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『神父VSメカ神父 決戦!御前試合!!!』  作者: 井ノ上下太郎
第一章 メカ神父 Beginning
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『従軍聖技師』

 工房付けになってから、朝はさらに早くなった。


 朝と昼はひたすらに聖句を刻み、夜は義肢調整の日々だ。


 指先はさらに荒れ、爪の間には鉄粉が入り込み、服には油が染みついた。聖句の書き写しだけでなく、関節部の構造、負荷分散、革帯の締め具合、装着者の癖の読み方まで覚えなければならなかった。


 最初のうちは失敗も多かった。


「刻みが浅い」


「はい」


「ここ、祈祷線が途切れている」


「はい」


「何故均等に力をかけた? 物を握るとき、人差し指と小指、どちらに力が入っているか考えたか?」


「……いえ」


 怒られてばかりだった。


 けれど、不思議と嫌にはならなかった。


 工房には、説教台はない。華やかさもない。けれど、ここで作られた義肢が一人の人間を立たせる瞬間を見るたび、胸の奥に静かな熱が灯った。


 腕を失った兵が、ぎこちなく指を曲げる。

 脚を失った鉱夫が、歯を食いしばりながら一歩進む。

 誰かが自分の欠けた身体を、もう一度「自分のもの」として取り戻そうとする。


 そのたびに、僕は思った。


 これこそが聖職というものなんじゃないか。


 人の隣に座ること。人の欠けたところを埋めること。字を教えるのと同じように、もう一度手や脚を使えるようにしてやること。


 聖句を一つ刻むごとに、何かを一つよくしている。そんな実感があった。


 ただ、そうしていられた時間は、長くは続かなかった。


 工房に運び込まれる兵の数が、目に見えて増えていったからだ。


 最初は、どこか遠くの戦線だと思っていた。名前だけ聞く土地。地図の端。知らない村と川。そこで戦が起きていて、こちらにはその余波だけが届いているのだと。


 けれど、余波にしては、あまりに重かった。


 片腕を吹き飛ばされた兵。

 膝から下を失った若者。

 肩口を裂かれて、もう剣を振れないと青ざめる男。

 傷そのものより、二度と元に戻らないことに怯えている顔。


 工房の空気も変わっていった。


 怒鳴り声が増えた。

 炉の火が落ちることはなくなった。

 祈祷文は短くなり、ありものの義肢を調整することが増えた。


「次だ」

「右腕用を持ってこい」

「このサイズじゃ合わん、削れ」

「止血が先だ」

「刻印は簡略化しろ、今日は数を優先する」


 数。


 その言葉が出始めた頃から、僕は何となく嫌な気配を感じていた。


 ある晩、工房長に呼ばれた。


 奥の小部屋だった。机の上に羊皮紙が広げられている。封蝋つきの正式な文書だとすぐ分かった。


「フェリス」


「はい」


「お前は、しばらく工房を離れる」


 僕は反射で顔を上げた。


「離れる、とは」


「従軍だ」


 短い答えだった。


 外で誰かが義肢の固定具を落としたらしく、大きな音が響いた。けれど、その一瞬だけは工房全体が妙に遠く感じられた。


「僕が、ですか」


「そうだ。現地での応急調整と、負傷兵への祈祷補助。見習いの中では、お前がいちばん字が正確で、刻印にも慣れている。向こうじゃ義肢は消耗品だ。現場で見られる人間が要る」


 現場。


 その言葉の意味は分かる。分かるが、分かりたくはなかった。


「……本当の戦場へ?」


「そうだ」


 工房長はあっさり言った。


「お前、自分が何のためにここで学んでると思ってた」


 責めるような口調ではなかった。だから余計に痛かった。


 僕は少し黙ってから答えた。


「人を支えるためです」


「なら、行け」


 それだけだった。


 断れるはずがなかった。


 工房を出て本堂裏の回廊を歩く間、僕は妙に落ち着かなかった。


 怖い。もちろん怖い。


 だが、それだけではなかった。


 工房に来た時と少し似ている。想像していた“神父様”の仕事とは違う場所へ、また押し出される感じ。それでも、それが自分の歩くべき道なのだと言われれば、そうなのかもしれないと信じたくなる感じ。


 幼い頃に憧れた神父様は、ここから旅立って人々のところへ行った。

 僕は工房を出て戦場へ行く。


 少し違う。


 でも、もしあの人がこの工房で鉄と祈りを学んでから人のそばへ行ったのなら、僕だってそうなれるかもしれない。


 その晩、眠る前に工房へ立ち寄った。


 誰もいない時間の作業場は、昼間より少しだけ教会に近く見えた。炉の熱は落ち、金属の冷える匂いと、微かに残る香油の匂いが混じっている。壁に吊られた義肢たちは、まるで沈黙した信徒みたいだった。


 僕は自分の作業台に触れた。


 刻みかけの義手。

 聖句の下書き。

 工具。


 ここが嫌いになったことは、一度もなかった。

 むしろ好きになりかけていたところだった。


「戻って来られるだろうか」


 思わず独り言が漏れた。


 返事はない。当たり前だ。


 けれど、工房の静けさは嫌いじゃなかった。


 僕はその場で短く祈った。いつもの定型句でもなく、立派な言葉でもない。村で覚えた、たどたどしい祈りの延長みたいなものだった。


 どうか、ちゃんと見ていられますように。

 どうか、目を逸らさずに済みますように。

 どうか、向こうで必要なものを作れますように。

 そして、もしできるなら。

 あの神父様みたいに、誰かの隣に立てますように。


 翌朝、僕は戦場へ向かった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 港は朝から騒がしかった。


 魚と塩と泥の匂い、縄を引く掛け声、樽の転がる音。町の中ではまだ祈りの時間の余韻が残っている頃合いだというのに、海辺だけはまるで別の時間で動いていた。


 工房から回された箱や、医薬品の樽、乾燥肉の袋、包帯の束。そういうものが次々と船へ運ばれていく。その中に、僕もいた。


 船は思ったより大きく、思ったより無骨だった。巡礼者や商人が使うような船より、ずっと実務のために作られた顔をしている。船腹の木は潮に焼け、甲板にはすでにいくつもの傷がついていた。


 案内役の兵が、僕の胸元の十字架と荷を見て言った。


「工房の見習いか」


「はい」


「じゃあ、祈るより先に手を動かせるな」


 返事に少し詰まりながらも、僕は頷いた。


「そのつもりです」


 兵はそれ以上何も言わなかった。けれど、その目には、聖職者に向ける敬意よりも、職人に向ける値踏みがあった。


 それが少しだけ、僕にはありがたかった。


 船は昼前に出た。


 港が少しずつ遠ざかる。町の屋根が小さくなり、鐘楼が細い影になる。風は冷たく、潮気を強く含んでいた。波は高くなかったが、足元は絶えず揺れた。


 船上で過ごした時間は長くはなかった。三日だけの移動だったが、それでも十分に長く感じられた。


 甲板の上には兵たちがいた。若い者もいれば、顔にいくつも古傷を持つ者もいた。眠そうな者、黙って海を見ている者、冗談を飛ばして笑っている者。けれど、その笑いもどこか乾いていた。


 彼らの輪の中へ入り込むほどの度胸はなかったので、僕は自分の荷のそばに座り、工房から持たされた調整具の包みを何度も確かめた。留め具、革帯、細い刻み針、簡易の術式板。揺れる船の上で確認したところで何も変わらないのに、そうしていないと落ち着かなかった。


 やがて、兵の一人がこちらへ来て、僕の工具包みを見下ろした。


「義肢屋か」


 乱暴な言い方だったが、悪意は感じなかった。


「工房付きです」


「同じだろ」


 そう言って、男は自分の腕を見せた。手首に硬い革帯が巻かれている。


「これ、締めると痛ぇんだ。見られるか」


「少し見せてください」


 革帯の位置が悪かった。関節の動きに対して、締める場所がずれている。


「これだと、曲げるたびにここへ食い込みます」


「やっぱりか」


「穴を一つずらして、あて布を厚くすれば、少しはましになるはずです」


「少しでいい」


 その言葉が妙に耳に残った。


 少しでいい。


 工房でも何度か似たようなことは聞いた。けれど、この兵の口から出ると、意味合いが違って聞こえる。完全に治せと言っているのではない。以前の身体を返せとも言わない。今より少しましにしてくれ、それだけだ。


 僕は革帯を調整しながら、思わずその兵の顔を見た。


 年齢は僕より少し上くらいだろうか。頬は痩せているのに、眼だけが妙に強かった。


「これでどうでしょう」


 兵は手首を返し、腕を曲げてみた。


「……ましだな」


「それならよかったです」


「本物も見られるのか」


「本物、というと」


「腕とか脚とかだよ」


 その言い方に、一瞬だけ言葉を失った。


 兵は構わず続ける。


「向こうじゃ、壊れたまま戻ってくるやつが多い。神父だろうが工房だろうが知らねえが、直せるなら何でもいい」


 船は大きくは揺れていなかったのに、その瞬間だけ足元がぐらついた気がした。


「……何でも、ですか」


「何でもだ」


 兵は海の向こうを見た。


「生きてるやつを、少しでもましな形に戻せるならな」


 僕はその言葉に、うまく返事ができなかった。


 祈りも、説教も、教義も、確かに必要なのだろう。けれど、今この兵の前でそれらはひどく遠く感じられた。必要とされているのは、もっと手前のものだ。締め具をずらすこと。動くようにすること。痛みを減らすこと。立てるようにすること。


 船は夕方前に戦地側の港へ着いた。


 港というより、無理やり船をつけられるよう整えた岸だった。木の桟橋は泥に沈み、周囲には崩れた箱や折れた車輪が散らばっている。海の匂いより先に、焦げた木と湿った土の匂いが鼻についた。


 遠くで、低い音がした。


 最初は雷かと思った。だが空は晴れている。


 砲声だと分かるまでに、少し時間がかかった。


 船を降りるなり、兵たちは慣れた様子で荷を担ぎ始めた。誰も空を見上げない。誰も音に驚かない。それが逆に、僕の胸を冷やした。


「工房付き! こっちだ!」


 怒鳴られて、僕は荷を抱え直した。


 案内された先は、病舎と呼ばれる倉庫だった。正面の扉は開け放たれ、中から熱気と薬草の匂いと、もっと別の、生臭い匂いが流れてくる。


 中へ入った瞬間、僕は息を詰めた。


 寝台が並んでいる。


 いや、並んでいるというより、押し込まれている。間隔は狭く、床にまで毛布が敷かれ、その上にも人がいた。包帯を巻かれた者。呻いている者。ぐったりしている者。怒鳴っている者。


 修道士や医療係が走り回り、桶の水はすぐ赤く濁る。誰かが祈り、誰かが叫び、誰かが命令し、誰かがもう返事すらできない。


 工房へ届く前の負傷兵たち。


「こっちの固定具を見ろ!」


 呼ばれて近づく。


 若い兵だった。肘から先を失っている。工房式の簡易仮肢がついていたが、留め具の位置が悪く、腫れた肉へ食い込んでいた。


「少し触ります」


 そう言いながらも、自分の声がちゃんと出ているのか不安だった。


 兵は僕の顔を見た。ひどく若い。僕と同じくらいか、下かもしれない。


「これ、また腕みたいに動くのか」


 質問は短かった。だが、その目は真っ直ぐだった。


 工房でなら、もっと丁寧に説明できた。訓練が必要だとか、可動域には限界があるとか、傷の治り方次第だとか。けれど、ここでそんなことを順番に並べても意味がないのは分かった。


 この兵が知りたいのは、そういうことじゃない。


「すぐには無理です」


 僕は正直に言った。


「でも、使えるようにはします」


 兵はしばらく黙っていた。


「……そうか」


 それだけだった。


 僕は固定具を外し、締め直した。傷を避けて支点をずらし、革帯を一つ切り、別の穴へ通す。手は動く。工房で何度もやった作業だ。


 けれど、周囲が違いすぎた。


 隣の寝台で誰かが叫ぶ。

 さらに奥で、別の修道士が祈祷文を唱えている。

 その向こうで、医療係が怒鳴る。


「神父を呼べ!」

「呼んでる!」

「こっちは先に押さえろ!」

「離すな!」


 祈りと怒声と、痛みの声が、全部同じ空間でぶつかり合っている。


 工房では、祈りと技術はひとつの手順だった。


 刻んで、繋いで、調整して、祈る。


 そこには順序があった。


 けれどここにはない。


 祈っている間に、別の誰かが血を失う。

 手当をしている間に、別の誰かが神を呼ぶ。

 誰かに答えている間に、別の誰かがもう返事をしなくなる。


 一日のうちに、僕は何人もの腕と脚を見た。仮肢の調整をし、留め具を締め直し、祈りを求められれば短い聖句を唱えた。


 けれど、何かが決定的に追いついていない感覚だけが残った。


 夕方、ようやく手が空いた頃には、頭が鈍く痛んでいた。


 病舎の外へ出ると、空はもう赤くなりかけていた。地平線の向こうで煙が細く立ち、遠くでまた低い砲声が鳴る。風は冷たかったが、倉庫の中の熱気を知ったあとでは、むしろ少しだけありがたかった。


 本当の戦場は、ここよりさらに前にある。


 そのことを思うと、妙に足が重くなった。


「見習い」


 振り向くと、船で手首の革帯を直した兵がいた。


「ああ……船ではどうも」


「あの時は助かった」


 それだけ言って、彼は少し黙った。


「どうだ」


「どう、とは」


「戦場ってやつは」


 僕は答えに詰まった。


 何と言えばよかったのか分からない。


 怖い。

 追いつかない。

 祈っても間に合わない。

 治しても足りない。


 いくつも言葉はあったが、どれも軽かった。


 兵は僕の沈黙を見て、少しだけ笑った。


「そんな顔になるよな」


「……皆さん、平気なんですか」


「平気なわけあるか」


 即答だった。


「慣れるだけだ。慣れなきゃやってられん」


 その言い方に、工房へ入る前に聞いた軍医補の言葉を思い出した。慣れる。慣れなきゃやってられない。


 それはきっと、本当なのだろう。


 けれど僕は、その時ふと思ってしまった。


 人がやるから、折れる。

 人がやるから、迷う。

 人がやるから、間に合わない。


 もしここに、折れない者がいたら。

 迷わない聖職者がいたら。

 祈るべき相手を取り違えず、怒鳴り声にも血にも怯まず、必要な言葉と必要な手を、ただ正確に差し出せる存在がいたら。


 どれだけ、違うだろう。


 その考えは、まだ形にもなっていなかった。


 ただ、夕暮れの風の中で、ひどく冷たいものとして胸に触れた。


 病舎の中では、また誰かが僕を呼んだ。



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