表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
プリンセス・ジョッキー ~優駿の姫騎手~  作者: 草野猫彦
二章 もう一つの黄金

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

37/56

第37話 最強の証明

 毎日1勝以上していれば、土日に2勝で年間100勝。

 優姫がある程度考えていた基準である。

(なんだかこのままでも、上位は維持できそうだけど)

 しかし重賞には乗れない。

 競馬村の人間関係が、そのままエージェントの力関係に変わっただけ。

(そう思うと昔の方が良かったかな)

 だがそれだけの逆境で、勝ち鞍を増やしているあたり、評価は天井知らずに上昇している。


 土曜日は未勝利戦3走と1勝クラスに2勝クラス。

 5レースに乗って、1勝して残り全て掲示板。

 賞金を稼ぐことこそ、ジョッキーとしては重要なこと。

 だがそのためにはやはり、勝てる馬で重賞に乗らないといけない。

 今日の京都のメインレースは、リステッド競走。

 これに乗って1着を取っていれば、進上金は140万円。

 乗る馬がなければ、勝ち負けすらもない。


 ジョッキーは稼げる職業で、しかも長く続けることが出来る。

 そう言われているが、単純な話でもない。

 この四半世紀でジョッキーの人数は、明らかに減ってきている。

 もちろん一定数以上に減らないのは、レース成立のために当たり前のことである。

 しかし強いジョッキーが、下級条件までどんどんと乗ってしまう。

 昔はそんなことはなく、そういったレースは若手にもっと譲っていたのだが。


 勝てる可能性が高ければ、条件戦でもベテランが乗ってしまう。

 もちろん競争なのだから、それはある程度仕方がないし、オーナーとしてはありがたい限り。

 それに日本人の体格向上も、要因の一つにはなっているだろう。

 だが一番の問題はエージェント制で、とにかく勝てる馬を集めたトップと、乗ってくるだけのそれ以外という、二極化になっていると言ってもいい。


 それだけに優姫が、馬質では劣るはずなのに、とんでもなく勝っていること。

 条件戦が多いからだ、と人は言うだろう。

 女性の斤量特典は、2kgがずっと続くからだ。

 確かにそうかもしれないが、最近はその斤量の特典を抜きにしても、ベテランのリーディング上位ジョッキーに頼むという、オーナーやエージェントの声が大きい。

 競馬学校を卒業して、五年間の間にどれだけの結果を残せるか。

 そこがまず第一の、ジョッキーの寿命と言える。


 優姫はやはりそこが異常だ。

 勝てそうにない馬に乗っても、かなりの確率で着は拾っていく。

 あるいはそれよりも、重賞の成績の方が異常であろうか。

 昔ながらの営業をして、調教にそれなりに乗らせてもらう。

 そして勝てるかは分からないという馬を、しっかりと掲示板には持ってくる。

 ただあえて勝たない、という選択もある。

 下手にオープンになってしまうと、着すら拾えない馬はいるのだ。




 日曜日の菊花賞は、3鞍しか乗鞍がない。

 どれも芝のレースであって、メインの前に芝の状態を確認するためだ。

 もちろんその前の段階、早朝に起きては芝の様子を確かめていく。

(降水確率は10%か……)

 日本の芝はヨーロッパと違い、人間がしっかりと整備したものだ。

 ヨーロッパは競馬場にもよるが、そもそも芝が強く根を張っている。

 凸凹道と言われるが、実は馬の故障率は、日本の半分ほどである。

 それは芝の凹凸以上に、スピードが出にくい馬場であるため。

 アメリカのダートが一番故障は多い、などという記録もある。


 何度となく、馬と上った淀の坂。

 そこから見れば分かるのは、競馬場の中にある小さな池。

 これはかつてあった、巨大な巨椋池の残りの部分である。

 かつては地盤が緩く、難儀したこともあるという。

 今では問題なく走れるコースだが、ここでライスシャワーが命を落とした。


 必要以上に感傷的にはならない。

(うちのモーちゃんは、頑丈なのが一番)

 夏から短い間隔で、使い続けているモーダショー。

 特に京都大賞典からは、たったの中二週。

 昨今の競馬からすれば、ちょっとオープン馬としては、使いすぎと言われても仕方がない。

 だが体調はいいし、絞った体重もまた戻ってきている。


 菊花賞は3000mの長丁場。

 また距離以外にも、他の中央のコースにはない、特徴というものがある。

 GⅠを行うコースの中では、唯一最後の直線に坂がない。

 一度スピードに乗れば、そのまま最後までなだれ込むことが出来る。

 札幌などで勝ったのは、洋芝(※1)での2600mなので、あるいは3000mよりもスタミナは必要だったのかもしれない。

(やっぱり京都大賞典で良かった)

 モーダショーはいまだに、本気を出し切ってはいないと思う。

 走って勝ちたいというスイッチが、かなり奥にしまわれているタイプなのだ。




 今日の優姫は芝のレースに、他に二回騎乗する。

 2歳の未勝利戦2000mと、ヴァリアントロアの次走とも考えていた萩ステークスである。

 リステッド競走であり、勝てば賞金も高い。

 だがそれは無理だろうな、ということも分かっている。

 勝てない馬であっても、乗る意味はちゃんとあるのだ。

 萩ステークスは第9レースであり、ダートのレースを挟んだ次が菊花賞。

 つまり直前の芝の状態が分かるわけだ。


 2歳の1勝馬が挑むレース。

 本来ならば完全に、勝利の可能性がないというわけでもないだろう。

 しかし今回乗る馬は、重馬場(※2)でようやく勝ったという馬。

 さっさと芝には見切りをつけて、ダートの方に回したいというのが、調教師側の意見である。

 しかし馬主の方が、やはり芝の方を見切れない。

 じゃあぴちぴちの若手に乗ってもらって、果たしてどうなるのか、という考えになっている。


 今日はほどよい良馬場だ。

 モーダショーの脚を使って、おそらくスタミナ切れになることはない。

 そのためにも馬場のどこがいいか、はっきりと調べていく必要がある。

 GⅠのために他のレースを犠牲にする。

 庭である京都だからこそ、出来る贅沢である。

 ただ優姫にとっては、一つのレースを落とすだけでも、評価は下がっていく。

 条件戦でしか勝てない、というレッテルを貼られると、それを挽回するのは難しい。

 つまり菊花賞を確実に勝って、名前を上げなければいけない。


 他の馬はおおよそ、力の上限を見切っている。

 分からないのはやはり、ボーンクラッシャーだ。

(情報を与えないために、追い切りも流したのかな)

 優姫はここのところ、ヴァリアントロアとモーダショーにかかりきりで、しがらきの様子などを確認していない。

 ボーンクラッシャーは外厩で、慎重に調整されたはずである。


 あの施設を使えば、ある程度の長距離適性まで分かっているだろう。

 情報のない馬というのが、一番怖いと言える。

(昔はジャパンカップも遠征も、相手がどういう馬かなかなか、分かりにくかったけども)

 今の時代は楽だな、と優姫は思うのだ。

 しかし結局確認できたのは、ボーンクラッシャーの重賞二つ。

 先行してから抜け出すという、王道的な競馬であった。


 半年以上もレースに出ていないということを、どう考えるか。

 シュガーホワイトがいた頃には、優姫もしがらきに乗りにいった。

 ヨーロッパでやるような、縦走での調教などもしていた。

 だが基本的にはやはり、坂路を使ったものが多い。

(坂がポイントになるかな)

 菊花賞はだいたい、3コーナーから4コーナーの坂で、勝負が決まることがある。




 未勝利戦を3着に持ってきた。

 これでとりあえず、預託料の足しにはなるか。

 ダートのレースは無視して、芝のレースのコンディションを確認する。

 芝のどのあたりを通った馬が伸びていくか。

 もちろんレースごとに整備が入るが、完全に元に戻せるわけもない。


 京都開催となってから、かなり後が菊花賞。

 それだけ芝にはダメージがあるのだ。

 ラチを動かして、芝の状態を維持する。 

 昔に比べればずっと走りやすい馬場になった、とは言われる。 

 確かに70年代の馬場など、ラチの近くは全く走っていない。

 2010年代に皐月賞で、ワープを決めた白い悪魔は置いておく。


 萩ステークスは7着であった。

 ジョッキーは賞金を得なくても、乗るだけで騎乗手当などが出る。

 また奨励金などもあって、基本的に1レースに乗るだけで、4万円ほどになる。

 それを続けていくのなら、たとえ勝てない馬を回されても、乗るだけである程度の収入にはなっていく。

 調教を付けるなど、色々な形の収入があるのだ。


 だがそんな些細なことはどうでもいい。

 優姫が目指しているのは、GⅠのタイトルのみ。

 モーダショーならば勝てるはず。

 ただ競馬というのは相手があってのこと。

 夏の間に成長した馬、あるいは作戦を変更させてくる馬。

 まだ3歳なのだから、脚質転換もありうるであろう。

 計算だけで勝てるほど、クラシックは甘くない。


 4枠8番というのは、悪い枠ではないだろう。

 統計的には内枠が、包まれない限りは勝ちやすい。

 だが馬の脚質によって、適切な枠は変わってくる。

 モーダショーの場合は、スタートから強烈なダッシュが利くというわけではない。

 もっとも優姫がスタートは上手いので、遅れすぎるということもない

 果たしてどうすれば勝てるのか。


 一番力が分からないのがボーンクラッシャーである。

 2枠4番と、少なくとも大敗はしにくいし、穴を開けることも多い枠。

 騎手も長距離名手となると、一番怖い馬であるか。

(さて、最後のクラシック)

 向こう正面から始まる、どの馬もが未経験の長距離レース。

 その発走の時間は、どんどんと迫ってきていた。




 モーダショーの馬主はSSRCである。

 現在のJRAにおいては、それなりの頭数を所持する馬主。

 さすがにクラシックで上位人気となれば、それを見に来ないはずもない。

「なかなかいいんじゃないですか?」

「そうですね。ここまで自信をもって送り出せるのは、かれこれ12年ぶりですか」

 クラシックにはここのところ、完全に無縁であった三ツ木厩舎。

 モーダショーも新馬と未勝利でいいところがなく、これはダートの方が向いているのでは、と思われたものだ。


 スプラッシュヒットはアメリカのダート馬であるため、日本では芝のスピードを伝えることが多い。

 ただ距離としては2000mまでで、強いことも確かだった。

「3000mは長いですね」

「まあそこはジョッキーの腕次第ということで」

 仕上げるまではしっかり、外厩をあまり使わずに行った。

 鳴神厩舎のヴァリアントロアと同じく、調教で上手く走らせるのは、難しい馬であったことは確かだ。


 SSRCの馬はこれまで、いくつかもGⅠを勝っている。

 だがクラシックに縁がなかった、というのも事実である。

 惜しいところまでは何度も行ったが、本格化するのは古馬になってから、という馬が多かったのだ。

 そういう血統の馬が多かった、というのも確かである。

 そんな中でスプラッシュヒットは、かなり早熟性を持っている。

 もっとも買った当時は、そんな傾向がはっきりしていたわけではないのだが。


 ダービーにはあと一歩届かなかった。

 だがあれからずっと、長距離のレースを使われている。

「2600mに二つ勝って、古馬相手の2400mで2着なら、もっと人気になっても良さそうな気がするけどなあ」

 オーナーにそう言われても、三ツ木としても分からないではない。


 ただモーダショーは、重賞を勝っていないのだ。

 それがトライアルで、強い勝ち方をしてきた馬とは、違うところである。

「完全に突出した人気はないですしね」

 モーダショーは四番人気であるが、五番まではあまり差がないのだ。

 ここで春のクラシック好走組がいれば、また違ったのだろうが。


 パドックを周回するモーダショーは、落ち着いて見えた。

 初めて持った馬の、孫にあたるこの馬。

 その父親の血統を考えれば、もっと気性が激しくてもおかしくはない。

 だがのんびりと本気を出さないところは、その先祖とはまた違った気性難である。

(優姫ちゃんがほとんど、育てたようなもんだからなあ)

 三ツ木としてはなぜ、あの年齢で馬の本質を掴めるのか、不思議には感じている。

 結局どんな名伯楽でさえも、馬というのは本当に分からない、と知れば知るほど思ってくるものなのだから。




 騎乗の号令がかかった。

 厩務員の手を借りて、モーダショーの鞍上へと。

 体重はそこそこあるのだが、体高は低めのモーダショー。

 血統的にもダートで走るのでは、などとも言われていた。

 だが調教助手が乗っても分かるのは、とにかく本気にならないということだ。


 優姫を背中に乗せたモーダショー。

 担当の小田川は、その瞬間にスイッチが入ったことに気づく。

(これまでにこんなことはなかったぞ)

 勝ったレースでも、この間の負けたレースでも、返し馬から輪乗りにかけて、やる気を出させていったはずなのだが。

「優姫ちゃん、どうかね?」

 三ツ木の言葉に優姫は、彼女にしては珍しく強い言葉を使った。

「祝勝会の準備を」

 もちろんしているのだが、それを確認するためのものである。


 栗毛の馬体がゴムのように弾む。

 京都大賞典で負けて、珍しくも感情を発していたのがモーダショー。

 連勝していたところに、敗北を植え付けられた、という感じなのだろう。

 馬を上手く怒らせると、よりしっかりと走ってくれる。

 今回の場合は怒らせていると、スタミナ切れになる可能性が高いが。


 視界に入ったオッズは、四番人気。

 調整ルームに入る前の新聞でも、そこそこの印(※3)はついてあった。

(本命にしてる新聞もいたっけ)

 2600mを経験し、しかも二度も勝っている。

 それが人気を高めている理由だろう。

 もっとも札幌開催なので、そのあたりは信用できない、と考えている人間もいるだろうが。


 札幌の洋芝は、基本的にスタミナを奪う傾向にある。

 だから2600mに勝っていても、実際はもっと長い距離に通用する、という考え方もあるのだ。

(さて)

 輪乗りからどんどんとゲートに入っていく。

 どれぐらい他の馬が、マークしてくるか。

 逆にある程度マークしてくれないと、優姫としても予定が狂うのだが。


 いくつものパターンを頭の中で考えておく。

 その中から展開によって、どんどんと選択肢を捨てていく。

(まずはどの馬が逃げるか)

 モーダショーも基本的には、先行集団についていくつもりだ。

 内に包まれてしまっても、なんとかなると考えているのだ。


 クラシック最後の一冠。

 菊花賞のゲートが開いた。


 ※1 洋芝

 競馬場によって実は使っている芝が違う。特に札幌競馬場はケンタッキーブルーグラスという種類を使っていて、他の競馬場の芝よりも脚元が重くなる。


 ※2 重馬場

 馬場が重い、これは馬場があれていたり、雨が降った後で走るのにパワーがいる状態であったり、内のラチ沿いが荒れていたりする。

 稍重や良といった感じで馬場は発表される。


 ※3 印

 競馬新聞にはその予想として本命や対抗といったものに印をつけていく。

 一人ではなく何人もの評価が並ぶので、よく当てる人や、条件によってよく当てる人などがいる。

  ・ 主要な予想印の一覧印呼び方意味・評価の基準

 ◎本命ほんめいその記者が「最も勝つ確率が高い」と判断した馬。

 ○対抗たいこう本命を負かす可能性がある、2番手評価の馬。

 ▲単穴たんあな展開や条件で、本命や対抗に勝つ力がある3番手評価の馬。

 △連下つれした1着は難しいが、2着・3着には入る可能性がある馬(複数選ばれる)。

 ☆ちゅう人気はないが、激走する可能性がある穴馬や警戒馬に付けられる。

 ××(ばつ)△よりもさらに評価が低いが、3着なら食い込むかもしれない馬。


 モーダショーの場合は本命に推す人が少し、対抗に推す人も少し、といったところであろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ