第83話 スーパーGⅡ
札幌記念のレースレーティングは、毎年おおよそGⅠレベルに匹敵する。
夏場にはGⅠはないのだし、中距離は有力馬が集まるのだから、格上げという声は昔からずっとある。
なお札幌記念は日本の古馬混合GⅡにしては珍しい、GⅠ馬にさらなる負担を強いないレースである。
「なんだか色々とやってきてる」
「どうかなあ。一応は1番人気になりそうやけど」
モーダショーは三ツ木厩舎所属。
調教師生活最後を飾る優駿となりそうで、三ツ木はかなり愛着が湧いているらしい。
今年の札幌記念に出走するGⅠ馬は、モーダショーだけである。
他の有力馬を並べてみると、シュガーホワイトやモーダショー相手に、クラシックを戦った面子が多い。
2番人気は去年、京都大賞典でモーダショーに勝ったブルファンファーレ。
あれからはGⅠ戦線に顔を出すことが多いが、どうにも勝ちきれていない。
GⅠ馬というならロイヤルガードあたりは、この距離の重賞実績を欲しがるのでは、とも思った。
だがもう夏は完全に休ませて、秋競馬に備えるらしい。
ジャンタルトン、カルマインザダーク、アタックブレイザー、クワノタイガー、メイコウマツカゼ。
何気にモーダショーに勝っている馬もいたりする。
そんな中でやはり、GⅠ実績からすると、モーダショーは1番人気なのだろう。
2000mという距離は、短すぎるのではないか。
一応は条件戦なら、その距離も勝っているモーダショーである。
だが3歳の夏以降、走った距離で一番短かったのは、宝塚記念の2200m。
ここでは4着に負けているだけに、やはりステイヤーだと思われている。
勝った重賞が長距離ばかり。
もっとも最後の3ハロンのタイム自体は、かなりいいものを持っているが。
今度は負けるのではないか。
2400ならまだ、ジャパンカップの3着というものがある。
しかしやはり2000は、それに比べてさえ短い。
GⅠの数だけを見て、内容を見ていないのではないか。
1番人気であり、唯一のGⅠ馬でありながら、オッズが2倍になっているあたり、判断材料も色々とあるのだ。
16頭の優駿たち。
その中で地方所属は、道営の2頭のみ。
前走ではあれだけ、圧倒的に勝ったアシュレイリンク。
だが人気はブービーの15番人気である。
(昔に比べると、GⅠ馬は出なくなった)
優姫は登録されていたメンツを見て、そう思った。
昔は秋に向けて叩き一発、ということが多かったのだ。
だが今は調教技術の向上で、ぶっつけ本番の方が多くなっている。
このレースはかなり、アシュレイリンクに有利ではないのか、と優姫は思っている。
3歳馬としては唯一の出走。
なので他の馬より、3kgも軽い斤量で乗ることが出来る。
また人気薄であるため、警戒されていることもない。
もちろん前走を知っているジョッキーもいるので、甘く見ているはずもないのだが。
あとは走った距離が、1800mまでということもあるか。
3戦3勝とはいえ、経験が不足していると、マイナス要因はいくらでも用意できた。
門別競馬場に比べれば、はるかに巨大なのが札幌のスタンド。
基本的に1500人しか入らない、門別とは規模が違う。
2万人は入るのだから、とにかく桁違いなのは間違いない。
さすがに少しは、緊張している天音である。
(勝ったら賞金ほぼ1億円……)
その5%がジョッキーへの進上金となる。
他にも色々とあるが、一気に500万円。
一般的なサラリーマンの年収以上になってくる。
前回の特別競走や、平場での進上金も、道営に比べれば高かった。
だが重賞となると、それも別格になる。
道営の最高額の重賞より、倍以上の賞金。
これでもまだGⅡなのだ。
道営が休みとなる季節、既に南関の競馬場に、出稼ぎに行く予定は立てている。
そこで出走出来そうなレースを考えていると、ダートのレースだけでも普通に、1億というものはある。
ただアシュレイリンクの脚質を考えると、芝に挑戦するのもいいだろう。
秋古馬三冠。
どれもが賞金5億円以上(※1)の、日本でも最高ランクの金額。
(でもそんなレースになったら、さすがに乗り替わりになるんだろうな)
そのあたり天音は分かっている。
四月から道営で始めて、次々と結果を残した2歳馬が、他の地方や中央に移っていく。
寂しくはあってもそれは、むしろ馬たちにとっては出世なのだ。
(けれど私は……)
JRAではなく地方を選んだのは、少しでも早くデビューしたかったから。
あとは骨折後のリハビリもあって、JRAの受験には間に合わなかったから、というのもある。
エリートの集団が、JRAのジョッキーたち。
だが技術で地方が劣るかと言うと、そんなことはないのだ。
それでも将来を見据えるなら、JRAを選ぶべきだった、と優姫ならば言うだろう。
しかし天音が選んだ理由には、優姫への反発もあったことは確かなのだ。
他には道営ならば少しだけ、母方からのつながりがあったこともある。
卒業してもちゃんと、厩舎がどこか受け入れてくれなければ、そもそも合格することすらなかったりするのだ。
天音は今日、勝ちにきている。
もちろん前回の特別競走とは、馬のレベルが全く違うのも分かっている。
それが今日のオッズには出ているのだ。
しかし調整ルームでも、優姫とはほとんど話さなかった。
ただ娯楽室で、何をしているのかは観察していたが。
優姫に対しては麻雀組の男集団が、結束して挑んでいく。
そして最初の半荘数度は、それなりに負けることもある。
だが中盤からはもう、ほとんど負けなしという状態になる。
おそらく勝負勘というものが、抜群に秀でているのだろう。
それは他のゲームにしても同じことだ。
将棋などをしているのも見ていた。
ルールはあまり知らないが、ハンデをつけてもなお、他のジョッキーを返り討ちにしている。
根本的な部分で、相当に頭がいい。
そしてそれ以上に、勝負に対する嗅覚が優れているのだ。
あとは経験でも、圧倒的に違う。
乗ったレースの数もだが、それよりは大舞台におけるものだ。
しかしプレッシャーを止める方法は、昔からずっと分かっている。
(レースは一度じゃないけど、同じレースは二度とない)
氷の心を取り戻せ。
どれだけ熱い情熱を持っていても、それだけでジャンプは跳べるものではない。
相手となる馬は、4歳から7歳までの、本当に経験も豊富な優駿。
稼いできた賞金額を比べれば、アシュレイリンクに勝ち目などなさそうに思える。
(けれどリンクは、まだここから)
3戦3勝の無敗。
だがわずか、たったの3レースのみの出走。
それも相手はずっと、このレースの馬よりも、ずっと弱い馬たち。
もっとも優姫ならば、こう言ったであろう。
「ダンジグ(※2)だね」
3戦3勝で引退した、ノーザンダンサーの後継種牡馬の1頭。
なおこのダンジグの血を、アシュレイリンクは二つのラインから加えられている。
その片方がデインヒルなのだ。
オーストラリアの最強シャトル種牡馬であった。
ちなみにノーザンダンサーのラインは、母方にもう一本、父方にも二本入っている。
全馬が標準装備、と言ってしまってもいいノーザンダンサーは、どのラインかで意味が変わってくる。
そして父親は代替種牡馬で、さほど期待されてはいない。
2000mはまさに、アシュレイリンクには未知の舞台。
(2着でも3000万円……)
中央の重賞の恐ろしさを感じる。
同じレースは二度とない。
(この感じ、やっぱり)
氷の上に似ている。
今日も秋藤が頼んでくれて、芝の条件戦を一つ走っている。
札幌のコースは日本一と言ってもいいほどの、フラットなコースである。
直線は短いが、コーナーのカーブも緩い。
着は拾ったがさすがに、1着とまではいかなかった。
そして優姫は、また目の前で勝っている。
一年目からGⅠを勝って、二年目でクラシックを二つ勝って、三年目にはリーディングジョッキー。
日本の競馬史を見ても、他に近似値は一人しかいないぐらいの、異常な成績である。
これがまだリーディングジョッキーだけなら、斤量特典で納得できなくもない。
だが今年は国内だけに限れば、賞金ランキングも一位。
勝率もトップと、騎手大賞が狙える。
MVJにしても、取れる可能性はたかい。
ただ騎乗数で劣る部分があるので、そこがどうなるのかは分からない。
騎手という職業は、怪我で数カ月休んだりも、多いのでまだこの先は分からないが。
ちなみに項目を満たしても、不祥事や制裁などによって、表彰が見送られるというパターンも、ルール上はあったりする。
メルボルンカップや香港ヴァーズ。
そのあたりで海外遠征をすれば、騎乗数は減るだろう。
だが優姫の重視しているのは、賞金である。
馬に次のステージを用意してやること。
これは間違いなく重要なことだ。
だがジョッキーがそのために出来るのは、いい成績を残してやる以外に何もない。
2勝させればまず、牝馬なら繁殖に戻れる。
牡馬は難しいが、今ではある程度の知名度がある馬は、養老牧場で余生を送ることも多い。
モーダショーに必要なのは、この距離での重賞勝利。
出来ればGⅠがいいのだが、それでは相手が強くなりすぎる。
大阪杯も最近は、強い馬が増えてきた。
ドバイの賞金価値が、国内と比べてもあまり変わらない。
海外GⅠの制覇というのは、それだけで種牡馬には大きな勲章となるが。
本日二つ目の勝ち鞍をあげ、優姫は調整ルームに戻ってくる。
エネルギーと水分を補給しても、全く問題はない。
次のレースは休んで、その次がいよいよ札幌記念。
同じ調整ルームには天音もいるが、優姫と目を合わせようとはしない。
(どちらの手段を取ってくるか)
モーダショーの絶対能力で、果たして勝てるものなのか。
最後に坂がないあたり、有利だとは思っているが。
前のレースが終わり、いよいよ札幌記念。
検量も終えて、最後にレースの展開を考える。
(逃げ馬はカルマかな)
モーダショーは終始、前に出てレースをする予定だ。
そしておそらくアシュレイリンクは差しか追い込み。
道営の短距離戦だと、さすがに前から競馬をしないと、届かないものだろう。
しかし中央の、芝の二戦目なのである。
パドックを歩く馬の姿。
あのオグリキャップの血を引いているということで、注目はされている。
おそらく応援馬券を、100円ぐらいは買われているだろう。
複勝を買っておいたら、いい収入になるだろうな、と優姫は思う。
果たしてアシュレイリンクが、どこまで中央の重賞で通用するのか。
普通の重賞であれば、勝ち負け出来るのは間違いないが。
自分だったらどうするか。
(多分、モーちゃん以外には勝てるかな?)
そのモーダショーにしても、まだ隠れたギアが残されているかもしれない。
とにかくタフな馬であるのだから、実はまだ無理がきく、という可能性があるのだ。
騎乗命令がかかる。
「勝てるよな?」
夏のセリに合わせて、社長もレースを見に来ている。
「1頭強いのがいるけど」
天音はあえてこちらを見ない。
だがアシュレイリンクは、しっかりとこちらを見ている。
「地方馬って話題にはなっても、ダート以外じゃあんまり勝たない印象なんだけどな」
その社長の見方は、おおよそ正しい。
ただダート馬でも、ウシュバテソーロやフォーエバーヤングの時代の後、とんでもない中央馬は増えているのだ。
3kgの斤量差。
あとは馬がどれぐらい、能力を持っているのか。
モーダショーは明らかなステイヤーで、どちらかというと最後の坂に弱い。
このあたりの条件まで考えたら、色々と予想も面白くなってくるだろう。
GⅠ馬でありながら、斤量差なく乗れる札幌記念、他の馬には負けないと思う。
そのあたり過去にモーダショーに勝ったブルファンファーレが、2番人気というのもおかしくはない。
パドックから返し馬へと。
モーダショーは外枠で、アシュレイリンクは内枠。
脚質を考えれば、逆の方がレースは作りやすいだろう。
こうやって1頭だけをマークしてると、他に足元を掬われるのが、競馬)
優姫はそれを自覚しながらも、自分の直感を優先する。
このレースで負けるとしたら、相手はアシュレイリンクになるだろう。
今年は既にセリで、5頭の馬を買っているSSRC。
あのケチな会長が億を超えるような馬を、まさか買うことを許すとは、かなり意外なことであった。
その気になれば自分の資産だけで、買ってしまってもよかったのだが。
ただSSRCの一族は、優姫の相馬眼を信じている。
実際にここまで、選んだ馬が重賞を勝ったり、勝ち上がった確率は高いのだ。
来年の夏には、ここで走る馬もいるだろう。
1歳馬だけで、結局は当歳を1頭しか買わなかったのも、少し不思議ではあった。
逆に言えば当歳の段階で、お眼鏡にかかった馬がいたということだ。
トラブルブレイカーの全兄であり、今の日本ではトップ3に入る高額種牡馬の1頭であるネバークライ。
母方も良血で、勝ち上がり馬を出している当歳を、しっかりと買ったのだ。
金を出したのはSSRCであるが。
SBCファームとしても1歳からではなく、当歳からの育成というのを、考えないでもない。
だがやはり主流は、2歳から3歳夏までの育成に、休養馬の回復を重視している。
当歳からの育成については、五代グループの牧場に任せた。
生産したのも五代であるので、頑張って鍛えてくれるだろう。
あとは2億の馬に、5000万円前後の馬が2頭。
こちらは1歳馬であり、これまた育成に預かってもらう。
このあたりは1頭を除いて五代の馬である。
セレクトセールで買った、1歳馬3頭。
ただほしかったものの高すぎて買えなかったという馬もいる。
最終的には5億を突破していたので、どうにもならないものだ。
その後には7月のセールでも、しっかりと馬を買っている。
まさか全てを、鳴神厩舎に預けるものでもないが。
1勝は勝ち上がれそうな馬。
それを厳選していると、どうしても値段との折り合いがつかないことはある。
優姫は牝馬なら、少しぐらい微妙なところがあっても、繁殖としての価値を認めたりするのだが。
馬主席から観戦する、このスーパーGⅡに出走させる馬主たち。
一方で関係者席では、千草がレースの行方を見守っていた。
(アシュレイリンクか)
あのオグリキャップの血を引いている、というだけで注目度は高い。
だが逆にオグリキャップの血を引いているため、応援馬券程度しか買われていない。
(あの子が言うなら、本当に強いんだろうな)
そうは思ってもこのレースでは、さすがに相手にならないだろうと思っていたのだ。
※1 賞金5億円以上
現在はまだジャパンカップと有馬記念が5億円である。
だが近未来的に賞金の上げ幅を考えると、1億や2億の増加はあってもおかしくない。
※2 ダンジグ
ノーザンダンサーの産駒の中でも、特にデインヒルをはじめ多くの後継種牡馬を出した。
統計を取るのは難しいが、直仔の中ではサドラーズウェルズの次に大きな影響力を持っているであろう。
圧倒的なスピードを誇りながら、3戦3勝で故障のため引退している
騎手大賞とMVJについては、おそらくまた後に説明する。




