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プリンセス・ジョッキー ~優駿の姫騎手~  作者: 草野猫彦
四章 新たなる栄冠

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第64話 ダービー馬を探せ

 競馬界の姫。

 昔から多くの馬を持っている、女性馬主などがいれば、姫だの女王だのは言われたものだ。

 だがジョッキーにこの呼称が使われるのは、なかなか難しいと言えるだろう。

「いやもう、GⅠ普通に勝つような女、姫じゃなくて女帝だろ」

 こんな的確な言葉を、優姫の同期は言っていたりするが。

 エアグルーヴさんが仲間にしたそうにしているぞ。


 ただ優姫の場合、名前に本当に姫が入っている。

 このためトレセンなどでも普通に、姫の呼称が一般化している。

(オークスを勝っても言われ続けるのかな?)

 どうでもいいと言えばどうでもいいことを、優姫は少し気にしていた。

 樫の女王とも呼ばれるオークス馬。

 だがそれはあくまでも、勝ったのは馬だという理屈にはなるだろう。


 世間的に見れば、王や女王がまだその座にいれば、子供は50歳でも60歳でも王子や王女である。

 ただ優姫の場合はやはり、圧倒的に若いことが確かだ。

 およそ20歳と半年で、GⅠ級競走を既に6勝。

 某レジェンドが3月生まれのため、意外と最年少記録を全て塗り替える、などということにはなっていない。

 だが現役の騎手の中では、一番早いペースで勝っている、というのは確かであった。

「今はGⅠの数も増えてるし、地方交流重賞もあるから、昔の記録と比べても意味はないと思う」

 簡単にこう言ってしまうあたり、なんとも評価が難しい。


 既にクラシックを3勝。

 八大競走に、何度乗っているというのか。

 勝つことはおろか乗せてもらえるだけで、三年目ならば充分な信頼を受けていると言ってもいいだろう。

 しかし加えて勝ってしまうのだ。

 新馬から自分が育てたお手馬や、他のジョッキーでは走らなかった馬など。

 ヴァリアントロアなど一度は負けた条件を、二度目はさらに強くなった相手と競って、ぎりぎりだが勝ったのだ。


 ヴァリアントロアの安田記念参戦宣言。

 確かに今のところ、登録はしてある。

 だがダービーへの登録も、まだそのまま残っている。

 皐月賞に勝てば、ダービーへの優先出走権(※1)は、自然と手に入るものであるし。

「NHKマイルCは出ないの?」

 調整ルームの風呂で、ほえ~と溶けている優姫に、穂乃果は尋ねる。

 マイルを極めると言うならば、その前に3歳限定のGⅠがあるではないか。

 優姫としてはそれは、考えてもいなかった。

「それじゃあさすがに皐月賞には出せない」

 ヴァリアントロアの限界は、今のところ2000m。

 それで完全に消耗していたのだから、中二週で使うのは酷すぎる。


 あるいは最初からNHKマイルCから、安田記念というルートを取っていれば。

 もっともNHKマイルCには、それなりに厄介な相手がいる。

 桜花賞を圧勝したファムダンサントが、中三週で出走予定。

 オークスを完全に視野に入れていないが、あちらは桜花賞1600mの後なので、そういう判断もあるかと思われる。

 完全にコンディションが整っていれば、互角以上に戦えるだろう。

 だが既に皐月賞を勝っているヴァリアントロアが、あえてほしいタイトルでもない。

 いや簡単に勝てるのならほしいが、さすがにダメージが残っている。



 

 ヴァリアントロアはもう一度、どこかで負ける必要がある。

 優姫としてはその舞台は、秋の天皇賞が望ましい。

 血統背景としては充分に、2400mまでは走れるのだ。

 ならばジャパンカップを走るために、あるいは有馬記念を勝つために、府中の2000mで負けておきたい。

 とはいえ今年は、モーダショーでそのあたりのレースに出る。

 春の成績次第では、あるいは海外挑戦ということも考えられるが。


 モーダショーの血統を、改めて確認してみる。

 父はケンタッキーダービー勝利馬のスプラッシュヒット。

 勝ったレースの距離は、2000mまでである。

 その母父はプルピットで、これも種牡馬成績は優秀。

 だがスタミナ血統ではない。

 サイアーラインをたどれば、オルフェーヴルが出てくるのだ。

 ただそのオルフェーヴルよりも、ステイヤーとしての素質が見えている。


 母系にはシンザンとマンハッタンカフェという、3200m天皇賞(※2)の勝ち馬が眠っているので、そちらからの遺伝であろう。

 特にマンハッタンカフェは、母系に入るとかなりスタミナを補完してくれる。

 シンザンもその産駒の成績を見れば、長距離向けではあるのだ。

 ここにトウショウボーイのスピードが加わっている。

 その時代時代の最高級の内国産種牡馬が入っていた。


 古い血統は、ある日突然に覚醒する。

 スペシャルウィークはシーザリオを通じて、シラオキ系の血を後世に残した。

 ヨーロッパの母系は確かに、今の日本競馬を支えている。

 しかし日本の在来母系も、元は超一流のものであったのだ。

 明治時代に国策政策として、導入された繁殖牝馬。

 それにどれだけ、優れた種牡馬を配合していけるか。


 血統の閉塞の打破は、良血ではないが、能力は高い牝馬の産駒から出るのかもしれない。

 サンデーサイレンスという怪物が、まさにその通りのものであった。

 父ヘイローはまだしも、母父アンダースタンディングなど、誰も知らないであろう。

 とんでもない数を走った、頑丈さだけが取り柄の種牡馬。

 いくらアメリカの血統が多彩でも、あの時代でなければあり得ない配合。

 もっともアメリカはクレーミングレース(※3)など、ステークスレースとははっきり区別されたレースがあるのだが。


 サンデーの母ウィッシングウェルは、当時のレベルで比較すると、日本の八大競争馬に匹敵していたであろう、と言われる。

 なぜならジャパンカップを勝ったメアジードーツ相手に、ハンデ戦ではあるが勝利したことが何度かあるのだ。

 日本の牝馬クラシックレベルの競走能力。

 ヘイローの種牡馬実績と、産駒であるサンデーサイレンスの特徴を考えると、スピードの絶対値などはむしろ、この突然変異ウィッシングウェルが元になっているのかもしれない。




 優姫がやろうとしているのは、単純な経済活動としての生産でもない。

 サラブレッドの血統の多様性を、可能な限り残したいという心。

 そのためモーダショーなどは、種牡馬にしないといけない。

 現時点では好走した重賞が、全て2400m以上。

 いくらなんでも2000mのGⅠで、3着以内に入る程度の短距離適性がほしい。

 もっともこれが19世紀の種牡馬なら、むしろ大人気だったのかもしれないが。


「生産なんて、俺らが考えることじゃねーだろ」

 優姫と雀卓を囲んでいるのは、ここのところ散々にやられている、美浦所属の五十嵐であった。

 なお直前には綿貫も、ハコになって飛ばされている。

「私は引退したら、自分で牧場をする気だから」

 なんとも気の長い話であるし、ジョッキーとしての才能がそのまま、生産者の才能につながるわけではない。

 むしろ全く別のもの、と考えた方がいいだろう。


 騎手から調教師になる、という人間もそれなりに多い。

 だが調教師として成功するのは、早くに引退したり、ジョッキーとしては一流とまでは言えなかった、という人間も多かったりする。

 もちろんどちらとしても優秀、という人間もいるが。

「生産の現場はきついぞ。お前はまだあんまり知らないだろうけど」

 五十嵐は年齢も30代の後半と、円熟味を感じさせる。

 そんな彼だからこそ、色々と現実を見てきているのだ。


 優姫としてはそんなこと、言われる前から分かっている。

 だがそもそも、生産の立場に入るために、資金を必要とした。

 そして若くして稼げる職業は、女性には限られている。

 また引退後のことを考えれば、競馬の世界に飛び込んでくるのも自然であった。

「私は日本のテシオになりたい」

 いや、お前それは無茶だぞ、という視線が集まる。


 フェデリコ・テシオはイタリアの馬産家で、20世紀では最も競馬に影響を与えた生産者と言ってもいい。

 それはネアルコを生産したことによる。

 競走馬としてのリボーも、凱旋門賞連覇など、馬であるのに20世紀の著名なスポーツ選手の中に選ばれている。

 だが血統的に考えれば、やはりネアルコなのだ。


 ネアルコからはまず、ナスルーラとロイヤルチャージャーが出ている。

 一時期のナスルーラは欧米を席巻していたし、今でもボールドルーラーからエーピーインディ系で繁栄している。

 またロイヤルチャ―ジャーは、その子孫がサンデーサイレンス。

 さらにニア―ティックを出したことにより、それがノーザンダンサーにつながっている。

 ノーザンダンサーの偉大さは、もはや言うまでもない。


「ダービーを勝つよりも難しいぞ~」

 そんなことを言われるが、これは事実であろう。

 ダービーを勝つ馬は、ダービーのあるそれぞれの国で、毎年生まれてくる。

 だがナスルーラクラス、ノーザンダンサークラスの種牡馬は、10年に1頭出るかどうか。

 今はむしろサンデーサイレンスの血が、世界に拡散しつつある。

「でも誰かがやらないと」

 一応血統の閉塞は、日本では本当に危機的な時期を越えたと言われる。

 だが血統の深いところには、同じラインが何本も入っているのだ。

「オーナーブリーダーになるのが一番いいんだろうけど……ツモった。平和に一盃口で1300オール。トップ終了」

「またかよ!」

 とことん対戦者をハコにする、雀力を持つ優姫である。




 翌日の青葉賞では、騎乗した馬をどうにか、2着に持ってきた優姫である。

 これで去年には届かなかった、ダービーへの切符を手に入れた。

「いや~、よくやってくれた!」

 紋付き袴の小さなおっちゃんが、優姫に握手を求めてくる。

 これまた一代で財を成した、建設会社の社長さんなのである。

「それで、まだダービーに乗る馬は決まってないんだよね?」

「ロアがダービーを回避するかどうか、まだ決まっていないので」

「もし体が空いてたら、乗っちゃうかい?」

「エージェントと話し合うことになる」

 ただ城崎は極力、優姫の意思を尊重するのは間違いない。


 今年のダービーはおそらく、3強による勝負となる。

 ヴァリアントロアが皐月賞で下した、3頭による対決だ。

 それぞれ騎手が決まっているため、この中の誰かがダービーに勝つだろう。

 さすがにこの3頭で、優姫に乗り替わりが発生するとは考えにくい。


 青葉賞も2着に負けたが、1着の馬の力を、皐月賞のあの3頭と比べるとどうか。

(さすがに勝てないだろうな)

 育成環境はおおよそ、どの馬も同じなのだ。

 ヴァリアントロアの場合は、SBCファームでの育成が長かったが。

 他の馬は北海道で、専門の育成牧場に入っている。


 ダービーには乗りたい。

 そしてもしも乗るとしたら、どんな馬がいいのか。

 3頭とも先行集団から、迷いなく抜け出していくタイプであった。

 ああいう勝ち方は、一番紛れが少ない。

 本当に圧倒的に強いなら、逃げて逃げ切ってしまうのもいいが。


 昔はともかく今は、逃げ切りもかなりリスクがある。

 優姫もモーダショーで逃げたことはあるが、それでも最後には追いつかれた。

 今回の青葉賞は、先団から差し切ってわずかに届かず。

 皐月賞は完全に、内の悪い馬場を一気に越えたものである。

 一つの勝ちパターンに、こだわっているわけではない。

 そうして考えてみると、やはりあの3頭が牽制している間に、逃げ切ってしまうのが一番いいのか。


 ただ今回のダービーに出る馬で、そういった脚質を持っていて、実力も充分というのはいない。

 また優姫が乗るなら、警戒されてしまうだろう。

 もう女で若いからといって、見逃されるような状況ではない。

 土曜日も青葉賞以外に、未勝利戦を一つ勝っている。

 ジョッキーであれば絶対に、ダービーには出たいものだ。

 その中でどの馬を選ぶべきか。

 そのあたりはエージェントとも話しているが、おそらく勝てるほどの馬は回ってこないであろう。




 青葉賞が終わってから、その日のうちに関西に戻ってくる。

 日曜日には京都で乗らなければいけないのだ。

 メインの重賞には乗らないが、他の特別競走やオープンがある。

 やはり本拠地は西であり、東は重賞を勝ちに行くというパターンだ。

 この移動の間には、通信機器が戻ってくるので、連絡を確認する。

 いくつかあった中には、今年の種付けに関するものがあった。


 モーダショーの母と姉。

 牧場はこれに何を付ければいいか、と少し迷っていた。

 GⅠ馬を出した繁殖牝馬は、それだけで期待が大きくなる。

 普通なら価格が抑えられて、それでいて種牡馬成績のいい、スプラッシュヒットをまた付ければいい。

 だがモーダショー以外にも活躍馬が出て、それが難しくなっている。


 ここで優姫は人と人とをつなげている。

 自分自身は繁殖牝馬など、持っていない白雪。

 だが彼女の手元には、シュガーホワイトの種付け株がある。 

 これを今年分、格安で売ったりして、実績のあるお嫁さんを集めた。

 中でも特にモーダショーの母と姉に付けたのは、シュガーホワイトが故障したのに対し、モーダショーやその姉はまるで故障をしていないため。

 パワーと頑丈さを、繁殖牝馬からもらうという配合だ。

 もっともシュガーホワイトも、特に脚元が弱いという馬でもなかったのだが。


 小柄な種牡馬であれば、大柄な繁殖牝馬につける。

 逆に繁殖牝馬が小柄なら、大柄な種牡馬を試す。

 そういったことは生産牧場では、よく考えて配合されているのだ。

 シュガーホワイトの種を受胎した、という連絡が入っていたのだ。 

 それにしてもシュガーホワイトは、今年から供与された種牡馬であるが、100頭という制限もあるためか、受胎率が極めて高い。


 思えば父ホワイトウイングも、受胎率の高さで知られた種牡馬であった。

 シュガーホワイトは故障したが、産駒は安定して古馬まで走ることが多い。

 そのホワイトウイングの受胎率を、シュガーホワイトも受け継いだ。

 これはまた大きなセールスポイントになる。


 基本的に馬産は、売れる馬を作らなければいけない。

 だがさらに深く言えば、馬が生まれてくれなければいけない。

 その点で受胎率が高い、シュガーホワイトというのは、まさに父や祖父のような、日高の中小牧場の味方になるのか。

 ただあのあたりの繁殖牝馬には、既にシュガーホワイトと血が近い馬が、かなり多くなっているのも確かだが。


 春の天皇賞の前週、優姫はまた勝ち鞍を重ねていく。

 今年もまたリーディングにおいては、三位になっている。

 ただやはり体力的に、苦しいところがあるのも確かだ。

 一日に10レース以上も乗っていると、さすがに勝率は多少落ちる。

「ただいま~」

「おかえり~」

 騎手寮ではなく、厩舎の中に生息している優姫。

 それに対して厩務員たちも、もはや当たり前のこととして扱っている。


 天皇賞に出す馬のない鳴神厩舎は、今週はある程度平和である。

 そして千草は産まれた幼駒を見に、北海道に行っている。

 この時点である程度目星をつけて、庭先で手に入れる準備もする。

 調教師という仕事は、本当に馬の調教だけをしているわけではないのだ。

 ※1 ダービーへの優先出走権

 他のトライアルレースもあるが、皐月賞5着以内は優先出走権がある。


 ※2 シンザンの天皇賞

 シンザンが勝ったのは秋の天皇賞であるが、この時期はまだ2000mに短縮されておらず、春秋共に3200mで開催されていた。


 ※3 クレーミングレース

 出走馬がレース前に設定された価格で買い取られる(請求される)制度のレース。

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