第33話 血脈の活性
ヴァリアントロアは能力だけで、新馬戦を勝ってしまった。
勝つためにどうすればいいのか、パターンがはっきりとしている。
しかしそのパターンで、距離の融通が利くのかどうか。
「スプリンターじゃない?」
「やっぱりマイルから中距離ぐらい」
1400mというのは中途半端な距離と言える。
勝ち方自体は圧倒的であったのだが。
「あれで重賞を勝つのは難しい」
それが優姫の感想である。
前向きな性格ではあるのに、スタートがあまり上手くなかった。
これは短いスプリント戦では、致命的な欠点である。
それでも練習していけば、上手くはなるのかもしれないが。
「前に壁を作ってから、直線勝負がいいと思う」
「それはそうだね」
ただ新馬戦で、少頭数だったのが幸いした、とも言えるのだ。
多頭数であれば前の壁に、完全にふさがれていたかもしれない。
また大外に持ち出すにしても、距離のロスがとんでもない。
大外一気、というのは見ていてとても面白い。
まくっていく競馬というのは、強さがはっきりと分かるのだ。
80年代最強どころか、いまだに中長距離では最強では、と言われてレーティングも高いダンシングブレーヴ。
その戦法もまくっていって直線で突き放すというものであった。
ディープインパクトも末脚が圧倒的なものだったが、実のところはスタートが下手であったという事情がある。
それでも問題なく勝てる、というのが本当に異常な話なのだが。
優姫は馬に合わせて、勝てる戦法を取っていく。
だが基本的に狙うのはクラシックだ。
そのためには距離を延長させていく必要がある。
スプリントやマイルといった、短い路線も整備されている現代。
特に海外などは、マイル戦などが多くなっている。オーストラリアは2歳や1200mのスプリントがかなりの数だ。
……その数多いスプリントレースが、果たしてその格を持っているかは別として。
それでも優姫は、クラシックの信奉者だ。
中山ほど急ではないと言っても、阪神にも坂はある。
そこをあっさりと上ったのだから、パワーは間違いなくあるだろう。
「スタミナの計算が立たない……」
走りたいだけ走って、気が済んだところで止まってしまった。
だから走破タイムから逆算しても、マイルまでは通用すると思うのだ。
阪神の直線はそれなりに長い。
そこを見事に上っていった、ラストの3ハロン。
もっとも前に馬がいたため、完全に脚を溜めることは出来ていた。
(う~ん……)
鳴神厩舎の馬であり、さらにはオーナーの肝いり。
そんな自分のお手馬なので、なんとか勝たせることは決めている。
「次はどこを使うべきか」
「それを決めるのは私なんだけどね」
千草の言葉に、初めて気づいた、という顔をする優姫であった。
調教師である千草の仕事は、馬の管理である。
調教自体は今はもう、ほとんどが育成牧場でやっている。
もちろん最後には、トレセンで調整を行う。
だがその追い切りすらも、トレセンでは行わないということもあるのだ。
昔は日本の追い切りなどが、欧米から見れば不思議に思えたらしい。
実際のところは欧米でもやるところはやるが、日本式というわけではない。
結局は馬の調教は、その馬の特性によって違う。
モーダショーもヴァリアントロアも、厩舎で預かっている期間が長い。
これは二頭とも性質は違うが、気性難で優姫でなければ扱えない、という理由である。
育成牧場の乗り役などは、なんなら海外の一流攻め専担当であり、下手をしなくても並のジョッキ―より上手く、給料も高かったりする。
それがお手上げなのだから、この二頭の手綱を握る優姫が、どれだけ大変であるのか。
ヴァリアントロアは今のところ、瞬発力もトップスピードも、そしてパワーも凄い。
そしてマイルまでならば、おそらくは問題なく通用する。
「というわけで萩ステークスはどうだ!」
京都で行う2歳のリステッド競走であり、これに勝てば賞金も一気に稼げる。
まず間違いなく、春のクラシックは問題なく乗れるであろう。
「テキ、今年の開催は……」
「……菊花賞と同日か……」
問題はそこであった。
ヴァリアントロアの気性からして、ジョッキーにかかる負担も大きい。
1800mのレースなので、かなり条件は満たしているのだが。
しかしちょっとしたミスで、優姫自身のコンディションを整えることが出来なければ、その時は同日の菊花賞でモーダショーを、追っていくことが難しくなる。
さすがにクラシックのために、ヴァリアントロアと同じ日に乗るのは厳しい。
普通に他のレースには、乗る予定であるのだが。
京都大賞典で賞金を加算しなくても、モーダショーの菊花賞出走は確実である。
逆に言えば菊花賞は絶対に動かせない。
「デイリー杯がマイルで丁度いいか」
千草の考えは、真っ当なものである。
菊花賞の後、11月に京都の1600mコースであるが、外回りである。
ただこのコースをしっかりと、ゆっくり回ることが出来るかどうか。
GⅡレースなので、2着でも賞金が加算される。
これで年末のGⅠにも出られるし、なんなら皐月賞まで問題ないだろう。
もちろん本当に2着までに入れるか、そこに問題はある。
ダメならダメで、2歳GⅠは諦めて、年明けの1勝クラスから、他の重賞に挑戦していくという路線でいいだろう。
「メインだし、振り落とされて怪我しても、次のレースの予定は入れなきゃいいしな」
「縁起でもない」
だが確かに、モーダショーが菊花賞でどういう結果になっても、それならば大丈夫であろう。
優姫はヴァリアントロアにばかり、手をかけてはいられない。
もちろん自厩舎の馬なので、大切なのは間違いないが。
先に京都大賞典である。
2400mのこのレースの後、中二週で菊花賞へ。
世間的にはどうやら、秋天に進むと思われているらしい。
この時期に古馬と対戦するなら、そちらが当然だと思うだろう。
昨今の競馬において、中二週というのはかなり珍しい。
特に短い距離ではなく、2400mも走るレースならば。
それにしても、とモーダショーの背中に乗って、優姫は考える。
(エージェントをどうにかしないと)
島田が言うにはどうも、エージェント間で取り合いが行われているらしい。
優姫の場合は100勝に到達しても、実質まだ見習いのようなものだ。
女性騎手の斤量減2kgが、強烈なインパクトを持っている。
そのくせ重賞でも勝って、負けても好走するのだから、馬主などの目から見ても、乗ってほしい騎手になっているのだ。
シュガーホワイトの競争中止は、間違いなく悲劇であった。
だが幻のダービー馬になったがゆえに、逆にその伝説は完成したとも言える。
引退の発表はまだされていない。
しかしその状態が知られるにつれ、もう復帰は不可能だと理解されていく。
夢や希望や、そして奇跡までをも与えた優駿。
せめてその産駒が見られるなら、と思ってもらうしかない。
クラシックホースを失った優姫は、強力なお手馬を失ったはずであった。
青葉賞3着のモーダショーは、ダービーの時点ではノーマークであった。
それが夏を越えて、有力な馬の一頭となっている。
オープン馬であり、間違いのないステイヤー。
体型などを見たらマイルまでか、あるいはダート馬かと思われるのだが。
京都大賞典、京都の芝外回り2400mのレース。
図太いモーダショーであるが、戸惑いを見せている様子もあった。
確かにこれまでも、古馬混合のレースを戦っている。
しかしGⅡに比べれば、やはりレースのレベルは違うのだ。
六歳や七歳といった、貫禄のある馬もいる。
そんな中で重賞未勝利(※)のモーダショーは、3歳馬ということもあって斤量が3kg減。
青葉賞の後の連勝で、それなりの人気にはなっていた。
今年は15頭が出走する、それなりの多頭数。
3歳馬は他に一頭が出ていて、これも夏の上がり馬である。
重賞の勝ち馬も半分ほどはいて、かなり競走馬としての完成度が高い。
同じ3歳馬や、オープンに入るかどうかというレベルなら、モーダショーは落ち着いているのは間違いなかった。
(これがいい方に働くか、悪い方に働くか)
ゲートインする前の輪乗りから、モーダショーの様子が極端に落ち着いてきた。
肚が座った、という状態になったのだろうか。
(さて、2400でどうなるか)
追い通す覚悟はしている優姫である。
ゲートが開いてスタート。
モーダショーはズブい馬ではあるが、気性が落ち着いてるため、スタートで変にタイミングが合わないということもない。
ただ古馬重賞となると、他の馬は平気で当たっても、そこから立て直す。
モーダショーは体重450kg前後と、それほど大きくはない。
しかし重心は安定しているので、上手く衝突しても、バランスを保つことが出来た。
(うん?)
そしてこの古馬たちの流れの中で、優姫は感じている。
モーダショーはステイゴールド系に分類される。
だがそこからスプラッシュヒットを通したことで、気性の荒さは改善されて、脚質も変わっていた。
これはスプラッシュヒット産駒ではなく、モーダショーという個体の特徴なのだろうが、面倒くさがりで走りたがらない。
おかげで鍛えるためには、長い距離を走らせるほかに、曳き運動もたっぷりしなければいけない。
今ではウォーキングマシンで、代用しているところもあるのだが。
今までのモーダショーになかった感触だ。
勝っても負けても、あまり反応がなかったのが、これまでのレース。
若駒相手や夏場の混合戦相手では明らかに手を抜いていたのだが。
「モーちゃん、やる気になってる?」
それはそれでどう影響するか、分からない優姫である。
しかし序盤から、しっかりとハミを噛んでいるのは間違いなかった。
このレースにはGⅠ馬は出ていない。
だが重賞馬は何頭も出ている。
しかし重賞馬の中でも、GⅠで勝ち負けする馬というのは、やはりあまり多くないのだ。
ローテーションを考えれば秋天に向かうなら、毎日王冠の方が府中を使う。
また距離的にここからジャパンカップを狙うにしても、コースの適性が違う。
ただ同じ2400mということで、距離の適性を考えたりはする。
ヨーロッパほどではないが、日本もそれなりに、コースによって色々と特色があるのだ。
京都にしても内回りと外回りで、攻略法は変わってくる。
単純に距離延長ではなく、皐月賞と菊花賞を勝ってるのに、ダービーを負けている馬もいる。
もちろんスタミナや折り合いの問題で、菊花賞を回避する馬もいるが。
周囲から押し出されるようにして、第一コーナーまでに二番手まで上がっていてしまった。
モーダショーとしては珍しい展開である。
(う~ん、これは……)
さすがにペースが早いな、と優姫は判断する。
なので追うこともなく、展開に流れて動かない。
基本的に人間というのは、馬にとってお荷物であるのだ。
内ラチ沿いを走る、ということを重視していた。
今日の馬場を考えれば、おそらくそれなりに差しが届く。
ならばこの時点では、脚を溜めた方がいい。
わずかに手綱を引くと、モーダショーは少しペースを落とす。
向こう正面の直線に入った頃には、先行集団の5番手ほどにまでに、順位を落としていた。
ここからは京都の坂。
ゆっくりと上がってゆっくりと下りる。
実際は下り坂を使って、加速していくものである。
優姫はその中でモーダショーを、上手く他馬の間に入れた。
先行集団から先に出た一頭が、脚色もいいしリードも多い。
(あれには追いつけないかな?)
もっとも重要なのは、無理をしない程度に、レースで体を作ることなのだ。
最後の直線となって、優姫は追い出す。
他馬もこの直線、鈍らずに脚を使ってくる。
また前にいた馬も、ある程度は脚が残って前残りにもなりつつある。
だが先に出た一頭以外は、モーダショーは抜いていくことが出来た。
(やっぱり古馬は強いな)
ほとんどが重賞を勝っている馬なので、それも当たり前ではあるが。
レースを使って調教をするのが、モーダショーの課題であった。
しかし呑気なモーダショーが、最前線で仕上げられてきた、古馬の気合にあてられている。
これは意外なことに、いい結果になるのではないか。
優姫がいくら考えても、馬の本質は分からないものだ。
最後まで1馬身届かず。
それでも後ろから抜かされることはなく、モーダショーはゴールを切った。
普段よりも呼吸が、整うまでが長い。
同じ2400mで府中を走った時より、消耗しているのは明らかであった。
自分を負かしたブルファンファーレを、じっと見つめている。
(そういえば2着になったのは初めてか)
前に他の馬が、一頭だけしかいなかったという決着である。
「お疲れさん」
「はい」
検量を終えて、優姫は三ツ木と話し合う。
「まあええ結果やろ。賞金も加算されたし」
「馬にやる気がありました」
「ほう」
これまでにはなかった、モーダショーのレースである。
実際のところ斤量に差があったと言っても、重賞馬だらけの混合戦でこの結果は、想像以上である。
馬も成長しているのか。
あるいはレースというものを、ようやく理解してきたのかもしれない。
ここから中二週で菊花賞。
優姫は最後、あえて全力では追わなかった。
どのみちあれは届かなかったな、とは思っている。
「俺が見に来ると、なかなか勝てないなあ」
オーナーの社長がそう言っているが、そういうものではない。
「菊では一番人気になりますよ」
三ツ木の言葉に、相好を崩すオーナーである。
ヴァリアントロアとは、一応オーナーとしては同じ。
だが実質的にその家族の中で、誰が持っているのか、というのは違うらしい。
モーダショーの他にはライガースラッシュも、社長である彼の持ち馬。
対してヴァリアントロアは、夫人のものであるのだ。
「クラシックはなかなか勝ててないからなあ」
毎年10頭以上もの馬を買っている。
だがセレクトセールで買うことがあまりないので、重賞に勝つだけでもすごいことだ。
ただ古馬との混合戦で、菊花賞と同じコースで、2着に入ったこと。
これは相当に珍しいことで、同じ3歳同士ならば、世代トップクラスのはず。
もっとも今日の場合は、相手が強くてその気になった、というものだろう。
本当に馬というのは、気まぐれな生き物である。
(先行で強い馬がいれば、それに併せていけば勝てるかな)
3歳クラシックの最終戦菊花賞。
それは最も強い馬が勝つ、と言われるレースであるのだ。
※ 重賞未勝利
モーダショーのこれまでの勝ち鞍は丹頂ステークスが最高のもので、リステッドという分類になる。
オープン馬になっただけではなく、ステークスと付く名前のレースを勝っているのは相当に強い。




