第49話 砂塵からの帰還
園田競馬場の特徴は、まず当然ながらダートであること。
そして地方の競馬場の中でも、特に小回りの傾向である。
(直線が短い)
早朝の靄の中で、優姫はそれを確認している。
(内側が砂が深い。内枠が必ずしも有利じゃない)
データを見てみると1400mの距離は、それなりにまくりも決まっている。
それでもまず前に出る先行や逃げでないと、勝負にはならないが。
準備してもらった他のレースでは、駒子が一緒に乗るものもあった。
さすがに慣れない馬場で、馬質もほどほどでは、なかなか着を拾うことも難しい。
「ブラッドブレイカー、来年も現役続行やってね」
駒子に先着されて、検量室で待機していると、そういう話題を振ってくる。
「海外含むGⅠ6勝って、普通はもう引退ちゃうん?」
「あれは色々と理由はあるから」
種牡馬として期待はされている。
だが馬主がそもそも、父の代から凱旋門賞に、挑戦し続けていた者なのだ。
親子二代で馬主業という、業の深い血統だ。
他にも理由はある。
「父も祖父もまだ、現役種牡馬だし」
「キタサンブラック系、強いよね」
「特にクラシックは」
ソングオブアースが4歳で引退し、早々に出てきたのがブラッドブレイカー。
間違いなく良血だが、逆に血統が煮詰まりすぎているとも言える。
ここから配合していくには、かなりインブリードの牝馬が多くなってしまうのだ。
「五代はどんどん海外から繁殖牝馬を入れているけど、それにも限界はある」
ヨーロッパ競馬は一時期よりは、まだ回復している。
だが注入された資金は、日本からのものがかなり多い。
確かにソングオブアースの代表産駒ではあろう。
だが父や祖父と繁殖牝馬を取り合い、微妙な立場になるのではないか。
特に重賞のほとんどを、2000m以上で勝っている。
ソングオブアース産駒と言うのは、どれもこれも距離適性が長めであるのだ。
「だからお嫁さんを集めるためにも、凱旋門賞かキングジョージがほしい」
「そういうことなんだ」
ジョッキーは乗るのが仕事だけに、そういった生産現場の事情まで、あまり理解しなかったりする。
ディープインパクトが4歳で引退し、オルフェーヴルが5歳まで続けたのも、そのあたりの事情がある。
サンデーサイレンスが死んで、最高傑作のディープインパクトが、その時点で存在した。
対してオルフェーヴルはクラブの馬ということもあるが、まだ父のステイゴールドが生きていた。
これはコントレイルに関しても同じことが言える。
ブラッドブレイカーにしても、まだまだ父や祖父から、いい産駒が出るだろうという話なのだ。
また違うレースに乗った。
やはり下手に内側を走ると、脚が抜けなくなる。
掲示板には乗ったものの、これが中央のトップジョッキーか、という話にはなってくる。
「普段とは勝手が違うやろ」
楽しそうに語りかけてくるのは、天馬であった。
優姫は自分の名前も相当、競馬っぽい名前であるとは思っている。
だが天馬には負ける。
その天馬は名前負けしそうであるが。
今日初めてこのコースを体験する騎手が、庭としている騎手に簡単に勝てば、それこそ問題であろう。
「有馬記念、1番人気になるんちゃうか?」
それは確かに懸念していることなのだ。
1番人気などになってしまえば、絶対に他馬からのマークも強くなる。
考えていた作戦が使えなくなるが、逆に言うとさらに、あれ以外では勝ち目がなくなる。
優姫の今年の獲得した進上金は、既に2億を超えている。
それ以外の仕事も入る予定だが、半分ほどは経費と税金で持っていかれる。
(考えてみれば園田のジョッキーは、五割増しぐらいでは乗ってるか)
経験を積むだけであれば、地方の方が乗れるレースは多くなったりする。
中央と違って、土日開催に限定しているわけではないのだ。
賞金に関しては、圧倒的に中央であるが。
かつて地方のトップジョッキーが、中央に移籍して大きな数字を残した。
ある意味では外国人ジョッキーに、似ている部分があると言えるだろう。
ただ駒子や天馬を見ていると、一日にそこまでのレースには乗っていない。
また園田の場合は、一日に乗れるレースの数が、原則8レースまでとなっている。
優姫の場合はエージェントが付いて、徐々に乗鞍は増えている。
だがまだ一日に、10レースも乗るということはない。
それでリーディングの上位にいるのだから、逆に化け物であるとは言える。
天馬の乗ったレースも、優姫は見ていた。
分かっていたことだが、やはり前残りが多いレースである。
テンから飛ばしていって、先行逃げ切り以外はまずない。
アメリカの競馬に似ているところはある。
またコーナーをどれだけ小さく、スピードを落とさずに曲がれるかも重要だ。
日本馬がアメリカのブリーダーズカップのダートレースに勝つようになって、それなりの年月が過ぎている。
そして改めて確認したのは、日米のダートの違い。
アメリカのダートはむしろ、日本の芝の性質に近い。
パワーのあるダート馬ではなく、むしろスピードに振り切った馬の方が、あちらのダートでは通用する。
「一番人気はいらないな」
優姫が望むのは、分かっている。
「ほしいのは1着だけ」
最優秀3歳牡馬を、狙っていくのだ。
準備してもらった乗鞍で、勝つことは出来なかった。
おおよそ人気通りの決着で、やはり天才だなどと言われていても、俺たちの庭では勝手が違う。
そう思ったジョッキーは多かっただろう。
しかしそれすらも撒き餌であった。
地方のレースをいくら勝っても、さほどの賞金になるわけではない。
むしろこの重賞のためにのみ、準備をしてきた優姫。
息が合った馬でないと、簡単にゲートからハナに立つのは難しい。
そして優姫はこの日、メインの重賞だけは、あっさりと勝った。
それまでの観察と騎乗で、修正して出した結果である。
斤量が54kgというのも、中央からの参戦馬としては、かなり軽い斤量である。
スタートから完全に、逃げていった。
小回りのコースを少しだけ、外を通っている。
スタミナをロスする砂が、やや浅くなっているところ。
それでいて膨らみすぎない、スピードのロスのないところ。
ストライドのロスがないように、優姫は回っていた。
最後の直線になると、全力で追っていく。
ほぼ最初から先頭に立っていたのに、垂れてくるということはなかった。
腕力で無理やり、最後まで馬を動かす。
決着はクビ差で、優姫の乗った5歳馬が、地方で重賞を初勝利。
芝からダートへの転換が上手くいった。
よくあることではあるが、ダート初挑戦で、それを達成させた優姫である。
地方の馬はあくまでも、地方の馬。
別にこのレースに挑んでいるJRAの馬は、優姫のものだけではない。
ただそういったダート馬は、もっと斤量が重かった。
ダート初挑戦のために、軽い斤量で乗ったレース。
しかも体重48kgをキープしているから、その軽さにも簡単に対応出来た。
重賞の天海は切ってはいけない。
もう中央では散々に、言われていることである。
実力が足りない馬でも、少しでも上の着順に持ってくる。
そして今回の場合は、それがわずかな差の1着になっていた。
軽く乗れるからこそ、ここでは勝てると考えていた。
だが事前の想定よりも、ずっと僅差の決着であったが。
ここからダートに転向していけばいい。
おそらく次からはもっと、ダートに慣れて走れるだろう。
次にダートで使えそうな重賞は、京都開催になる。
距離が少し伸びるが、果たしてそれがどう響いてくるか。
愛馬の重賞勝ちに、喜び優姫の手を握る馬主。
スワンSの敗北を、見事に取り返した形になった。
一番美味しいところを持っていかれた。
一番大事にしなければいけない、JRAの騎乗馬に乗った上で。
負けても平然としていたが、勝っても平然としている。
負けて当然、勝って当然という態度。
「重賞だけはきっちり勝ちやがった」
その同じレースで、3着に入ったのが天馬であった。
普通に馬の差であるので、悲観することはないだろうと優姫は思うが、少年は敗北から立ち上がるのだ。
レースが終わって着替え終われば、すっかりと暗くなっている。
これから優姫は栗東に戻り、そして明日はまた関東に向かわなければいけない。
有馬記念以外にも、土日で14レースを乗ることになっている。
やはり関東での開催は、比較して多くなってきていた。
「次はレディースジョッキーズシリーズで対戦したいな」
駒子はそう言っていたが、その時期はJRAでもGⅠレースが多くなるシーズンである。
優姫はそんな暇があれば、お手馬に調教をつけているだろう。
どうせなら、と優姫は考える。
「今度はそちらが中央に参戦してくれればいい」
そう言ったのだがこれは、相当に厳しい話である。
「おう! 中央の賞金取りに行くからな!」
元気にそういう天馬であるが、なんだかんだ親しくなっていた。
たった一日であるが、地方で乗った意味はあると思う。
園田の馬は厩舎から、競馬場への距離が近い。
だから長距離輸送に慣れた馬は、あまりいないのではないか。
おそらくJRAに乗りに来るより、転厩する方が勝算は上がるだろう。
ただ馬の適応力は、それぞれに違う。
園田の庭で育った馬が、果たして長距離の移動に、適応できるようになるか。
そのあたりも問題であるが、そこまでは優姫の保証できることではない。
兵庫から栗東まで戻るのは、新幹線から在来線に乗り換えたりと、少し面倒ではあった。
だが途中で有馬記念の枠順が、決まったニュースが伝えられる。
(3枠……)
外枠であったら、その時点で終わりであった。
有馬記念の大外から勝つなら、むしろヴァリアントロアの方が可能性はあるのかもしれない。
それでも2500mは、限界だろうと思えるが。
厩舎からは既に、モーダショーは移動している。
中山2500mのコースを、どうやって攻略するか。
15頭のレースは有馬記念の場合、考えることが多い。
後ろから行く馬が多頭数であった場合、大外枠からならどうなるのか。
むしろ最後の直線だけで抜ける馬なら、勝てるのかもしれない。
それで負けたのが、2005年のディープインパクトなのであろう。
ただ先行から最後にすっと差すのは、勝ちパターンの一つである。
駅までは美奈に送ってもらえた。
「頑張ってね」
その言葉がプレッシャーを与えるものではないと、美奈はもう分かっている。
「勝っても負けても、月曜日に戻ってくるから」
確実には勝てないと、優姫も分かっている。
だが勝算はある、と計算しているのだ。
本当の手荷物だけで、新幹線で中山に向かう優姫。
金曜日の早い時間帯には、もう到着していた。
調整ルームに入る前に、モーダショーの担当である小田川に、状態を確認する。
ジャパンカップでも移動時には問題なかったので、今回も特に問題はなさそうであった。
しかし中山で走るのは初めて。
そのあたりがどうなるのかは、優姫にも分からないことである。
調子は悪くないと言うか、モーダショーはいつももっさりとしている。
だからジョッキーがどう乗ってやるか、それが重要なのだ。
園田に行く追い切りでは、かなり弱めの調教であった。
今年もう10走目ということもあるが、菊花賞からジャパンカップは、強度の強い競馬をやってきたのだ。
(まあ乗れば分かる)
背中の感覚で、優姫に教えてくれるだろう。
有馬記念に出走する3歳牡馬は、56kgで乗る。
優姫の現在の体重は、48kgで何も問題はない。
他のレースにも乗っていくが、おおよそは条件戦でそこまで絞る必要もない。
優姫が女性の斤量特典で乗るのは、もう反則のようなものでは、というこれはやはり大きいが。
実際にある程度の成績を残している場合は、女性騎手でも斤量特典をなくすべきでは、という意見は出ている。
だがそれが通る可能性は低いだろう。
JRAは優姫に勝ってほしいのだ。
順調に馬券は売れているものの、ブラッドブレイカーの敗北により、今年もまだ日本競馬は欧州の最高峰にたどり着くことは出来なかった。
皐月賞と菊花賞を勝った優姫は、国内の競馬を盛り上げてくれた存在。
確かに条件戦では、優姫は有利に戦える。
だが重賞ではむしろ不利であり、そしてトップジョッキーたちはそれが分かっている。
競馬は競技ではなく、興行である。
だから注目が集まって、馬券が売れてくれないと困るのだ。
分かりやすい公平性のために、優姫の斤量特典をなくすこと。
それでリーディングの順位が下がることを、JRAは恐れている。
(なくなってほしいんだけど)
優姫としてはその方が、もっと筋肉を付けられる。
どのみち今は重賞では、特典の意味がなく重りが増えるだけ。
ならば筋肉でその2kgを増やしたい、というのは当然のことである。
中山の調整ルームは、そこまでぴりぴりとはしていない。
同じお祭り騒ぎでも、やはりダービーとは違うのだ。
オーナーが言えば、甲子園の決勝と、プロのオールスターの違いとでも言うかもしれない。
その表現は実は、非常に的確であろう。
3歳の一度きりのレースは、高校生の甲子園に似ている。
古馬のレースはまさに、プロ野球なのである。
荷物を置いて談話室に入れば、数人のベテランの視線が刺さってくる。
おそらくその中で、一番意識しているのは五十嵐である。
ブラッドブレイカーとアンドロメダが消えて、人気になったのはモーダショーとフォーリアナイト。
GⅠ馬の中でも複数のGⅠを勝っているような強者は、この時期は香港のレースに遠征している。
そのため3歳馬2頭が、人気になってもおかしくないのだ。
今年は有馬記念が、優姫の乗る最後のレースとなる。
準備してくれた他のレースでは、ファイナルステークスは外すように言っておいた。
全体力を有馬記念に注ぎ、モーダショーを走らせる。
(グランプリか)
おそらく来年には、宝塚記念に出走することもある。
まずはその前に、春の天皇賞が最大の目標であるが。
この適性の少ない中山で、どこまで走らせることが出来るか。
それが優姫のモーダショーに対する課題となっている。




