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プリンセス・ジョッキー ~優駿の姫騎手~  作者: 草野猫彦
二章 もう一つの黄金

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第26話 終わりから始まる

 レースのない日でも当たり前のように調教をつける。

 そんな優姫は午後の予定を空けて、白雪の交渉に付き合うこととなった。

 これもジョッキーの仕事の中の、営業という分野である。

 ただ普通は何頭も馬を持っているような、大馬主に付き合うものだ。

 白雪は一頭も買わない年もある。

 だが彼女の場合は、周囲に与える影響や、知名度が問題なのだ。

「運転までさせちゃって悪いね」

 それを別にしても優姫は、白雪のことが気に入っている。


 ルージュ・バレーは正確には、北海道の各所のみならず、美浦の近くに育成牧場も存在する。

 だが中心と言えるのはやはり、スタリオンに繁殖牝馬を抱えた、この新冠の牧場であるのだろう。

 牧場と聞いて思い浮かべるのとは違う、どこか貴族的な雰囲気がする。

 牧歌的なものではなく、富裕層の避暑にでも使われそうな。

「綺麗なとこだね」

「イギリスやアイルランドの牧場をイメージして作ったらしいです」

 その創業者はもう亡くなったが、後継者たちが受け継いでいる方針は、変えなくて済むところは変えていない。


 あるはずのない記憶によると、かの紳士は身長が190cmほどもあったので、やはりあれは夢なのであろう。

「優姫ちゃんもドレスの方が良かったんじゃない?」

「?」

 カジュアルなシャツとスラックス、なので優姫もちゃんとした格好ではある。

 白雪の場合はちょっとよそ行きの、これまた白いドレスであるが。


 予定通りの時間に、面会は始まる。

 事務所などの施設も洗練されていて、特に応接室は抑制された豪華さがある。

 競馬が貴族の娯楽、というのをここにまで持ち込んだのか。

 だが洗練されていると思うのは、さすがに本場を味わってきたからであろう。

 ルージュ・バレーの代表である田岡は、秘書を連れて商談に臨む。

 まさにこれは商談であるが、かなり特殊なものであるのも確かだ。


 ルージュ・バレーはホワイトウイング産駒の種牡馬を欲しい。

 さらにその父から続く血統は、芦毛三代となる。

 また父のホワイトウイングと違い、2歳戦からGⅠを勝っている。

 アイドル性も含めて、また血統のこともあり、タフなネゴシエーションになるはずであった。

「こちらに繋養した場合、どういう条件を考えてますか?」

 そう白雪が尋ねて、腹の探り合いが始まる。

「うちは馬のことを第一に考え、また預託という形でも預かっています」

 建前はそうであるが、現実としては難しいのだ。

 現在はシンジケート(※1)を組み、種牡馬の管理は牧場に任せる、というのが主流であろう。




 種牡馬入りした場合、その扱いは色々とある。

 自分の牧場に、そのまま繋養するというオーナーもいないではない。

 だが多くの場合は、スタリオンに預けるのだ。

 権利は自分のままであったり、シンジケートを作ったりと、システムは色々とある。

「私は自分で繁殖牝馬を持っていないから、今までは関係なかったけど」

 これからは違う、というのがその言外に含まれている。


 ホワイトウイング産駒の牡馬GⅠ馬は、これが二頭目。

 血統背景を考えれば、こちらの方が絶対に扱いはよくなる。

 サンデーが一本しか入っておらず、キングカメハメハも入っていない。

 ミスタープロスペクター自体が一本しか入っておらず、それが六代も前。

 今の主流となっている名前であれば、サンデー以外にはサドラーズウェルズが四代前といったぐらいだ。


 他のサンデー系でディープ、ハーツ、ブラックタイドとも配合は可能。

 むしろほどよくサンデーのクロス(※3)が発生する。

「まず大前提として、最初の数年は100頭までに、種牡馬活動を抑えてほしいんです」

「理由をお聞かせくださいますか?」

「一つにはまず、故障が大きな理由です」

 骨折と屈腱炎による。

 屈腱炎になった場合、もし競走に復帰させるとしたら、一年以上は治療に時間がかかったりするのだ。

「なるほど」

「あとはあまり種牡馬活動が多いと、早死にする傾向があるでしょ」

「確かにそういったことはよく言われます。だから五代ではなくうちに?」

「そうそう」

 商売として考えるならば、頭数を抑えるというのはあまり、いい選択ではないのだ。


 種牡馬は結果が出なければ、すぐに人気が下がっていく。

 伝説のオグリキャップであっても、数年で走らない産駒を見て、人気は下がっていったものなのだ。

 繁殖も圧倒的に優れたものを揃え、質だけではなく数も揃える。

 そこで実績が出せれば、さらなる好循環が待っている。

 だが本当に成功するのかどうか。

「シンジケートを組んで60株、余勢株(※2)で40株……でいいんだよね?」

 確認してきた白雪に、頷いて返す優姫である。

「ところで……なぜ天海騎手が一緒に?」

「私のブレーンとして」

 競馬村の出身でもない、一般家庭の出で、そして女性騎手。

 デビューしてからまだ、二年目である。

 そんな新人であるのに、もうクラシックを含めてGⅠを複数勝っている。


 信じられない存在であるが、体重の優位がない重賞でも、上位に来ている。

「そういえば天海騎手は、うちの馬に乗ったことはありませんね」

「え、そうだったの?」

「ルージュ・バレーのクラブ馬は、美浦に預けられることが多いから」

「天海騎手は今、リーディングは上位にいましたね」

「7位」

 いつの間にかそんなところまで、勝ち鞍は伸びていた。

「じゃあこれを機会にこちらの馬にも――」

 白雪の言葉を、手を上げて遮る優姫であった。

「それはオーナーと調教師が決めることで、私は今オーナーのブレーンとしてのみここにいる」

「……少しぐらい私を利用してもいいんだよ?」

「それはそれ、これはこれ。オーナーには恩がある」

「え、優姫ちゃんってそういう感情ないと思ってた」

 白雪もたいがいであるのに、それに言われるのはひどい話だ。


 実際問題として、シュガーホワイトで負けた新馬戦。

 あそこで乗り替わりになってもおかしくなかったのだ。

 栗東には他に、女性騎手がいなかったわけではない。

 だが白雪としては、2着に来たなら充分だろう、と普通に思っていた。

 まさか優姫が恩を感じているとは、思ってもいなかったのだ。

「う~ん、じゃあ条件を詰めるの、任せていいかな?」

 そこまで任せてしまうのか、と田岡の方が驚いたものである。

 しかしその白雪の判断は、完全に正しいと分かったのが、その日の田岡であった。




 まだ決定ではないが、おおよその条件は定まった。

 シンジケート方式で、1株が1500万円の60株。

 うち20株を白雪の持ち分とするので、彼女が得られる収入は6億ということになる。

「夢のある話だね……。でもオーナー、そんなに株持っていても仕方がないんじゃないでしょ」

 千草もさすがに、報告ぐらいは受けている。

「血統のいい繁殖牝馬を持ってきたら、格安で付けてあげる方式」

「ああ、なるほどね」

 60株を持っている生産者は、その分は無料で付けられる。

 つまり1500万円払って、生きている間は付けられる、というものだ。

 もっとも産駒が走らなければ、シンジケートも解散される。


 本株以外を余勢株といって、この本株を持っている生産者以外は、400万円で40頭の種付けを可能としている。

 満口になったら1億6000万円の収入になるが、ここから預託量に加えて宣伝費なども引かれていく。

 地味に大きいのが保険金で、3000万円ほど毎年かかるらしい。

 それでも1億2000万円ほどは残り、これを本株を持っているシンジケートの人間で、分けていくわけだ。

「400万は……少なくとも一年目は安いね」

 皐月賞とダービーで、あれほどのパフォーマンスを見せたのだ。

 特に芦毛で生まれれば、かなりの金額になるだろう。

「それでオーナーがテキの実家の牧場にも、無料で一頭付けさせてあげるって言ってる」

「おっしゃー!」

 めずらしくガッツポーズなどをする千草であった。


 自前では繁殖牝馬を持っていない白雪。

 なのにどうして、三分の一の本株を持つのか。

 それは一つには、シュガーホワイトの動向を勝手に決めさせないためである。

 だいたいこの種付け株というのは、会社の株式にもにたところがある。

 もしもの話ではあるが、産駒がものすごく走った場合、外国資本による購入の打診があるかもしれない。

 それを阻止するために、三分の一は持っていた方が安心であるのだ。


 あとは20頭分の枠を確保しているということ。

 白雪はせっかく種馬になったのだから、この子の産駒も走ってほしいと思っている。

 ここには金銭的な思考がない。

 そのため条件を付けて、種付けをさせることが出来る。

 たとえば重賞馬を出した牝馬や、自身が重賞を勝った牝馬。

 20頭は間違いなく、とても質の高い繁殖に付けられるはずだ。


 千草は牧場育ちで、調教師でもある。

 だからこのぐらいの理屈を、すっきりと理解出来た。

 だがいくらジョッキーとはいえ、一般家庭育ちの優姫が、どうしてこんな構造まで理解しているのか。

「将来は自分で生産をしたいって言ってたけど、あれ本気だったの?」

「モチのロン」

 時折千草よりも、古い言葉を使う優姫である。




 東大合格よりも難しいと言われる、調教師免許を取って仕事をしている千草。 

 彼女は実家が牧場であるので、そのつながりから馬主を紹介してくれないか、などとも言われたりする。

 馬産というのはなかなか、大変なものなのである。

 基本的に一頭の馬が、数百万はするもの。

 だが中には奇形で生まれたり、とても競走馬になれない馬も生まれたりする。


 一時期の日高の、馬産農家の廃業は凄まじかった。

 バブル崩壊後からしばらくして、むしろまだ競馬自体は盛んであったのだ。

 ここのところはまた、馬産も回復している。

 だが中小の牧場が、片手間にやる、というものではなくなってきている。

 一時期は100頭以上の繁殖を抱えた牧場が、倒産したりもしたが。


 経験則でやっている、職人仕事に似ているのかもしれないが、実はかなり危ういものがかつての馬産であった。

 一時期の不況時に、中小の馬産農家は、多くが夜逃げなどをしたものだ。

 今は回復していると言っても、やはり庭先で現金の金額を聞くと、動揺せざるをえない。

 セリでもしっかりと売れる、という時代が来ているのだが。


 足が四本あれば売れる、というのがバブルの崩壊前。

 まさに馬主が道楽であった時代で、日高の牧場も傲慢な経営が成り立っていた。

 内から事情を知っているだけに、千草はそれに同情しがたい。

 それでも夏に北海道に来て、実家に顔を出さないわけにはいかない。

 まして今年は、クラシックを勝った馬を管理していたのだから。


 鳴神厩舎は今、一番話題性にあふれた厩舎かもしれない。

 シュガーホワイトの引退が、まだ発表されていないということもあるが。

 ただルージュ・バレーとの交渉も決まったし、どのみち復帰の道はない。

 幻の三冠馬は、これまでに何頭もいた。

 シュガーホワイトもその仲間入り、というものだ。

 中でもかなり惜しい、三冠馬候補であった。




 去年からある程度、既に効果は出ていた。

 だが今年はもうはっきりと、明確になっている。

「営業がしやすい……」

 千草はこの時期に、行われる日高のセールに、馬主と一緒に参加するのだ。

 かつて本当にいい馬は、当歳のうちに庭先で売れてしまうものであった。

 だが一時的な馬主離れは、市場をかえって健全なものとしている。


 昔に比べてやはり、調教師の役割は管理となっている。

 それでも馬主とのつながりは、直接会って行うことが多い。

 優姫が所属している、というのが中小馬主にとっては、大きなセールスポイントになっている。

 未勝利戦などの条件戦で、高い勝率を叩き出す。

 最近はちょっとどうしても無理だろう、と思われる馬まで託されることがあるが。


 どの馬がいいかは、だいたい血統で分かる。

 少なくとも一勝出来るかどうか、それはかなり血統が関連する。

「サンデーを買っておけば勝てる時代もあったけど」

 優姫はそんなことを言うが、彼女が生まれる前の話である。


 夏場に行われるのは、日高の1歳のセールである。

 0歳のセレクトセールは、完全に血統などが優れた馬が出品される。

 そちらに向かうような馬主は、千草の顧客層ではない。

 もっとも今年は優姫に乗ってもらえるか、などと声をかけられる。

(シュガーがいなくなっても、いや……)

 むしろシュガーホワイトの存在は、優姫を明るい場所に出すために、あったのではないだろうか。


 今の競馬は第三次ブームがソフトランディングし、良好な状態を保っている。

 だがもう一つ大きく跳ねないか、とも思われているのだ。

(シュガーの産駒がデビューするあたりから、本格的に優姫の乗鞍も重賞が増えるか)

 そうなればもう、鳴神厩舎に優姫を縛り付けておくことは、不可能になるだろう。

 人間としても付き合いやすい、人間に対しては不器用な人間。

 そのあたりは千草も、優姫と同じ側の人間なのかもしれなかった。


 ※1 シンジケート

種牡馬の所有権を分割して共同で所有するシステム。


 ※2 余生株

シンジケート会員以外が種付け料を払って利用できる枠。


 ※3 クロス(あるいはインブリード)

近親交配が発生すること。弊害として気性難であったり、体質が弱かったりする。

だが同時に先祖の特性を強く引き継ぐこともある。

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