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プリンセス・ジョッキー ~優駿の姫騎手~  作者: 草野猫彦
一章 三冠の幻影

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第7話 凡馬の開花

 JRAのレースは土日開催であり、つまりジョッキーが姿を観客の視線に現すのも、週末だけである。

 もちろん仕事が週休五日のわけはない。

 自分が乗る馬は基本的に、自分が調教するのが若手で、自分が乗らない馬の調教もする。

 その中で優姫は、育成牧場に放牧されている、シュガーホワイトにも乗りに行くのだ。

 愛車はジムニーで冬場に雪が積もることもある、信楽周辺への対策もしている。


 ないはずの記憶にもない施設だ。

 あの世界では作られなかったのか、それとも運用される前に自分が死んだのか。

 とりあえず優姫は、週に一度は乗りに行く。

 二度行くかどうかは、その一度目で確認する。

 優姫を見かけると駆け寄ってくるシュガーホワイトは、厩務員を平気で引きずるパワーがある。

 そのくせ彼女の周囲をぐるぐると回って、オラついてくることもあるのだ。


 どういう調教をするか、シュガーホワイトに関しては完全に、優姫に任されている。

 クセの強い馬というのは、画一的に決められるものではない。

 場合によっては優姫が乗っても、だらだらと長距離を走ることもある。

 また優姫によって、曳き運動をされることもある。

 クラシック前のこの時期に、一番怖いのは怪我だ。

 石を踏んだだけでも、レースに出られなくなることがある。

 サラブレッドというのはそういう生き物なのだ。




 石を踏んでも平気そうな馬がいる。

 モーダショーというのはそういう馬だ。

 優姫はてっきり、この馬名はモーダという俳優か何かのショーである、という意味だと思っていた。

 実際は野球用語の猛打賞であって、少し変わっただけでも分からない。

 毎週調教に乗っているが、あまり本気で走らない。

 だが他の馬に併せると、それなりに走ってくれた。

 しかしかなり本気で追ってみても、走り終わってからケロッとしている。

「完全にスタミナ血統だ……」

 追いまくって優姫は、腕が棒になりかける。

 なんともズブい(※1)馬なのだ。


 それでも二月、未勝利戦がやってくる。

「これでダメなら、ダート転向かね」

 調教師の三ツ木は、そんなことを言っている。

 今の日本はダート路線でも、世界トップレベルが出てきている。

 つまりはアメリカ、そして中東のトップレベルなわけだが。


 ただ性質は全く違う。

 日本のダートは砂であり、足元の弱い馬に向いていた。

 アメリカのダートは土であり、比較的スピードも出るし、坂がほぼないため違ったタイプのパワーがいる。

 むしろ日本の芝馬を持っていったら、普通に通用するかもしれない、と言われていたこともある。

 実際のところはダート馬が、ブリーダーズカップで勝っているし、芝と両方で実績を残している馬もいる。


「賞金ぐらいは咥えて帰ってきてくれるかね?」

「勝ち負け出来るかと」

 距離は2000m。

 少し長いのではないか、とも思われていた。


 シンザン記念の2着もあり、優姫の騎乗依頼が増えてきた。

 これまでの重賞がシュガーホワイトばかりであったため、どうしても馬の方が目立ってしまう。

 だが有力馬をテン乗り(※2)で着実に二着。

 こちらの方が評価を高めたりする。

 それでも条件戦が圧倒的に多い。

 有力なお手馬はシュガーホワイトだけ、という状況は変わらない。

 モーダショーには不思議な可能性があるようにも思えるが。


 ゲートインまで、完全に落ち着いていた。

 ここからどういうレースをするのか、先に考えてはいるのだ。

 だがその想定通りにいくことは、滅多にないのが競馬である。

 出鞭もつけず、レースはスタートした。

 いまだに未勝利の二月、そろそろ勝たないといけない。

 しかし優姫は最後尾の二番手から競馬をしていた。




 モーダショーは外見としては、マイルから中距離向けの体型。

 だがそれは違うと優姫は確信している。

 普通のロングスパートより、さらに早いロングスパート。

 横目に映った騎手たちが、目を丸くしていた。


 モーダショーの特徴は、心肺機能。

 見た目はダートか短距離、という評価をされるのも仕方がない。

 だが優姫は京都の坂を使って、一気に加速させる。

 頑丈な足元と傑出した心肺機能。

 驚くような競馬をして、モーダショーは七馬身もの差をつけて、未勝利戦を脱出した。

 かなり計算通りにいった競馬である。


 三ツ木は呆然とした顔で優姫を迎えた。

 上がりの1ハロン(※3)はともかく、ラスト3ハロンではしっかりと時計を出している。

 いい脚を長く使うというよりは、ハイペースにしてしまってロングスパートのスタミナ勝負。

 後ろから大外を回って、スピードのロスを防いだ。

 結果として未勝利を脱出である。


 今の競馬の主流とは、かなり違う競馬をした。

 シンザン記念と似たように、京都の坂を上手く使ったのだ。

「まだ底が見えないです」

「そうかねえ」

 三ツ木はいまだに半信半疑。

 しかしレースが終わって、1着となってから、一番早く呼吸が整ったのはモーダショーであった。


 この時期に未勝利戦を勝ったのは、ちょっと春のクラシックには間に合わないか、ダービーならばぎりぎりか。

 もちろん秋の菊花賞ならば、全く問題はないだろう。

 クラシックの中でも、特に注目されるのがダービー。

 古い競馬関係者は、ダービーでシーズンが終わり、そこから新たなシーズンが終わると考えている。

 優姫としては有馬記念で、シーズンは終わると考えているが。




 未勝利戦の脱出。

 重賞での好走。

 優姫には回ってくる騎乗依頼が、やっと多くなってきた。

 普段からクールビューティーで知られている。

 整った顔立ちよりも、表情の乏しさが目立つ。

 だが馬たちにかかると、グルーミングで髪をぐしゃぐしゃとされてしまう。

 馬と絡んでいる時だけ可愛い、などとはよく言ったものである。


 今の優姫の、有力なお手馬は2頭。

 シュガーホワイトは言うまでもない。

 あとはようやく未勝利を脱出した、モーダショーに期待している。

 ただスタミナ血統なのは間違いないので、そこをどう乗るのかが問題だ。

 少なくともまだ、限界まで足は使っていないのは分かる。


 ここからのスケジュールは、シュガーホワイトを中心に動いていく。

 鳴神厩舎に、初めてのGⅠをもたらした優駿。

 既に白っぽい芦毛馬と優姫。 

 これにはマスコミも殺到するが、優姫の性格はどうにも、若さや女性を感じさせない。

 ベテラン厩務員の気配を感じる、というのは誉め言葉になるだろうか。

 馬とのコミュニケーションは、しっかりと取れている。


 優姫個人としては、目指しているものが別にある。

 それはリーディングジョッキーだ。

 賞金ベースではさすがに、重賞に乗ることが多い、一流には追いつけない。

 だが勝利数ならば可能だ、と考えている。

 未勝利戦や条件戦を勝っていく。

 優姫が乗ると馬は、2馬身は変わる、などとも言われてきているのだ。


 2kgの永遠に変わらない女性ジョッキーの斤量特典。

 オープン重賞戦以外だと、これが結果的に2馬身の差になると言われる。

 平場で2馬身というのは、相当のハンデであると言っていいだろう。




 三月に入る。

 弥生賞に向けて、シュガーホワイトが育成牧場から厩舎に戻ってきた。

 ここからは毎日、優姫と美奈で世話をする。

 だがどこか乗り運動に連れ出しても、よそよそしいところがある。

「なんだか調子が悪くない?」

「美奈が牧場に顔を出さなかったから、すねてるだけ」

「それは普通なら甘えてこない?」

 馬は複雑なのだから、今はツンデレのツン期であるのだろう。


 少し日程に余裕を見て、厩舎に戻して良かった。

 シュガーホワイトは頭がいいだけに、精神構造も少し人間に近い。

「どうだい?」

「ちょっと弥生賞までには絞り切れないかも」

「まあ本番はその先だからね」

 千景ともそんな会話になっていく。


 弥生賞までに、優姫は勝ち星を積み重ねていく。

 その日々の中で、3歳重賞を勝っていく馬が、他にも出てくる。

 如月賞や共同通信杯。2歳重賞で好走し、これで賞金を積み上げてくる馬も多い。

 その中でモーダショーの2戦目が回ってきた。

 重賞狙いではなく、無難に条件戦の1勝クラスである。


(500万下か……)

 面子的におそらく勝ち負けできるだろう。

 それにしても優姫は、気になることがあった。

「馬主さん来てない?」

「忙しい人だし、重賞にでも乗らないとね」

 三ツ木は言うが、新馬戦でいいところがなかったので、そこで見限られたのか。

 それだと決断が早すぎる。

「不憫だね、お前も」

 優姫はモーダショーに声をかけるが、彼は泰然とした様子を崩さなかった。


 レース展開はまた、馬込の中に入れる。

 そしてロングスパートのために、外に出して最後の直線、というパターンであった。

(本気で走れ)

 ムチを当てても、あまり反応がない。

 手綱を絞って首を使わせると、ちゃんとハミを取って力強く走ってくれる。

 最後にはソラ(※4)を使ったが、それでも1馬身差で勝利。

 2連勝でモーダショーも、クラシック戦線が見えてきた。




 改めてクラシックである。

 三ツ木厩舎にとっては、久しぶりのクラシック路線。

 ここのところは手薄な重賞で、何年かに一度ほど勝ってきた。

 派手で華やかな陰で、こういった厩舎もある。

 競馬はやはり、クラシックに乗せてこそ、と言えるだろう。少なくとも優姫はそう思っている。

 そこで選択肢が微妙になる。


「先生、どうするの?」

「どないしょか……」

 勝てば勝ったで悩むのが、調教師の仕事だ。

 二月に初勝利し、比較的短い間隔で使った。

 三月の皐月賞トライアルに、出せないわけではない。

 馬がケロリとしているのは、飼葉の食いからも明らかだ。

 しかし現代競馬では、レースごとの消耗が桁違いだ。


 目標をどこに据えるかだ。

 またクラシックに出られるかは、運も関係してくる。

 ダービーを目標として、皐月賞を諦めるか。

 それならば賞金加算の方法も、トライアルも変わってくる。


 今年のクラシックに、果たしてどれぐらいの馬が出てくるか。

 昔に比べればこの時点で、もうマイルなどに路線変更する強豪馬も多い。

「馬主さんは?」

「今のところ何も言ってないが、昔はクラシックで悔しい思いをしてる人だし」

 その時の馬はなんでも、三冠全てで2着となり、年末の有馬で勝って最優秀3歳牡馬となった。

 スプラッシュヒットの父である。

(それは勝ちたいかな)

 馬主として、クラシックに出走させることが出来る。

 理論上は108頭が最大で、実際には100頭以下になる、選ばれた優駿たちのレースである。


 優姫から言えるのはわずかなことだ。

「距離は長くなっていった方がいいと思う」

 あとはレースを、夏の間にも使うべきだ。

 もしもダービーに出られるなら、そしてそこで賞金を加算できるなら、それほどの必要もないが。

(放牧させておくと、牛になりそうだし)

 モーダショーはズブいだけではなく図太い。

「ちなみに優姫ちゃん、春の二冠は?」

「シュガーホワイト」

 まあクラシックに出られるなら、他のジョッキーの手が上がるだろう。

 シュガーホワイトと違って、別に男性でも乗れるのだし。




 育成牧場での期間、シュガーホワイトはしっかりと乗り込んできた。

 だがまだ余裕を残しているのは、目標はあくまでも皐月賞と、その先のダービーだからだ。

(余裕残しで勝てるかな)

 昔はこれぐらいで、ステップレースには臨んでいたはずだ。

 だが今はもう、秋古馬三冠も、全てに出走する馬は減っている。


 シュガーホワイトの、春の最終目標はダービー。 

 牡馬に生まれれば必ず、目指すべきタイトルである。

 ただ先のことを考えれば、他の選択肢もある。

 まずは2000mの皐月賞を勝つのだ。


 現時点のシュガーホワイトは、そのまま皐月賞もダービーも出走できる収得賞金がある。

 だから皐月賞のステップレースは、必ず走らなければいけない、というわけでもない。

 それでも走ることを考慮するのは、ホープフルステークスからだと、間隔が空きすぎているからだ。

 馬にも勝負勘のようなものがある。

 それは調教で併せて走ってみても、代わりになりきるものではない。


 今のところシュガーホワイトは、かなりの有力馬と思われている。

 だが同じ2歳GⅠでも、朝日杯を勝った馬。

 そして年末辺りにデビューした、期待の若駒はいくらでもいる。

 ホープフルステークスでも、1馬身以内に2頭がいたのだ。

 もう一度走ってみたら分からないし、成長力がどうなっているかも分からない。


 モーダショーはもう少し、鍛えた方がいいだろう。

 おそらく本格化するのは3歳の秋あたり。

 スタミナがあるのは間違いないので、菊花賞に照準を合わせていけばいいだろう。

 その時にはシュガーホワイトと対決することがあるのかもしれない。

 モーダショーは別に、女性しか乗せない馬ではないので、トライアルまでは優姫が乗ってもいい。

(もし、菊花賞で戦うなら……)

 意外な伏兵がここにいるのかもしれない。

 ※1 ズブい

 主に競走馬の反応が鈍い、または気が乗らないといった、気性や性格に関する状態を表す。


 ※2 テン乗り

 その馬に今回初めて騎乗する騎手のこと。またはそのレースそのものを指すこともある。


 ※3 ハロン

 距離を表す単位の一つでおよそ200mである。

 

 ※4 ソラを使う

 競走馬が周囲の状況(特に他の馬や騎手の指示)に集中力を欠き、全力を出し切っていない状態を指す。

 特に先頭に立ってすぐ、気を抜いた走りになってしまうことも言う。

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