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プリンセス・ジョッキー ~優駿の姫騎手~  作者: 草野猫彦
五章 若駒たち

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第78話 草原の芦毛

 相馬というのは難しいものである。

 だがどの馬にも共通する、ポイントというものはある。

 総合的に見て行くと、短距離ではメリットなものが、長距離ではデメリットともなる。

 またどういった馬場を想定するかでも、適性は変化するのだ。

 日本の場合は芝が一軍、ダートが二軍といったイメージが長年強く、それどころか今でも残っている。

 そして芝馬がダートで走ったという例は多くても、ダート馬が芝で走ったという例は比較的少ない。

 ハイセイコー? オグリキャップ? イナリワン?

 ……例外は常に存在する。


 血統で当たる確率が一番高いのは新馬戦とも言われる。

 普通なら競走実績が、ちゃんとある方が当たりやすそうなのだが。

 これは血統を重視すべき、というのが新馬戦ということなのだろう。

(確かあの馬は……)

 父がトラブルブレイカー、母がアシュレイ、母父がクリスチャンセン。

(ネバークライの代替血統に、母父はオーストラリア産)

 優姫も色々と血統の知識は入れている。

 ネバークライは今でも人気種牡馬で、かなり高い種付け料である。

 トラブルブレイカーはその全弟で、短距離の重賞までは勝っている。

 日本での実績も少しはあるが、それよりはオーストラリアへのシャトル種牡馬として有名だ。


 ならばオーストラリアで作ったのか。

 ところが違って、オーストラリアの繁殖牝馬を、日本に連れてきて生産したものだ。

(そこまでは覚えてるんだけど)

 珍しいな、と思ってはいた。

 だが写真映えはしなかったので、深い情報までは入れていなかったのだ。


 見れば見るほど、ざわざわとしてくる。

(なんだかこの馬、ちょっとおかしい) 

 3歳になってから2戦2勝なので、弱いはずはないだろう。

 仕上がるのに時間がかかって、中央に出てくるのも遅くなったのか。

 ダートの頂点を狙うなら、そのまま道営で走らせてから、ジャパンダートクラシックへのトライアルを走らせればいいだけだ。


 ここで芝の特別競走を走らせる理由。

(中央の芝を走らせるため?)

 ここで勝ったら、確か秋のトライアル参戦の条件を満たすのではないか。

 大井のダートではなく、もう一度走らせる必要はあるが。

(まさか菊花賞を狙ってる?)

 トラブルブレイカーはマイルまでの馬だし、母系もオーストラリアなら短距離血統のはずだ。

 しかしトモの発達などは見えるものの、体型的には中長距離が走れそうでもある。




 パドックから返し馬に出る。

 優姫は視界の片隅に、芦毛の馬を入れていた。

 多分勝ち負け出来るのでは、と思っていたこのレース。

 先に出ていたアシュレイリンクは、軽快な歩調でターフを駆けていく。

(芝適性はあるか)

 ただ函館競馬場は、コースの途中にしっかりと坂がある。

 道営の坂はそこまで、はっきりとしたものではない。

(それも調教用の坂路があるか)

 門別競馬場の調教の名物坂路。

 そこを使って2歳馬を、早めにしっかりと仕上げるのだ。


 優姫は基本的に、理論を持ったうえで直感を優先させるタイプだ。

 だがくすんだような芦毛に、はっきりと分かる外向。

 1800mを走ることは、特に問題はなさそうだ。

 明らかなスプリンターやステイヤー、というものでもない。

(まあレースが始まれば分かるか)

 分かった頃にはもう遅い、というのも普通にありえることなのだが。


 ゲート入りを少し嫌がっているように、首を振っていた。

 いつもと違う環境に、いつもと違う脚元。

 実力があってもそれを、ちゃんと出し切れるかどうか、それが問題だ。

 とりあえずなんとか、ゲートには入った。

(あまり向こうを気にしていても、無駄なだけ)

 相手を気にしすぎて、馬にソラを使わせたら、それこそ本末転倒である。


 ゲートからスムーズなスタート。

 小回りで有名なのが、函館競馬場である。

 優姫としてはこういうタイプは、かなり得意なコースなのだ。

 カーブがきついが、それを除くと京都に、かなり近いところもある。

 色々と設備は、京都などと比べると、はるかに少なくなるのだが。


 馬の心に心を寄せる。

 人間などよりもよほど、周囲を警戒しながら走っている。

 視界も広く、耳も動く。

 そのため必要以上に、臆病になってしまったりもするが。

 優姫は先団の中で、ひっそりと息をひそめている。

 どのタイミングで追い出すか、それは決めているが。


 3コーナーから4コーナーのカーブは、入り口は穏やかで出口がきつい。

 いかに上手く膨らまずに曲がれるか、それも重要になる。

 内がどうしても空いてしまうので、そこを突くかどうかの判断も重要だ。

 馬場の状態によって、そこを通ればいいのかどうか、それも変わってくるのだから。


 内からスムーズに、先頭に飛び出す。

 最後の直線は短く、一気に追い込んでも届かない。

 あるいはカーブでの高低差を利用し、一気に加速することもある。

 きついカーブを、最初から無理にラチ沿いに進まない、というのも選択の一つだ。

(さあ、最後の追い比べだ)

 そして目に入ってきたのは、大外に持ち出された影であった。




 緑の芝生の上を、馬が駆けていく。

 ダートを走るのではなく、芝を走るというのは、かなり独特の感覚だ。

 明らかに顔に当たる風が、普段よりも激しい。

 厳しく顔を打つ、ダートの砂は存在しない。


 夏の熱量の中で、それでも風は熱を奪っていく。

 股下の相棒の体も、ダートを走る時に比べて、躍動感が激しい。 

 強くかき回すのではなく、大きく弾むように。

 それでいて上に跳ねるのではなく、前に跳んでいく。


 ダート馬が芝で快走するのではない。

 ダート適性もある芝馬が、今やっとその力を発揮する場所を得たのだ。

 ゲートから出る時は、少し躊躇したようで遅れてしまった。

 だが最後方の競馬からでも、3コーナーから上がっていける。

 スピードを上げて、そのまま大外に持っていく。

 短い直線で、前にはまだ何頭もいた。


 滑らかに駆けていく優駿。

 スピードは抜群。

(行け、行け、追いつけない速度で!)

 顔を打つ空気は、夏場でも冷たく冷えている。

 失った世界を、取り戻してくれる馬。


 氷の上で自分は、情熱を燃やしていた。

 指先や爪先、ほんのわずかなバランスのブレ。

 それは馬にのっていても、ダイレクトに伝わっていく。

 馬というのは繊細だ。

 だからこそ手綱や爪先で、自分の意思を伝えることが出来る。


 鐙にかけた自分の足は、わずかな操作でバランスを取る。 

 馬に快適なバランスのとり方が、一番ストレスを感じさせないのだ。

 びゅうびゅうと耳元で風がうなっている。

 道営ではまずない、大外での一騎駆け。

 まるでターフの上に、一人と1頭しかいないよう。


 曲がった脚で、しょぼくれた芦毛で、それでもずっと信じられていた。

 デビューまでの苦労話は、散々に聞かされたものだ。

 セールに出しても売れ残り、最後には処分されるかどうかというところ。

 この馬のかつてのオーナーの夢が、やっと届くところにあった。

 だからこそ牧場もオーナーとなって、走らせるつもりになった。

 育成が遅れたのも、牧場と厩舎を何度も往復したため。

 特に脚の外向は、色々と苦心されたものだ。


 他の馬を置き去りにして、人馬一体で一人だけの世界へ。

 もう一度来たかった孤独な世界へ、この仔は連れてきてくれる。

(いつか一緒に、東京に行こう!)

 ジャパンカップにだって、地方馬の出走枠はある。

 それにダートにしても、南関のダートレースはあるのだ。


 孤独な世界から、必ず孤独にはならない世界へ。

 今の自分を肯定することが出来る。

(アシュレイ、あなたにかけられた願いは、実現する!)

 馬自身が願いを持つことなどはない。

 あったとしてもそれは、本能だけであろう。

 だが馬は、人々の願いを背負って走っている。


 孤独な世界から、相棒と共に世界へ。

 フィギュアのペアというのも、こんな感覚であったのだろうか。

 自分だけの世界を、氷の上で表現してきた。

 だがそこに至るまでには、どれほどの応援があったであろう。

(今度は私が、アシュレイを連れていく)

 それは同時に、アシュレイに連れて行ってもらうということだ。


 ゴール板を通過すれば、2着とは7馬身の差。

 3着とはさらに2馬身ほどの差の圧勝であった。

 これから始まる、秋競馬への道のり。

 中央への第一歩を、一人と1頭は踏み出したのであった。




 とんでもない強さであった。

 3歳デビューは晩成とか、芝への適性とか、色々なことを言われていた。

 それでも圧倒的ではあった。

 最後の直線、地を這うような姿勢になって、一気に突き放していった。

「やった! やった! やった!」

 野暮ったいスーツの男性が、馬主席で歓喜を爆発させていた。

 それを見つめる馬主たちは、高年齢の人間ほど、暖かな視線を向けていた。


 執念の結実である。

 今の若者にはどうしても、その熱量がはっきりとは分からないだろうが。

 老境に至り、亡き父と亡きオーナーの置き土産。

「おめでとうございます」

 そう握手を求めにいくのは、知り合いの馬主だけではない。

 五代勇作をはじめとする、日本の馬産のトップ層までが、この老人に敬意を払っていた。


 若き成功者である、現代の馬主には分からないだろう。

 だが競馬というものを、歴史の中の血統の一貫性で見るならば、この勝利には大きな価値があった。

 歴史の継承である。

 口取りのため、馬主席を抜ける牧場主。

 敗北したオーナーの多くが、それを笑顔で見送る。


 後検量を終えた天音は、調教師の秋藤としっかりと握手を交わした。

「とんでもなく強かったなあ」

「本当に芝馬でした」

「疑ってたのかよ、このやろう」

 そうは言っているが、二人とも笑顔である。

「天音ちゃん!」

 そこにやってきたオーナーに、秋藤とまとめて抱きつかれる。

「ありがとう! ありがとう! これで社長に顔向けが出来る!」

 顔を涙でぐしゃぐしゃにした、老境のおっさん。

 だが天音は不快ではなく、それどころかもらい泣きをしてしまう。


 2着に入った優姫も、この様子を見ていた。

 道営の馬が中央の特別競走を勝つ。

 それは確かに劇的なことであるが、それ以上に勝ち方がすごかった。

 新馬や1勝クラスではないのだ。

(オーストラリアのスピード血統か……)

 スピードはそこから、持ってきたものであろう。

 だがスピードだけなら、オーストラリアはマイルでさえもたない傾向にある。


 距離が短くなるにしろ、長くなるにしろ。

 もしも芝の路線に出てくるなら。

(いや、普通ならダート重賞か……)

 そう思ったが、この馬の所属は道営である。

 つまり冬場の間は、開催がなくなる。

 他の競馬場に一時移籍して、あるいは完全に移籍して、南関のダートを勝つ。


 ただアシュレイリンクの強さは、芝馬のものであったと思う。

 ダートでも勝っているというのは、タイキシャトルやエルコンドルパサーが、絶対能力の違いでダートにも勝っていた、というのと同じ理屈ではないか。

 ざわざわとした感触は、間違いではなかった。

 それにしても周囲が、あまりに祝福の度合いが大きすぎる。

(代替血統だからかな?)

 だがGⅠを勝ったとかならともかく、特別競走でははしゃぎすぎた。




 優姫は最終レースにも出番がある。

 しかし天音はもうこれで騎乗機会はないため、調整ルームを出ていくのだ。

 残った優姫としては、違和感があった。

 地方競馬には残っている、貧弱な血統構成の馬。

 だがそれでも上手く適性があれば、勝てたりするものだ。

 もちろん強さは、圧倒的なものであったが。


 代替血統から名馬が出るのは、はるか昔から当たり前のことだ。

 もっともネバークライは充分に一流種牡馬で、トラブルブレイカーはそこそこ成功だが種牡馬として大成したわけではない。

 ブラックタイドなどと違って、故障によって全盛期前がなかったというわけではない。

 全盛期までちゃんと走って、それでも重賞とGⅠ好走が精一杯。

 さらにマイラーだ。


 優姫は持っているバインダーを開けた。

 そこには開催ごとに、出走する馬のデータを印刷した紙がはさんである。

 ネットが使えればもっと便利なのだが、それは調整ルームでは禁止されていること。

 改めてアシュレイリンクを見て、おかしなことに気づいた。

(日本馬?)

 血統表は日本に輸入された場合は、カタカナ表記で記される。

 アシュレイリンクの母アシュレイは、輸入されたのかカタカナ表記。

 それ以前はオーストラリア産なので、当然アルファベット。

 しかし四代母が、カタカナであった。

 つまり日本馬か、日本に輸入されたか、というものである。


 知らない名前だった。 

 そしてここには四代前の血統しかない。

 生産の現場では、五代までも重要である。

 しかしレースにおいて、祖先の特徴が出るのは、四代前ぐらいまでが限界だろうと優姫は考えているのだ。

 不思議だなとは思いながらも、優姫は最終レースの準備を始めるのであった。




 北海道開催の間は、付属した騎手寮などに住む。

 これが小倉などであると、栗東まで戻ってくるのだが。

 実態としてはホテルに泊まりこむ騎手などもいる。

 優姫も一年目は頻繁に移動し、なかなか大変であった。

 北海道開催の間は、馬産地巡りも含まれるため、滞在するしかないというのが正直なところだ。


 準備されている部屋は、調整ルームなどとさほど変わらない。

 だが完全に違うのは、ここでは通信手段が使えるということ。

 優姫はタブレットで、ネットを操作していく。

 今日のレースについて、まずはアシュレイリンクのデータを見る。

 1800mのレースで、坂もないのだから、上り3ハロンの時計が出そうな気もする。

 だが実際には途中の高低差でスタミナが削られ、そう簡単に時計が出るわけではない。


 それでも今日、アシュレイリンクは34秒代前半の脚を使っていた。

 大外からごぼう抜き、というのも納得のスピードだ。

 オーストラリアの世界的なスピード血統。

 種牡馬のスタミナでもって、それをマイル以上にまで伸ばしたのか。

 トラブルブレイカーはともかく、ネバークライには最後の脚があった。

 遺伝的に見れば、こういうことは普通に起こるのが競馬である。


 あの最後の脚。

(馬なりだった)

 天音はムチを使わず、2着に圧倒的な差をつけたのだ。

 オーストラリアのスピードは、その絶対値を求めるだけなら、おそらく世界で一番だろう。

 そのスピードの血統的裏付けがある繁殖牝馬に、日本のマイラーを付けた。

 父系の潜在能力で、1800mも勝てた、という理解でいいだろう。


 だがまだ底がある。

 最後までムチを使っていれば、どうなっていたか。

 もちろんあれだけの圧勝、脚の曲がりを考えれば、ムチを使う必要などないのだろうが。

(母方がデインヒル過多のノーザンダンサー系でも、今の日本なら需要はあるかな)

 この奥に眠る血統は、いったいなんであるのか。

 五代血統を見て、優姫は息をのんだ。


 これがざわめきの正体であったのか。

 こんなところに眠っていたのか。

 もう完全に途絶えてしまったのか、と優姫も思っていたのに。


「オグリキャップ……」


 芦毛であったのは、おそらく完全な偶然であったろう。

 脚の曲がりにしても、遺伝したとは思いにくい。

 だが黒っぽい芦毛に、あの地を這うような走り方。

 ざわめきは心臓の鼓動となり、優姫は大きく息を吐いた。


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