第54話 距離延長
年始から二ヶ月、そして真夏の二ヶ月は、基本的に国内の大レースはない。
よく見ればそんなことはないぞ、と言われるのだが。
どうしても長年の習慣から、軽視してしまう路線。
だがウシュバテソーロやフォーエバーヤングの活躍以降、注目されているレースがある。
ダートGⅠである。
かつては地方の川崎記念が、一年の最初のGⅠ級競走であった。
今では施行日が移動して、四月となっている。
そのため一番最初に行われるのは、JRAの2月に行われるダートGⅠフェブラリーステークス。
しかし優姫にはまだ、その路線に乗っていくようなお手馬がない。
ただヴァリアントロアなどは、ダートで調教をしていても、かなりの時計を出していたりする。
普通に馬なりで走らせるだけなのに、全力で走ってしまう。
(う~ん)
併走させる時に、先に1000mほど走らせてから、古馬と併せていく。
これをやるとさすがに、途中で息を入れるしかない。
ここまでマイルまでしか走っていないが、2000mはもつのだろうか。
(中山ならもつかなあ)
3歳は芝で走ったとして、なんなら4歳になればフェブラリーステークスなどを目指してもいいかもしれない。
馬場適性よりも、距離適性の方が問題であろう。
ひょっとしたらヨーロッパの芝の方が合うのかもしれない。
ダートであっても坂路であっても、平然と上っていくパワーがある。
しかし短距離を走るためには、体格がステイヤーに近く出ている。
(4歳になってからが、マイルで本格的に勝てるか)
育成牧場でも、気に入らなければすぐに騎手を振り落とす。
そのくせ鞍上に重い荷物があっても、しっかりと走れるのだ。
ヴァリアントロアの次走は、中山の京成杯に決まった。
関東まで行くのは面倒ではあるが、本番と同じ距離・同じコースで走れるのか、それを確認しないといけない。
またモーダショーに関しては、ライバルとなりそうな馬の行方を見て判断する。
ボーンクラッシャーは予定を変更してきて、阪神大賞典ではなく京都記念を使ってくるらしい。
賞金を積んだ上で、春の天皇賞を狙っていく。
モーダショーとは、天皇賞での対決が予想される。
フォーリアナイトは大阪杯直行。
秋古馬三冠に全部出走していたのだから、そのダメージを抜くために時間が必要であったのかもしれない。
メテオスカーレットはダービー馬だけに、本当ならこれも大阪杯直行を考えても良かったろう。
だが故障明けなので、アメリカJCCを使ってくるそうだ。
中山でまず走った上で、大阪杯を目指すのか、それともまだゆっくり使うのかを決めるそうだ。
ダービー馬がその後、1勝も出来ないということがなくて幸いである。
この三頭とは出来れば戦いたくない。
そう考えたモーダショー陣営が、どこを選ぶのか。
春の天皇賞を、上半期最大の目標とする。
ならばやはり長距離のレースで、慣れておくことが必要だろう。
「阪神大賞典から、春天やな」
三ツ木の決定に、優姫も頷いたのである。
GⅠ馬のモーダショーには、少し斤量のハンデがあるが。
昨今のGⅠとGⅡを見たり、超一流馬のローテを見てみると、明らかなことがある。
本当に強い馬ほど、もうGⅡやGⅢを使わない傾向にあるのだ。
これは特に古馬においては顕著である。
それはなぜかというと、20世紀末に比べると、GⅠとGⅡの賞金の格差が大きくなりすぎたからだ。
無理にGⅡまで使わず、GⅠ一本に照準を合わせる。
そこで勝てなくても2着か3着なら、充分にGⅡの1着賞金を上回るのだ。
これは海外馬の誘致に加えて、日本馬の海外遠征による国内の空洞化を避けたためのもの。
日本最強であり、同時に世界最強とも言われたイクイノックス。
この名馬は2歳から4歳まで走ったが、実は10走しかしていない。
3歳で4走、4歳で4走と、本当に走ったレースが少なかった。
現在の競馬は四半世紀前に比べても、レースにおける馬の消耗度が激しい、と言われている。
また外厩できっちりと仕上げてくるため、前哨戦を必要としないのだ。
モーダショーのような例は少ないし、シュガーホワイトにしても走らせすぎと言われた。
ただこのあたりは馬が、外厩でのトレーニングがあまり効果がない、ということが言えるであろう。
モーダショーはただ走らせるだけなら、普通にいくらでも走っていたのだが。
競馬の全力疾走というのは、格闘技やボクシングのような、とんでもない消耗戦に似ているのかもしれない。
まさに命を燃やして、コースを走っているのだ。
そのため疲労は蓄積し、故障もしやすくなる。
1着の賞金が増えたなら、そこだけに絞るというのが、今の競馬だ。
だがこれでサラブレッドのレースの希少価値は上がったが、かつてのオグリキャップのような、圧倒的なメディアへの露出というのは減ってしまった。
キタサンブラックは3歳デビューで5歳の引退までに20走のレースに走った。
最終年は6レースに出走したが、春古馬三冠と秋古馬三冠の、全てGⅠレースである。
3歳時には一番多くて8レース。
モーダショーの10レースと比べると少ないが、これはむしろ本当にとんでもない耐久力だな、とモーダショーに関しては思うのだ。
「本当なら、もっと休ませるべきなんかもしれんけど」
三ツ木が言うように、モーダショーは走りすぎの基準にある。
だがこれだけ走ったからこそ、最優秀3歳牡馬に選ばれたとも言える。
スターホースが誕生しても、あまりレースに出ない。
それはそれで、希少価値があるものなのだろう。
たとえばボクシング以外でも、アメリカのアメフト。
野球やバスケと比べても、圧倒的に試合数は少ない。
だが四大スポーツの中では、一番の人気があるのだ。
モーダショーはそういう意味では、親しみを感じやすい馬である。
だいたい厩舎の馬房の中では、のんびりとうたた寝をしている。
猫と戯れるというか、一方的に猫にまとわりつかれても、特に不快に思うこともない。
シュガーホワイトとはまた違った方向で、人気は出ているのだ。
だが善戦マンとしてではなく、このあたりでやはりもう一度は勝っておきたい。
一月にはあまり、重賞に乗ることがない優姫である。
ただ3歳馬がクラシック戦線に向かうために、乗り替わりで騎乗を頼まれることはあった。
回ってきたレースは、去年と同じシンザン記念。
ここで2着に入ったのが、今年の重賞初連対となった。
翌週は中山で、京成杯に乗ることになっている。
果たしてヴァリアントロアが、距離の壁を破ることが出来るのか。
もっとも優姫は知っている。
距離が長い、短い以外の他に、合っていないというものもあるということを。
同じ距離であっても、コースが違えば適性距離は変化するのだ。
ヴァリアントロアはマイル前後が本来は適性。
ただこれは身体的なものではなく、性格的なものである。
馬体から見れば、中距離からクラシックディスタンスあたりが、本来の適性ではないのかとも思う。
(中山は小回りで、物理的にあまりスピードが出ないし)
上手く脚を使わずに、最後の直線に入れば。
そこからの瞬発力勝負で、他馬を置き去りにすることが出来るのではないか。
土日に中山で乗るために、優姫は関東にやってきた。
ヴァリアントロアの走りを、オーナーたちにも見せる機会である。
ただ関東にやってくると、これがいいタイミングとばかりに、ジョッキー以外の仕事が入っていたりする。
特に多いのは取材であろうか。
また再来週の月曜日には、JRA賞の各部門の授賞式がある。
そのためにはしっかりと、正装を用意しておかないといけない。
優姫はレースがあったため、成人式にも出ていない。
その日にシンザン記念があったのだ。
もしも出席していたら、代表して何かを喋るとか、そんな特別扱いもあったかもしれない。
だが優先するものが違ったのだ。
シンザン記念の2着賞金だけで、サラリーマン一ヶ月分以上を稼いだ優姫である。
この時期はやはり3歳のレースに乗ることが多い。
四月の皐月賞や、牝馬の桜花賞に向けて、各陣営が戦っていくからだ。
その中で優姫は、一頭の牝馬に目を付けた。
新馬戦で負けた後に、優姫に回ってきた馬だ。
アメリカからの輸入種牡馬と、ヨーロッパの繁殖牝馬の仔による配合。
オーナーはセレクトセールで、手に入れた高額馬である。
現在は牡馬はまだしも、セリに出てくるのだ。
しかし本当にいい牝馬は、旧来の太い馬主に庭先で買われるか、大牧場が自分のクラブで走らせてしまう。
それは種牡馬ならば、売ってしまっても種牡馬入りする時に、また買い戻せばいいからだ。
だが牝馬は外に出てしまうと、馬主が自分で持ってしまって、預託(※1)という形にしてしまうこともある。
そんな中で優姫に回ってきたのが、秋に新馬戦で3着、優姫に乗り替わって未勝利戦と1勝クラスを連勝したミニョンフルール。
フランス語で可愛い花、という意味である。
馬主のおっさんは土木関連の会社の社長で、随分と可愛らしすぎる名前をつけたものだと優姫は思ったが。
重賞であと一つ勝てば、問題なく牝馬クラシック(※2)に乗せていける。
基本的に牝馬の路線は、混合よりも賞金は安い。
だが去年の優姫は、牝馬限定GⅠには一つも乗れていない。
ここで賞金を上乗せすることが出来たら、さらにリーディング上位になる。
別に優姫は牝馬と、相性が悪いわけではない。
中には特に牝馬と、相性がいい騎手もいるが。
一般的に牝馬は、牡馬よりも扱いが難しいと言われていた。
だが最近の調教技術の発達により、かなり安定して使えるようになったのだ。
ウオッカあたりからの、牝馬最強時代。
だがそれもおよそ、10年ちょっとであった。
最近は平均して、牡馬の方が強い。
もっとも去年も秋天で、牝馬のアンドロメダが優勝していたが。
エリザベス女王杯よりも、秋天の方が倍ほども賞金が高い。
勝てるならばそれは、こちらに出てくるであろう。
それでも牝馬限定戦を、無視するという選択はない。
三冠競走にエリザベス女王杯、ヴィクトリアマイル。
そして阪神ジュベナイズフィリーズと、これだけの牝馬限定戦がある。
ここで着を拾っていけば、また収入は増えていくのだ。
だがまずは目の前、京成杯に勝つことを考えなければいけない。
ヴァリアントロアはここまで、3戦3勝の無敗馬。
デビュー戦から優姫が乗って、完全に競馬を教えてきた。
それもあってか今日は、突出した一番人気となっている。
唯一の不安点は、やはり距離であろう。
これまでは全てマイル以下のレースであった。
400mの距離延長が、どれだけ影響してくるか。
中山のコースなら、勝てなくはないと優姫は思っていた。
コーナーが多い小回りなので、そこで強制的にスピードを落とし、息を入れることが出来る。
瞬発力とパワーがあるので、中山の短く坂のある直線は向いている。
それは朝日杯でも証明した。
「ロア君、ちゃんと私の言うこと、聞いてくれるかな?」
発走前にそう囁いても、相変わらず鼻息が荒い。
本当に気性的に、長い距離が向いてなさそうなヴァリアントロアであった。
ここまで無敗で来ているのは、ヴァリアントロアだけではない。
やや長い距離を走って、3戦3勝という馬もいるのだ。
このレースを使ってくるのは、やはり本番の皐月賞を見据えてのこと。
ソングオブアース産駒のパワーズスター。
ヴァリアントロアは比較的、中距離で活躍することが多い血統で、ダートでも通用している血統だ。
それに比べるとソングオブアース系は、明らかに中長距離に偏っている。
産駒の勝ったGⅠが、全て2000m以上という偏り具合。
その最短と、ヴァリアントロアの2000mの、どちらが勝つのか。
ここで負けたなら、NHKマイルCという選択も出てくる。
ただオーナー夫人からは、やはりクラシックを期待されているのだ。
(一番いいのは、皐月賞から安田記念かな)
2000mが走れるなら、秋には秋天から香港カップ、という選択もあるだろう。
ゲートインしている状態で、既にかなりの発汗がある。
馬の気性を上手く制御できるのかどうか。
優姫はこの日もゆっくりと、ゲートから出したのであった。
全く制御しなければ、1000mほども走って参ってしまうのではないか。
優姫はヴァリアントロアのことを、そう思っていたりする。
名前の通り、猛々しい咆哮。
これをどうにかこうにか折り合いをつけて、1200m以上は走るようにするのだ。
ただスプリント戦に特化しているか、というとそういうわけでもない。
どこかで息を入れるレースが、一番向いているのは確かだ。
するとやはりマイル、ということになる。
それもコーナーがちゃんとあるマイルだ。
(前に壁を作って、上手く脚を温存する)
ここまではそれが上手くいってきた。
京成杯も15頭前後は出るので、それを利用すればいい。
この時期の中山は、当然ながら内ラチ近くは荒れている。
それでも程度問題で、どうにかなったりするのだが。
大外からまくっていく展開か、と他のジョッキーは警戒していたであろう。
だが優姫はここで、ヴァリアントロアの正しい適性を計りにかかる。
4コーナーを曲がって、他馬が膨らんだところ。
その最内を突き抜けていったのだ。
そこを走って本当に、前に届くのか。
中山の直線は短いのである。
だがこの距離と坂を、ヴァリアントロアなら克服できるのではないか。
むしろパワーと瞬発力を、この馬場で確認したい。
前の馬を一気に抜いていく。
だが前方の一頭は粘り、また先行集団から抜けた馬が一頭、ヴァリアントロアと並んでいく。
二頭が並んで、逃げ馬を追っていく。
ゴール前あと50mといったところで、ヴァリアントロアの脚は鈍る。
(今日はここまででいい)
坂を上った勢いを止めないまま、ゴール板を通過していく。
だが先に通過した二頭がいて、ヴァリアントロアは3着。
初めての敗北となったのである。
「距離が長かったか?」
千草の言葉にも、優姫は首を振る。
「皐月賞は行ける」
ゴールした後も敗北が分かっているのか、カリカリとしていたヴァリアントロア。
その姿を見てむしろ、優姫は確信したのである。
手の内の全てを明かしたわけではない。
これで本番は、全力で相手をすることが出来る。
問題はその後だ。
皐月賞を勝つなり、負けるなりしてもダービーがある。
(2400はちょっともたないかなあ)
折り合いをつけるのが、本当に難しい馬。
だからこそ短い距離で、強いとは言えるのだが。
あるいは皐月賞から、安田記念に進むべきか。
馬の適性というのは本当に、走らせてみないと分からないものなのだ。
※1 預託
牧場にいる馬は、全ての馬がその牧場の馬であるとは限らない。
馬主が世話を委託して、牧場に預けている馬を預託という。
この場合馬にかかる経費は馬主持ちであるが、当然ながら種付けをする相手の馬、またセールに出すか自分で走らせるかなど、自分で決めることが出来る。
※2 牝馬クラシック
桜花賞、オークス、秋華賞の三つ。
昔は違ったが、今はこの体系で成り立っている。




