第39話 黄金の耐久力
口取りと表彰式が終わり、インタビューの時間となる。
優姫がインタビュー下手というのは、既に知られていること。
だが今日のレースに関しては、言えることがあった。
「他の馬が強いから、本人も走る気になっていて、前の条件戦とかを走らせるより楽だった」
これは間違いのない実感である。
「彼が走って勝つことを喜ぶようになったなら、まだ上積みできる部分があるかもしれない」
「次のレースはどうなりそうですか?」
「それは先生に聞いて」
まだ強くなると言われたモーダショー。
この日も栗東に帰還すると、しっかりと飼葉を平らげたものである。
京都のホテルにて、行われる大きな祝勝会。
法人馬主であるだけに、会社としてはまた別に行うらしいが、まず関係者一同は揃っている。
優姫はここでは、ドレスコードを求められなかった。
カジュアルスーツでいるのだが、いまだに中学生に見られるのはなぜなのか。
SSRCはSBCファームと密接に提携した、法人馬主である。
法人馬主は個人馬主が、所有馬が多くなってきた場合に、設立することが多い。
このあたりどのようにして法人馬主となったかは、かなり面倒なところであったりする。
オーナーブリーダーであれば、かなり簡単なことであるのだが。
今は馬は作って売らなければ、とてもやっていけない時代だ。
逆に育成に絞った方が、安定感はある。
そもそも千葉の山間地に、雇用を創出しようとして、元の会社があったのだ。
いつの間にか千葉のみならず、神奈川や埼玉、もちろん東京にまでその影響力を持っている。
そのSSRCは法人馬主なのだが、社員はほんの数名で成り立っている。
元々法人馬主とは、税金対策でなされているものだ。
そして馬の管理などは通常、牧場や調教師が行っているものである。
競馬や馬産といった枠から飛び出した、巨大な企業複合体。
もっとも設立した当初は、そんなつもりではなかったらしいが。
千葉の圏内の中小企業や中小農家のために、法人団体。
そこに資本が注入されて、今では巨大なグループとなっている。
「個人馬主時代からけっこう馬は持ってたけど、クラシック勝つのは初めてだからなあ」
社長と呼ばれてはいるが、実のところはフットワークの軽い男。
元メジャーリーガーの巨大な資産から、大きな分野への企業へと発展した。
「生産はしないの?」
「うちのグループの会長が、そこまではしたくないんだと」
優姫としては生産をしてこその、競馬だと思っている。
だが企業として考えるならば、確かに生産はギャンブル要素が高い。
バブル崩壊後は100頭もの繁殖を抱えている牧場が、かなりの数で倒産していった。
「競馬の面白さは生産です」
「熱く語るね、珍しく」
オーナー夫人がやってきて、そう優姫に語り掛ける。
同じ顔が二つある。
「「やほー」」
「こんばんは」
「あれ、驚かないね」
「知ってた?」
「前にそれぞれ会ってるので」
「あれ? 区別ついてたの?」
「へ~、ほとんどの人は気づかないんだけどな」
髪型まで一緒にしているが、優姫にははっきりと分かる。
「歩き方が違う。怪我?」
「へ~、分かるんだ」
「ジョッキーだからってわけでもないよね」
確かにジョッキーは、馬の歩様に敏感であったりするが。
三ツ木はスーツよりは少しくつろいだ格好で、祝勝会に参加している。
年齢的に今年で68歳となり、あと二年で定年。
そんなところに持ってこられた、栗毛のもっさりとした馬が、まさかの栄冠を手に入れた。
(自分の力じゃないな)
最近はどの厩舎でも、調教というよりは調整と管理が、主な仕事になっている。
モーダショーも外厩で鍛えられ、入厩してきたのだ。
新馬戦も未勝利戦も、いいところがなかった。
いや、新馬戦以前から、目を引くところなどなかったのだが。
(節穴だなあ……)
調教師として20年以上、調教助手としても含めれば40年以上も、馬を見てきた。
さらに言えば競馬村出身で、生まれた頃から馬がいたと言ってもいい。
それでも馬は分からない。
我慢強い馬だから、馬場の悪いところやダートで、勝ち上がるぐらいは出来るかな、と思っていたのだ。
元は乗っていたラインの騎手も、すぐに手放してしまった。
それを二年目の若手が、乗りこなしてGⅠを勝ってしまった。
別に元のジョッキーたちに、含むものがあるわけではない。
だが痛快だな、とは思っている。
次にどこを使うか、というのも楽しみだ。
とりあえず有馬記念には、選ばれることは間違いないか。
モーダショー自身の人気はともかく、ジョッキーの人気がある。
皐月賞では意外性が先だってか、コールは起こらなかった。
だがこの菊花賞では、自然発生的に起きている。
実際のところはSNSなどで、優姫が勝ったらコールをしようと、しっかり広がっていたりしたのだが。
「先生」
「やあ、ちーちゃん」
優姫の保護者というような形で、千草もここに顔を出していた。
「強い競馬でしたね」
「見てる方は早仕掛けとしか思えなかったんやけどねえ」
「昔からあんな感じで、勝っている馬はいましたけどね」
「はは、それこそ顕彰馬クラスやな」
あれはどうやって勝ったのか、千草としても分からない。
三ツ木も分かっていないし、優姫も想像を超えていたらしい。
「次は有馬ですか? ジャパンカップですか?」
「ジャパンカップかあ。どうだろう。3歳馬には厳しいからねえ」
一応は3歳でジャパンカップに勝った馬というのはいる。
だが菊花賞のダメージが、どこまで残っているかを考えなければいけない。
基本的に競馬というのは、短い距離を走った方が、ダメージは少ない。
菊花賞は普通に過酷な距離なので、それに耐えられる馬体があるなら、ジャパンカップでも好走したりする馬はいる。
ただモーダショーはここまで、かなり過酷なローテを使ってきた。
「一応オーナーには、ジャパンカップは回避のつもりと伝えるけどね」
「有馬記念ですね」
「有馬記念も、かなりご無沙汰だったなあ」
出走できるというだけでも、かなりありがたいことではある。
だが今年の秋の古馬戦線は、ほぼ主役が決まっているのだ。
ブラッドブレイカー。牡4歳。
今年はドバイシーマクラシックを勝利し、主に海外で活躍。凱旋門賞やキングジョージ(※)にも挑戦していて、どちらも3着までに入っていた。
3歳時にダービー、秋天、有馬記念を制し、今年はシーマクラシック、イギリスのプリンスオブウェールズステークスの海外GⅠを2勝。
キングジョージを2着、凱旋門賞を3着と、世界的に見ても最強馬の一角。ジャパンカップにも今のところは出走の予定なのだ。
果たして来年も現役を続行するのかどうか。
それは日本帰国後の成績によるだろう。
ジャパンカップと有馬記念に勝ってしまえば、国内では無双。
GⅠの数も7勝となり、これ以上現役を続けるには、むしろリスクの方が高い。
しかし個人馬主の馬であるので、来年もまたヨーロッパ挑戦、という話もある。
種牡馬としての価値は、果たしてどれぐらいになるものか。
国内最高格のダービー、スピードの証明の秋天、グランプリの有馬。
3歳時には皐月賞で不覚を取ったものの、5戦4勝。
国内重賞は他にGⅢ、海外でもGⅡを一つ勝っていて、これでまだ凱旋門は勝てないのか、などと今年も嘆かれていたものだ。
「メテオもまだ間に合わないみたいですし、3歳代表ですね」
「ジャパンカップも有馬も、あんまり適性はないんじゃないかねえ」
調教師たちの見る、日本競馬の視線。
モーダショーがジャパンカップも有馬も、あまり適性がないだろうというのは、二人に共通した見方であった。
結果が道を切り開く、ということはある。
優姫に関してはその実力が、己の道を整備させていることとなる。
「テキ」
そう呼ばれた千草は、優姫の背後に二人、同じ顔の女性がいることに少し驚く。
ただ彼女たちが双子だということは、前から知っていた。
「オーナー、ご挨拶もせずすみません。優勝おめでとうございます」
頭を下げる千草に対して、双子は揃って手を振った。
「堅い堅い」
「優姫ちゃんのことなんだけど、事務所とかにも所属してないんだって?」
事務所とはなんぞや、と少し考える。
だが確かに以前に、そんな話は出ていた。
白雪が紹介しようか、と言っていたのだ。
ジョッキーは広告塔として、大きな存在であるのは間違いない。
特に優姫は年齢的にも性別的にも、そして何より実績的にも、スター性がとんでもない。
事務所に所属して、広告にでも出れば、どんどんとそちらの収入も入ってくるであろう。
だが馬から離れることを、優姫が承知するとは思えないが。
それは別としても、この巨大な影響力を持つ法人馬主を、バックにすること自体には賛成だ。
彼女たちはそんな話を持ってきたのである。
「確かに私では、そういったアドバイスは出来ないですね」
あとはエージェントの話も、いまだに決まっていない。
島田が話を進めてくれているらしいが、ちょっと若すぎて実力が釣り合っておらず、ラインに入れるには難しいのだ。
ただSSRCについても、所有馬は基本的に美浦の方が多い、と言われている。
実際にそうであり、ヴァリアントロアはそのために転厩してきた。
「いっそのこと新しいライン作っちゃえば?」
さすが大馬主の一族であるが、無茶な話である。
エージェントの作るジョッキーのラインは、いい馬を確保するためのもの。
同時にオーナーや厩舎に対しても、一定以上のジョッキーを確保しなければいけない。
「いやそれは……」
千草は三ツ木の方も見たが、知らんふりをされた。こやつ。
最後には結局、優姫の決めることだ。
だがエージェントがついてしまうと、鳴神厩舎の所属、とはなかなか言えなくなってしまう。
もっともこの、ちょっと図太くて無神経なところもある彼女は、そうなっても厩舎の方に泊まり込んでいそうだが。
遠征した場合を除けば、ほぼ毎日厩舎にいるのが優姫である。
おかげで全休日や年末年始など、他の厩務員が休めているのだが。
自分の手からは、もう離してしまうべきなのだ。
「お世話になったオーナーに不義理を働かないなら、いいと思うよ」
たとえば白雪などには、今年も馬を買わせていた。
またエージェントに関しては、それこそ選べなくて困っているのだ。
騎手会会長の島田が困っているのだから、他の誰がどうにか出来るのか。
「それじゃあうちの知り合いに、話は通しておくけど、何か要望とかはある?」
「……不義理を働きたくないので、やり手と言うよりは業界に精通した人を」
「OK、任せて」
なんだか妙なところから、未来が決まっていきそうだ。
だがこの流れというのは、間違いなく悪いものではない、と千草は傍からみても思えていた。
菊花賞が終わって、3歳のシーズンが終わった。
ここからは古馬との混合戦であり、また2歳のシーズンとなっていく。
とりあえず菊花賞の翌週には、秋の天皇賞が行われた。
3歳からも数頭が出走し、その中ではフォーリアナイトの2着が最高。
優勝したのは4歳の牝馬であり、これはちょっと珍しいことであった。
鳴神厩舎はとりあえず、ヴァリアントロアの調教に専念する。
さすがに菊花賞から一週間ぐらい、モーダショーは軽めの運動しかしない。
「ジャパンカップもいけると思う」
優姫はそう言って、三ツ木を喜ばせた。
秋天から中三週で挑む古馬や秋天ルートの馬より、一週間の余裕がある。
それでも初めての3000mを走った後なら、かなりの疲労は蓄積しているはずだが。
優姫は今回、モーダショーをちょっと見直しているのだ。
ロングスパートを仕掛けて、見事に優勝した。
またあの距離を走った後も、比較的すぐに息が整っていたのである。
またモーダショーは確かに、ズブい馬ではあるし、コーナリングも得意ではない。
しかし府中のコーナーは、中山に比べたらずっと、緩やかなものであるのも確かなのだ。
その週末に、乗る予定のレースも京都にはない。
SBCファームに送って調整、というのはちょっと難しい。
ただ改めて乗った感じ、フットワークが軽くなったかな、と優姫は感じている。
「むしろ走るとしたら、有馬記念をどうしようか……」
選ばれるのはほぼ確実だろう。
ただ勝てるかというと、かなり難しいとも思う。
立派だと思えるのは、モーダショーの体の強さである。
夏からここまでずっと、短い間隔で使い続けている。
特に京都大賞典から、菊花賞までは中二週。
これで勝ってしまったのだから、一番恐ろしいのは耐久力であろうか。
中四週のジャパンカップ。
そして中三週の有馬記念。
今年の二月にはやっと、未勝利戦を勝利した。
だがそこからのわずかな時間で、ここまでの価値が出てくるとは。
(スプラッシュヒット産駒の中では、ちょっと珍しいなあ)
三ツ木としても、そう感じているのだ。
スプラッシュヒットは今年、リーディング上位になりそうだ。
賞金ベースであれば、ここからのモーダショーの頑張り次第で、リーディングサイアーにもなりかねない。
時は種牡馬戦国時代なのである。
優姫も今年の勝ち鞍が100勝に到達した。
まだあと一ヶ月半はあるので、ここからどう伸ばしていくか。
だがジャパンカップなどで関東のレースを使えば、乗れるレースは少し減るであろう。
もっとも優姫からすると、大きなレースに乗る場合、あまり一日に詰め込まれすぎない方が楽である。
「さてロア君、マイルを今日も走ろうか」
これまでに優姫が乗った中で、一瞬のキレという意味ならば、シュガーホワイトやモーダショーよりもよほど上。
だが分かりやすい気性難が、果たしてこの先どう改善されていくか。
厩舎を自分の家にして、騎手寮は荷物置き場。
そんな優姫を訪れる、小柄な人影が一つ。
「お~い、いるかね~」
それに反応したのは、千草の方が早い。
「先生、何か御用でしたら、こちらからお伺いしましたのに」
「もう先生やないで」
千草も世話になった、元栗東の大先輩である調教師。
いや、引退したため、元調教師と言った方がいいのであるが。
たとえ引退したとしても、学んだ側からすれば、先生であるのは間違いないのだ。
「千草ちゃん、天海騎手はいるかね?」
呼ばれるまでもなく、共に出てきている優姫である。
「は~、テレビで見るよりも、可愛らしいなこりゃ」
名伯楽であった、元騎手でもある池元。
騎手時代はさほどの活躍もなく、調教師としては大成した、というよくあるパターンである。
「今週は京都で乗るのかね?」
「はい」
「じゃあみやこステークスの乗鞍があるから、田丸厩舎に挨拶に行ってきなさい」
「え、先生?」
「ん? ひょっとして話が来てへんか? エージェントやってくれって言われたんやけど」
もちろん聞いていない師弟であった。
第二章 もう一つの黄金 了
第三章 新たなる希望 へ続く
※ キングジョージ
キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスの略。
イギリスのアスコット競馬場で開催される、芝2400mの欧州最高峰のGⅠレースで、格としてはほぼ凱旋門賞に匹敵する。
よく英ダービー、キングジョージ、凱旋門賞の三つをして欧州三冠などと言ったりするが、実は現地ではそんな概念すら存在しない。
ただ3歳が初めて古馬と対決することが多いキングジョージは、確かに格としても条件としても相応しいものであろう。
フランス人からしてみれば、なんでイギリスのダービーが三冠の一つ目なのだ、という意識もあるだろう。
キングジョージと凱旋門賞に、アイルランドのレースを入れるなら納得するかもしれないが。
イギリス三冠、フランス三冠などは今でもあるが、フランス三冠の権威はほぼ消滅し、イギリス三冠もあまり価値はなくなっている。




