第50話 グランプリを見つめて
ダービーと有馬記念は特別である。
これは日本の競馬の中で、誰しもが感じていることだ。
レーティングなどを考えるなら、ジャパンカップの方が上。
それでも年末の締めくくりとしては、有馬記念が存在するのだ。
他の多くのスポーツも、ウィンタースポーツ以外はあまり競合することはない。
日本人の日常に溶け込んだ野球などと比べても、年末の有馬記念は特別。
とんでもない金額が賭けられる、という点でもギネスに残る。
普段は競馬場に来ないような層も、年末年始の休みの関係で、この日だけは来たりもする。
もっとも年末最後の競馬は、地方競馬の東京大賞典になることも多いのだが。
今週の中山で行われるのは、まず中山大障害(※)。
競馬というと平地レースと思われがちだが、実はヨーロッパでは障害の方が人気があったりする。
優姫も障害の免許ももちろん持っているが、これまでに乗ったことはほんの数回。
体重制限が比較的緩いので、大柄なジョッキーや男性ジョッキーが乗ることが多いのだ。
優姫の場合はその体重を活かして、もっと軽いレースに乗れ、ということである。
競馬学校では普通に、障害の練習もしたものだ。
むしろ馬と息を合わせるという点では、障害の方が難しいかもしれない。
馬も障害レースは、能力よりも経験や知能が重要となる。
あとはジャンプを繰り返すスタミナであろうか。
去年はこの次の、ホープフルSでシュガーホワイトで戦った。
シュガーホワイトは来年から、ルージュ・バレーで種牡馬として供用される。
やがてその産駒に、優姫が乗ることもあるだろう。
血統が五代内アウトブリードで、キングカメハメハもディープインパクトも持たないシュガーホワイト。
かなり成功する条件はそろっているが、本当に成功するかは分からない。
お手馬と言える3頭が、全てステイゴールド系。
不思議な話もあるものだが、別に他の系統の馬に乗らないわけでもない。
(サンデーサイレンスとキングカメハメハが、やっと薄まってきた)
生産的な立場からすると、日本の馬産はそういう段階である。
サンデーのクロスがあって、その母系にノーザンテーストやトニービンがいたりする。
キングカメハメハの後継も、おおよそはサンデーを母系に内包する時代。
血統の閉塞を考えてしまうのは、ジョッキーに必要なことではない。
土曜日は8レースに乗って2勝。
掲示板にも入ったので、充分な結果と言えるだろう。
エージェントを雇ってから明らかに、騎乗数は増えたし馬質も悪くない。
何よりもこの日、最終レースのグレイトフルステークスに乗れたのが大きい。
このレースは翌日の有馬記念と、全く同じ条件で走るレースであるのだ。
日本の造園技術は進歩したが、それでも有馬記念は真冬。
どうしても芝が荒れるのは仕方がない。
かつてのレース映像などを見ると、完全に枯れた芝の中での競走となっている。
そのため馬はかなり、外側を走っている映像がある。
優姫はこのレースで、有馬記念の感覚を確かめたと言っていい。
レースの着順では8着と、あまりいいところはなかったが。
優姫であっても最下位になることはある。
一つでも上の着を、と頑張ることは当然であるが。
レース中に故障でも発生すれば、さすがにそこで止まるのみ。
馬は高い買い物だ。
競走馬になるまでに、ものすごい手間暇がかかっている。
そんな馬をも、簡単に何頭も買ってしまう馬主もいるが、生産する側としては可愛がって育てたものだ。
不可能であることは分かるが、出来るだけ勝ち上がらせてやりたい。
少なくとも自分に縁があった馬は。
そのために女性斤量があるとも思っている。
重賞を勝つような馬は、そうそう出るものではない。
馬主も生産者も、目の前の1勝がほしくなる。
それが無理でも好走していれば、飼葉代ぐらいは稼いでくれる。
1勝して勝ち上がり、そのクラスで着を拾うというのは、それなりに難しいものだ。
オーナーブリーダーであると、どうしても稼ぐことが重要になってくる。
一日8レースをこなして、体がバキバキになっている優姫。
実は調整ルームにおいても、マッサージ師やトレーナーによるケアを受けることが出来る。
だがそれよりはゆっくりと風呂に入り、ストレッチなどで体をほぐす方がいい。
そもそもそういったマッサージ師などは、ベテランが優先して使う。
また女性騎手の場合、男性に体を触られることを嫌うこともある。
優姫は気にしないが。
この開催において優姫は、49kgに体重を増やしている。
それで充分に乗れるレースを選択していたからだ。
特に二日目には、しっかりと調整を行うことが出来る。
有馬記念は56kgが3歳牡馬の斤量。
水分などもしっかりと補給して、万全の状態で戦うのだ。
優姫にとって有馬記念はJRAにおける年内最終戦。
出走する馬にしても、これで引退などと決めている馬もいたりする。
この日のオッズは絶対的な1番人気がいない。
モーダショー以外にも人気は分散していて、一番人気はなんとGⅠ未勝利のフォーリアナイトのタイミングすらあった。
なんと言ってもモーダショーは、中山は初めてであるのだ。
外枠を消していって、距離適性が合っていない馬も消していく。
中山に合っていない馬や、2500は長い馬は、香港に行くのは21世紀以降の流行。
昔に比べて、人気上位の馬が大挙して、これに出てくる時代は終わった。
だが引退を予定している馬は、やはり最後には有馬記念に出たい。
そう考えることは普通のことなのだ。
昔なら中距離馬のテラスミュージックなどは、有馬記念には出てきてもおかしくなかった。
だが今はもう、香港カップに出るようになっている。
その好敵手ウエストレインボーは、同じ香港のマイルGⅠに出ている。
GⅠレースに何度も顔を出しても、重賞勝ちは二つか三つ、という馬が増えてきた。
しかし有馬記念は5着でも1億近い賞金となる。
海外遠征をするぐらいならば、という中途半端な強さの馬が残るようにもなった。
優姫は生産者の目に立ってしまう。
それも今ではない、はるか昔の生産者の目だ。
代替種牡馬がなくなってきた時代。
血の閉塞を止めるために、五代は様々な努力をしている。
日高の組合もそれなりの努力はしている。
その結果の一つが、モーダショーとも言えるだろう。
スプラッシュヒットはこれまで、それなりの重賞馬を送り出してきた。
だがチャンピオンディスタンスとも言える2400やそれ以上の距離では、ほとんど重賞勝ちはない。
しかし初めてモーダショーが3000mの長距離GⅠを勝利した。
牝系の組み合わせによっては、ちゃんと距離のこなせる産駒も出る、ということだ。
優姫以外のジョッキーが、その適性を正しく理解していたか、というと疑問が残るが。
テレビを見ていれば、有馬記念に関する番組もあった。
ブラッドブレイカーがいなくなったので、むしろ人気は落ちるかと思われた。
だが番組の内容では、これで優姫が有馬記念を勝つ可能性が、高くなったと言われたりもしている。
(そんなに甘くはない)
もっともオーナーがしっかりとテレビに出ていて、その期待を話している。
GⅠを勝っている4歳馬や5歳馬もいるのに、モーダショーが1番人気になりそうな状況。
これは優姫に対する期待の表れであるのか。
五十嵐も他のお手馬の中から、フォーリアナイトを選んでいる。
そのあたりから今年の3歳は強いと思われているのか。
もっとも皐月賞馬もダービー馬も、出場しないレースであるが。
日曜日には乗るレースがあるので、穂乃果も調整ルームに来ている。
他にも女性騎手はいるのだが、どこか優姫のことは遠くに見ている。
女という性別こそ同じであっても、優姫のやっていることは明らかに違う。
穂乃果も今年は10勝以上勝って、重賞にも乗っていた。
だが当たり前だが、GⅠに乗るような実績は残せていない。
若手と女は条件戦。
これを上手く利用して、少しでも勝てばいいだろう。
いい馬に乗ろうと思えば、結局は運に左右されるものだ。
シュガーホワイトと会えた優姫は、間違いなく運が良かった。
それ以降のレースに関しては、間違いなく実力によるものだが。
「なんか筋肉バキバキだね」
腹筋が割れている優姫に向かって、穂乃果はそう話す。
風呂場での会話であるが、それよりも肩回りの筋肉の方が、穂乃果とは別格のものとなっている。
女性らしい柔らかな曲線が、あまり感じられない。
それでも男性に比べれば、体脂肪率を落とすのは難しい。
双方ともに、胸はない。
胸などがあれば馬に乗るのに、重量的に不利になる。
競馬学校でもう一人いた女子生徒は、期間中に胸が大きくなって、それがやめた理由の一つである。
騎乗技術自体は、乗馬を習っていたので、それなりに上手かったのだが。
食事をした時に計ったら、体重は500gほどオーバーしていた。
だが無理に水抜きなどをする必要はない。
48kg前後を維持していれば、充分に女性の斤量特典は使える。
穂乃果の場合などはまだ、4kgも軽く乗れる。
そのため彼女は46kgなのだが、明らかに優姫よりも筋肉が足りていない。
「そういえばこの間、園田に行ったんだよね」
「うん、勝った」
地方重賞の初勝利である。
今は2歳のレースに乗っていて、その中にダート馬もいたりする。
地方の2歳GⅠには、まだ乗る機会がない。
だがダート馬は長く走れる傾向にある。
あとはダート三冠競走などもあるため、ここも稼ぎどころとなっている。
基本的にいい馬は、中央に回ってくる。
だが昔に比べれば、最初から地方のダート向けに、馬を作っている生産者も少なくない。
賞金の高さは南関ならば、中央とそこまでの差はない。
そして預託料が安ければ、そちらに預けた方がいい。
あとは中央のダートGⅠに勝てば、充分な賞金が手に入る。
もっとも金を目当てに馬を持つ馬主などは、そうそうないものだ。
道楽であり、趣味であり、そしてセレブの交流の場として、馬を持つという側面がある。
昔からそうなのだ。
この世界というのは、金の余った人間が、道楽でやってくる。
数年に一頭の馬を買い、その活躍を見るという、奇特な人間もいる。
だがそういった人間は、地方の競馬に多い。
地元の名士として、また本当に趣味として、馬を走らせるのが好きなのだ。
どういった形がいいのか、などとは優姫は判断しない。
しかし今のクラブ馬主の多さは、やがて破綻すると思っている。
一口馬主というのは結局、課金している傍観者にすぎないのだ。
高いクラブ馬が上位に来る、というのはあまり健全ではない。
ギャンブルに健全を求めるのは、かなり間違っているとも思うが。
翌朝は日の出前から、コースに出る。
この日に乗るのは4レース。
全て芝のレースを用意してもらった。
その中には有馬記念と同じ距離のレースが、昨日と同じく一つ含まれている。
少しでも有馬記念を勝つ可能性を、高めるための予行練習。
どのレースも重要なものだ。
可愛い馬を持っていて、優姫をそれに乗せてくれる。
そのことに関しては感謝し、一つでも上の着を狙っていく。
だがメインレースに関しては、やはり集中に差がある。
(有馬記念か……)
あの夢の中で、最後に乗ったGⅠが有馬記念だった。
芝のレースを乗っていって、今日の感じを確かめる。
柵を移動させるので、完全に分かるわけではない。
だがおおよその感触はつかめるのだ。
その中で3レース走ったが、今日は1着はなかった。
掲示板には載せたので、悪いレースではなかったと思うが。
年末の中山はやはり寒い。
これだけ寒い中で行われるレースは、世界的に見ても珍しいだろう。
もっとも歴史に残る、寒さの中でのレースというものはある。
あのサンデーサイレンスが勝ったケンタッキーダービーは、開催が5月であったというのに、ほとんど真冬のような寒さであったという。
この年は5月にみぞれが降ったというのだから、完全に異常気象であったのだろう。
その中で勝つのだから、やはりサンデーサイレンスは、運命に嚙みついた馬であるのだろう。
今日の中山は、かなり芝が軽くなっている。
冬の中山はやや、寒さで馬場が重くなることが多いのだが。
雨が降ったりすることもなく、良馬場で行われる。
モーダショーは基本的に、重馬場が苦手ということはない。
だからといって得意でもない。
得意なのはヴァリアントロアだ。
あれは芝であろうとダートであろうと、パワーのある馬場で強い。
それでいて芝での軽さも持っているのだから、かなり異質な能力である。
前のレースが終わって、いよいよメインがやってくる。
世界で最も、馬券が売れるレース。
(少し寒いな)
発走までは間もなくである。
※1 中山大障害
中山大障害は、毎年12月に中山競馬場で行われる障害競走の最高峰(J・G1)である。
1934年からある伝統のレースであり、走行距離は4100m。
多くの障害を越えていくレースであり、落馬の危険性などもかなり高い。
日本で競馬と言えば平地であろうが、障害の名馬もいれば、障害の名騎手もいる。
ヨーロッパもそうだが馬の引退年齢が高いので、ファンがつきやすいことも特徴である。
※ 一口馬主について
一口馬主は、「お金を払って夢を見る権利を買い、毎月の月謝を払ってその推移を眺める」という仕組みとでも言えるだろう。
だが出走レース、騎手、引退時期を自分で決めることはできないし、口取り・表彰についても 抽選に外れれば、愛馬が勝っても晴れ舞台に立てない。
現在では推し活の一つとでも言えるだろうが、クラブ馬が良血馬を集めているあたり、現在でも否定的な馬主は多い。
やはりいい馬は自分で買いたいものなのだ。
クラブとしてはこれで確実に収入を確保しているのだろうが、将来的には破綻する可能性も高く、クラブによってはいくつも破綻している。




