第52話 現実との対決
有馬記念は3着であっても、軽く2億を超える賞金(※)が入ってくる。
ジョッキーとしてはその5%が進上金として入る。
つまり1000万円の収入である。
ジャパンカップも同じであるので、2分半を二度繰り返しただけでも、優姫は年収2000万円になったというわけだ。
もっともここから、巨大な税金が課されるわけであるが。
そんな話は後のこととして、優姫はなぜだか着せ替え人形にされながら、色々と写真を撮られていた。
「う~ん、やっぱり化粧映えするわね~」
こういうところのカメラマンがオネエ言葉なのは、もう何かの様式美なのであろうか。
関東にいる間に、CMの撮影までされてしまう。
売れっ子芸能人のようであるが、まあアスリートというのは似たようなものである。
特に優姫の場合、ビジュアルはいいが喋るのが下手なので、映像の演出は任せるしかない。
「神秘的なところがあるんだよね」
そう言われたりもしているが、これらの仕事でおおよそ、年間には5000万円ほどの売り上げが立っている。
うち事務所の取り分は、20%となっているが。
有馬記念からの流れでSSRCの関係者と、今年の祝勝会と残念会を、改めて行った。
とは言ってもSSRC自体はそこまで大きな会社ではなく、SBCファームも関連会社だが、生物を扱っているため全員が集まれるわけでもない。
数日に分けて、忘年会などをやったわけだ。
今年は悲願のクラシック制覇を遂げている。
そして菊花賞以降の好走を考えると、来年の天皇賞も期待できるのではないか。
SSRCの親会社である、南関SSホールディングスの会長は、天皇賞大好き人間であるという。
そのあたりは優姫の、本当に強い馬は、春の天皇賞を勝ってこそ、という価値観とつながってくる。
ただ優姫は優雅なパーティーや、撮影のみに駆り出されたわけではない。
他にも現実的な話を、しっかりとされているのだ。
「来年からの話ですが」
眼鏡をかけた女性は、会長の奥さんであるという。
会社の法務部を担当している役員らしいが、同時に財務部門も見ている。
それが優姫にアドバイスをしてくれていた。
今年の優姫の収入は、色々とひっくるめて4億以上になる。
だが去年と比べても、税金の額が圧倒的に巨大になった。
「こんなに引かれる……」
「半分以上が税金になりますね」
日本の累進課税は、数億を稼ぐような人間にとって、悪魔のような制度である。
もっとも国内インフラなどを考えると、それぐらいないと困るのであるが。
夢の中の自分は、こういうことには疎かった。
色々と任せられる人間が周りにいたからだが、今はそんな立場ではない。
去年も去年で、かなりの税金は払ったものだ。
しかし今年は半分以上が、税金でもっていかれてしまう。
「ひどい……」
「だからもっと経費を使ってもいいんですよ。移動や宿泊についても、そこでの体のメンテナンスのマッサージなどでも、アスリートなら経費計上出来ますから」
頷く優姫だが、あまり高い買い物などはしたくない性質なのだ。
贅沢をすることに抵抗がある、と言ってしまってもいい。
パーソナルトレーナーなどを雇って、そちらに金を使うのも手だ。
もちろんただ贅沢をするなどというのは違うが、自分のパフォーマンスを最大に出すために、ケアをするのは当然のことなのだ。
「あとは天海さんの場合、騎手本人が代表のマネジメント法人を作ればいいんです」
慣れたように話すが、実際に慣れているのだろう。
「家族を役員にして、役員報酬を払うことによって、自分一人に集中していた高い税率を分散出来ます」
「それは脱税にはならないの?」
「最初はそう思いますよね。私もそうでした」
うんうんと頷いてくれるあたり、会長夫人は愛想がいい。
進上金に関しては、騎手本人に払われるもので、これを法人の収入とすることは出来ない。
だがスポンサーやCM撮影などに関しては、会社の収入と出来る。
すると法人税が30%までに抑えられる。
あとは退職金の積み立て、遠征時に実費とは別の日当などという名目で、会社は経費にして本人は非課税で受け取れる。
あとは生命保険などもある。
積み立て型にしておけば、将来のために実質的には貯金が出来る。
かなり単純に計算したが、合計でおよそ4000万円ほどの金額が、手元に残る現金として増える。
「去年の内にしておけばよかった……」
「来年のためにしておきましょうね」
年始からはしばらく、大きなレースはないのだ。
「そのためにはまず、家族の方に役員になってもらって、法人の体裁を整える必要がありますね。登記申請などの詳しいことはさすがに、私も専門ではありませんけど」
「感謝します」
本当に親切にされたものである。
いくら莫大な金をかけたとしても、最強の馬を作ることは出来ない。
だが最強の馬を作れる可能性は、上げることが出来る。
「くたばれ資本主義」
そんなことを言いながらも、年末から年始にかけて、優姫は調べ物もしたのである。
エージェントを雇った時に、これらのことは全てしておくべきであった。
そのあたり優姫は、ブレインに恵まれていないと言うべきか。
馬を走らせること、走る馬を見抜くこと、走れるように育てること。
こういったことには自信がある。
そして牧場経営にしても、馬の世話をすること自体はいくらでも出来るのだ。
しかし金銭的な問題や、従業員を使うということ。
これには色々と足りない部分がある。
さしあたって関西に戻った優姫は、厩舎で年末を過ごす。
年明けからすぐに、またレースはあるのだ。
ただ今年は用事もあるので、数日は実家でもある団地に帰る。
年末に何頭か、お手馬にした牝馬もいる。
牝馬は牝馬で限定のGⅠがあるため、そちらのお手馬もあった方がいい。
ただSSRCは基本的に、牡馬を多く所有している。
生産に関わるならば、牝馬にも手を出すべきなのだが。
育成に特化した牧場というのは、基本的に牝馬を必要としないのだ。
今年の2歳になる牝馬は、鳴神厩舎にまた入ってくる。
それもまた外厩とのやりとりで、調教していくことになる。
将来的に生産牧場をするなら、繁殖牝馬が最初に必要になる。
五代のような大規模牧場ではないのだ。
生産と育成までをするような、そういう牧場にしてしまいたい。
種牡馬の導入は、基本的にリスクの大きな勝負となる。
もっとも優姫はリスクについて、徹底的に排除するというタイプでもない。
「というわけで役員になってほしい」
「あんたこれ、犯罪になったりしないの?」
実の母親であっても、こんな言い様である。
優姫の父親は、どういう人間であるのか知らない。
そもそも離婚しているのだし、あまり興味もなかった。
ここでちょっと優姫が困っているのは、姉である一花が教職についているということだ。
公務員は原則、副業は禁止である。
家業の手伝いなどは一定認められることはあるが、この場合はそれに当てはまらない。
教師なんてやめてこっちの方が儲かるぞ、とも言えない。
基本的に優姫は、姉とはさほど仲が良くないのだ。
「一花の奨学金を早めに返済するためにも、母には私のサポートという形で報酬をもらってほしい」
こういう言い方をすると、母が少しは考えるのを、優姫は理解していた。
他人からのアドバイスであったが。
現在の姉は同じ県内に住んでいるが、教員用の寮に入っている。
そのためこの年末年始に、話をまとめておく必要がある。
母の説得さえすれば、姉はなんとかなるだろう。
仲が良くはないが、決定的に悪いわけでもない。
むしろ無関心に近い、と優姫は思っていた。
教員一年目の二学期は、とても忙しい一花である。
もっとも優姫の方も、忙しくしようとするなら、いくらでもやることが増えてくる仕事だ。
それでもさすがに一人で暮らす母の元へ、年末年始ぐらいは帰る。
去年は一日だけしかいなかった優姫が、薄情だと思われたりした。
「あんたは本当に不器用というか、逆にきっちりしすぎというか」
母は母なりに、ちゃんと優姫のことを理解している。
自分の理解の及ばない娘だ、という感じ方だが。
「それで、実際にどうすればいいの?」
金に関しては現実的な母である。
娘が競馬の騎手になってしまった。
ギャンブルに関わっているということだが、同時に国家の公営ギャンブルでもある。
それよりは体操で認められていたのだから、大学までその特待生なりを狙ってほしい。
昔はそう思っていたものである。
だがテレビを見れば、あるいはネットを見ていても、普通に娘が出てくるし、娘の名前が出てくる。
そもそも天海という名字の持ち主は、日本でも1000人前後しかいない。
そのためあの子が、天海さんの娘さん、というのは周囲の誰もが知っている。
元はどうやら鹿児島にある、奄美大島にルーツがあるらしい。
優姫が競馬学校に入った時も、少しは取材を受けた。
またGⅠを勝った時なども、取材があった。
そして今年になってからは完全に、国民的なスター扱い。
なんでうちの娘が? と思ってしまう庶民である。
確かに子供の頃から、なんだかおかしな子だなとは、一花と比べて思ってはいた。
勉強も出来たしスポーツも万能で、ただ人間関係に難があった。
本人としては自分なりに、やるべきことはやっていたのだが。
母はまだしも姉は、優姫に対して責任など持っていなかった。
優姫も優姫で、手間のかかるタイプの問題児、ではなかったので二人の関係は薄い。
娘二人が社会人となって、母は一人暮らし。
なんなら母に栗東の近くに来てもらってもいい。
だが母は母で、こちらでの暮らしがある。
親戚はもういないが、それでも結婚するまでは住んでいて、離婚後も住んでいた町。
優姫にとっては日高がそう感じるように、母もそう感じるのであろう。
他人に対して不干渉。
親を他人と思うのはどうかと思うが、優姫はそういう人間であった。
年末年始であっても、教師という仕事は忙しいらしい。
「あんたがちゃんと戻ってるなんて、珍しいね」
一花の言葉はいちいち、皮肉めいている。
優姫が気にしないので、特に問題にもならないのだが。
家族三人で過ごす年末は、実に五年ぶりとなるか。
競馬学校の騎手過程は、基本的に年末年始も休みはない。
そのため三年間は、一度も帰ってこなかったのだ。
むしろ栗東に所属したため、少しは顔を見に帰ってくることは出来るようになった。
それも出来るだけ馬に時間をかけたい、薄情な優姫であったが。
そして母からの提案にも、渋い顔をした。
「確かに奨学金の返済はあるけど、そこまで困ってるわけじゃないよ」
「いくらぐらい残っているの?」
「……40万」
優姫が重賞に乗れば、一日で普通に稼げてしまう。
だが教員の一年目ともなれば、月に少しずつ返していく、という形になる。
これでも母子家庭の一花は、かなり制度の恩恵を受けたのだ。
しかも子供二人世帯であり、優姫が騎手になった最後の一年までは、ほぼ無料となっている他、むしろ給付金まであったりする。
もっともその中から、交通費や生活費などに、色々と金銭はかかったのだが。
「だから別に、お母さんに払ってもらう必要もないよ」
このあたり一花は、優姫よりはまともというか、人間的であろう。
教師の給料は、それほど高いとも言えない。
だが無利子型の奨学金であっただけに、二年もあれば充分に返せるのだ。
優姫が授業料無料の競馬学校に通ったことは、家計としてもとても助かっている。
このあたりの制度に関しては、色々と調べたのが母子家庭の娘である。
おかげで大学時代、少しは遊ぶことも出来たのだ。
姉のことは現実的というか、少し悲観的に未来を見ているな、と思っていた優姫である。
だから競馬学校の入学に関しても、むしろ母以上に反対するところはあった。
進学先も京都ではなく、無難に県内の公立を選んだのは、経済的な理由による。
「一花が本当にやりたいことがあるなら、今からでもやってもいい。私が援助出来る」
「あんた、ちょっとちやほやされてるからって、いつまでもそれが続くとは限らないんだからね」
「続く可能性を考えるから、今のうちに使えるものは使うのだけど」
このあたりはお姉ちゃんとしての意地があるのだろう。
長女だから耐えられた。長女じゃなければ耐えられなかった。
本当に子供の頃は、ぼんやりとしていた妹を、しっかりと世話していたはずなのだが。
人間というのはプライドがある。
無用のもの、と切り捨ててしまえば、その人生は美しさを失う。
もしも一花が本当に、困窮していたりするのなら、それは助けてもらうべきであろう。
だが優姫が稼ぐようになったからといって、それにすがるようでは、人間としての強度が下がる。
そのあたり無駄に打算的なところもある優姫は、思い至らない。
人間の複雑さは、馬の複雑さを上回る。
それは人間が高度な、社会的な生き物であるからだ。
母はもう少し、楽な暮らしをしていいだろう。
あるいは贅沢な暮らしと言おうか。
実際にそれで、優姫の収入が下がるわけではない。
取られる税金を、少し安くすることが出来る。
あくまでも合法的な範囲内でだ。
久しぶりの家族三人の話だが、あまり暖かいものにはならなかった。
もっともそれはずっと前から、優姫は感じていたことだが。
自分の中のもう一人の自分。
それはほぼ今は同化してしまったが、家族の変化というものに、何も気づかなかったわけもないだろう。
赤の他人が、半分入っている。
それを育ててもらったのだから、少しぐらいは還元すべきだ。
そんな優姫の考え方こそ、ある種の傲慢さというか、人間の複雑さを無視したものである。
優姫が目標とする、生産牧場への道。
それを考えるなら少しでも、金はそれなりに残しておきたい。
合法の範囲内で節税できるなら、それを拒否する必要もないだろう。
やがて母が亡くなった時に、その金銭は娘たちに渡る。
それはまだずっと先のことであろうし、あるいは病気にでもなれば残らない。
そういったものを全て考えても、優姫は合理的になっている。
(この子は本当に)
母親として見ても、実の娘であるが、優姫のことは分からない。
だが彼女なりに考えているのだ、ということはせめて分かってやる。
それが親心というものであった。
※ 賞金について
現在の有馬記念の3着賞金は1億2500万円である。
近未来を舞台とし、この数年の賞金の上昇を考えると、これはおかしな金額ではない。




