第42話 エージェントのお仕事
秋は競馬の古馬のシーズン、とも言えるだろう。
実際のところ近年では、輸送技術の発達により、海外挑戦もかなり簡単に出来るようになってきた。
しかし単純に賞金だけを考えるなら、国内だけに専念した方がいいのだ。
それでも海外を志向するのは、単純に血統の閉塞を、国内だけでは解消できなくなりつつあるからではないか。
デイリー杯2歳S。
結局は12頭の馬が集まった、京都での1600mのレース。
2着までに来れば、賞金も充分なので朝日杯を目指す。
そういうつもりで出走したのだが、やはりハナから先頭に立とうとする。
逃げ切ることも出来るかな、とは思わないでもない。
だがとにかく内に入れて、物理的に前に壁を作るのだ。
それでも突っ込みたがるヴァリアントロア。
馬が若すぎる。
(う~ん……ステイの血統が隔世遺伝で出てるのかな)
調教の時は自分で走るので、そこは振り落とされない限り、悪いことはないのだが。
サンデーサイレンスの4×4・5なので、そのあたりの気性が出ているのかもしれない。
(仕方ないか)
3コーナーから4コーナーの半ばで、壁をこじあけるように入っていく。
優姫はわずかに鼻先を変えさせ、上手く馬体がぶつからないようにした。
直線を向いたところで、一番前の一頭をかわす。
京都はゴール前に坂がないため、一気にそのままなだれ込める。
優姫はもう馬なりで、追うこともなかった。
3馬身の差を付けて、ヴァリアントロアが1着。
オープン馬になると共に、年末の予定を朝日杯に向けて使うことになった。
「強いなあ」
重賞ということで、オーナー夫人も見に来ていた。
鳴神厩舎で新馬戦を勝ち、そのままオープン馬になったというのは、初めてのことである。
あのシュガーホワイトでさえ、新馬戦は2着に敗れていたのだ。
後の名馬であっても、新馬戦は負けることがある。
ここまでスムーズに勝てれば、こちらも気持ちがいいというものだ。
今年はこれで重賞が5勝目となる優姫。
(分かっていたことだけど、本当にリーディングに近づいたな)
後検量のために戻ってきた優姫に声をかける。
「よくあそこで行かせたね」
本当ならもっと、仕掛けは遅らせるはずだった。
「走る才能だけはあるから」
それはヴァリアントロアのことなのだろうが、走らせる才能があるのは優姫である。
馬込みの中を走らせたので、そこで少しスピードが落ちた。
だから最後に脚が残って、2着以下をちぎったのだろう。
「モーちゃんに続いて、ロア君もクラシックに勝つんだよ」
オーナー夫人も上機嫌で、馬の鬣をくしゃくしゃと撫でる。
優姫に対してさえある程度、反抗的なところのあるヴァリアントロア。
しかしこのオーナー夫人に対しては、従順であるらしい。
翌日の日曜日には、エリザベス女王杯が行われる。
一時期は牝馬の三冠(※)レースで、最後の一戦であったものだ。
だがこれに関しては、優姫は全くの無関係。
しかし同日の条件戦で、牝馬に一つ乗ることとなっている。
新馬と未勝利を、掲示板に乗った馬である。
女性騎手の斤量特典があれば、優姫が乗ったら勝てるのではないか。
そういう感じで城崎が、さっそく取ってきた案件である。
既に優姫も調教では乗っている。
そして追い切りにも乗ってみて、確かな手ごたえは感じていた。
他にも二頭、同じような条件の牝馬を見つけてくれている。
ただ牡馬に関しては、さすがに難しいのか。
そもそもヴァリアントロアがいるため、大きなレースではかち合う可能性がある。
そういう時のために、ラインが作られているわけなのだが。
1600mの芝のレースを、あっさりと勝ってしまった。
今日はこれで2勝目と、優姫としてもいい感じのレースだ。
11月の間に勝ち上がっておけば、12月にもう一つ勝つか、年明けに1勝クラスを勝ったうえで、重賞に挑戦することが出来る。
牝馬は仕上がりが早い、と言われている。
実際にデータ上も現場の声も、同じように言われている。
だからこの時期の重賞は、牝馬が賞金を積むことも、比較的楽なのだ。
牡馬の方が楽しめる、というのは成熟後の力が関係する。
特にダートや長距離になると、牡馬の方がその成績は上回る。
また牝馬の場合、1勝でもしていればおおよそ、繁殖の道が開けるのだ。
よほどの傑出したものでない限り、牝馬はあっさりと引退することが多い。
特に故障などした場合は、すぐに繁殖入りが決まったりする。
治療するよりはもう、次のステージで繁殖として期待する。
それが牝馬の価値なのである。
エリザベス女王杯は、外から見ているだけのレースとなった。
秋天を牝馬が勝ったように、今の4歳には強い牝馬がいる。
このエリザベス女王杯の翌週が、マイルCSの開催となる。
そこに優姫は上位人気ではないが、乗鞍を用意してもらえた。
有力馬ではなくても、乗鞍が以前より多い。
これがエージェントの力、と言えるのであろう。
条件戦などは優姫の場合、トップジョッキーがさらに2kg減で乗るようなものだ。
千草がやっていてくれたことを、より時間をかけて行うことが出来る。
エージェントの力というのは、本当に便利なものである。
このエージェントというのは、JRAに正式に登録されているものだ。
ジョッキーとの契約内容は、それぞれ異なっている。
優姫の場合は条件戦なら進上金の5%。
特別競走や重賞ならば、10%という契約にしてある。
ただし既に優姫のお手馬である、モーダショーとヴァリアントロアは除く。
ここから新たにお手馬が増えたら、それは調教師やオーナーが直接頼んだものでも、5%から10%はエージェントに渡される。
そうしないと今度は、エージェントの労力が無駄になってしまう可能性が高いからだ。
将来的に海外で走らせるとなったらどうするか。
意外とその機会は近いのでは、と優姫は考えている。
ヴァリアントロアはマイラーであるのは間違いない。
ただスプリント戦となると、これまた微妙なのかもしれない。
(スプリンターならオーストラリアで走らせればいいけど)
オーストラリアはスプリント戦に特化した、かなり歪な競馬と優姫は思っている。
もっともメルボルンカップという、国民の祝日になるレースは、3200mの長丁場であるのだが。
天海ラインは今のところ、三人で構成されている。
25年目のベテラン、長谷川勝平がかちあった時の代理である。
25年で勝ったGⅠは、皐月賞とオークスの二つ。
これを少ないと考えるのは、一部のスタージョッキーにばかり目がいっている人間であろう。
600勝もしていて、経験は豊富。
特に人気薄の逃げ馬に乗った時、勝つことが多いのである。
二つのGⅠは共に、上位人気でない馬で、内から抜け出したり、逃げ切って勝ったものである。
そもそもジョッキーも、勝てなければ早々に引退ということが多い今の時代、25年間も続けているだけで、一定以上の評価があるのだ。
もう一人は今年の新人である田代美夕。
女性騎手を持ってきた。
優姫に乗ってもらいたいが、重賞で別の競馬場にいる場合、乗ってもらうための代役。
ただ一年目の今年、既に10勝しているので、腕は悪くないはずだ。
優姫が重賞に乗っていない時に、条件戦で勝つための騎手。
これであとは中堅どころが一人いれば、上手く回していけるのではないか。
いよいよマイルCSへの騎乗。
10番人気で乗るこのレースに、さりげなく14番人気で乗っている、長谷川がいたりした。
(う~ん、これはどう考えたものか)
同日に東京で、レースは開催されているのである。
城崎の人脈は、伯父からは関西、SBCファームからは関東と、両方に向いているはずである。
エージェント制度に関しては、優姫はあまり馴染がないものなのだ。
これまでエージェントなしでも、勝ってこれたので。
今年の優姫は勝利数を、100勝オーバーに持ってきた。
二年目でこの勝ち鞍というのは、言うまでもなく異常である。
100勝を簡単に達成したのに、条件戦では2kg減で乗れる。
これは競馬の制度の欠陥ではないか、と主張する人間もいる。
もっともジョッキーの側からは、そういう意見はほぼないが。
同じレースにラインから二人の騎手が乗る。
ちょっと公正競馬を疑われそうな気もするが、別に禁止されているわけではない。
(こちらが末脚勝負で、あちらは逃げが得意……)
城崎の考えていることが、なんとなくは分かる。
(京都開催も終わりになってきて、どうしても馬場の状態は内側が悪くなってきてるから)
外から差していく優姫の馬の方が、勝率は高いのか。
ただ穴馬で逃げ馬という、長谷川の得意な条件。
(どっちかなあ)
逃げ馬のいいところは、好きな馬場を走れることである。
現在のマイルは、4歳牡馬の二強が存在する。
マイルの帝王ウエストレインボーに、マイルから中距離までをこなすテラスミュージック。
テラスミュージックは秋天に出走し、枠の不利もあって2着にも入れなかった。
このマイルCSでは、枠もいいところを引いたウエストレインボーが、圧倒的な一番人気となっている。
(こういう馬でGⅠに出走するのは、そういえば初めてか)
今までのGⅠは、競争中止のダービー以外、シュガーホワイトとモーダショーで三つを勝っている。
マイルCSにおいては、差し馬にとって比較的有利な、外枠をもらえている。
内枠にウエストレインボーと、長谷川の馬はいる。
長谷川の馬も逃げ馬であるが、ウエストレインボーも先行から押し切る競馬が強い。
騎手が松川なので、ミスも期待できないだろう。
これは1着を狙うのではなく、一つでも上の着順を狙うレースとなる。
パドックで騎乗し、返し馬から輪乗りへ。
(う~ん)
松川が余裕の様子を見せているのは分かる。
馬のレベルがこの中では、突出しているのは確かなのだ。
長谷川は馬の耳元で、何事かを囁いていた。
「こっちも頑張るしかないからねえ」
優姫としてもここは、人気以上には持ってこないといけない。
1600mのマイル戦。
国内では安田記念と並び、マイル王決定戦と言えるであろう。
あちらは春には、香港のレースを使って勝っている。
安田記念ではテラスミュージックが1着になって、2着がウエストレインボーだった。
ライバルがいないこのレースでは、ちょっと負けたくないはずだ。
スタートから長い直線が続くため、ポジションを取りにいくのは難しくない。
(外からまくっていくべきなんだろうけど)
それでは結局、掲示板も狙えないのではないか。
ゲートインからはもう、馬の方に集中する。
マイル戦はジョッキーの腕が、スタートの時点からはっきりする。
長丁場ではないので、判断力が問われるレースとなる。
一瞬の出足によって、勝負は決着する。
ゲートがオープンし、そして予想した通り、長谷川の馬がハナを切っていった。
スプリント戦ほどではないが、マイル戦も最初の位置取りで、勝負が決まることがある。
スプリントの場合は特に、出足が重要であるのだ。
スタートから早い馬ではないので、優姫は外枠からじっくりと他の馬を見ていく。
逃げた長谷川に、つっかかっていく他の馬はいない。
続く先行集団の二番手あたりに、ウエストレインボーがいた。
データではマイルCSは、比較的差し馬が強い。
また外枠の不利もあまりない、というので何も悲観はしていなかった。
だがいいレース、で済ませてしまうわけにはいかないのだ。
(大外を回ってきても、せいぜい8着ぐらいかな)
馬の能力を考えて、そう判断している。
せめて掲示板に乗るぐらいはしたい。
大外からまくっていくというのは、何も考えない競馬と言えるであろう。
早くも3コーナーになって、やや前が詰まってくる。
4コーナーに向けて下り坂で、どうやってコースを選んでいくか。
(馬場のいいところを通ってはきたが)
長谷川は低人気ゆえに、気楽な気分で乗っている。
その背中に感じるのは、松川の視線である。
おそらくウエストレインボーの、丁度いいペースメーカーにされている。
(ただこのペースなら、最後まで脚は止まらないだろう)
入着を狙っているのは、長谷川も同じであるのだ。
そしてもう一つ、逃げ馬としての役割も考えている。
同じラインで同じレースに二人が出走する。
これは暗黙の了解で、協力し合えということであろう。
長谷川が25年かかった600勝に、優姫はもう150勝を二年目でしている。
天才と言うよりは、制度の穴を突いた存在。
だが本当にそれだけかと言われると、やっぱり何かおかしいとは言える。
ジョッキーが男の世界というのは、少なくとも条件戦では崩れた。
新たな客層を取り入れるためにか、女性騎手に斤量の特典を設けて、アイドル化を狙ったところもある。
もっともそういった若い男性層は、ウマ娘が多く引き入れてくれたような気もするが。
(作られたスターじゃあらへんからな)
シュガーホワイトの未勝利戦、モーダショーの未勝利戦、一緒のレースに乗っていた長谷川。
シュガーホワイトを上手く操作し、モーダショーを必死で追っていた姿。
なんとも最近の若手と比べても、圧倒的な泥臭さを感じたものだ。
城崎が期待していたのは、長谷川が大逃げすることによって、ウエストレインボーなどの有力馬が、早めに脚を使ってしまう展開であったろう。
だが上手く逃げたのであれば、充分に入着は出来る。
そういったレースを誠実にこなしてきたからこそ、長谷川はいまだに現役ジョッキーでいられるのだ。
(逃げ馬を俺に持ってきたところで、勝っていいわけやな)
わずかずつ後ろを気にする。
そして4コーナーが終わり、直線を迎えた頃。
後ろから迫ってくる蹄音は、内外の二つとなっていた。
外からはウエストレインボー。
そして内からは――。
(天海!? 内から来たんか!?)
それも最内を突いてのこと。
確かにそこならば、馬場も悪くはなっていないのだが。
最後の追い比べとなった。
こうなるとやはり、馬の力の違いが出る。
だが楽に逃げていたので、長谷川の馬も粘る。
内を突いて距離ロスがなかった優姫も、完全に抜け出した。
一番人気はともかく、10番人気と14番人気。
単勝はともかく3連単や3連複が面白いことになりそうだ。
そのままどっかりと流れ込んでいく。
結局は1馬身の差を付けて、1着はウエストレインボーであったのだった。
※ 牝馬の三冠
かつては桜花賞、オークス、菊花賞を勝つのが牝馬の三冠であった。
それが桜花賞、オークス、エリザベス女王杯と変わり、現在ではエリザベス女王杯から秋華賞へ最後の一冠が変わっている。
ちなみに本家本元のイギリスの牝馬三冠は、今も牡馬と混合のセントレジャーである。
この牝馬三冠をイギリスで勝った最後の馬は、オーソ―シャープで1985年のことである。




