第34話 血は争えない、だが血を超える
優姫の勝利数リーディングは現在、5位にまで上がってる。
なおトップ10の中では、勝率も複勝率も一位である。
だが獲得賞金ランキングでは、10位以内に入っていない。
なぜか?
「重賞に乗らないとな」
「う~ん……」
優姫は銭ゲバではないが、やりたいことをやろうと思えば、金は必ず必要になるのだ。
これに関してはなかなか、千草が協力できる範囲も限られる。
言うほど重賞で勝ってはいないか、勝っていても馬の力である。
こういう理屈をいまだに、付けてくる人間がいる。
乗せてもらっていないのに、どうやって勝つというのか。
このあたりいまだに、競馬村出身でないことが大きい。
自力で新馬、未勝利から出世させたシュガーホワイトにモーダショー。
あとはヴァリアントロアもこのまま、お手馬に出来そうである。
未勝利戦が勝てばおよそ30万円。
一ヶ月に二つも勝ち鞍があれば、最低限の収入になるだろう。
今は寮に住んでいるし、実際には厩舎に泊まるこむことが多い。
ただこの職業というか業界は、人づきあいが大変なのだ。
そのため身の回りに金をかける、ということもそれなりにしている。
下手にスーツなどにすると、中学生と見られたりするが。
皐月賞の賞金だけで、進上金と呼ばれる取り分5%は、1500万円ほどにもなっている。
実はエージェントを雇うと、ここから5%やそれ以上、エージェントに払うことになる。
もちろんその分は経費になるが、優姫は今年100勝に到達しそうな勢いだ。
未勝利でも一つ勝てば、それが100勝になると3000万円の収入。
間違いなくそれは、高額所得と言えるであろう。
「優姫ちゃんも大変だね」
「大変なのだよ」
美奈ともそんな話をしながら、馬を洗ってやったりする。
実質鳴神厩舎所属で、乗鞍の紹介も千草がやったりしていると、こういうことまで優姫もやるのだ。
モーダショーはともかくヴァリアントロアは、ベテラン厩務員か優姫でないと、ちょっと扱いが難しすぎる。
美奈も新しく、シュガーホワイトの次の馬を世話している。
だが今でも夢の中、あの府中の直線を思い出すのだ。
あのままだったら確実に、ダービー馬になっていただろう。
そして優姫の見立てが正しければ、三冠馬にもなっていた。
ホワイトウイングの後継として、五代の方がとんでもない条件を出したかもしれない。
もっとも五代はホワイトウイングにも、自前の繁殖を何頭か付けているのだが。
日本の馬産は五代一強、というのはあながち間違っていない。
だがその背景には、五代内部での競争、というものが存在する。
一応五代グループとしては、五代勇作が代表とみなされている。
しかし今では五つの大規模牧場で生産をしているし、それぞれの代表は別だ。
また北海道だけではなく、東西のトレセン近くに大規模育成を持っている。
場合によっては季節で、冬場に幼駒を関東で育成する、などということもやっているのだ。
馬は寒さに強い動物だが、それでも運動量が落ちるのが冬なのだから。
そんな五代グループにとって、シュガーホワイトをルージュ・バレーに取られてしまったのは、実がけっこう痛い。
ホワイトウイング産駒の中の、GⅠを勝った馬は、これまたルージュ・ミラーに取られていた。
いいものは高く売る、というのが五代の当然の常識。
あるいは商売の常識と言えようか。
なので種牡馬生活一年目から、良血の繁殖には大量に付ける。
また基本的にシンジケートを組んでも、自分たちのところで主導権を握る。
そのあたり馬産の世界とは全く違うところに、己の支持基盤を持っている白雪から買えなかったのは、グループとしての失敗である。
方針の違い、と言ってしまえばその通りだが。
2歳から活躍し、クラシックも取ったシュガーホワイト。
母系が完全に海外であることと、父が内国産のホワイトウイング。
血統の閉塞を考えれば、絶対に五代に欲しかった存在なのだ。
もちろんルージュ・バレーは商売敵のライバルではあるが、理不尽に敵対しているわけではない。
ただシュガーホワイトの種付けを、しばらくは100頭に制限としたこと。
そのあたりが違うな、と五代はビジネスで考えるのだ。
そのあたり甘い考えであると、むしろ五代一強は続くからいいのだろうが。
しかし五代の面子というものもある。
「問題は彼女が女だという点かな」
「そんなもんですか」
関東に乗りにきた島田に対して、五代はそのように説明する。
「まあ面子とか、仁義とか、むしろ日高っぽいことを弟や従兄弟は言ってるから」
「けれど知っての通り、田岡さんの馬に乗ってるわけでもないですよ」
「そうなんだよねえ。聞くところによると、SSRCの人には気に入られてるらしいけど」
「でもあそこも美浦を中心にやってるでしょ」
「そうなんだよねえええええ」
五代としても困っているのだ。
島田が話しているのは、優姫のエージェントの件である。
現在のジョッキーの起用については、調教師よりもオーナーの声が大きかったりする。
無茶な要求をするわけではなく、普通に腕のいい騎手を使え、というものだ。
だからといって完全に、人間関係が失われているわけでもない。
優姫なら乗れる、と島田は見ていたのだ。
騎手会の会長として、エージェントをどうするべきか、五代にまで相談。
そして返ってきた答えが、ルージュ・バレーとの関係である。
優姫のやっていることは、競馬村の外から来たがゆえに、やれている無茶とも言える。
ジョッキーがそこまで関わるのを、良しとしない人間が多いのだ。
そして今ではむしろ美浦の方が、若手の起用には積極的であったりする。
ただ厩務員や調教助手など、長年の熟練のレベルにおいては、まだ栗東が上だと言われている。
「弟のクラブに、乗ってもらうことも考えたけど」
「あ~……」
そちらのエージェントのラインは、もうほぼ決まってしまっている。
だからこそ五代は、不思議であるのだ。
「ぶっちゃけそんな状況なのに、どうして彼女はあれだけ乗れてるのかな? まあ斤量の特典はあるんだろうけど」
「う~ん……やっぱり根本的に、乗るのが上手いからかと」
島田ほどの大ベテランが、そんなことを言うのか。
エージェントのいない優姫に回ってくるのは、見切りがつきそうな馬であることが多かった。
そしてそんな馬を、優姫は勝たせてきたのだ。
「競馬界全体としても、あの子は必要な子だと思いますけどね」
「そうなんですよねえええええ」
島田は引退してしまえば、調教師になるつもりはない。
それでも競馬に関わって生きてくのは、自分の人生だと思っている。
だが五代の考えるのは、もっとさらに大きな規模。
日本の競馬界どころか、世界の馬事文化を守ること。
そのための重要なピースの一つだと、優姫のことを考えているのだ。
京都大賞典の後、本格的に秋のGⅠシーズンが始まる。
スプリンターズSは、入り口に過ぎない。
そこからは実は地方のダートGⅠが多い。
そして中央のGⅠが本格的に始まるのが、牝馬クラシックの最後の一冠、秋華賞である。
優姫はここまで、牝馬の重賞には縁がなかった。
大きなレースはやはり、牡馬が主役、ということもあるだろうが。
地方も含めて、大きなレースが増えていく。
「う~ん……」
中小企業の社長のようなものである千草は、色々と計画を立てていかないといけない。
馬房にいるのは20頭が最大だが、外厩に預けているのも含めれば50頭を超える。
今年はクラシックも勝ったし、馬主の新規開拓も出来たし、来年にはさらに馬房数が増えるだろう。
「シュガーが故障しなかったらなあ……」
それは贅沢なものであり、鳴神厩舎は中堅どころ。
オープン馬は一流ジョッキーの、お手馬であるのだ。
揚げ足を取るように、強いて優姫の弱点を探す。
すると出てくるのが、古馬の経験が少ないということだ。
未勝利は3歳までであるし、下級条件も3歳までの馬に乗ってきたことが多い。
それ以上に勝ち上がったオープン馬は、自然と誰かのお手馬になってくる。
ここまでの成績を見ても、古馬の重賞に出たのは、3歳のモーダショーによるものだけ。
もちろん3歳以上の条件戦には、それなりに乗っているのだが。
普通は古馬になると、馬も落ち着いて乗りやすくなる。
そんな中で若駒を乗りこなせるのは、新人としては珍しいのだ。
千草は現在、馬主の指定に従って、基本的にはジョッキーを決めている。
今でも優姫を簡単に使えるのは、やはり女性の斤量特典があるからだ。
あと1馬身足りない馬なら、優姫が乗ればそれだけで勝てる。
特別競走などには、それは当てはまらないのだが。
夏もそうだが秋も、新馬から優姫にという声が多い。
ただ大手のクラブや大馬主などは、やはりある程度決まっている。
(SSRCも八割は美浦だからな……)
モーダショーもヴァリアントロアも、例外的にこちらに持って来ている。
栗東への影響力も維持するためのもので、そのあたりは頭数を揃えるためか、あえてどこかの厩舎を指定して入れてくるのだ。
単純に斤量ならば、毎年新人が入ってくる。
たまに新人が一人もいない年もあるが、見習い騎手は最大で五年のアドバンテージがある。
100勝してしまえば男性も女性も、見習いの特典はない。
すると永続的に特典のある、女性騎手が有利とは言われる。
(ずっとうちの厩舎というわけにもいかないからなあ)
もちろん千草としては、ずっといてくれても構わないのだが。
なんとか優姫に騎乗馬を集めたい。
それも下級条件などではなく、オープンを目指せる馬だ。
他の厩舎も調教では、それなりに乗せてくれることはある。
ただ優姫は調教師の指定を、微妙に守らないことがあるのだ。
今では最終追い切りは、調整程度になっているので、それも問題ないとも言えるのだが。
そんな優姫に、久しぶりの重賞の騎乗機会である。
「スワンステークスか、いいじゃないか」
またも主戦騎手負傷による乗り替わりだが、今回は別に優姫に対して借りがあるというわけではない。
純粋に他のジョッキーではなく、優姫を指名したのがオーナーであったのだ。
別にそのオーナーの馬に、今まで調教をつけたわけでもないのだが。
オーナーに厩舎なども逆らえない事情があった。
MBS賞スワンステークスというのが、正式な名称。
格付けはGⅡで、距離は京都の外回り1400m。
出走条件は3歳以上。
およそマイルチャンピオンシップ(※1)の、前哨戦として考えられていることが多い。
「17戦3勝か……。重賞で3回も2着に入っているのは立派だね」
「勝ちきれない馬」
翌週には菊花賞が待っている。
その前週に行われる、スプリントとマイルの中間。
グンジョウホマレという5歳の牡馬であった。
同じ時期に関東の方でも、マイルのレースはある。
だが最終的にはマイルCSを本番として考えるなら、京都を経験させておくのもいいだろう。
「優姫ちゃん、GⅠ乗るの?」
「本番では乗り替わり」
「いや、そうでもないよ」
鳴神厩舎にて女が三人、他厩舎の馬の予想をする。
結局皆、馬のことが好きなのだ。
モーリス系の後継として、種牡入りの可能性がある。
母系もアメリカから持ってきた、良血であるからだ。
モーリスはオーストラリアでも種牡馬として活躍しているため、そのあたりも評価はしやすい。
だがやはり種牡馬入りするならGⅠ、あるいはせめて重賞勝ちの実績がほしい。
「5歳ってことは、もう上がり目がないってことかな」
ここいらで勝たないと、だらだらと走らせて着を稼ぐ、という扱いになるだろう。
6歳や7歳になってから重賞を勝って、種牡馬入りというルートもある。
だがやはり日本であれば、クラシックに間に合う血統がほしい。
どれだけ海外挑戦が増え、マイルなどのレースが充実しても、やはり目指すのはクラシック、という人間は多いのだ。
「最初からマイルに絞っていれば、もう少し勝てたのかも」
グンジョウホマレは普通に、3歳時にはクラシックのローテーションで使われていた。
4歳になってからは中距離以下、5歳になってようやくほぼマイル、という使われ方をしている。
かといってスプリント路線でも、あまり好走はしていない。
モーリス系はオーストラリアでも需要があるが、あちらではデインヒル系と上手く組み合わせて、早熟の傾向を出している。
ただ他のモーリス系もシャトル種牡馬(※2)として使われたり、現地のモーリス系も増えている。
そのためにやはりGⅠの称号はほしい、というところなのだろう。
「このままでも種牡馬入りはさせるかもしれないけど、まあ初年度が20万ぐらいになるんじゃないかな」
千草の実家ではむしろ、それぐらいで付けられる種牡馬も需要はあった。
だが中小の牧場は、勝ち上がりもそうだがそれ以上に、クラシックに出られる馬を作りたいのだ。
向こうの外厩から直接、栗東の出張馬房(※3)にやってくる。
そして最終追い切りをして、スワンステークスへ。
ここで2着に入れば、どうにかマイルCSへの収得賞金は稼げるだろう。
「種牡馬入りの価値を高めるために、ジョッキーを変えたってわけだ」
千草は陣営が相当、この秋に賭けているのが分かる。
だからこそ優姫のような、重賞で入着を繰り返すジョッキーを選んだ。
(ラインを切って頼むんだから、本番も乗れる可能性は高いぞ)
ただし現在のマイル路線は、相当に強い馬が二頭ほどいる。
(あっちが海外にでも遠征してくれれば、チャンスはあるんだろうが)
どのみち重賞で乗鞍がないという優姫に、乗らないという選択はないのであった。
※1 マイルチャンピオンシップ
秋に京都で行われるマイルの最強決定戦。マイルCSと略されることが多い。
※2 シャトル種牡馬
春には北半球、秋には南半球で種付けを行う、大変な頑張り屋さんである。
これは馬の発情期が南北で季節の逆転から、違うことによって決められている。
※3 出張馬房
当たり前だが馬はレースの当日にやってくるわけではない。
数日前にやってきてここで過ごすわけだが、関東の外厩から直接関西のレースに出走する場合、10日以上前にこの出張馬房に入る必要がある。
GⅠレースなどに出走する場合、ルートは色々とあるが、一般的なものとしては収得賞金というものがある。これは今までに1着から重賞の2着までで稼いだ金額から導き出されるもので、グンジョウホマレはスワンステークスはともかくマイルCSに出られるかは微妙なところになっている。
なおスワンSで1着になれば自動的にマイルCSの優先出走権は手に入る。




