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#1

「#1」


カランコロンと軽快なベルの音がなる。


小さな店内に新たな客人の来店をドアに取り付けられたそれが知らせる。


純喫茶というのは、こういうものだと視覚的に感じさせる昭和レトロモダンな内装と家具と装飾品の数々。


まるで大作映画のセットにも似たそれらが視界に飛び込んでくる。


毛足の長いフカフカの絨毯は土足で踏みしめる事に罪悪感を覚えるほどだ。




華やかな紅茶の良い薫りがする。


芳醇な味わいを薫りのみで感じさせる。


思わず、深い呼吸をしたくなる。


この薫りに包まれる幸福を噛みしめる。




紅茶の美味しい喫茶店『無銘』は、この街の憩いと安らぎを与えてくれる親しみやすい場所であり、創業50年を超えた街一番の老舗であった。




「真夜ちゃ~~ん、いるぅ~?」




軟派な優男の甲高い声が店内に響きわたる。



およそ安らぎとは程遠く、店の雰囲気を著しく損なう声だった。


その男は自分の定位置と言わんばかりに窓側の最後尾にある四人掛けのテーブル席にドスンと勢いよく座る。


それから気色悪いくらいに、はつらつとした大きな声で真夜なる人物を呼び出そうと声をかけた。


深く腰かけた革張りの椅子がギシギシと揺れていた。



銀色の丸いステンレス製のトレイを抱えたままで紺色の丈の長いエプロンドレスを着こなした若いウェイトレスがパタパタとせわしない様子で男のテーブル席に駆け寄る。


レースの袖飾りとスカートの裾がハラリと揺れ動く。




「よっ!」




男は左手を軽くあげて挨拶がわりにと声をウェイトレスにかける。



彼女はジトリと厳しい目線を彼に落とす。



「いらっしゃいませっ!!」


少々苛ついたような無愛想な声色で氷水が入ったグラスを乱雑にテーブルにドンと置いた。


グラスの中身が飛沫をあげて揺らめいていた。


それは彼女の心のようだった。



声を掛けられたウェイトレスが真夜という女性のようだった。



「酷いな~愛してる彼女に会いに来ただけなんだけどな…」



くねくねしながら男が真夜に言う。




「バッ…バカじゃないの、彼女じゃないし、つきまとわれて迷惑このうえないの…わからないかなっっ」



真夜は男に対する怒りを噛みしめつつ一応、客であるという狭間で冷静さを保ち小さく囁いた。



「そんなに照れちゃって、もう~…愛してる

あ、それはおいといて、我がミステリーサークルのアイドルが来てくれないから皆が皆…ってか、特に…オレが超絶寂しがっているのだよ、アハハ…

な…行こうよ、前に話した…例の心霊スポット巡りとかさぁ~」


もう一度くねくねしながら男は話し出した。



「そんな気持ちの悪いサークル入った覚えなどありませんし、心霊スポットみたいな場所に行きたくなんかありません、それから…あんたの愛なんて受け付けていませんから…」


即座に凍てつく様な視線で切り返した。



「はい、それじゃ…ごめんね、バイト中だから、また後で…」


うだうだ言われるのは百も承知だったので取り付く島を与えずに、一言残して…その場から立ち去る真夜であった。



うん、あいつのあしらい方を大分覚えてきたぞ…と小さくはにかんだ。



心配そうにこちらを見つめていた後輩のアルバイトの美優希が真夜に声を掛けてきた。




「あのぅ、あそこの窓側の真ん中あたりの席のスーツ姿のお客様って何人いらっしゃってますか?」



真夜は質問の意図があまり理解できないままではあったが、問われた事に素直に答えた。




「ふ…ふたりだと思うけど…」


一目瞭然、誰でも分かると思うのに変な質問するなぁと真夜は訝しんだ。



「そうですか、なるほどです。

真夜さん、ありがとうございます」


美優希はニコリと笑うと何か解決した様に安堵の表情で厨房の方へ歩いていった。



お気に入りの文鳥のぬいぐるみ『ブンたん』と会話が出来るとか言い出したりする、ひとつ年下のちょっとだけ心配な面のある可愛い後輩だ。




「向こうのテーブル、さげぜんしなきゃ」


片付けられていないテーブルの食器をトレイに乗せ、片付け終えたテーブルをダスターで素早く丁寧それでいてきれいにふきあげる。


真夜も厨房へいそいそと歩きだした。




その時、またあの男の大声が真夜を呼び止めた。






「真夜ちゅわわ~ん、オーダーよろしくですぅ~!!」




その声に何かトラブルかなと厨房からひょっこりと顔を出して覗いている男がいた。



丁寧に整えた口髭を蓄えた清潔感のある白髪のオールバックのナイスミドルでダンディーなオーナーが何事かと真夜の方にアイコンタクトをおくる。


オーナーのアイコンタクトに何やら落ち着かない様子でわたわたとしてしまう真夜であった。


どうやらクレームの類いではないようだと確認するとマスターはオーダーをこなす為に厨房へとそそくさと戻っていった。




種類こそ…それほど豊富では無いものの食事系のメニューも人気があった。



斬新なアイデアと昔ながらに奇をてらわないオーソドックスな美味さが際立つ懐かしい喫茶店の洋食といったものだった。



「ふぅ、マスターに怒られちゃうかと思ったよ…」



真夜は胸を撫で下ろす。




男のテーブルへとツカツカと歩いていく。




まっさらなオーダー表が挟まれているプラスチックの細い板を取り出すと…



「お願いだからさ、他のお客様に迷惑になるからおとなしくしていてくれませんか、秀一さん」


真夜は、その迷惑な男を秀一と呼んだ。



「あらあら~ようやく彼氏を名前で呼んでくれたんだけど、な~んか距離感があるんだよね…

いつもみたいに甘えながら秀ちゃんとかさ…ダーリンとかさ…」


秀一は真夜に甘えた声で話しかけた。




「いつ私が…あんたをそんな風に呼びましたかっ!!」


面白いようにペースを乱される。




「そうそう…オーダー、インディアンミートとロイヤルミルクティのシナモンシュガー入りで…よろしく真夜ちゃん」


秀一は真夜の百面相みたいにコロコロ変わる表情をいとおしげにみつめる。


「もぅ、いろいろ勝手ですね、はい、かしこまりました…インディアンミートとシナモンシュガー入りのロイヤルミルクティね」


とりあえずイライラするのは後にしようとロボットみたいな口調で秀一のオーダーを繰り返した。



ミートソースのスパゲッティにマスターの特製カレーソースがかかっているインディアンミートは、この店の隠れた人気メニューであり、常連客はコレが目当てだったりする。


カレー味のナポリタンとミートソースのスパゲッティが一緒に食べたいという常連客のわがままから生まれたメニューであった。



シナモンシュガー入りのロイヤルミルクティーは若い女性に大人気のメニューで真夜も休憩中のまかないでベーグルのサンドイッチと一緒に食べるのが幸せだと秀一に教えてしまった。


それからは一瞬で秀一のお気に入りになってしまったというわけだ。



美優希のお気に入りのジンジャーアップルティーに鞍替えしようかと本気で悩まされていた。



気持ち悪い笑顔で手を振る秀一を置き去りにしたままで、オーダーを伝えに厨房へ戻る。



「アハハ、真夜ちゃん…モッテモテだねぇ、羨ましいかぎりだねぇ~…あんなにも真っ直ぐで一途な男じゃないか~」


いつものようにマスターに冷やかされてしまう。



「もぅ、マスターまで何度も…そうやって、やめてくださいよ」


ふぅ…とため息をついてから真夜はオーダーを伝えた。



「ハハハ、冗談、冗談…それにしてもいつも来てくれてありがたいね、動機は不純だがいっぱしの常連客の仲間入りだな…そうだな、半熟たまごとコロッケのっけてやるよ、サービス…サービス…ハハハ」


インディアンミートに半熟たまごとコロッケをのせて、秀一に食べさせてやるのがもったいないくらい贅沢に変化させてくれたマスターだった。


そんな粋なサービスに秀一も感激しながら夢中でガツガツ食べ進める。




特製スパイスの刺激的な辛さと野性的で男らしい味のミートソースに繊細な仕事を感じるスパゲッティだ…パスタなんてオシャレな呼び方じゃ、しっくりこないのだ。


それに対して優しく女性的な味わいなのはシナモンシュガー入りのロイヤルミルクティーであった。



その温かく甘い余韻に浸りながら、真夜に小声で聞いてみた。





「あのミユキって娘さ、みえてるよね、多分だけどさ…」



スパゲッティを頬張りながら秀一は少しばかり真面目な顔で真夜に質問してみた。



「え…みえてるって、なんのこと」


真夜は、みえてるの意味を理解できずにいた。




「え…いや、勘違いかな、もういいや…アハハ」


秀一は空気感が悪くなるのを感じて、これ以上の追求は野暮だなと思った。





もうひとりいたんだよね。


心の中で呟く…





秀一は、スーツ姿の客のテーブルに目を向けた。



誰もいない何もないテーブルで空のグラスが静かに揺れていた。


「どゆことよ…みえてるって…」



真夜に突っ込まれるが秀一は、はにかむばかりで誤魔化した。




そんな真夜の方が、もっと大きな闇を心と身体にかかえていた。


それこそが彼女のまわりで起こる様々な出来事に繋がっていくことになるのであった。



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