第30話 夏の終わり、秋への助走
正座させられて千草の説教を受ける優姫。
ただ馬主に馬を勧めること自体は、悪いことではない。
「まあまあ、そのぐらいで」
そうオーナーにも止められたのだが、優姫にも言い分はある。
「大量の若駒たちの匂いにあてられて我慢できなかった……」
お前、1歳馬を相手に発情するな。
しかも牡馬も牝馬も無節操に、惚れてしまうのである。
ともあれ一日、優姫は貸し出されてしまったのであった。
素質はおそらく抜群なのだ、という2歳馬。
「2歳馬? この時期に?」
一応は一度、美浦の厩舎に入厩はしたのだ。
だがゲート試験に通らず、一度北海道に戻されている。
「体のバネとかはものすごいんだけどねえ」
そして見せられた写真と血統表を見て、何とも言えない感じになる優姫であった。
その日の夕方になって帰ってきた優姫は、疲労困憊していた。
「いったい何してたの」
「テキ、確か今年の2歳馬はまだ、受け入れる枠ある?」
「まあ……あるけど」
「この子をちょっと、気合を入れて調教するので」
なんだか違う意味の調教のような気がしたが、とりあえず馬の写真と血統図を見る。
「???????!」
こんなのを預かるのか、と言いたくなるのも仕方がないのは、血統表を見ただけでも何となくわかる。
そもそも何を考えて、こんな配合をしたのであろうか。
サンデーサイレンス系の中でも、ステイゴールド系であるのは間違いない。
だが他のラインからも、サンデーが二本入っているのだ。
さらにステイゴールド以外から、ナリタトップロードの血を介してディクタス産駒のサッカーボーイが入っている。
とどめとばかりに入っているのが、モガミの血であった。
「どんだけ気性難なの……」
男性に対するシュガーホワイトも、相当にひどい存在ではあった。
ただこれだけの血統というのは、何をどう考えて作り出したものなのか。
「ロマン血統って、まだ残ってるんだね」
千草の実家であっても、こんな配合はしないはずである。
サンデーが増えすぎた、というのは間違いない。
フジキセキやダンスインザダークという、初期の種牡馬は代替種牡馬としても優秀であった。
サンデー系にあらずんばサラブレッドにあらず。
実際のところは五代が、しっかりと新種牡馬は海外から導入している。
また日高も輸入しているので、どうにか血を薄めて使っているのだが。
しかし一時期は本当に、海外の競馬市場が縮小していた時代があったのだ。
それを蘇らせたのが、日本の第三次競馬ブーム。
だから今の日本は、世界の馬産からも一目置かれるようになっている。
邪道だ、という声はヨーロッパから聞こえたりしているが。
今はサンデーの血を、いかに薄めてクロスさせるか、が重要となっている。
安定させるための配合、というのも存在する。
だが気性難は上手く爆発させる方向に持っていければ、競走能力に直結するのだ。
そういう意味ではディープインパクトとステイゴールドを、子孫で上手くクロスさせるのが、一番強力なものとなるのではないか。
「けどこれじゃ、ダート馬の血統に見えるね」
「ダートでも走れそうではあった」
ダートで走るのは芝の二軍、という時代が長かった。
実際に芝で通用しなかった馬がダートに行ったのであるし、またダートの本場のアメリカと、日本のダートは違ったからだ。
しかし今は日本のダートの質が変わったわけでもないのに、海外のダートで勝つ馬が出てきている。
結局強い馬は、どんなコースでもこなせる万能性を持っているのかもしれない。
サンデーサイレンスは芝の馬を多く出したが、ゴールドアリュールなども出している。
孫世代となると、完全なダートの王者も出ていたりする。
そして芝のディープインパクトの孫が、ダートの世界最強馬となった。
「血統だけ見てると、確かに色々と走れそうではあるけど……」
むしろこういう馬は、どっちつかずになることも多い。
実際に乗ってみて、その能力は確かめた。
ならばあとは、その能力がレースで引き出せるかだ。
能力は認められていても、果たしてレースに使えるかどうか。
現在の馬産においても、10%以上は未出走のまま引退する。
その中にまともに走れない、という馬がさらに10%ほどはいるのだ。
そこまで気性難であるのなら、いっそ早めに去勢してもいいかもしれないが。
少なくとも血統だけで、種牡馬入り出来るほどのものではない。
調教技術は間違いなく、日々進歩している。
だがそれは平均の話であって、突出した職人作業は、やはり属人的なものであったりする。
あの暴走する悍馬を、どうやって制御していくか。
(上手く走るために制御できれば、大きいところも取れそうだけど)
折り合いが取れずに暴走させた、というのは優姫としても屈辱である。
そんな優姫はしっかりと、セリだけではなくレースにも乗っている。
現在のリーディング争いでは、さらに一つ順位を上げた。
未勝利戦や条件戦で、確実に勝っている。
ただ全体的に、乗っているレースが多くなっているのも確かだ。
そろそろ地方に転出させようか、という最後の諦めをするために、優姫に由来する。
これでそれなりに勝ってしまうのだから、恐ろしい話である。
またセリにも付き合ったが、平日は週に一度は育成牧場に向かう。
そしてボロボロになって帰ってくるのだから、一頭の馬にどれだけかかりっきりなのか、といったところである。
(まあ優姫のおかげで、クラシックも勝てたしなあ)
千草は遠い目をする。
チーム・シュガーホワイトは、このメンバーでなければ成立しなかった。
預かる馬の数も増えて、仕事はさらに作業量が増えたが。
札幌の開催もそろそろ、終わりに近づいてくる。
リーディングの順位が上がっても、まだ優姫に外から来る騎乗依頼は、条件戦がほどんと。
その中でハンデ戦として丹頂ステークスというものが存在する。
OP戦であって、距離は阿寒湖特別と同じ2600m。
これにモーダショーは出走する。
3歳の牡馬で、3勝馬のモーダショー。
阿寒湖特別もそこまで、圧倒的な強さではなかった。
そのため斤量は53kgで乗れる。
ハンデ戦にはさらに、見習いや女性騎手の斤量特典が加算されることはない。
(さて、本当に走ってくれるかな)
これが今年の、札幌の夏の最後のレースである。
「先生、本当にまた使うんですか」
「大丈夫、ちゃんと様子を見て使ってるから」
生産者代表として、牧場の人間がやってきている。
このペースで使っていくのは、現代競馬では珍しい。
「調教じゃ本気を出さないから、レースで仕上げていくしかないんだよ」
そう言っていたのは優姫だが、ちゃんと確認して納得したのは三ツ木だ。
今日のレースに勝ったなら、賞金的に菊に出すことは出来る。
だが優姫はさらに、トライアルを使おうと言っていた。
そこはもちろん、調教師である三ツ木の判断となる。
(しかし本当に、調教では走らんからなあ)
優姫が乗るまでは、レースでも走っていなかった。
銭にならない走りはしない、と調教師が嘯いたのが、伝説の五冠馬シンザンである。
レースで走らせながら調教する、というのは昭和の時代にはあったことなのだ。
だが今の時代は調教の技術の発達で、しっかり育成牧場で乗り込めるはずではないのか。
ただサラブレッドには個性というものがある。
レースで使いながら仕上げていく、というのも確かにいるのだ。
レースは最初から追っていく展開になった。
前めに付けておいて、ロングスパートをどうやって使うか。
(弱点はあるからなあ)
ロングスパートで徐々にスピードを上げていくため、包まれたらおしまいである。
状況に応じて、逃げるか大外に持っていくか、極端な話になるだろう。
「あ~、あ~、あ~」
「落ち着きなさいな」
今日は馬主も来ていないので、応援代表は生産者なのだ。
そんな乗り方じゃダメだろう、などとぶつくさ言っていた。
だがいつの間にか札幌の丸いコースで、順位を上げていっている。
「それじゃあ、脚が止まるだろ」
そこまで言っているのだが、三ツ木は勝利を確信した。
(あの子にはいったい何が見えてるんだ?)
最後の直線に入って、先頭に立つ。
そこからむしろ着差を広げて、盤石のゴール。
「珍しく着差がついたな」
三ツ木は首を傾げながらも、これでトライアルまで使えば盤石か、と思ったのであった。
現在の賞金であっても、既に菊花賞に出られるほどではある。
だがさらにトライアルで、体を絞っていく。
(神戸新聞杯か)
久しぶりにクラシックに馬を送り込める。
調教師としてこれ以上の喜びはない。
いくら菊花賞の価値が下がっていると言っても、牡馬クラシックであるのだ。
元となったイギリスのセントレジャーは、実はダービーよりも歴史は長い。
(阪神2400なら、充分だろう)
そう三ツ木は考えていたのだ。
「神戸新聞杯を使わない?」
言い出した優姫も、珍しく困った顔をしていた。
「じゃあ中山でセントライト記念を使うってのかい? 短い距離を、わざわざ輸送して? まあそれはもう無理やけど」
さすがにそれはないな、とは三ツ木も分かっている。
連闘になってしまう上に、関東のレースで、既に登録期間が終わっている。
「それも違って……」
優姫の言葉に温厚な三ツ木も、思わず怒ってしまった。
「あかんあかん! ただでさえ丹頂ステークスから神戸新聞杯まで中一週なんやで! それをどうしてオールカマーなんかに出すんや!」
オールカマーもまた、中山のレースである。神戸新聞杯と同じ週のレースで、しかもこちらは古馬混合だ。
「それはなし! これ以上無茶言うなら、さすがに降りてもらうで」
それを言われるとどうにもならないのである。
調教師とジョッキーの関係は、制度的には本来調教師が、圧倒的に強い。
だが現実においては超一流になると、ジョッキーの方が強くなる。
優姫は確かに乗れるジョッキーなのであろう。
ただ超一流が提案してきても、あんな話には乗らない三ツ木である。
(でも理由ぐらいは聞いておいた方がよかったかな……)
そのあたり弱気になる三ツ木は、やはり最近は重賞をあまり勝てない、という状況は理解しているのだ。
しょんぼりとして帰ってきても、調教はしっかりと行うのが優姫である。
ただ毎日顔を合わせている千草には、雰囲気が変わったのも分かる。
「何かあったのかい?」
「う~ん……」
悩みながらも相談するのは、弟子と師匠の関係であるからだ。
他厩舎の話であるので、千草には関係がないと言えばないのだが。
ただ聞いた千草も、やはり呆れた。
「中一週で、中山の古馬混合に使うって、そんな無茶な……」
札幌から栗東に戻って、中一週で神戸新聞杯に臨むというのも、相当に無茶な話であるのだ。
それを優姫はあくまで、調教代わりとして必要だと話を通したのだ。
「でもまあ、理由はあるんだろ?」
そこは聞いてあげる、優しい師匠であった。
今日のレースは、想像以上に強い勝ち方をしたモーダショー。
これは菊花賞の有力候補が出てきた、と競馬マスコミも喜んでいたのだ。
しかも鞍上が天海優姫。
皐月賞を取った19歳が、菊花賞も取ってしまったら。
これまでGⅠを10代で2勝したジョッキーはいなかった。
だがホープフルステークスは歴史も浅く、これでGⅠ2勝と言うのは古い人間なら認めないだろう。
だが菊花賞なら別である。
同一年のクラシック二冠を、違う馬で果たす。
同じ馬で二冠、というものならかなり存在するのだが。
(狙ってるのかな?)
千草はそうも思うのだが、それは違う気がしている。
「今日はちょっと勝ち方が強すぎた」
優姫は終始追っていたが、確かに今までにない着差であった。
「一回本当に強い馬と当たって、鼻っ柱を折ってやる必要がある」
「負けるために古馬にぶつけるの?」
「勝敗は度外視して、私が乗らないと負ける、と思わせる程度でいい」
つまりモーダショーは、四連勝して調子に乗っている、ということなのだろうか。
馬と話せるのでは、と言われるようなジョッキーや厩務員はいる。
話すは大げさであっても、コミュニケーションはそれなりに取れるのだ。
優姫としてはモーダショーに、そういう気配を感じたということだろう。
三ツ木厩舎には他にもオープン馬はいるが、この四連勝で間違いなく、モーダショーが一番の注目株となっただろう。
「神戸新聞杯は勝てると思ってるんだ?」
「出てくる馬も、それほど強くはないだろうし」
なるほど、と千草は納得した。
優姫はやはり、説明の仕方が拙い部分がある。
特に今回は、神戸新聞杯に出すという無茶を、一度は三ツ木に通しているのだ。
(手のひら返されたら、それは怒るだろうね)
だが優姫の言っていること自体は、彼女の中で整合性が取れていると分かった。
それでも中山まで輸送というのは、スケジュール的に無茶であるが。
他の路線がちゃんとあるではないか。
「菊花賞までに、しっかり回復するかが問題だろうけど……」
番組表を見て、10月のレースを千草は叩いた。
「京都大賞典……」
「同じ京都のコースを使うことにもなるし、中二週で菊花賞に使うことにはなるけど……」
それでも優姫の提案よりは、まだマシな方であろう。
「だけど使いたいレースの前に、どうしてそう思ったのかをちゃんと順番に話しな」
答えだけを出されても、人は納得しにくいのである。
栗東に帰れば、代理人も紹介してもらえると聞く。
だが代理人の手腕よりも、優姫と感性が合うのかどうか、それが問題ではなかろうか。
(これから忙しくなりそうだし……)
ある程度は他の調教師に、優姫のことを頼んでいた千草である。
しかしもう千草では、どうにもならない段階になっている。
優姫の世界は、これからも広がっていくのだ。




