第48話 もう一つの戦場
年間にGⅠを一つ勝てば、そのジョッキーは優秀である。
まして若手が勝ったならば、どんどんと回ってくる馬の質は上がっていく。
かつてと比べれば間違いなく、実力主義になっているはずだ。
だが完全に実力主義化というとそうでもないし、むしろ実力主義に過ぎればジョッキーの数は減る。
実際に20世紀に比べると、JRAのジョッキーは減っているのだ。
そんな優姫の、今年三つ目のGⅠ勝利。
ハナ差で勝った朝日杯であった。
おそらく3cmほどの差であるが、それでも勝利は勝利。
これで通算のGⅠ勝利を4勝とした。
今年の残るは兵庫の地方重賞と、有馬記念。
二年目はこれまでに、重賞を六つ勝っている。
これは間違いなくトップジョッキーの数字。
しかもうち三つがGⅠとなると、絶対的に勝負強いとも言えるだろう。
最終的に有馬記念には、ファン投票第3位で出走することになりそうだ。
だがその有馬記念の直前に、出走を取りやめた陣営がある。
ファン投票第1位であり、人気も一番間違いなしののブラッドブレイカー。
最終追い切りを前に、歩様が乱れているのを確認したところ、きついコズミが確認されたのだ。
「モーちゃんは頑丈でいいねえ」
背中の上でそう言うと、モーダショーは気だるげな視線を向けてきた。
栗東に戻ってきて、いよいよ最終追い切り。
だがあまり強く時計を出すことはしない。
菊花賞から中四週でジャパンカップ、そこから中三週で有馬記念。
最近の競馬としては、かなりの強度で使ってしまっている。
しかしSBCファームから戻ってきた時には、完全に回復していた。
療養も兼ねているだけあって、たいした設備であるのだ。
ブラッドブレイカーがいないと、本命がいなくなってしまう。
あるいはモーダショーにも優勝の目が、などとも思える。
ただ有馬記念は、中山2500mのトリッキーなコース。
外枠を引いてしまえばいきなり終了、などという可能性もあるのだ。
(運か)
少なくとも悪くはないな、と思っている優姫である。
有馬記念の前には、色々とイベントも行われる。
枠の抽選などもそうなのだが、優姫はその日に園田でお仕事。
とても残念なことであるが、オーナーか調教師に行ってもらうことになる。
おそらくは関東在住のオーナーが、やってくれるのであろう。
元からテレビに映るのには、慣れている人間であるのだし。
秋天からジャパンカップに有馬記念の、中央競馬中長距離三連戦を、秋古馬三冠路線とも言う。
最強馬クラスの馬でも、なかなか全ては勝てないものだ。
最初に達成したのは、世紀末覇王テイエムオペラオー。
2000年の中長距離GⅠ全5レースを制覇したのみならず、他の重賞も含めて年間8戦全勝。
その後には、こんな実績を残した馬はいない。
今年のモーダショーは、出走したレースの数ならば、それを上回っている。
未勝利戦、未勝利戦、1勝クラス、青葉賞、阿寒湖特別、丹頂S、京都大賞典、菊花賞、ジャパンカップで9走しているのだ。
昭和の競馬じゃないんだぞ、などとも言われている。
しかしレースで鍛えないと、すぐに太るのがモーダショー。
毎日の曳き運動の多さに、優姫も手を貸すぐらいであるのだから。
なおオグリキャップも3歳時に10走しているが、その全てが重賞で8勝しているので、ちょっと比較にはならない。
地方の馬であると確かに、毎月どころか月に二度走る馬も珍しくはない。
だが現代の中央で、しかも芝のオープン馬が、ここまで走るのは珍しい。
しかし菊花賞からこっち、モーダショーの人気が高まっているのは確かだ。
皐月賞馬は引退、ダービー馬はようやく復帰への調整中と、完全に3歳代表のようになっている。
もっともあと1頭、主役クラスの人気を持つのがいる。
GⅠ四連続2着のフォーリアナイトである。
ファン投票では僅差の4位。
春から走っていることを考えると、有馬で勝てば一気にライバル関係になるかもしれない。
ジャパンカップでは先着していることを考えると、実力的にはほぼ互角ではないだろうか。
この2頭を上回る人気が、GⅠ4勝の女帝アンドロメダ。
しかし他にもGⅠ馬が古馬にいる中で、無冠の帝王が第4位というのも、日本人のシルバーコレクター好き体質が影響しているのか。
距離適性の違う馬は、そもそも有馬記念回避を事前に言っているが。
ただフォーリアナイトは、皐月賞はシュガーホワイト、ダービーはメテオスカーレット、秋天ではアンドロメダ、ジャパンカップではブラッドブレイカーと、強い馬にばかり負けているのは間違いない。
メテオスカーレットは一発屋だ、などとも言われているが。
ジャパンカップの2着というのが、高い人気になっているのだろう。
「今年の有馬記念は面白いな。ブラッドブレイカーが出てたら、絶対王者をどう倒すかの話になってたんだろうけど」
厩舎で緑茶を飲みながら、競馬新聞を広げる千草である。
それにお茶請けのお菓子を出す美奈。
「モーちゃんで勝てるの?」
「多分勝てないけど……」
「ブラッドブレイカーはどうも、来年も現役を続行するみたいだね」
競馬新聞ではそのためにも、ここで無理をしないと書いてある。
クラシックに加えて3歳時から、古馬混合GⅠを制覇。
海外2勝を含めた、GⅠ6勝の名馬である。
もうここで引退し種牡馬入りしても、全くおかしくはない成績。
万一の事故を考えると、引退させた方が自然ではないか。
「凱旋門賞、取りに行くつもりなんだろうね」
アメリカの最高峰レース、オーストラリアの最大イベント、また中東の巨額賞金レース。
おおよそは制覇した日本馬が、まだ制していない大レースは、ヨーロッパぐらいであろう。
個人馬主だからこそ、出来る蛮勇であろうか。
キングジョージ2着の凱旋門賞3着は、充分な実績であろうに。
「日本馬が勝つなら、もっと適性がないと」
「来年挑んでも勝てないかい?」
「求められている能力が違う」
それは確かにそうだとも言える。
優姫は平日に西へ向かう。
園田競馬場にて行われる、兵庫ゴールドトロフィーに騎乗するためだ。
ダート1400mで行われる、JpnⅢ競走。
賞金は1着がJRAのGⅢに比べて、わずかに低い程度。
このレースに関しては、実は地元勢があまり集まらない。
なぜなら地元の馬のみを対象とした、限定戦が同時期にあるからだ。
ただ他の地方競馬からは、それなりに参戦がある。
おおよそ勝っているのはJRAの馬なのは、やはり強い南関の馬は、兵庫県が遠いというのがあるだろう。
地方のダート重賞を勧めるまで、優姫はそのあたりを知らなかった。
だが知ってしまえば、かなり稼ぎ場であるとも思える。
新幹線とタクシーを乗り継いで、JRAと同じく調整ルームに入る。
何気に人見知りをする優姫にとって、ここは中山や府中以上のアウェイ。
またこちらは向こうを知らなくても、あちらはこっちを知っている。
敵地というイメージになる。
ただこのレースに合わせて、優姫は他に2レースの乗鞍を確保してもらっていた。
勝算は薄いが、コースに慣れるには重要。
またこの園田には、女性騎手もいるのだ。
(う~ん)
割と最近に改修されたはずだが、JRAの施設に比べて、少し古びた印象もある。
貧乏とまでは言わないが、南関以外の地方はこんなものか。
ただ札幌や函館、小倉といったローカルも、似たような印象があった。
おおまかな作りからして、それほど変わっているというわけではない。
そのあたりは事前に調べていた通りである。
「天海さん?」
声をかけてきたのは、髪形をポニーテイルにした女性であった。
「園田の中崎です。案内するので、ついてきて」
「ありがとう」
中崎駒子は、親の代からの園田のホースマン。
父親もまだ元騎手で現在は調教師。
所属している厩舎の調教師も女性という、優姫に似たところがあった。
女性用の区画はちゃんと別になっているが、設備としては小さい。
絶対数を考えれば、仕方のないものだろう。
そして園田の調整ルームは、個室ではなく寮のような部屋となっている。
「女性騎手って絶対数が少ないから、なかなか会えないよね」
「そうですね」
とは言いつつもJRAなら、美浦と栗東で複数はいる。
地方も交流重賞で考えれば、それなりの数はいるはずだ。
単純にまだ遠征するほど、腕がないということなのだろう。
女性騎手だけを集めた、特別競走(※1)というものもかつてはあった。
一度は終了したものの、女性騎手の増加に伴い、また復活した。
さらにもう一度終了したものの、また再開している。
かつては地方競馬所属の女性騎手限定だった時期もある。
今ならば優姫を使って、観客を集めることが出来るだろう。
ただ一年目の優姫は、それには参戦していない。
二年目の今年は、もうそちらに向かうほど、暇な体ではなくなっていた。
勝てるGⅠジョッキーというのは、そういうものなのだ。
ラフな格好から、さらにくつろいだトレーナーの格好になる。
女を捨ててるな、などとはよく言われるものだ。
中崎は女性ジョッキーであるが、髪も伸ばしてそれなりに外見には気を付けている。
人気商売というのは、よく分かっているのだろう。
地方競馬は騎手過程も二年での卒業。
そこから今年で五年目なので、優姫よりは2歳年上ということになる。
同じ重賞にも乗ってくるので、それなりに腕はあるということなのだろう。
ただ兵庫ゴールドトロフィーは、ハンデ戦(※2)なのである。
芝の実績ばかりの優姫の騎乗馬は、54kgの軽い斤量で乗れる。
重賞なので女性の優遇措置はないが、この時点で有利である。
地方競馬でも平場は、女性の斤量特典はある。
そこでどれだけ稼げるかが、女性騎手の生き残りにつながっていく。
「ベテランの人とかに紹介するね」
麻雀卓を囲んでいる、40歳ぐらいのジョッキーが四人。
やはり地方でも、ベテランのおっさんは強いということだろう。
「天海優姫、です」
頭を下げる優姫の様子に、拍子抜けするおっさんども。
中央のクラシックを勝っているような、トップジョッキーには見えないのだろう。
GⅠ競争の最年少記録保持者。
それこそ今年の前半の競馬は、優姫とシュガーホワイトのコンビに注目が集まっていた。
競馬界だけではなく、全国レベルの知名度へ。
そんな人気の絶頂期に、あの空白の日曜日。
沈んでしまっても仕方がない事件であったろう。
だが菊の舞台で、復活したのだ。
ジャパンカップに加えて、年末の有馬記念。
間違いなく秋以降の、大注目となっている。
故障はしたものの、予後不良にならなかったというのが、精神的なダメージを抑えた。
今ではそう解釈されている。
(幼いな)
優姫を見ておおよその人間が、そう思ったのである。
勝負の世界に生きる者としては、あまりにも若い。
そう思ったおっさんどもを、無数に料理してきたのが優姫であるが。
「あとはやかましいのが一人いるんだけど……」
「お、いた! 天海優姫!」
まさに大声を出しながら、小柄な少年がやってくる。
「中央の上品な乗り方では通用せえへん……ぞ……」
言葉の末尾がしぼんでいったのは、駒子が拳を握りしめているのが分かったからか。
「いや駒姉、俺は園田の礼儀を教えてやろうと」
「あんたの礼儀の方が先やろが!」
拳骨が降ってくるあたり、この二人の関係性も分かるだろう。
「一応紹介しとくわ。曽我天馬。恥ずかしいことやけど、これでも園田のトップ騎手やねん」
「別に恥ずかしくはないやろ……」
もちろん優姫も名前程度は知っている。
地方競馬はまだ、ベテランの牙城が大きい。
その中で若手として結果を出しているのだから、間違いなく腕はあるのだろう。
また性格的にも、可愛がられる要素がないといけない。
身長は優姫と変わらず、なんだか悪ガキのようなイメージでしかない。
だがそれを小気味よく感じる人間もいるのだろう。
「よろしく」
ぺこりと頭を下げた優姫だが、大舞台での対決はしばらくないだろうな、と思うのであった。
レースに乗りに来た優姫であったが、競馬新聞のニュースがまた驚かせる。
有馬記念に出る予定であった、4歳牝馬のアンドロメダが、回避すると記事になったのだ。
なんでも最終追い切りにおいて、足元に不安が見つかったらしい。
考えてみれば秋天の優勝から、ジャパンカップにも出走している。
秋古馬三冠路線を走るには、やはり苦しかったのであろう。
しかしこれで強い相手がまたいなくなった。
実績だけならまだ、GⅠ馬が数頭いる。
だがこれでは馬券人気で、モーダショーがかなり上に来てしまうのではないか。
(作戦が使えなくなる)
モーダショーは中山向けではない。
それでも枠の運さえあれば、どうにかなるかとも思っていた。
一番人気になると、その作戦が使えない。
一応重賞はまだ、菊花賞の一つのみ。
だがジャパンカップでも好走し、3歳では今のところ筆頭になるのか。
フォーリアナイトも古馬混合のGⅠで2着に2回。
しかし優勝していなければ、モーダショーに先着していても意味はない。
メテオスカーレットが結局、年内の復帰に間に合わなかった。
するとモーダショーが最優秀3歳牡馬を争う相手は、やはりフォーリアナイトだけになる。
(しぶといなあ)
アンドロメダの回避が直前になったため、15頭(※3)での出走となる。
そして兵庫ゴールドトロフィーの当日、枠順抽選会が行われる。
内側の3枠ぐらいまでを取れれば。
事前の作戦を使って、戦うことが出来る。
ただ園田の調整ルームは、優姫が戸惑うことが多かった。
聞いてはいたが園田では、自炊が許されていたりする。
JRAなどと違って、食事の提供が原則としてない。
ベテランの騎手が己の手料理を、後輩に食べさせるという姿が見られたりする。
さすがに提携した業者との間で、仕出し弁当などはあったりする。
昔はもっとアットホームだった、という話も聞く。
考えてみれば現代において、ネットがないという環境では、人間関係が親密になるのはおかしくない。
「天海、麻雀打てるか?」
若い女の子を、麻雀に誘うおっさん。
だがそれで目を輝かせるのが、優姫なのである。
重賞前日の夜に、ベテランたちの阿鼻叫喚の声が響いた。
※1 女性の特別競走
レディースジョッキーズシリーズのことである。
実は2025年にて、二度目の終了となっている。
※2 ハンデ戦
その馬の実力に合わせて斤量が決まる。レベルの高いJRAの馬でも、ダート実績のない重賞勝ちもない馬だと、斤量が軽くなってくる。
※3 15頭
有馬記念は16頭によるグランプリレースだが、出走回避が本当に直前だと、もう16頭目は出られなくなる。
陣営としてもぜひ出たいレースだけに、実際に直前になることは珍しくない。




