げた。

 妹が立っている。

『見えないわ、明香』

 文句を言うつもりではなく事実を述べる。

『姉さん、本ばっかり』

『話はちゃんと聞いているわ。理解もしている。何が問題なの?』

 分からない、と首を傾げる彼女。

 少し不満そうに少女が唇を尖らせた。

『目を見てくれないと、ちゃんと話した気になれないの』

『非効率ね。それに兄には不気味と言われたわ』

『宗兄さんはじっと見つめすぎると嫌がる人もいるから、って言いたかったのよ。顔を見ないのも失礼よ』

 言われて彼女は息を吐いて本を閉じる。

 分厚い本の表紙にはドイツ語の文字が書かれている。

 古い医学書だった。

『貴方の話は曖昧で難しいわ。この本の方がよほど単純で明確』

『難しくない。私と話をする時はなるべく顔を見てって話よ』

『そう。分かったわ。努力をします』

 彼女は少女の方を見た。

 少女は微笑む。

 笑う理由が分からない。

 彼女は少し目を瞬かせた。

『何故微笑んだの、明香?』

『え? うーん何でかな』

 そう言って彼女は暫く考え込んでから付け加える。

『多分、笑って欲しかったの』

 誰に、というのは愚かしい質問だろうか。

 この部屋には自分と明香しかいない。

 明香は自分に笑って欲しかったのだ。

『そう』

『誰かに笑って欲しい時や、自分が優しい気持ちになりたい時は笑った方が良いんだって』

『それは嘘を付くと言うこと?』

 楽しくもないのに笑う。

 それは自分自身にも相手にも嘘を付くことになる。

 少女は否定するように首を振った。

『そうじゃないよ』

『けれど、笑顔は偽物だわ』

『偽物でも笑顔は笑顔だよ。それで相手が本当に笑ってくれたら嬉しいって私は思う。……あ、見て、雨が止んだ』

 言って彼女は外を示す。

 薄暗かった雲が晴れ、その合間から眩しい光が降り注いでくる。

 ゆっくりと山の端に架かるように、七色の光の幻影が映し出された。

 少女は笑顔でそれを指差した。

『ほら、見て、綺麗!』

 綺麗、と言われて見れば、確かに好ましい景色のように映る。

 錯覚だろう。

 現に彼女にとって、虹の美しさよりも彼女の純粋な笑顔の方が眩しく感じていた。

『そうね』

 彼女はそう言って少し笑む。

 不器用な笑い。

 作った笑い。

 それでも、それを見た明香の笑顔が深くなった。

(私が笑うと、明香も笑うのね)

 何か心の奥が疼いた。

 何故だか妙に泣きたい気分になってくる。

 不可解。

 けれど、それは嫌ではない。




「……?」

 鈴華はぼんやりと目を開いた。

 ここはどこだろう、病院だろうか。

 指先を何か伝う感覚があり、目を向ける。

 白いシーツの上に転がった手の先に赤く丸い何かが止まっている。

(……テントウムシ?)

 見舞いの花束に付いてきたのだろうか。

 小さな虫は羽根を広げ飛び立とうとしていた。

 しかし、その直前、不意に命が尽きたかのように力を失い指先から転げ落ちた。転がった赤が血の染みのように真っ白いシーツの上に落ちる。

 そのままそれは痙攣したように足を動かしもがいているだけだった。

(さっきまで元気だったのに)

 鈴華は指先をそのてんとう虫の上に置く。

 ぴくり、と反応するように動く。

 星の数は三つ。

 赤く光る背には三つの黒い点があった。

(動いて……)

 虫も人も動かなくなってしまうのは嫌だ。

 生き物はいつかその魂を終えて土に還っていくのは分かっているつもりだ。けれど、どうかもう少し。今は何かの生命が終わる時を見たくない。

(どうか)

 ぴくり、とてんとう虫が反応する。ほんの僅か薄い膜で覆われたように淡い光で包み込まれる。

 光はすぐに消え、見えなくなった。

 とたん、ふわり、と羽根が広がった。

 鈴華は微笑む。

 死んでいなかった。

 それが嬉しい。

 てんとう虫は羽ばたきシーツの上から飛び立つ。

 それが何かに当たって落ちた。

 かつん、と何かにぶつかって跳ね返るような小さい音。

 鈴華はゆっくりと視線を上げる。

「……レイカさん」

「斎……兄さん?」

 いつもと同じ優しい顔をした兄が立っている。

 でも、どこかが違う。

 彼はにっこりと微笑んで見せた。

「迎えに来ました。……一緒に行きましょう、ね?」

 優しい声。

 でも何かが違う。


(……何が?)


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