第27話 海が聞こえる
シュガーホワイトの強さというのは、知能面と肉体面に分かれていた。
そのくせレースの終いには、勝負根性を出してくるのが、やはり遠くなってもサンデー系と言えるだろうか。
サンデーサイレンス系の強さは、気性の闘争心と肉体の瞬発力を発する柔軟性にあるという。
それをもっとも強く受け継いだのは、気性面ではステイゴールド、肉体面ではディープインパクトと言えるだろうか。
その二頭も死亡した現在、気性と肉体を上手く合わせたい。
ディープインパクト系の牝馬は多いが、ステイゴールド系の牡馬と果たして合うのかどうか。
「シュガーはスピードはあったけど、瞬発力は少しだけ劣っていた」
「それでもあれだけスタミナはあったからね」
ロングスパートを700m以上続けて、最後にまだ伸びていった。
「上手くスピードが引き継がれればいいんだけど……」
優姫が心配しているのは、母系の奥に眠るモンジューやリファランスポイントあたりの血である。
スタミナ血統と言われていて、日本では重い。
母父キャンディライドが、上手くそれを打ち消してくれていると思うのだが。
この牧場巡りの夏に、千草は実家に帰郷している。
忙しいことは忙しいが、なにしろ生き物を相手にしているだけに、正月もあまり休めないのが馬産だ。
なのでどうしても、この夏に戻ることになっている。
そのあたり馬に携わる者の、宿命といったところだろうか。
優姫の場合は家も、トレセンから近い。
だが精神的な距離は離れている。
千草と共に牧場を訪れるというのは、優姫にとっては魂の故郷に帰ってくるのと、同じようなものであった。
「シュガーホワイトの種付けだと!」
鳴神牧場は千草の父が社長、兄夫婦や妹夫婦が従業員という、ほぼ家族経営の牧場であった。
数名のアルバイトや、臨時雇いの人間もいるが。
「何に付けたい~?」
にやにやと人の悪い笑みを、遠慮なく見せる。
普段はクールな顔を隠さない、千草が遠慮なく感情を露わにする。
実家というのはそういうものなのだろう。
「そうだなあ、うちの当歳も見てみるか」
「だいたいもうお得意さんに買われてるんでしょ」
「ただセリに出すつもりの馬もいるぞ。お前が馬主さん見つけてきてくれるなら、条件によっちゃ売ってもいいが」
この時期、まさに当歳の馬たちは、元気に走り回っている。
ただ夏場であると、最近は北海道も、気象の問題がネックになりつつあるが。
それでも他の土地に比べれば、はるかに向いていることは間違いないが。
20頭の繁殖のうち、10頭は預託。
5頭は既に庭先で販売が済んでいる。
まだこの時期は生産牧場に住んでいて、1歳になってから育成に入る。
だがこの当歳の時点から、既にある程度鍛えていくところも多い。
子別れしていないため、母親とも一緒に見ることが出来る。
比較的古くからの在来牝系も、まだ繋養しているのだ。
「優姫、あんたから見て走りそうなのはいる?」
シュガーホワイトを見つけてきただけに、千草は優姫の直感を信じているところがある。
彼女自身も牧場育ちに調教師で、走らない馬ならばおおよそ分かるのだが。
預託している牝馬の産駒は、おおよそがその預託馬のオーナーか知り合いが買っていく。
また牧場の持っている繁殖も、形が良かったり血統次第で、買われていく。
血統が地味であったりしても、牧場が見どころがあると思えば、セリで売るためにまだ育てていくのだ。
「う~ん……」
「やっぱり走りそうなのはいないか」
「勝ち上がれそうなのはそこそこ。……あっちの馬はもう売れてる?」
「そのはずだけど……あれ?」
随分と脚の曲がった幼駒が、もう売れている方に分けられていた。
「兄ちゃん、あれって売れたの?」
「まあお付き合い(※)があったから、お願いしたんだ。多分地方で走らせるんじゃないかな」
「う~ん、触っても大丈夫?」
「まあ、人懐こい馬だし、大丈夫だよ」
もちろん一般人であれば、そんなことは許可しないのだが。
脚が外向(※1)しているのに加えて、馬体も見栄えがしない。
「父親はストレンジ……とはちょっと違う。サンデーはこの感じだと……」
ぶつぶつと呟いて、目を合わせる。
馬体に比べるとその目には、美しい輝きがあった。
「三代以内にフジキセキとストレンジが入ってる? あとはもう少し奥に母系にブライアンズタイムがいるかな」
「……なして分かるの?」
まさにその通りで、ブライアンズタイムの肌馬に、フジキセキを付けたのが祖母である。
よく父親を当てる人間はいるが、さらにその奥まで見抜ける人間は少ない。
「隔世遺伝でサンデーに似てるのは分かってたから。でもサンデーを当時付けるのは難しいから、フジキセキかなって。それでもサンデーの血が濃いか……」
ストレンジはサンデー系ではなくロベルト系だが、母系にはサンデーをたっぷりと含んでいる。
どちらにしろヘイルトゥリーズンが濃い血統なのは間違いない。
よく血統を当てたな、とは千草も思った。
だが調教師として重要なのは、そこではないのだ。
「走るのかい?」
「素質はありそうだけど、出来れば脚の外向はどうにかした方がいい」
「兄ちゃん、どこの厩舎に預けられるか知ってる?」
「いや、中央で走らせるつもりはないようなことを言ってたから」
「うちに預けられるよう、話を通してくれないかな」
調教師がどれだけ願っても、馬主の考えが優先されるのが、今の時代である。
「あとは削蹄(※2)か……」
その優姫の呟きは、千草は気づかなかった。
千草の実家の牧場は、在来牝系を大事にすると言うよりは、かなり妥協した配合で馬を作っていた。
それは仕方のないことで、1000万円を超えるような種牡馬であると、その一頭がダメなら牧場経営が傾いてしまう。
「で、こっちには何の用が?」
「あのままでもそれなりに走ると思うけど、出来れば削蹄で脚を真っすぐにしたい」
「ああ……そういう名人がいるとか?」
「いるかどうかは、行ってみないと分からない」
「今からやっても、そんなに大きな効果はないんじゃない?」
千草も実家のことであるので、削蹄をしていることぐらいは知っている。
確かに削蹄の良しあしによって、曲がった脚が改善されることはある。
しかし生後半年までが、効果がはっきりするという限界であり、三カ月ほどまでがより効果は大きい。
また無理に真っすぐにすると、かえってバランスが崩れるということもある。
サンデーサイレンス以外にも、脚の曲がった名馬、というのはいたのだ。
アメリカなどは基本的に、速ければ何も問題ない、という考えである。
これがヨーロッパなどになると、相当に生まれつきの体型も重視される。
体つきなどはある程度、遺伝したりもするもの。
繁殖牝馬を残すにあたり、重要な要素となってくる。
アメリカでも東海岸あたりはその傾向があり、馬産においても思考が違う。
ただアメリカは同時に、能力至上主義の面もある。
全ての競馬場が左回り、というのもそのためであるのだし、おかしな高低差も存在しない。
あるはずのない記憶の、原初の場所。
「海が近いね」
その波の音が、優姫の中のどこかに響く。
それなりに立派な牧場があって、建物もいくつかが並んでいた。
「知り合いでもいるの?」
「そうかも」
だが馬を見るにせよ、アポイントメントを取るのが普通である。
牧童が仕事をしているのに、千草が声をかける。
「すみません、私、栗東で調教師をしている鳴神と申しますが、アポは取っていないんですが馬を見せてもらうことは出来ますか?」
「あ、はあ? ……え、天海騎手!?」
「ですです」
「少々お待ちを!」
足早に去っていくが、少し苦笑する千草である。
「私より優姫の方が有名人だな」
「そうかな? ……そうかも」
調教師は裏方のはずであるが、今の時代は表にも出てくるものだ。
40頭ほどの繁殖牝馬を抱えた、それなりの大きさの牧場である。
そのうちの20頭はクラブと提携した繁殖であるのだとか。
昭和の戦後には既に、馬産を始めていた。
バブルの崩壊前に、堅実な経営と生産をしていたため、周囲の倒産した牧場を買い取って大きくなった。
「それなりに大きいのに、私は知らなかったな」
小さい牧場であるなら、知らないのも無理はない。
だがこの規模で調教師の千草が知らないというのは、問題であると言えよう。
しかし競馬の村社会はいまだに根強い。
調教師にもいまだに、縄張りというものがある。
それでも平成が遠くになった今、新たな取引先は開拓するべきだ。
「優姫、驚いたことにこの牧場、ある程度オーナーブリーダーでもあるぞ。今は社長も若社長もいないらしいが、場長はいるらしい」
これこそまさに、基幹牝馬は手元に残すという例なのだろう。
少し前に牝馬の重賞を勝っている。
顔つなぎ程度の関係にしか出来ないな、と千草は思った。
だが優姫が必要としていたのは、厩舎に迎える幼駒ではない。
「仕事中でしたので、こんな格好で失礼します」
深い皺に白髪という、まさに風月に晒してきたかのような老人。
「よろしければ私がご案内しますが」
「お願いします」
やはりJRAの調教師で、しかも今年のクラシックを勝ったとなると、それだけで扱いが違うらしかった。
重賞を勝った牝馬や、GⅠ馬の母というのは、血統的にとても貴重である。
それどころかクラシックに出走したというだけで、充分に次代に血を残せる。
「上手く代替血統を使ってますね」
昭和から平成初期にあたっては、やはりニジンスキー系を上手く使っている。
だがあまり種牡馬が同系統ばかりにならないよう、ミルリーフ系なども使っているのだ。
牧場の娘である千草からすると、悩んで付けたんだなという感想しかない。
サンデー全盛期でも、上手くダンスインザダークやスペシャルウィークを付けている。
ただニジンスキー系の繁殖だけになっていたら、インブリードが強くて付けるには躊躇したであろう。
内国産のサクラユタカオーなども使って、スピードの補完もしている。
中にはミスターシービーの血が入っている繁殖もいて、しっかりと勝ち上がりの産駒を出している。
(安全策とロマンの境目で生産している感じかな)
種付けは生産において、最も重要な要素と言える。
牡馬が産まれるか牝馬が産まれるかは、かなり運次第であるが。
だが間違いなく馬主は、ロマンを買っているのだ。
「今年の皐月賞馬のシュガーホワイト、付けられるとしたら付けてみたい?」
いきなり優姫がそう言って、千草は驚いたし場長もしばし絶句した。
今年のクラシック、そしてそれから先も、まさにスターホースとして輝くはずだった優駿。
あのダービーの最後の直線、いまだに幻の二冠馬とは言われている。
「あれは、もう繁殖入りですか」
「ここだけの話、ルージュ・バレーに九分九厘入ることになってる」
「ああ、なるほどあそこは……」
「オーナーは種付け株を持っているけど、繁殖牝馬は持っていないので、良血の繁殖を優先してる」
「うちの繁殖には何頭か、ホワイトウイング産駒がいますが」
「ちゃんとリスク分散しているのは知ってる」
先ほど渡されたのは、繋養している繁殖牝馬の血統表であった。
「あの子」
「まあ、確かにちゃんと勝ち上がってる馬ですが」
千草はそれを見て、また混沌とした血統だなと思ったのであった。
あの場長はかつて騎手学校にいたが、急に体が大きくなり、そちらの方は諦めた。
しかし競馬に関わることは諦められず、北海道で牧童をしながら道営の調教師になる勉強をした。
やがてそれが実って、調教師試験に合格。
地方競馬の中には調教師の定年のないところもあるが、現在の道営はJRAに準じて定年は70歳。
しかしそれでも馬に関わるため、また牧場に戻ってきたのだ。
そんな彼は削蹄の名人として、若い頃に先代の牧場長から叩きこまれたという。
まず具合を見てもらいそこから削蹄をしてもらう。
彼と約束を交わした優姫であるが、どうにも千草からはその動きが奇妙に見える。
まるで最初から、解答を知っていてルートをたどっているような。
(不思議な子だ)
幼くは見えるが19歳なので、立派に成人はしている。
だが対人関係において、ものすごく不器用なところもある。
馬に関する知識、またその騎乗の技術の異常さ。
いや、あれを技術といってもいいのだろうか。
上手いと言うよりはもう、異常というレベルなのである。
「テキ、海を」
「ん?」
海岸沿いを走って、明日も牧場を巡る。
八月のセリは日高では最大のもの。
そのために庭先以外に、目星をつけておかなければいけない。
「目星のついた馬に、手付金を払って確保しておくべきでは」
「んん? それ今だと禁止だって競馬学校でも習わなかったか?」
「どうせ実態は、まだ存続していると思った」
このあたり優姫はどうも、八百長や調整ルームのルールは厳守するが、生産現場では考えが緩かったりする。
実はその通りではある。
特に千草のような実家が牧場の場合、横のつながりもかなりある。
「まあ、あんたは乗る方に力をかけておきな。……今はスマホとネットのせいで、そういうグレーなところの証拠が残りやすいんだ」
「ああ、なるほど」
倫理ではなく現実で説明すれば、ちゃんと納得するのだ。
今年は夏競馬で、新馬が何頭かデビューする。
優姫の所属のおかげで、千草はかなり馬を集めるのが楽になった。
(私がこんなに外厩を多く使うようになるとはね)
もっとも最後の頼みの綱、という感じで持ってこられる馬が増えて、さすがに優姫も未勝利戦の勝率は下がっているが。
まずは阿寒湖特別。
千草の厩舎の馬ではないが、普通に応援はしているのであった。
※1 外向
肢先が外側を向いている状態。故障のリスクが高まるとされる。
※2 削蹄
馬の爪を削って整えること。人間でいう爪切りだが、角度を変えることで脚の曲がりが改善することもある。




