アサイチの暴漢
以前、一緒に仕事をしていた吉住君の話。
ある日の朝。
吉住君が目を覚ますや、目の前に知らない若い男性がいて、いきなり拳を固めて吉住君に殴りかかってきた。
実際、殴られた……と思ったが。
拳を避けようと右腕で顔を覆った次の瞬間、目の前の男性はいなくなっていた。
黒縁眼鏡の奥の目は吊り上がった一重瞼で、少し縮れた髪の、白いワイシャツにエンジ色のネクタイをきっちりと締めた姿だった。
寝惚けていたのかと思ったが
しかし、それからずっと毎朝、寝起きにその見知らぬ男性は殴りかかってきて、次の瞬間に消えた。
さすがに四日目の朝ともなると、今度は自分が相手の拳を掴むか、殴り返してやろうと思うのだが、いかんせん目が覚めてすぐのことなので身体も意識も付いてこない。
何だろ、あれ。
全然知らない奴だけど。
自分でも知らないうちに、何か恨みでも買ったのかな、と思い、男が現れる様になって一週間ほどしてから、その話を会社の昼休みに同僚の内村君に話した。
「疲れてるんっすよ」
内村君は笑って吉住君の肩を叩いた。
「今日、飲みに行きましょうよ。で、そのままぐっすり寝たら大丈夫ですって」
そしてその夜、内村君と飲みに行き、ぐっすりと寝たら……翌朝は本当に男は現れなかった。
「やれやれ」
吉住君は久々に清々しい気持ちでその日は出社した。
が、にこやかに朝の挨拶をしながら事務所に入ってゆくと、既に自席に着いていた内村君が吉住君の姿を見るや立ち上がり、妙な表情で吉住君を手招いて、廊下へと引っ張っていった。
「よ、吉住さん」
内村君は青い顔をしていた。
「出ましたよ、あれ。今度は僕のとこに」
「え?」
「あいつですよあいつ。昨日言ってた奴。今朝、いきなり僕を殴ろうとしましたよぉ!」
「え!?」
涙目で内村君が言うには、あの男は今朝から内村君の寝起きを襲う様になったらしい。
「どどどどうしたらいいんっすかぁ!?ヤですよ僕。これからあいつ、毎朝毎朝殴ってくるんっすか?」
どうする、と言われても吉住君にもどうしたものやらさっぱり分からない。
二人で小声ながらも廊下で騒いでいると
「おい、どした?朝礼始まるじゃん」
と通りかかった先輩の大杉氏が声を掛けてきた。
話が話なので二人は始めは口ごもっていたが、結局内村君が泣きそうな顔をして事の次第を話すと、
「あれ。なんだぁ。あいつ、今お前のとこに出るようになったのか」
と大杉氏はあっけらかんと言った。
「お前のとこって。大杉さん、あいつ知ってるんですか?」
と吉住君が言うと、
「えぇ?何だよ、お前、覚えてないの?」
「え?」
「ほら、こないだ飲みに行った時にさ。俺、お前に話したじゃん。何でか分からないけど、朝、いきなり殴りかかってきては消える奴が出るって」
「はぁぁ?」
吉住君と内村君はぽかんと口を開けて、大杉氏を見つめた。
聞けば、吉住君のところに男が出るようになった前日の夜、吉住君と大杉氏の二人は居酒屋で飲んだ。
この時、大杉氏は吉住君に
「数日前から突如、毎朝殴りかかって来ては消える男が出るようになった」
という話をしたのだという。
しかし吉住君は酔っていたせいか、まるで記憶がない。
大杉氏もその男に見覚えはなく、そんなことをされる覚えもないという。
「じゃ、それって……話すと伝染るってことですか?」
吉住君と内村君は顔を見合わせた。
その日のうちに内村君はさっそく同僚や後輩数人を集めて飲みに行き、朝っぱらから殴りかかってくる厄介者の事を皆に話して聞かせた。
が。
翌朝も男は内村君のところに出た。
厄祓いで話を無理矢理聞かされた他の者達のところには、出なかったらしい。
「何で?どおしてぇっ!?」
内村君は嘆いたが、何故かは大杉氏にも吉住君にも分からなかった。
それから数日後の週末。
内村君は部屋に帰るのがイヤになり、ちょっと飲んだ後、そのままカプセルホテルに泊まった。
翌朝、男は現れなかった。
そしてそれ以来、内村君のところにも、また、話を聞かされた同僚のところにも出ることはなかった。
私のところにも出てはいない。今のところは。




