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プリンセス・ジョッキー ~優駿の姫騎手~  作者: 草野猫彦
二章 もう一つの黄金

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第31話 ターフ外の戦場

 国によって競馬の本番と言える時期は違う。

 ヨーロッパなどでは真夏であっても、それなりの格のレースが存在する。

 一方で日本は、明らかに夏場はGⅠが少なくなる。

 それこそダート以外は一つもない、というぐらいに。 

 これは馬を調教するにおいて、また環境を整えるにおいて、過去には設備が揃わなかったため、暑さに弱いサラブレッドがバテていたからか。

「昔はこんなに暑くなかったけど、それでも湿度は高かった」

「あんた、昔っていつのこと言ってるんだい?」

 札幌から帰ってきて、いよいよ秋に備えていく季節である。

 日本の競馬の旬は、本来ならば春と秋。

 有馬記念がなかったら、冬には行われなかっただろうか。


 9月も終盤にはトライアルが行われ、また2歳のレースも充実してくる。

 とりあえず優姫は、三ツ木厩舎に説明しに行った。

 結論ではなく、理由を説明するという、その順番を忘れないように。

 単純なテストなどをさせれば、優姫の知能指数は高く、勉強も出来る。

 しかし相手に対して、絶対的に言葉足らずのところがある。

 自分ならこの説明で分かる、という前提で話してしまうからだ。

 そこを慣れや、優姫以上の補完によって、補える人間はいいのだが。


「つまり、モーダショーが他の馬を甘く見ると」

「……はい」

 神戸新聞杯はトライアルレース。

 今のモーダショーであれば、充分な勝算がある。

 否、全力で優姫が追えば、おそらくは勝てるであろう。

 しかしそうなると本番の菊花賞で、手を抜いてしまう可能性があるのだ。


 そこで古馬混合のレースで、タフな経験を積ませる。

 それを経験値にして、菊花賞に臨む。

「まあ栗東に戻ってきたらいきなりリラックスして、また肥えてきているのは確かだが……」

 昔からレースでないと、仕上がらない馬はいる。

 年配の三ツ木としては、そういう馬は確かにいると分かっているのだ。


 それでもオールカマーはさすがに、三ツ木としても納得できない。

「なので、毎日王冠か京都大賞典を」

「そこは京都大賞典じゃないんかね」

「相談したくて」

 同じ週に行われる、共にGⅡの古馬混合戦。

 コースは中山と京都であり、菊花賞までは中二週となる。


 中二週で体調を整える。

 菊花賞と同じコースである、京都を選ぶべきとなるであろう。

「毎日王冠を使うメリットは?」

「距離が短いから、ややハイペースになる」

 ズブいモーダショーに速いペースで走らせるのは、本番前にはいいことだろう。

 また1800mの毎日王冠は、マイルに近い距離。

 基本的に競馬は、長距離ほど消耗するものであるのは間違いない。

 京都大賞典は2400mである。


 ただそれはそれで、輸送による疲労も考えられる。

 とりあえず故障の気配が全くないのは、ありがたいことなのだろうが。

 悩ましい問題であった。




 毎日王冠か京都大賞典か。

 あるいはいっそのこと、徹底して調教だけにするか。

 重賞競走の場合は、前週までに登録をしなければいけない。

 だからわずかにではあるが、まだ時間はある。

 その時間の間に、やるべきことが一つある。

「来たね……」

 デビュー戦を待たずして、美浦から栗東へ転厩してきた。

 黒鹿毛の牡2歳、ヴァリアントロアである。


「トップロードの肌馬なんて、ほとんど残ってなかったろうに」

 六歳まで走って引退したナリタトップロードは、わずか三年しか種付けを行わず、心不全で死亡している。

 ただ彼は母父がブルードメアサイアーとしてそれなりに産駒が残った、アファームドであった。

 モガミの肌馬にナリタトップロードを付けたので、ノーザンダンサーのクロスは発生している。

 だがここにカネヒキリとキズナを配合したので、サンデーサイレンスの血も濃くなっているのだ。


 父はサイアーラインがステイゴールド系。

 サンデーが三本に、ノーザンダンサーも複数。

「キンカメも入ってるし、煮詰まった血統だね」

 種牡馬入りするにしても、肌馬があまりいないだろう。

 相当に高い実績を上げて、お嫁さんを集めるしかないが、そこまで進めるかどうかの段階だ。

「ダートの血統が強いけど……脚は芝でも走れそうだね」

 改めてチェックする千草である。


 能力は極めて高いのだ。

 母父キズナというわけで、かなり気性難も薄まったはず。

 だがモガミが目覚めたのか、ディクタスが攻撃的に出たのか。

「北川さんに任せるけど」

「ああ、やりましょう」

 厩舎で一番のベテランに、この担当は任せる千草である。


 やたらと反抗的で口向きが悪い。

 ただ馬装が出来る程度の、最低限の馴致はしてあるのだ。

 育成牧場でも、能力的な評価だけは高かった。

 だが攻め馬専門(※1)のベテラン厩務員でも隙を見せれば、振り落としてくる。

 優姫も何度か振り落とされて、かなり気位の高いところを見せたのだ。




 気性難と言っても、色々と種類がある。

 単に凶暴なだけ、というのが気性難なのではない。

 反抗的な血統は、怒りの爆発力も持っている。

 それよりも厄介と言えるのは、気まぐれであったりこだわりが強いタイプだとも言われたりしている。


「とりあえず臆病っていうタイプやないな」

 三白眼で睨んでくるヴァリアントロアである。

 だが優姫はそれに対して、ぺちぺちと手で叩いていく。

 向こうも負けじと、頭突きをしてくるが。

「う~ん、もう少し落ち着いてくれたらええんやけど……」

 北川からしてみれば、確かに相当の気性難ではあるが、これぐらいなら普通に扱ったことがある。

 もっとも未出走のまま、引退してしまった例もあるが。


 能力や体質ではなく、気性の問題で長い距離を使えないのではないか。

 北川も厩務員として長いので、ある程度の相馬眼が備わっている。

 体型はそうでもないが、性格がスプリンターであろうか。

(なんとなく2000ぐらいも無理な気がするな)

 今では海外であっても、マイルやスプリントの価値が上がっているので、トップクラスはそちらに行けばいいのだが。


 ゲート試験を通過しているのだから、なんとか競走に使えないか。

 まずは移動から数日、トレセンの中を歩かせる。

 そしていよいよ、コースの中で走らせてみる。

(走ること自体が嫌いなわけじゃないか)

 優姫は背中を感じているが、ただ制御しきれないのは確かである。


 デビュー戦をどこで走らせるか。

 そもそもまともにレースが出来るのか。

 他の馬と併せてみると、抜かれまいとする根性は見せる。

 だがそれだけで終わらずに、嚙みつきにかかるのだから、本当に気性が悪い。

(血統的に見ても、去勢される可能性はあるなあ)

 優姫は馬が好きだが、同時にリアリストでもある。

 勝てずに引退となった場合、この血統では去勢して乗馬になるしかないか。




 使えるようになる前に、まずはモーダショーの行方である。

「また変なローテ組んでるなあ」

 トレセンにいれば必ず顔を合わせることもある、同期の颯太である。

 父の箱崎厩舎からデビューして、重賞にもそれなりに乗るようになった。

 だが優姫に比べると、勝ち鞍はまだ半分にも満たない。


 優姫の同期で栗東デビューした人間は、かなり損をしている。

 特に勝ち鞍を稼ぐという点では、去年は明らかに終盤、未勝利戦や一勝クラスが優姫に集中していた。

 見習い騎手の斤量特典は、颯太も少し減っている。

 だが優姫の場合は100勝を突破し、女性騎手の特典しか残っていない。

 それでも女性の分、2kgは軽く乗れるのだ。


 競馬村のつながりで、間違いなく颯太の方が、スタートは有利であったのだ。

 しかし優姫は未勝利戦で、とにかく複勝圏に入りまくり、勝ちまくったのが一年目。

 どうせならさらに軽く乗れる、女性騎手でもいいかと考える。

 最後の頼みの綱で、任されることが多くなった。

 そんな馬を力技で、どうにか着を上げてくるのだ。


 声をかけられた優姫は、モーダショーの調教のために、馬場に向かっている。

「オープンまで行ったのはたいしたもんだけど、そいつ本当はダート馬やろ」

 2600mを勝っているのに、それは無理があるだろう。

「東京大賞典が3000mの時代なら、挑戦させてた」

「はあ? ……そんな時代あった……かな、そういえば」

 イナリワンがその距離では、最後の優勝馬であるのだから、忘れてはいけない。


 優姫と会話をしていると、こういう内容で話が途切れてしまうのだ。

 上手く日本語が通じていいない、と言ったらおかしいだろうか。

(けれどこいつ、無茶苦茶頭はいいんだよな)

 競馬学校では一応、筆記の試験もあったのだ。

 優姫はほぼ満点を取っていたが、たまに知識が古すぎてペケがついていた。


 今日もモーダショーは、追われながら駆けていく。

 優姫が未勝利を勝たせて、まさに育てたお手馬である。

 そんな様子を見ながら、颯太は坂路の方に向かう。

(俺もさっさと重賞を勝たないと……)

 置いていかれるというか、そもそも優姫の眼中にない。

 彼女にとってそこはもう既に、通り過ぎた場所であるのだから。




 トライアルが本格的に始まる前に、優姫にはもう一つやるべきことがあった。

 代理人エージェントを決めることである。

 優姫はこれだけ実績を残しながらも、重賞を依頼されることはほぼない。

 シンザン記念を除けば、綿貫から託されたライガースラッシュに乗ったぐらい。

 モーダショーの場合は未勝利から自分が育てたものであるし、オープン馬だがまだグレードのついた重賞に勝っていない。

 JRAの重賞を勝てば、GⅢでもおよそ200万円以上の賞金(※2)が入ってくる。

 これが未勝利戦だとジョッキーの取り分は30万円なのだ。


 もっともこのあたり、2歳と3歳とで条件は変わってきたりする。

 この夏の優姫は、未勝利以外に新馬戦も、かなり勝っている。

 新馬戦は現在ジョッキーがもらうのは、およそ40万円。

 賞金の5%であるが、経費として使う分も多い。

 特に他厩舎の馬で勝った場合は、ビールを1ダース送るというのが、古くからの慣習として存在した。

 今では若者のビール離れなどもあり、色々な礼品を送る文化は残っていても、品物は変わっているが。


 なお綿貫から託されて重賞を勝ったのに、次はまた戻したというのはこのエージェント制に関係している。

 オープン馬に出世したライガースラッシュは、綿貫のお手馬ではあるが同時に、エージェントが手配した馬でもある。

 なので綿貫が謝罪の形で、栗東の優姫に栗東のレースを一度だけ頼むというのは、エージェントも受け入れることが多い。

 ただその先もずっととなると、エージェントとしては自分の手配した馬を、ジョッキーが勝手に回したことになってしまう。

 そのため一度限り、という条件がついたのだ。


 騎手会会長の島田は、優姫に紹介しようかと言っていた。

 だが実はこれは、厩舎の調教師にとっては、ちょっと面倒なことになる。

 今までは優姫は、そう簡単にスケジュールが埋まることはなかった。

 だから未勝利や1勝クラスを、気軽に頼むことが出来たのだ。

 しかしエージェントが入ってくると、スケジュール調整はエージェントが行うことになる。

 他の新人にしても、斤量特典から頼まれる、という場合は多いのだ。

 だが実績が積み上げられると、それに相応しい馬を、ということにもなる。


 優姫はとにかく特殊なのである。

 夏のローカル開催でも分かったし、現時点でのリーディングが6位という数字からも、乗れるのは間違いない。

 特に条件戦で、女性騎手の2kg減を使えるのがとてつもなく大きい。

 一般的なエージェントが抱えるのは、メインの騎手が一人に、サブが一人、そして予備が一人いて若手が一人までの四人となっている。

 この上限は明確に決められたものだ。

 しかし優姫はシュガーホワイト以外にも、見放されていたモーダショーをオープンまで持って来て、ライガースラッシュを勝たせている。

 これで騎乗する馬のレベルが上がれば、とんでもないことになるのでは、と思われていたりする。




 島田はちょっと困っていた。

 エージェントが管理しているジョッキーを、エージェント・ラインという。

 実際にはメインのジョッキーの名前から、彼の場合は島田ラインなどとも呼ばれている。

 美浦であれば五十嵐ラインや綿貫ラインというものだ。

 そして島田は自分のラインに優姫を入れよう、と思っていたわけではない。

 既に自分のラインは埋まっているので、エージェント間にも人間関係があるから、そちらで調整してもらおうとしたのだ。

 結果、戦争が勃発した。


 永遠に2kg減量で乗れる上に、自力で未勝利馬をオープン馬に育て、乗り替わりでもしっかりと勝って着を拾う。

 おまけにアイドル的な人気が、シュガーホワイトと共に出来ていた。

 こんなジョッキーを、欲しがらないわけがないのだ。

「そういうことで、ちょっと時間がかかりそうだ」

「はあ……」

 今まで声がかからなかったのは、優姫が女だから、というのもある。

 所属厩舎の鳴神も、千草が女調教師。

 変な輩が関わらないように、と注意していたのはあるのだ。


 競馬村の外から入ってきたので、序盤は確かに苦労した。

 未勝利馬や、ずっと1勝馬のまま、というのを三月のデビューからは回されてきたのだ。

 およそそれがオープンにまで出世すると、他のジョッキーに取られてしまう。

 それは当たり前のことであって、白雪にシュガーホワイトという特異点があったため、こうやって乗れるようになっている。

 あとはモーダショーも、惨敗から優姫がオープンまで持ってきた。


 もうあまり期待されなくなった馬なので、斤量の軽いライン外の騎手に乗らせることとした。

 どうせなら見習い騎手の斤量特典もある、つまりあの段階では一番軽い優姫に。

 そしたらなぜかポンポンと勝ったり、勝てなくても掲示板までには持ってくるようになった。

 困った時の天海優姫、という扱いが栗東の方ではされていたのだ。


「ちょっと聞いたことがない話だね」

 千草は思わず笑った。

 彼女の厩舎の馬も、基本的には島田と仲のいい騎手のラインに乗っている。

 ただシュガーホワイトは例外であったし、ヴァリアントロアも例外になりそうである。

(本当に、競馬界を動かしつつあるなあ)

 一人のジョッキーが、若手からここまで影響力を発するのは、ちょっとなかったことである。

「面倒くさい……」

「まあとりあえずは、菊花賞だね」

 おそらく来年になれば、古馬のオープン馬も依頼されることになるのだろう。

 そうなると自分からは、もう卒業していくことになる。

(いいエージェントに当たってくれるかな)

 師匠としてそれを祈る千草だが、そうなると自分の厩舎の頭打ちになった馬を、掲示板に乗せてくれるジョッキーがいなくなる。

 それは悲しいことだな、と思う千草であった。

 ※1 攻め馬専門

 調教を専門に行う者のことである。厩務員などでは厩務員作業のみをする厩務員、自分でも調教をつける持ち乗りといった者がいる。

 育成牧場などでは、完全に攻め馬専門の担当がいる。


 ※2 賞金

 レースの優勝賞金は、調教師が10%、担当厩務員が5%、ジョッキーが5%をもらうことになっている。ただ現在では厩務員の作業は分担されていることも多くなっているため、3%を担当に、2%を厩舎全体で、などという形も取られている。

 鳴神厩舎もそういう現在の形式。

 なお舞台設定は近未来のため、今の賞金よりやや高めになっている。


 ※エージェントと乗り替わりに関して

 ライガースラッシュの乗り替わりの件に関しては、描かれていない様々な背景が存在する。

 通常ならばラインの二番手に行くところであるが、急であったため既に予定が埋まってしまっていた。

 これも通常ならば、仲のいいラインに任せることになる。

 だがモーダショーへの斜行、舞台が京都競馬場、勝てばそれ以降は南関を使っていくという背景から、栗東で京都の勝率が高い優姫に、お詫びとして頼んだという背景が強い。ただこれによってダートGⅠで出走できることになったので、お詫びというか「ありがとう」案件になってしまっている。

 若手で調教もしっかりする優姫が、平日開催の南関に来るのは難しいということもあって、今回のみという条件で頼み、次からは綿貫ラインに戻っている。

 なおあまり口を出さないオーナーである彼だが「なんであの子にそのまま頼まないのか?」と普通にエージェントや厩舎に尋ねてはいた。

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