第53話 時代を作る彼女
競馬というのは本当に、年中無休の興行である。
ついこの間、有馬記念が終わったところ。
なのに次の週末にはもう、重賞がやってくる。
東西で行われる金杯が、その重賞である。
ただその前に厩舎では、ちょっとした行事があったりする。
トレセン内の馬頭観音にお参りをしたり、厩舎で振る舞い酒や正月料理を用意したりする。
「昔はもっと賑やか(※1)に、スタッフの家族が集まってたりしたんだけどね」
「え、そうなの?」
「厩舎は家族、っていうイメージだったから」
「優姫ちゃん、なんか古いこと知ってるね」
美奈は後に父に訊ねて、その知識が本当であることを確認した。
しかし競馬村出身でもない優姫が、なぜそんなことを知っているのか。
あるいは外から来た人間だからこそ、知識を持っているのか、とも思った。
去年の優姫は二年目ながら、126勝して全国リーディング3位。
総賞金も40億円をわずかに下回り、これまた3位。
勝率も0.208と3位。
もちろん女性騎手に限るなら、ぶっちぎりの1位である。
そんなわけで優姫ではなく、そのエージェントである城崎に、ちょっとJRAから連絡があった。
「金杯の後のスケジュール?」
なんのことだと思ったが、これは城崎が調べてくれていた。
「特別賞の受賞ですよ」
「シュガーに?」
「貴女にです」
「……なんで?」
自覚のない優姫に、天を仰ぐ城崎である。
ただ馬はともかく人間に特別賞が与えられることは少ないし、あってもごく限られたものなのである。
二年目の126勝というのは、過去のレジェンドの記録を抜いている。
リーディングは取れなかったなと思っても、それは二年目で、途中までエージェントをつけていなかったためである。
一年目には女性騎手として、史上二番目の勝利数を挙げて、最多勝利新人騎手に選ばれていた。
だが二年目にはそれは関係ないし、MVJ(Most Valuable Jockey)(※2)も3位なので関係はない。
優秀騎手賞としては表彰される、ということは分かっていた。
特別賞だけではなく表彰関連の投票などは、事前に知らされることはない。
しかし現実的な話として、事前にスケジュールを抑えておかなければ、取材なども出来ないわけである。
「私に来てた取材予定を空けろというのもそれかな?」
どうやら千草にも話はあったらしい。
シュガーホワイトで皐月賞、ヴァリアントロアで朝日杯と、女性調教師が初めてクラシックを勝ち、さらに年間GⅠを2勝した、ということも関係しているのだろう。
少し遠い目をする千草である。
「考えてみたら優姫は、二年目でクラシック2勝を含むGⅠ3勝を年間に達成しているんだな」
特に皐月賞からダービーまでは、シュガーホワイトと共に大きな話題の中心となっていた。
シュガーホワイトの故障の後は、悲劇のヒロインとしての面が大きかっただろう。
そしてモーダショーにて、菊花賞での復活。
そこからジャパンカップに有馬記念の好走と、まあ話題には事欠かない一年であったのは確かだ。
勝率や勝利数は、どれも3位なのでMVJには選ばれない。
だがこの女性初に、二年目で年間GⅠ3勝というのが、表彰しないわけにはいかないというものであろう。
ならば特別賞があるではないか、ということになる。
「もちろん明言はされませんでしたが」
まあこの年末年始には、色々とイベントが起こっているのは確かだ。
12月下旬には、日本スポーツ賞の奨励賞の受賞が決まっていた。
有馬記念の二日後、よくもまあこの年末に、というぐらいの通達であった。
もっともこれはありうるな、とは言われていたが。
「女だから選ばれたのかな」
「二年目にGⅠを3勝したジョッキーは男でもいません」
その城崎の言葉に、首を傾げる優姫である。
そういえばそうなのだが、忘れてしまっていたのはなぜか。
(夢の中ではやってたからか)
そんなことまでも自分の記憶と、同化してしまっているのだろう。
新年の京都の開催では、金杯に乗る馬はない。
だが新馬やダートなど、二日で18レースに乗る予定は立っている。
そして日曜の開催では、メインとなる万葉ステークスに、松川騎乗のボーンクラッシャーが登録していたりする。
(天皇賞で当たりそうだなあ)
モーダショーが年明け初戦に何を使うのか。
それも三ツ木と話さなければいけないことだ。
「お、流行語の女がおる」
年始の調整ルームにて、箱崎颯太と接触した。
あちらも栗東所属なので、何も不思議はないのだが。
「別に選んでと言ったわけでもない」
女性初のGⅠジョッキーというわけではない。
海外から参戦した女性ジョッキーが、既にその栄誉は手に入れているからだ。
だが女性初のクラシック勝利、というのはまさに優姫に与えられたものである。
リーディング上位に初めて来た、というのも優姫が最初ではある。
「競馬界のプリンセスとか言われて恥ずかしくなかったか?」
「特には。お金が稼げて良かったとは思う」
割り切り方が違うのである。
優姫はあまり人前に出るのが好きではない。
ならジョッキーなどやるな、という話になってくるが。
そういう性格からすると、アスリートの中でもジョッキーというのは、かなり向いているものなのだ。
レースの前には完全に外部からシャットアウトされる。
また厩舎の中にいれば、記者がやってくるのも手間がかかる。
レースの公正性を保つためと言って、とにかく無口になればいいのだ。
だが色々と表彰をされれば、スピーチはしなければいけない。
これまでにも色々と、重賞に勝った時には、インタビューもされている。
だから出来ない、の一言で済ませてはいけないのである。
ただジョッキーは人気商売だが、それは馬主からの人気さえあれば、一般の人気は気にしなくてもいい。
極端な話だが、勝たせるジョッキーがいいジョッキーなのだ。
特別賞に選ばれるのは、基本的に長年、競馬界の発展に尽くしてきた人間である。
それが優姫が選ばれるというのは、かなり異質なことではあるのだ。
クラシック2勝には、それだけの価値があったということだろう。
だがシュガーホワイトの故障がなければ、三冠も達成できていたはずだ。
「最優秀3歳牡馬も、モーダショーかシュガーだろ」
「多分、モーダショー」
そのあたりも注目されているのだ。
有馬記念などのこともあり、優姫にはいい新馬が回ってくるようになった。
斤量の特典がある平場は、やはり勝てる騎手に任せたい、というところだろう。
あとは重賞で、どれだけ勝てるかだ。
重賞に出て勝ち負け出来るような馬に、やはり乗らなければいけない。
その重賞でも勝ち負け出来ると言えるのが、万葉Sに出てくるボーンクラッシャー。
クラシックでは結局無冠に終わったが、素質自体は間違いなく一級品であった。
しかし競馬の世界では、足元さえ弱くなかったら、と言われる馬は少なくない。
そういう意味ではモーダショーは、本当に頑丈な馬である。
それでもさすがに去年の秋から冬を考えて、二ヶ月ほどは休ませるのだが。
二日間の開催で、まずは3勝した優姫。
だが馬の質を考えれば、あと二つほどは勝ってもおかしくなかった。
展開が悪かったとも言えるが、そこはもっと考えていかなければいけない。
ともあれ悪い結果ではなかった。
今年は去年よりも重賞に乗りたい。
しかし重賞となると、ここまでの結果を出していても、なかなか優姫に乗せるという馬主は多くない。
また調教師にしても、そこまで強く馬主には勧められないのだ。
栗東は現在、比較的昔からの、個人馬主が多い。
そことのパイプが増えたのなら、もっと乗鞍が回ってくるだろう。
「万葉Sのボーンクラッシャーは強かったなあ」
三ツ木はのんびりとそう言っているが、春の天皇賞の、最大のライバルになると言えるだろう。
モーダショーは上手く、一叩きしてから天皇賞に出したい。
単に賞金の高いレースなら、大阪杯があるが。
俗に春の古馬三冠と呼ばれるレースがある。
大阪杯、春の天皇賞、宝塚記念の三つである。
しかし大阪杯はまだ新しいレースで格が低い。
春の天皇賞は春天とも言うが、今はかなり微妙とも言われる長距離のレースだ。
宝塚記念は有馬記念と同じく、もう一つのグランプリ。
だがどれも格としては、秋の古馬三冠に劣る。
かつて大阪杯がGⅡであった頃は、阪神大賞典を使ってから、春の天皇賞に向かうというのが王道路線であった。
だが今は大阪杯の3着賞金が、阪神大賞典の1着賞金よりも高い。
JRAが大阪杯をGⅠに繰り上げた理由。
それはもちろん、レースのレーティングが足りていたから、という背景はある。
しかし興行的に、ここにGⅠが必要であったのだ。
なぜならこの時期にGⅠがないと、有力馬がドバイに行ってしまう。
そしてドバイから戻ってきた馬が、そのまま春の天皇賞に出るのは、疲労や移動の検疫のために難しい。
だから国内GⅠを作り、春天につながる有力馬を集めたかった。
この時期のGⅠは他に、高松宮記念。しかしこちらはスプリント戦だ。
そして桜花賞から始まる3歳クラシックしかなかったので、中距離のGⅠが欲しかったのも確かなのだろうが。
「そろそろモーダショーに勝ちグセを付けたい」
優姫の言わんとするところを、三ツ木も理解している。
なんだかんだ言いながらモーダショーは、まだGⅠを菊花賞で勝っただけで、他に重賞を一つも勝っていないのだ。
そのレーススタイルからしても、引退して種牡馬になるためには、中距離のGⅠを一つは勝つか、あるいはGⅡをいくつも勝っておく必要があるだろう。
大阪杯を使うのは、ちょっと反対の優姫である。
おそらくここに、フォーリアナイトも出てくる。
阪神の2000mならば、おそらくフォーリアナイトに負ける。
またフォーリアナイトを負かすような馬がいれば、モーダショーが勝つのも難しいだろう。
「けれど阪神大賞典を使うのは」
三ツ木が懸念するのは、優姫も分かっている。
「斤量」
「せやね」
去年の菊花賞でGⅠを勝っているモーダショーは、阪神大賞典では増量で走らないといけないのだ。
負担重量が4歳牡馬は56kg、5歳以上牡馬は57kg。
だが去年一年間にGⅠに勝った馬は、2kg重く乗らなければいけない。
ボーンクラッシャーはまだGⅠ勝利がない。
そのため阪神大賞典では、モーダショーと対戦するなら2kgも軽く3000mを回ることになる。
あの馬を相手に、2kgの重さを加えて勝てるのか。
「難しいんじゃないか?」
「そう思った」
三ツ木厩舎から鳴神厩舎に戻って、千草と話し合う。
モーダショーは鳴神厩舎の馬ではないが、話題の中心とはなるのだ。
現在の中長距離王道路線で、4歳の三強は決まっている。
モーダショー、フォーリアナイト、そしてメテオスカーレットである。
そう、メテオスカーレットはようやく、復帰戦が決まったのだ。
モーダショーとフォーリアナイトはともかく、ダービーの一発屋であるメテオスカーレットは、果たして三強と言えるのであろうか。
そして素質的には、ボーンクラッシャー。
ブラッドブレイカーは今年も、主に海外で走ることとなる。
あとは牝馬がどれぐらい、牡馬に混じってくるか。
マイル以下の短距離路線は、また別の馬がいる。
「そろそろか」
金杯が終わった翌週、JRAの各賞が発表される。
SNSの他にJRAの公式ホームページでも、全ての部門が一気に発表されるのだ。
さて、鳴神厩舎に関係しているのは何か。
もちろん朝日杯を勝った、ヴァリアントロアである。
最優秀2歳牡馬の部門である。
この数年はホープフルSの勝ち馬が、選ばれることがやや多い。
だが全体的な勝ち星と、勝ち方でそれは変わるのだ。
「よし」
千草が思わずガッツポーズをしたのは、ヴァリアントロアが選ばれたからである。
やはり重賞二つを含む、三戦全勝というキャリアが、強いと評価されたのだろう。
年度代表馬は無難に、ブラッドブレイカーである。
そして最優秀3歳牡馬には、モーダショーが選ばれた。
菊花賞馬が選ばれるというのは、過去にもなかったわけではない。
だがそういう場合はおおよそ、クラシックの前の2走でも、好走していた場合が多いのだ。
モーダショーはそれの代わりに、ジャパンカップと有馬記念が評価されたということであろう。
そして特別賞である。
ここに優姫の名前と、シュガーホワイトの名前があった。
「なるほど」
優姫も納得したのは、この選考の結果が妥当と思えたからだ。
かつてハイセイコーが、優駿賞大衆賞を送られたのと、同じような感じだ。
シュガーホワイトは皐月賞を勝ったあたりで、ものすごい注目を集めていた。
ダービーもあの故障がなければ、という意味合いの強い表彰である。
そしてモーダショーとシュガーホワイトの主戦騎手であった優姫。
この三つの組み合わせで、優姫もまた特別賞となったわけか。
あとはヴァリアントロアの主戦であることも、選考の基準になったかもしれない。
女性騎手として初めてのクラシック二冠、また二年目の若手として初めてのクラシック二冠。
違う馬で達成したことで、むしろ実力の証明となっている。
8戦6勝のシュガーホワイトに、11戦5勝のモーダショー。
シュガーホワイトもモーダショーも、現在の競馬からすると、かなり多めに使われている。
それがシュガーホワイトの故障の原因になった、と言えなくもない。
ただモーダショーの方は、疲れはしても故障の兆候は、全く見えていないが。
表彰された二頭の主戦として、優姫も表彰されると言うか、クラシック2勝が大きいと言うか。
二年目の女性騎手という点が、とんでもなくポイントアップとなっているのか。
スマホが鳴って、城崎からの連絡がある。
今月下旬の表彰式に、出るようにとのスケジュール調整であった。
「面倒だなあ」
「将来のためにも、知名度を上げておくべきでしょ」
千草の言うことは、まさにその通りなのだが。
プロスポーツのアスリートは、人気商売という部分を捨てきれない。
城崎の電話が切れると、今度は芸能事務所からの連絡がある。
またCM撮影などに売り込んでいかないか、という提案だ。
(馬に乗るだけでいいなら、もっと楽なのに)
だが3月の末であれば、上手く日経賞に乗る用事が作れるかもしれない。
「あとはロアだけど」
「中3週だけど、京成杯でどう?」
中山2000mという条件。
コースと距離を経験するという点でも、これが一番重要であろうか。
あとは弥生賞などもあるが。
有名になればなるほど、忙しくなる。
だがそういったターフの外のことまでをこなして、馬を集めることが出来るのであろう。
(今年は牝馬路線も、どうにか乗りたいからなあ)
モーダショーについては、やはり三ツ木との話し合いが必要になるだろう。
※1 もっと賑やか
かつてはジョッキーも厩舎に泊まり込み、厩務員の家族なども集まって、餅つきなどをするのが定番の行事となっていた。
これがなくなっていったのは防疫が目的であり、鳥インフルエンザに加え、2010年の口蹄疫が決定的な理由となった。
※2 MVJ
勝利数、勝率、賞金、騎乗回数の4項目をポイント化した総合評価で選ばれる。
騎手大賞とはまた別である。




