第46話 血を継ぐもの、土を蹴るもの
3着に終わった残念会。
だがそれでも賞金は一億円を突破する、日本最高級の高額賞金レース。
菊花賞馬が好走することは、ほとんどないのがジャパンカップ。
そもそも菊花賞から、この間隔で勝負することが、あまりないのである。
残念会と言いながらも、ホテルの式場には随分と、多くの人が集まっていた。
国内の政財界の重鎮に、スポーツ界や芸能界など。
一般的な競馬つながりよりも、さらに幅広いものではないのだろうか。
芸能人などはカジュアルな格好でも、それなりに様になっている。
そんな中で完全に、私服の優姫は異質であった。
一応は今日の場合、ほぼ主賓と言えるのであろうが。
「そういうことで有馬記念の後、CMに出てみない?」
「出ない」
「そう言わず、出演料はこれぐらいで」
「出る」
現金な優姫は、牧場開設のためならば、ある程度の苦労は厭わないのだ。
他に来ている企画として、写真集を出さないか、というのもある。
「芸能人じゃない」
「そうかなあ? モデルか俳優としてなら、けっこう通用すると思うけど」
「私、笑うの苦手」
「写真集なら笑う必要もないと思うけど」
優姫のクールなイメージは、これはこれで需要があるのだ。
最後に一枚でも、笑顔の写真があったなら、クーデレ写真集の完成となる。
ジョッキーはまず、馬を集めないといけない。
今ではエージェントが、その役割を果たしているのだが。
「凄いね。かなりの大物馬主とかもいるよ」
城崎の言葉にも、優姫は曖昧に頷くだけである。
「上手く営業したら、馬主も増やせるかも」
その言葉には魅力を感じる優姫であるが、それが下手なのは自覚している。
昔に比べると今は、個人馬主が少なくなっている。
法人化した、実質個人の馬主も、少なくなっている現状なのだ。
その中で新たに、この馬の世界に引きずり込む。
「やってみる?」
なぜか楽しそうにしているのは、オーナー夫人である。
そのオーナー夫人に連れられて、あちこちに引きずり回される優姫。
およそこの一年近く、優姫の顔は何度もテレビで映された。
世界において重要なのは知名度だ、という価値観がある。
さらに上流にまでなると、知名度さえもが不要、というぐらいのレベルになっていくが。
若くて、女で、無茶苦茶強い。
ついでに言えばルックスも、よく見れば整っている。
優姫のお付きの城崎が、頭を下げながら名刺を配っていた。
人間が多いと疲れる。
馬が一緒にいてくれるなら、それほどのものでもないのだが。
誰もかれもが気を悪くさせると、後に響いてくる人間だろう。
だからといって下手に頭を下げても、八方美人になってくる。
馬主の世界というのは、間違いなく馬主同士の確執もあるのだ。
お手洗いといって、その場を抜け出す。
実際にトイレに小用はあったのだが、鏡で自分の顔を見る。
勧められはしたものの、あまり酒は飲むものではない。
毎レース勝つごとに、厩舎への付け届けはしているのだが。
かつてはビール1ダースだったのが、今ではちょっと違ったものになっている。
若者のビール離れ、などとは言われるが、少しの酒でも優姫はそれなりに酔う体質のようだ。
都内の一流ホテルの設備は、どこも磨き上げられている。
着替えさせられなくて良かったな、とトイレで一息を入れる優姫。
その優姫の感じた気配は、少し人間とは違ったものであった。
「誰?」
入口のところから、優姫を見つめる視線。
あのオーナー一家の中で、そういえば見た顔である。
一斉に紹介されたので、とても記憶してはいられなかったが。
見た感じ年齢は、自分よりも少しだけ上か。
だが若いのと同時に、存在感に華があった。
(普通の人間とは、少し感じが違う)
人間として傑出している、というのとは別のベクトルの力を感じる。
「馬、本当に好きなの?」
「……好きとか、そういう話じゃない」
自分が馬のためにいる、と考えた方が自然であろう。
だから何度となく、やり直すこととなるのか。
あれはもうただの、夢かもしれないと思うようになっても。
人間としての強度がある、というわけではないだろう。
これはもっと根本的に、何かの現象が人の形をしている。
そう、あの1990年の暮れのように。
「貴女のことは、確か何かで見たことがある」
優姫も全く、人間生活を切り離してしまっているわけではないのだ。
「芸能人」
「カノン」
だから聞いたことがあったのか。
調整ルームは外部との通信を、厳密に遮断している。
テレビこそあるものの、ネットにつなぐことは出来なくなる。
そこで登場するのが、骨董品となったラジオや、CDプレイヤーというものである。
レースの前に音楽を聴いて集中する、というジョッキーは一定数存在する。
またテレビ番組だけでは、チャンネル数が少ないのも確かだ。
だから通信機能のないものが、今でも必要とされていたりする。
一時期はもう少し柔軟な運用であったのだが、今では厳しくなっていて、古い時代の物がむしろ、望ましくなっているのだ。
彼女のことを知っている。
白雪のことを知っているように、彼女の歌も知っていた。
(この子も、何かおかしいかな?)
馬のこと以外を、おおよそ切り離してしまったように。
彼女の中にも、音楽が大きな位置を占めているのではないか。
「馬とか買う?」
積極的な優姫に、花音は無表情で応えた。
「買うかもね」
それはうやむやにしたのではなく、遠い未来の約束にも思えた。
栗東に戻ってきた。
また今日から当たり前のように、調教の日々が始まる。
城崎が手配してくれたレースは、むしろ関東に遠征した場合に、メイン以外を埋めてくれていた。
関西は相変わらず、それなりに乗れるレースが多い。
12月に入って、開催は京都から阪神に移る。
場所は大阪と勘違いする人もいるかもしれないが、これまた甲子園と同じく兵庫県なのだ。
しかも甲子園からも近い、宝塚市にある。
年間に行われるGⅠレースは五つ。
しかしその中で権威があり格も高いのは、桜花賞ぐらいであろうか。
他には2歳GⅠが二つに、大阪杯と宝塚記念。
朝日杯もかつては中山開催であったし、大阪杯は歴史が浅い。
古くからは宝塚記念もあるが、八大競走には入っていない。
もっとも日本の場合、レースのレーティングからすれば、GⅠに引き上げることのレースはいくつかある。
札幌記念に毎日王冠あたりは、よく言われるものだ。
優姫としても阪神よりは、京都の方が得意であったりする。
ただ乗る馬によって、向いているコースというのはあるのだ。
重賞に勝てるような馬は、なかなか回ってこない。
城崎が頑張ってくれていても、それには限界がある。
乗るだけであるならば、低人気の馬こそ回ってくるだろう。
二桁人気を何度も、馬券圏内に持ってきたのであるから。
城崎はちゃんと、優姫の事情も考慮している。
どうしても男性に比べると、スタミナなどに劣るところがある。
長距離レースの方が好きで、そのくせスプリントでもそれなりに実績がある。
しかし本人の注文としては、マイル以上の長さが望ましい。
速い展開になってしまうと、最初のダッシュで追ってしまう。
すると握力などが、回復するのに時間がかかる。
一般的な女性に比べると、はるかに高い身体能力ではあるのだが。
優姫が求めるのは、今は牝馬である。
あまり長い距離は向いていないと思うが、牡馬はヴァリアントロアがいてくれる。
しかし牝馬のクラシックには、これまで全く縁がなかった。
牝馬限定の条件戦なら、それなりに勝っているのだが。
基本的に牡馬の方が、牝馬より強いというのは本当だ。
だが牝馬限定のGⅠは、中央だけでも6つもある。
オークスを勝てる牝馬はいないか。
将来的に馬産をする上で、力を知っておきたい牝馬はいる。
日本の血統は、確かに種牡馬が塗り替える。
だが繁殖牝馬は、ずっと昔から受け継いだものがあるのだ。
モーダショーの中にも、シンザンの血が入っている。
どのように配合していくのか、二代三代先を考えていかないといけない。
日本の血統は、ノーザンダンサーとサンデーサイレンスによって、完全に世界トップレベルになったのだ。
12月の日曜日には、まずチャンピオンズカップが行われる。
かつてはジャパンカップダートとも呼ばれた、ダートの国際競走であった。
しかし同じダートでも、日本とアメリカでは大きく状況が変わる。
砂と土、あるいは粉。
ジャパンカップダートであった時代、アメリカ馬が勝った例は一つしかない。
中京競馬場で行われる、数少ないGⅠレースの一つ。
メインで出ない優姫は、そちらに出るわけではない。
この週末に阪神では、土曜日に鳴尾記念が行われる。
時期や条件が色々と変わっているが、伝統のあるレースである。
もっとも優姫はここに、乗鞍を得ることは出来なかった。
一年半以上も乗ってきて、苦手な条件というのも分かってきた。
ダート短距離の新馬や2歳未勝利である。
苦手というのも正確ではなくて、よりスタミナを使ってしまう、というものである。
まだレースの分かっていない若駒に、ダートなのでテンからのスピードが必要になる。
腕力をそこで使ってしまって、後のレースに響くのだ。
折り合いを付けるのが重要な馬やレースでは、勝率が高くなる。
ヴァリアントロアはその中でも、なかなか折り合ってくれない凶暴さがある。
オルフェーヴルから一代を挟んでいるので、凶暴さは減少してもよかろうに。
事実父は、プライドが高いとか賢いとか言われて、そういう方向の気性難であった。
ヴァリアントロアの場合は明らかに、先祖返りのタイプの気性難。
だがそれゆえに爆発力も、先祖返りしているようでもある。
あと幸いであるのは、走るのは好きで、競走するのも好きなことだ。
ヴァリアントロアは短距離が性格的に向いているが、スプリンターの体型ではない。
おそらくマイルあたりの距離が、一番向いているだろう。
だが気質さえ改善されれば、もっと長い距離も走れる。
朝日杯はとりあえず、2歳のマイラーとしては、最高のメンバーが全て出走してくる。
もっともこの時期は、まだ成長途中である。
ヴァリアントロアも成長途中だが、どうせなら精神面も成長してほしい。
チャンピオンズカップの週が終わる。
ここからは2週連続で、2歳GⅠが阪神で行われる。
優姫は2歳の牝馬を、何頭か勝たせている。
だが2歳の頂上決戦、阪神ジュベナイルフィリーズは、騎乗馬はいない。
日本は3歳の春までに間に合えば、それで充分と考える。
もちろん2歳で勝ち上がっていれば、その後のスケジュールも余裕をもって作れる利点はある。
このあたりで周囲からは、色々と有馬記念の話も出てくる。
正確には有馬記念と言うよりも、一年の総決算と呼ぶべきであろうが。
たとえば年度代表馬であるとか。
それはさすがに海外GⅠを勝利し、ジャパンカップも制したブラッドブレイカーであるだろう。
今のところ一番、選考に難儀しそうな部門。
それは最優秀3歳牡馬の部門だ。
例年であればダービーを勝った馬が選ばれることが多い。
特にクラシックが3頭で分けられれば、ダービーの権威がものを言う。
しかし今年のダービー馬メテオスカーレットは、今年は3戦して1勝のみ。
ダービー後は骨折し、そこからまだ復帰できていない。
皐月賞馬シュガーホワイトは3戦2勝。
弥生賞を勝っていて、皐月賞でメテオスカーレットにも勝っている。
モーダショーの可能性が、一番高くなってきた。
なんと言っても、今年は既に9走もしているのだ。
去年の年末の新馬戦、いいところなく敗北。
そして1月の未勝利も、普通に負けてしまっていた。
そして3走目に優姫に乗り替わり、そこから連勝。
だが青葉賞では3着に終わっている。
そこから特別競走に、リステッド競走を勝利。
古馬混合のGⅡを2着で終えて、いよいよ菊花賞で重賞初勝利。
そしてジャパンカップでは、3着に入っている。
9戦5勝2着1回3着2回。
重賞で全て、馬券内に入っているのだ。
あまり参考にならないが、新馬戦でも5着、未勝利戦でも4着と、実は掲示板を外していない。
他に対抗馬と言えるとしたら、メテオスカーレットが有馬に間に合って、勝ったならば確実であろう。
またGⅠ2着が四回もある、フォーリアナイトも有馬記念を勝てば、他のGⅠ1勝のクラシック馬よりも評価は高くなる。
クラシック1勝よりは、有馬記念1勝の方が、基本的に価値は高い。
オグリキャップが代表例であろうが、まあ、あれは重賞に勝ちまくって、秋天も2着に入ってと、普通に出られればクラシックも一つは勝ったであろう。
有馬記念を3歳牡馬以外が勝てば、おそらくモーダショーが選ばれる。
だがここまで負けていても、有馬記念に勝てばかなり、その馬が本命視されてもおかしくはない。
なにしろ有馬記念なのだから、ファン投票で選ばれるのが10頭。
他も獲得賞金の上位が選ばれるのだから、ここまでにある程度の実績は出ていて当然であるのだ。
こういった表彰は、将来の繁殖入りにあたって重要である。
モーダショーの場合、種牡馬になるには菊花賞だけでは、ちょっと物足りないだろう。
だがジャパンカップ3着などで、府中への適性も示している。
またこれだけタフな馬は、昨今では珍しい。
そのためあと重賞を一つでも取れば、どこかで種牡馬にはなれるのではないか。
「シュガー、特別賞もらえるかな?」
阪神ジュベナイルフィリーズが、優姫と全く関係のないところで終わり、美奈がそんなことを言っていた。
最優秀3歳牡馬は、おそらく難しい。
対抗相手が走りまくって、好走しているモーダショーであるからだ。
だが故障での無念のリタイアというのは、確かに選考基準に当てはまる。
また今年の競馬はダービーまでは、確かにシュガーホワイトと優姫の組み合わせ一色であった。
海外で戦っていたブラッドブレイカーよりも、よほど注目度は高かったのだ。
「もらえるんじゃないかな」
優姫自身、三冠はダービーを勝ったら取れると言っていた。
そしてあの直線、最後の故障がなければ。
もしダービーとの二冠であれば、最優秀3歳牡馬もおそらく取れたのだ。
クラシック二冠を取って、最優秀3歳牡馬に選ばれないというパターン。
それはもう現在では、ありえない可能性となっている。
唯一あるのはまだ、外国産馬がクラシックに出られなかった時代のこと。
セイウンスカイが二冠を取ったが、エルコンドルパサーがジャパンカップで勝利したため、選ばれていない。
今年の場合であれば、フォーリアナイトが秋天・ジャパンカップ・有馬のどれか二つを取っていれば、それも逆転したかもしれないが。
もっともその場合は、シュガーホワイトは有馬にでも出て、やはり勝っていたであろう。
あのコースはまさに、シュガーホワイトのためのようなものなのだ。
失われてしまった才能には、人々は哀惜の感情を抱く。
過去の特別賞受賞に、レース中の事故による予後不良馬が多いのは、日本人に特有の感傷があるからだ。
しかしシュガーホワイトは、血をつなげることは出来る。
(シュガーの仔で、ダービーが勝てたらな)
優姫としても少しは、そういった人間らしい感情を持っているのであった。
実際のところ有馬記念はそれまで好走していた馬が選ばれるため、重賞を一つ勝っているぐらいなら古馬の方が選出されやすい。
GⅠ2着4連続のフォーリアナイトは、間違いなくネタとしておいしいので選ばれるであろう。
人気投票の枠が10頭、そして残りの6頭は収得賞金額からの計算となる。




