3 それが自分の出来る選択
明弥はぼーっとベッドの上に横たわる妹の姿を見つめていた。
トモミが激しい感情の波は明弥を巻き込み大規模なインパクトを引き起こした。それは津波のように一瞬で街全体を覆い、様々な物に影響を与えた。
人が最初に気が付いたのは停電だろう。
機械に影響を与えた力は暴走し、大規模な停電を引き起こした。復旧はすぐに進んだが未だに電気が行き届かない場所もある。ニュースでは発電所のシステムエラーと言っていたが、実際にはインパクトが暴走し本人の意思とは関係なく働いたためだった。
明弥自身もはっきり自分が力を使ったことを自覚していた。
彼の放った波はトモミのものと混ざり合い様様な人にぶつかった。
あくまで岩崎刑事の予測であるが、広範囲に広かったために井辻や太一の時のように極端な例はないだろうと言った。
ただ、本人が自覚しようとしまいと、そう言った能力を持ってしまった人も多いのではないかと言っていた。
「トモちゃん」
明弥は小さく呼ぶ。
彼女は何の反応も示さない。
暴発した力の影響で崩落した天井に押しつぶされ彼女の身体は一度生命活動を止めた。何とか一命を取り留めたものの、彼女は目を開かなかった。
目立った外傷は少ない。ただ、脳が激しく損傷したために正常に働かなくなっているのだ。それでも繰り返し声をかければ反応するかも知れない。だから何か声をかけてあげて欲しいと医師は言った。
だが、明弥にはトモミにかける言葉が見つからなかった。
何と声をかけていいのか分からなかった。
「明弥」
呼ばれて明弥は微笑んだ。
戸口のところに赤毛の男が立っている。
「ああ、太一。お見舞いに来てくれたんだ。今何か飲み物でも……」
「来い」
立ち上がり自動販売機の所に向かおうとした明弥の腕を太一の大きな手が掴む。
明弥は戸惑った。
「え……ちょっと」
「いいから来い」
まるで何かに腹を立てているようだった。
太一は強引に引きずるように明弥の腕を掴んで進む。
他の患者やナース達に注目されるのもお構いなしの様子で彼はどんどんと進む。
やがて辿り着いたのは屋上だった。
洗濯の終わった真っ白なシーツが風になびいている。
その向こう側の澄み渡った青い空に、大きなアーチが架かっていた。
「……わ、虹だ」
「お前、今日雨降っていたことも知らなかっただろう」
「え?」
「今日の日付は?」
「……ええっと」
「分からないだろう。みんな心配していた。誰も何て声をかければ良いのかって心配していた。ここ数日、お前、何をしていたのか分からないくらい上の空だっただろう」
言われて気が付く。
今日の日付も、あれから何日経っているのかも明弥にはよく分からなかった。家に戻り普段通りの生活をしてはトモミの見舞いにくる毎日。
人が来て会話を交わしたことや、勇気が街の状況を教えてくれた事くらいしか頭に残っていない。他に具体的にどんな会話をしていたのかも覚えていなかった。
「俺はイッキに荷担してきた側だ。そんな俺が何言って良いのかわかんねぇし、お前に恨まれたって仕方ないと思ってる」
「太一」
「でも、これだけは言わせてくれ。俺はお前のこと好きだ。……あ、いや、変な意味じゃなくてその」
太一は顔を赤くしてしどろもどろになる。
「その、何だ……ともかく、俺はお前のこと気に入ってる。だから、お前が元気ないと寂しい」
真剣な目だった。
優しく真摯な目。
彼はその眼で明弥を見据えた。
「喚いたって、俺に当たり散らしたって構わない。頼むから、空っぽのまんまでいないでくれ。……って、なに笑ってんだよ、俺変なこと言ったか?」
「……ううん、ご、ごめん」
きっと、彼は真剣に言う言葉を考えて来てくれたのだろう。
明弥を励ますために。
それが嬉しかったのだ。
明弥はぱん、と自分の頬を叩く。
勇気も、太一も、家族達も、こんなにも自分のことを心配してくれる。
ちゃんとしなきゃ。
この優しい人達の為に背を伸ばしていかなければ。
「ごめん、ぼーっとしてたのはちょっと、悩んでいたからなんだ」
「トモミの事か?」
「それもあるけど、一番は斎さんのこと」
「……」
「許せないと思ったんだ。何もかも予測していて、トモちゃんを犠牲にした。やるなら俺だけ追いつめればよかったんだ。あの人のしたことは、最低だ」
研究なんて下らないことのために何の関係もないトモミを巻き込んだ。明弥だけならいい。それも運命なのだと諦められる。
でも、彼女を巻き込んだのはどうしても許せなかった。
許せないと、思っていた。
「でも、やっぱり、あの人のこと恨めないよ。こんな事になってトモちゃんには悪いけど、あの人を憎んだりできない。嫌なんだ。誰かを責めるの」
お人好しの馬鹿。
またそう言われるかもしれない。でも、それで良いんだと思った。誰かを憎んで言葉で傷つけてしまうよりずっとマシだった。
確かにやったことは許せない。
でも、どうしてそんなことをしたのかと考えると言葉が続かない。
優しく振る舞うあの人の全てが演技だったとは思えない。研究の結果を出すためにそんなことをしたとは信じられなかった。
「……俺、馬鹿だなって自分でも思う。実験台みたいに使われて、それでも誰かを憎んでいるより信じたいって思うんだ」
人を初めて強く憎んだ。
憎しみの言葉が喉元を貫いて出てきた。流れ出た涙は氷よりも冷たかった。あの涙の冷たさは一生忘れないと思う。
でも、憎み続けるのとは違う。
今すぐにとはいかないけれど許したいと思う。そうでなければ明弥は自分自身も許すことが出来ない。
正直、その選択が良いのか悪いのか分からなかった。ショックの方が強すぎて自分の考えがまとまらなかったし、トモミのことを考えるとどうして良いのか判らなくなる。
それでも自分が元気がないと寂しいと言ってくれる人がいる。
自分はそのままでいいんだ、と思える。
自分が楽になるための逃げ道かもしれないけれど。
「俺、斎さんともう一度話したい。会って本当の事、聞きたい」
そう決めた。
会って話しても何も変わらないかも知れないけれど、気持ちに整理を付けたかった。
太一は長く目を閉じ、そして盛大な笑みを浮かべた。
「……よっしゃ、俺も協力するぜ」
「私も協力する、と言いたいところだけど」
突然声が聞こえて二人は振り返った。
シーツの向こう側から岩崎刑事が顔を覗かせる。
腕を組んで睨むように二人を見上げる彼女はいつになく険しい表情を浮かべていた。その手には携帯電話が握られている。
「たった今、警察庁の会議で南条斎をウィッチクラフトの一級犯罪者として手配することが決定されました」
「なん……だって?」
「特殊能力による父親を廃人にした疑い、暗示による自殺幇助、殺人未遂、隠蔽の疑い等。警察庁のゼロ班は彼を危険人物との判断をしました。発砲許可も出ています。……私自身もその決定に反対はありません」
岩崎刑事は淡々と言い、軽く目を閉じた。
「……南条斎は警官二人に暗示をかけ昏睡状態にした上で南条鈴華を奪取。現在逃亡しているそうよ」