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プリンセス・ジョッキー ~優駿の姫騎手~  作者: 草野猫彦
二章 もう一つの黄金

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第25話 未来の血統図

 白雪はこれまで、そこそこ馬を買ってきた。

 だが牡馬中心であり、繁殖入りするということはなかった。

 しかしシュガーホワイトは、クラシックを含むGⅠ2勝馬。

 ダービーのあの最後の直線で、さらに潜在能力は高かった、と見る人間は多い。

 大きな怪我は骨折であるが、その後の精密検査では屈腱炎も同時に発生していた。

 一応骨折からも、屈腱炎からも復帰した例はある。 

 軽度なものなら、一年から一年半ほども休めば、また走れるようになるかもしれない。

「いやそれは……」

 生産者が言葉をそこで止めたのは、千草が獣医だと知っているからだ。


 骨というのは極端な話、くっつくものであるのだ。

 屈腱炎というのは、腱が損傷した状態を指す。

 これが片方ずつであれば、まだしもどうにかなる。

 だが同時に発生というのが、致命的であった。

「損傷した腱は、本当なら上手く休ませて、回復する場合もあります。ただ骨折と同時であると、回復する過程で硬くなりすぎてしまうんです」

 千草は自分のアキレス腱を叩いた。

「ここが硬くなってしまうと、伸び縮みがなくなって、まともに走れないことは分かりますか?」

「人間の場合はアキレス腱が切れても復帰したりする人いない?」

「人間は横になって安静になれますけど、馬は立ったままじゃないと血流が止まるんですよ。だからある程度の力がかかってしまって、そのせいで柔軟性は失われる」

「引退してもまたすぐに故障しない?」

「確かにある程度はその可能性もありますけど、競走はほぼ不可能なんです」

 管理者として千草も、状態は聞いていたのだ。

 だからこそこうやって、説明することが出来ている。


 シュガーホワイトの引退は決まっている。

 あとは引退後に健康に過ごすため、どれぐらい治療をしておくかだ。

 そしてこんな成績を収めたのだから、種牡馬入りの話も来ている。

 それが白雪の相談したいことであった。


「五代さんが12億で売ってくれって言ってきたんだけど、他からも話は来ていて、条件がよく分からないんだよね」

 12億とはまた、五代も大きく出たものである。

「12億……」

 牧場の社長は魂が口から抜けている。

「あとはルージュ・バレーファームに」

「なるほど」

 そこは千草も納得する。

「他にもいくつか」

 そう言って名刺を出してくるが、おおよその北海道のスタリオン(※)、有名どころは全て網羅している。


 千草は牧場の娘である。

 よく父親が、五代の種牡馬を付けたいな、と言っていたのを聞いている。

「ええと、まずは相談に乗る前に、私たちが相談に乗ったことを、絶対に誰にも言わないでもらえますか?」

「どうして?」

「そのせいで五代が買えなかったと判断した場合、五代の馬がうちの厩舎に入らなくなるという嫌がらせの可能性が……」

「五代さん、そんな器の小さい人じゃないと思うけど」

「まあ、そうですね。私の杞憂というか、大牧場への嫉妬もあります」

「そもそもうちの厩舎は、そこまで高い馬は預かってない」

「あんたは黙ってなさい」 

 だが優姫のツッコミは真実である。

「五代も初代はかなりえげつなかったけど、同時に夢見がちだった」

「まあそうらしいけどね」

 どのみち天の上の話である。


 競馬の生産業界は、色々としがらみがあるのだ。

 ただ五代にしても、底辺というか山裾が広くないと、自分たちも上がっていけないというのは分かっている。

「オーナーが自分の馬のまま預けたいなら、五代は候補から外れる」

「権利を全部買いたいからこの値段なわけね。著作権ごと買い取りってのと似たようなものだね」

 それが適切なのかは分からないが、白雪は納得したらしく、優姫は続ける。

「この中からだと、ルージュ・バレーかアーチェリーですね」

 確かに白雪の要望が、反映されやすいスタリオンであろう。

「オーナーはお金に困ってないし、日高を中心に馬を買ってるから、シュガーの産駒も買いやすくなる」

「へ~、ジョッキーでもそういうことには詳しくなるんだ」

 普通はならない。


 五代は金に任せて買いに来ているようにも見える。

「だけど五代に置くと、利点もある」

「それは?」

「まず成功させるために、手持ちの素晴らしい繁殖牝馬に一年目から付ける。この種牡馬として一年目から成功させるのは重要で、成功すれば成功するほど、よりいい繁殖が回ってきて、さらに成功する可能性が上がる」

「口ぶりだと欠点もあるみたいだけど」

「五代はビジネスとしてやってるから、年間の種付け数が多くなって、早死にする傾向が高かった。今は少し控えめにしてるらしいけど」

「まあ確かに種付けは医学的にも負担はかかるんだけど……」

 優姫の説明には千草も頷くが、アメリカのストームキャットやエーピーインディは比較的長命であった。


 現在は五代も、高齢種牡馬は相当に、種付け数を絞るようになった。

 サンデーサイレンスやトニービン、ディープインパクトやキングカメハメハなど、比較的短命なことが多かったからだ。

「あまりに一頭に繁殖牝馬が集まりすぎると、次の世代に血が濃くなりすぎることもあるから、長期的なビジネスとしては制限はした方がいい」

「それを私が出来るようにすると?」

「一番融通が利くのはルージュ・バレーだと思う」

「難しい話になるね」

「社長はどう思います?」

「う、う~ん……私らみたいな生産者の立場からすると、五代さんは高すぎるんですけど」

「そもそも血統の話をした方がいいと思う」

 優姫はシュガーホワイトの、血統表を持っている。




 シュガーホワイトは父ホワイトウイングで、系統としてはステイゴールド系、あるいはサンデーサイレンス系である。

 サンデーサイレンスはさらに遡っていけば、ネアルコに至り、ネアルコからはナスルーラ、ロイヤルチャージャー、ニアークティックが出ている。

 ナスルーラは今こそやや衰えたが、それでもエーピーインディの血統がアメリカの主流血統の一つとなっている。

 ロイヤルチャージャーからはサンデーサイレンスの他に、ロベルトやサーゲイロードが出て、これまた一大勢力。

 またニアークティックはノーザンダンサーを出して、これがもう世界中の血統に入っている。

 だがそこまで遡ると、もう古すぎる。


 今の日本の馬産の問題は、サンデーサイレンスの血統が溢れすぎたということ。

 直系以外にも母方に入って、今の日本のGⅠを見れば、外国産馬以外はまずサンデーの血が入っている。

 重要なのはシュガーホワイトの場合、そのサンデーが四代前まで遡るということだ。

 もうサンデー系の中でも、かなり薄くなった血筋と言っていい。

 また母方が米国血統で、主流の血統はミスタープロスペクターが遠くに一本入っているのみ。

 これまた多くの繁殖牝馬に、付けられるものなのだ。


 五代の場合はヨーロッパから主に、繁殖牝馬を買ってきて、サンデーの直系と掛け合わせている。

 それでも既にクロス(※)が発生し、インブリードになっているのだ。

 インブリードは近親交配だが、四代まで前となるとさほど、危険性もないと言われている。

 日高の中小牧場は、サンデーの直仔を、高すぎるサンデーの代わりに付けていたという過去がある。

 また近年は多く、内国産種牡馬が全盛で、スプラッシュヒットなどもステイゴールド系の再輸入であるのだ。


 シュガーホワイトはほどよく薄まったサンデー、あるいはステイゴールドのクロスが発生する馬だ。

 おおよそどんな繁殖にも付けられて、付けられないのはそれこそ、ホワイトウイングの娘ぐらいだろうか。

「五代もこれぐらい薄くなってると付けたいだろうけど、あそこは三年から四年で結果が出ないと、放出する傾向にある」

「放出って?」

「他のスタリオンに、まあ言ってはなんだけど島流し」

 結果がいつまでも出ないものを、置いておくのは難しいのだ。


 シュガーホワイトは、父のホワイトウイングより、母系が良血である。

 ホワイトウイングはけっこう血統の不思議で、府中で圧倒的に強かったトニービンの産駒、ジャングルポケットを父母に持つ。

 それなのにホワイトウイングは、府中以外で強かった。

 シュガーホワイトは完走こそ出来なかったものの、ダービーの最後の直線で先頭を走っていたし、2歳の重賞も勝っている。

「これは早くから走れること、スピードの絶対値、また筋肉の柔軟性などがあるのに加えて、母方の奥深いところに、モンジューやミルリーフが眠っていて、スタミナも相当にありそう。母父キャンディライドはスピードだけど」

「かなり期待できるの?」

「それが分からないのが競馬の不思議なところ」

 まさにそうなのである。


 もしもシュガーホワイトが成功したら、デビュー前の全弟も、そのまま種牡馬になるかもしれない。

 種付け数を絞って、それでも成功したのなら、まさにそういう代替種牡馬が必要になるのだ。

 ディープインパクトを付けられないから、と全兄ブラックタイドを付けて生まれたのがキタサンブラックと言われている。

 実際にはブラックタイドだけではなく、母方のサクラバクシンオーの血も、しっかりと顕在化したのだろうが。

「シュガーホワイトは確かに、走るはずの血統も持っている。だけどこの母方の奥にあるリファランスポイントは、早世したこともあるけど失敗種牡馬だった」

 馬に求められるのは、スピード、パワー、スタミナといったところだ。

 この中でスピードは、瞬発的なスピードか、最高速度かという話もある。

 下手にパワーとスタミナの要素だけが出たなら、日本の芝では通用しない。

 ダート路線の馬ばかり生まれるかもしれない、という話になる。


 かつては種牡馬には、スピードもスタミナも求められた。

 だが最近の世界の潮流としては、まずスピードという傾向にある。

 スタミナの方は母方から持ってくる、というのが一般的だ。

 もちろん両方を備えた、万能の種牡馬もいたりするのだが。

「そんな優姫ちゃんは、ルージュ・バレーがいいの?」

「知っている限りでは、色々と融通が利くから」

「じゃあ一緒に行ってくれる?」

「テキが良ければ」

「ああ、行ってらっしゃい」

 そういうことになった。




 シュガーホワイト自身のスピードは、母父キャンディライドが出たものかもしれない。

 早熟性というのも、そちらの可能性が高いのだ。

 もっともホワイトウイングも3歳の頃から、クラシックには出走して好走していた。

 本格化したのが5歳で、そこでGⅠも取ったのだが。

 ホワイトウイングの母系には、まずジャングルポケット。

 それを遡っていくと、ダイナガリバーやパーソロンといったなかなかの種牡馬が揃っているのだ。


 こういった古い母系に、サンデーの血統が一番上に来る。

 そしてスタークラフトもアメリカのスピード血統ながら、さらに母方は欧州のスタミナ血統。

 当たり外れが多いのでは、と優姫は思ったものである。

「モーダショーに比べれば」

 モーダショーは逆に、父のスプラッシュヒットの母系に、プルピットやストームキャットという名前が並んでいる。

 母系は完全に国産血統で、シンザンとトウショウボーイがいるのが恐ろしい。


 馬に乗りに来たはずが、色々とややこしいことになっている。

「私も一緒に行こうか?」

「テキは他の仕事」

 確かに夏場の北海道で、調教師がやることは山ほどある。

 白雪の指名も、本来ならば無茶な話なのだ。

 まだジョッキー二年目の、しかも女性騎手を、ブレインとして持っていく。

(でもこの子だからなあ)

 競馬に関する知識は、かなり深いところまで知っている。

「テキ、それであの牝馬は預かる?」

「ん? ああ、うちに預けてくれるかな?」

「この話の流れならそうなるかと」

「勝ち上がれると思うけど、どう?」

「2勝は出来ると思う」 

 それは牝馬としてならば、素晴らしい実績になる。

 皐月賞馬の全妹で、当馬もJRAで勝ち鞍があるならば、繁殖牝馬の血統としては間違いない。

「重賞は?」

「展開次第」

 正直な優姫である。


 ルージュ・バレーはクラブ法人も持っている。

 基本的には美浦に預けることが多いが、栗東の方がないでもない。

 だが大馬主でもあるため、調教は外厩を使ってくるし、レース選択やジョッキーの選択にも口を出す。

 しかし気に入られれば、女性斤量で乗れる優姫は、少なくとも条件戦や新馬戦で、馬を回してもらえることになる可能性が高い。

(ただ、この子は愛想が……)

 出来ればフォローするために、自分も行ってやった方がいいのか。

 他の馬主との牧場巡りも、欠かすわけにはいかない。

 自分自身の実力で、道を切り開いてきた優姫。

 そろそろこのあたりで、巨大な資本との衝突に、挫折を味わうかもしれないな、と少しは心配した千草であった。



 ※ スタリオン

 牧場の中でも特に種牡馬を繋養している施設のこと。

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