第56話 砂の魔境
現代の競馬は完全に二極化していると言っていい。
特に牡馬の場合は、それが顕著である。
さっとGⅠを走らせて、実績を作り種牡馬入りさせる。
あるいは長く重賞を好走させて、現金を稼ぐ。
馬主から見ての成功は、この二極化なのである。
なお重賞ではなくても、ダートで3勝以上でオープンを走れるなら、充分に飼葉代以上の収入にはなる。
頑丈で着を拾えるオープン馬。
これは厩舎にとっては、とてもありがたい存在なのだ。
経営者である調教師と違って、馬主というのは基本的に、損をする存在なのである。
また一口馬主が金融派生商品などというのは、完全に欺瞞であると優姫は言える。
ただこの存在のおかげで、日本の競馬は強くなった。
走る馬が多くなれば、それだけ上澄みも高くなるのだ。
300年間受け継がれてきたサラブレッド。
血統の連続性の果てに、人は何を見るのか。
「夢のようなもの」
「え、優姫ちゃんがそう言うのって、けっこう意外」
栗東に戻ってきた優姫であるが、ここのところ東京での仕事が多い。
JRA賞だけではなく、日本スポーツ大賞や、日本プロスポーツ大賞など、色々な賞に選ばれている。
(本当にこの子、なんなんだろ)
美奈はかなり優姫の身近にいる。
だが見えている先が何か、決定的に違うと思うのだ。
「野球の白石昇馬に勝って選ばれてるんだもんね」
「勝ったわけじゃなく、何度もあの人が取ってたから、他の人間にあげたいって思ったんだと思う」
「あとはあっちはアメリカだしな」
途中から千草が会話に入ってきた。
日本の保守層に好まれるスポーツは、やはり野球や相撲といったところ。
だがサッカーもある程度、そういった賞には縁がある。
競馬もないわけではないが、やはりこれは優姫が、クラシックを二つ勝ったことが大きい。
また勝ちはしなかったがジャパンカップに有馬と、好走したのは確かだ。
そして最優秀3歳牡馬、最優秀2歳牡馬、特別賞の馬の主戦ジョッキー。
これが重なったからこそ取れた、ということが出来るであろう。
もっとも三冠馬のジョッキーが、これに選ばれることもなかった。
それを考えると女だから、というのがやはり理由としては大きい。
「テキ、それで今度また、地方に乗りに行く」
「ふうん、どこに?」
「大井の雲取賞」
「ダート路線か」
昨今の日本競馬は、ダートもまた強くなっているのだ。
中央は芝、地方はダート。
中央にもダートのレースがないわけではないが、これが長年住み分けられてきた。
もっとも地方交流が進み、今では双方のレースに出走するのが、ごく当たり前になってきている。
それこそ地方競馬でも、東京大賞典には、GⅠの格付けがあるのだ。
今でも芝で通用しなかった馬が、地方のダートで心機一転、というのは普通にあったことだ。
だが最初からダート路線というのもあるのが昨今の事情。
ヴァリアントロアなどもおそらくは、ダートを目指して生産された血統なのだから。
中央競馬には、三冠と呼ばれるレースがいくつかある。
もちろん一番有名なのは、牡馬のクラシック三冠であろう。
三冠レースというのは世界各地に存在する。
アメリカにもあれば、本場イギリスやフランス、アイルランドにもある。
だが形骸化していないのは、本当に日本とアメリカぐらいであろうか。
クラシック以外の三冠ならば、それなりに他にもあるのだが。
日本にある三冠レースは、他に牝馬クラシック三冠、秋古馬三冠、春古馬三冠。
そして一番新しいのが、3歳ダート三冠レースである。
要するにダートで行われる三冠競争なのだが、これは地方競馬において行われるものだ。
マイナー三冠であるならば、他にもいくらでもある。
だがGⅠ級競走であれば、やはりここまでを三冠とするべきであろう。
賞金は一番高い東京ダービーでも、中央の2歳GⅠをどうにか上回る程度。
それでも一億円以上になっているのだから、地方競馬も大きく張ったものである。
この路線をさらに先に向かえば、海外挑戦という道が見えてくる。
サウジカップやドバイワールドカップを勝てば、その賞金はジャパンカップや有馬記念をすら上回るのだ。
もっとも日本のダート馬は、あまり海外のダート適性はなかったりする。
優姫は基本的に、芝馬で大きなレースを制している。
だがダートでもちゃんと、重賞を勝って結果を残しているのだ。
しかし今でもダートは、腕力のある男の方が有利、などと言われていたりする。
実際には地方競馬にこそ、女性騎手が多かったりしたのだが。
「地方のGⅠ(※)を勝てば、ダートの乗鞍も増えるだろうね」
今でもおよそ半分は、ダートのレースをしているのが中央競馬なのだが。
芝のみで開催するには、コースの芝を維持するのが難しいのが、レース仕様上の問題である。
GⅠレースのほとんどが芝なので、気づいていない人間も多いだろう。
雲取賞で5着以内に入り、かつその馬がJRA所属の上位二頭であれば、羽田盃への出走資格を得ることが出来る。
芝とダートでは感覚も違うものだが、優姫は去年のユニコーンSを勝っている。
依頼された馬は、優姫がダートで勝たせた馬だ。
ダートで2勝して、一応はオープンの3歳馬。
クラシックとは別に、上を目指していくべき馬である。
地方競馬は日本の各地にある。
だがレベルと賞金が高いのは、南関と呼ばれる四つの競馬場。
川崎、大井、船橋、浦和である。
ダート三冠はそのうちの大井競馬場で行われるが、これは大井競馬場が設備的にも賞金的にも、一番規模が大きいからである。
あとは門別のホッカイドウ競馬も、2歳戦に限ればレベルは高い。
西も園田と姫路はそれなりのレベルを保っているのは、やはり関西を基盤にする地方馬主もいるからか。
そういうことを考えると、高知はかなり特殊な地方競馬である。
ハルウララのブームを利用して、どうにか体制を作り替えることに成功した。
賞金の高いレースを組めるので、それだけ強い馬を集めることが出来るようになった。
だがとりあえず優姫としては、依頼された騎乗をしなければいけない。
ダートの競走に関しては、中央と地方が完全に交流しているので、ややこしいところがある。
しかし日本史上最高のアイドルホースは、地方の中でもレベルは微妙とされる、笠松から登場したのだ。
そこまで強い馬ではない。
元々南関のレベルは、中央のダートと比べても、さほど変わらないレベルである。
だがオーナーが出したいと言って、調教師が賛成すれば、条件を満たせば出走できるのだ。
そして出走できる程度には、実績が積みあがっている。
地方のダート重賞は、優姫にとってはあまり馴染がない。
せいぜいが南関の日本基準GⅠぐらいであった。
アメリカのダートレースの方がまだしも、しっくりきやすいところはある。
優姫が苦手なタイプの、テンから飛ばしていく消耗戦。
日本の馬場としては、坂のない芝が一番近いであろう。
昔に比べると今は、ダートGⅠと芝の中長距離GⅠの格差は広がっていると言ってもいい。
正確には芝のGⅠが、あまりにも高くなりすぎたのだ。
それでも1着賞金は2500万円。
中央に比べれば少し安いが、オープン競争よりは高い。
これに乗るために大井に行くなら、向こうで乗る馬も少し、用意してもらえるだろうか。
優姫は栗東のジョッキーのため、南関とはあまり接触することがなかった。
こういう時に便利なのが、やはりエージェントというものなのだ。
ダート三冠のことは、あまり意識になかった。
そのため優姫は改めて、このレース体系について調べる。
今は昔と違って、調べるのも簡単になったものだ。
それに普通にトレセンに、南関で乗った他のジョッキーがいる。
地方競馬のジョッキーは、中央競馬のジョッキーに比べて、騎乗数ははるかに上回る場合が多い。
そのため特定の条件、特にダートのレースにおいては、中央のジョッキーを上回ったりもする。
あるいは普通の芝でさえ、上の技量を持っていたりするものだ。
それと対戦するわけだが、優姫には特に緊張などもない。
園田でもそうであったし、南関にしてもレベルなどは、そこまで極端な差ではないと考えている。
そもそも三年目のジョッキーが、どれだけ騎乗したと言えるのか。
まだ優姫の勝ち鞍は、200勝にも達していない。
そして地方競馬の売れっ子ジョッキーは、普通に年間に300勝近く勝つ。
そのトップクラスは間違いなく、JRAのトップに匹敵する。
基本的に騎乗技術は、乗れば乗るほど上達するのだ。
もっとも三年目の優姫の技量が、それと互角ぐらいであるかもしれないという、バグも存在するが。
今回の騎乗するレースは大井の重賞である。
それに合わせて城崎は、園田の時のように、騎乗する馬を集めてくれた。
元から彼は、関東とのコネクションの方が強い。
関西に関しては池元のつながりであろうか。
だがこういった地方競馬の関係は、馬主同士のつながりが大きかったりする。
金があるからといって、必ず中央の馬主になるわけではない。
地元の競馬場や厩舎に、気軽に会いに行けるから、地方の馬主をしている金持ちも多いのだ。
JRAはそういったところで、管理を厳しくしすぎたとも言われる。
公正性や衛生を保つという面もあるだろうが、馬事文化というのは、そういった効率や正論だけで成り立つものではない。
最下級のレースであると、優勝してもジョッキーに入る賞金は5万円。
安いなと思ってしまうのは、JRAの未勝利戦などに慣れてしまっているからだ。
地方競馬で未勝利クラスを勝って5万円というのは、突出して高い。
JRAだとその五倍ほどにはなると言ってもだ。
大井以外であると、最上位のクラスであっても、JRAの未勝利戦とさほど変わらない。
かつてはそれでもJRAのレースに挑戦し、勝っていた馬もいたものだ。
今もいないわけではないが、かなり稀なことになっている。
それは中央と地方の、かけられる金の違いでもあるだろう。
大井競馬にやってきた優姫。
今回の騎乗馬は、田丸厩舎のダート馬である。
父ハートハント産駒のソウルハンター。
完全に両親の血統がダート血統だが、それでも三大遡れば、普通に芝馬が入っている。
他に4レースほど乗鞍があるが、ダートを走らせることを考えると、あまりレースが多すぎるのもよくない。
芝に比べるとやはり、パワーが必要になるのだ。
調整ルームで顔を合わせるのは、女性騎手もいる。
今の日本競馬においては、女性騎手と言えばもう、優姫がその代表となっている。
だが地方競馬では、女性騎手の活躍も目立つのだ。
現在の大井競馬では、神尾裕子と多田香織の二人が、女性騎手の代表格。
他にも数名の女性騎手が、南関の競馬場にいて、それぞれ交流している。
地方と中央の垣根なく、女性騎手のみを集めた、特別なレースもあった。
ポイント制で順位が決まる、そういうイベントである。
優姫は二年目には既に、やることが多くなりすぎていたので、それに参戦していない。
なのでこういう時には本当に、知らない顔ばかりになる。
「あ~! 天海、来てるやん」
その中に知っている顔があった。
「……なんとか天馬さん」
「曽我や! ほんまに名字の方忘れてたやろ」
「うん」
正直な優姫である。
羽田盃に出走するための優先権を取るには、南関の重賞か準重賞で上位に入らないといけない。
それに天馬が出てくるのは、充分に予想できたことのはずだった。
ちゃんと事前に、馬のデータは確認していたのだ。
だが乗り替わりの確認まではしていなかった。
確かに天馬は園田の中では、若手ながらトップクラスに勝っているジョッキーなのだ。
地方競馬の競合は、南関の四競馬場。
だが関西の雄ということなら、確かに園田のレベルもそれなりに高いのだ。
「今回はメインでの対決やからな」
「そうだね。それポン」
普通に地元のおっさんどもと、麻雀卓を囲んでいる優姫である。
昨今の若者はともかく、おっさんどもにとって麻雀というのは、こういう場での時間を潰すことには役に立つ。
さらに相手の性格を探る上でも、重要な機会なのだ。
ただ、優姫の場合はガチで運が強い。
「ツモ。対々和に三暗刻で赤にドラ3で倍満。8000点ずつ頂戴」
「ハコや~!」
三局連続でトップを取り、ピスピスと無表情にVサインをする優姫である。
とにかく振り込むことがない。
相手のテンパイの気配を、しっかりとつかんでいるのだ。
あとは自分のチャンスを、しっかりと逃さないようにする。
四暗刻まで欲張らなくても、勝てばよかろうなのだ。
翌日はいつもと同じく、コースの確認に入る。
大井競馬場はダートコースとしては珍しい、最後の直線が長くなるコースだ。
外回りコースを使って行われるため、差しや追い込みも決まりやすい。
(昔の地方の砂は、もっと粘っていた気がするけど)
雨も降っていないので、普通のダートと考えていいだろう。
ソウルハンターは先行から最後に、そっと差すという脚質である。
優姫からすると前向きな気性で、それをどこまで抑えるか、が重要な馬なのである。
コースの特徴からしても、普段と同じような乗り方で間違いはない。
南関の各競馬場からと、JRAからの5頭の馬で争われる。
栗東からの参加はソウルハンター1頭。
周囲は全部敵、と考えてもいいだろう。
今日も基本的には、メインのために他のレースは探っていく。
だが上手くスタートさえ決めれば、それなりに勝つことが出来るのだ。
地方のダートの特徴と言おうか。
もっともアメリカの場合も、多くの競馬場が比較的小回りのため、先行有利というのは変わらない。
追い込み馬が少ないだけに、それで強い追い込み馬がいると、余計に目立っていく。
ここで優姫に期待されているのは、2着以内に入ること。
JRAの所属馬は、5着以内に入った中で、上位2頭が羽田盃に出走することが出来る。
だから他の馬の出方次第では、3着や4着でもいい。
ただ確実を狙うならば、やはり2着なのである。
(強い馬も1頭いるしなあ)
ダートなので故障の可能性は低い。
だが低いだけであって、故障がないわけではないのだ。
日本のダートチャンプになって、世界のダートに挑んでいく。
そういう気概のある馬も、確かにいるのだ。
もっとも世界のダートというのは、日本のダートとは全く別のもの。
むしろ欧州の芝に、似ているといってもいいだろう。
地方の王者であっても、血をつないでいくことは出来る。
今はそういう時代なのだと、優姫は生きる時代の変化を感じていた。
※ 地方のGⅠ
地方のグレードの評価は主に、日本独自のJpnⅠ~Ⅲというグレードを使っている。
ダート三冠競走は2026年現在JpnⅠだが、将来的には国際GⅠへの昇格を目指しているとも言われる。
なお東京大賞典は地方競馬ながらGⅠ競争であり、帝王賞なども近年のレースレート的に、充分に国際GⅠに格上げ出来るほどのレベルとなっている。




