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プリンセス・ジョッキー ~優駿の姫騎手~  作者: 草野猫彦
二章 もう一つの黄金

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第24話 試される大地

 ホースマンは、ダービーでその年が終わるという。

 そこからはまた、次のダービーへの準備なのだと。

 だがそれはあまりに叙情に流れた話であり、実際には競馬はずっと続いていく。

 安田記念もあれば宝塚記念もある。

 また地方競馬に関して言えば、こちらもダート重賞がある。

 このあたり大きなGⅠレースはなくても、調教師は大忙しなのである。


 どの馬をどのレースに出すか。

 馬の調教よりもむしろ、管理者としての仕事が大変になる。

 鳴神厩舎の筆頭調教助手とも言える今泉は、特に代理人として他の競馬場へと馬を運ぶことが多い。

 ローカル開催が盛んになる六月最終週。

 栗東の所属馬は主に、小倉か函館のレースを使うようになる。

 優姫はその六月最終週のみ、小倉の開催に向かった。

 そこからは一度関東に向かって、あとはずっと夏の間、北海道に滞在する予定になっている。

 場合によっては普段は声がかからないところから、声がかかったりもする。


 優姫は未勝利戦の鬼である。

 そして3歳の六月ともなれば、そろそろ未勝利戦の終わりも近づいてくる。

 どうにかして勝ち上がらないと、1勝クラスに無理に挑戦するか、あるいは地方行きという選択になる。

 ならば最後の頼みの綱とばかりに、斤量の軽い女性騎手を使うのだ。

 その中で圧倒的に、勝率が高いのは優姫である。

「力こそパワー」

 1kg増やした筋肉でもって、1馬身差を持ってきた。

 これで喜んでくれる中小馬主の姿を見るのは気持ちがいいものだ。

「あまみ~~~~~! 10番人気なんか持ってくんな~~~~!」

 馬券親父の痛切な悲鳴も心地よかった。

 なお翌週、彼は11番人気を当てて、今度は感謝の叫びを発していた。

 

 競馬は巨大なピラミッド構造である。

 その頂点に立っていたのがシュガーホワイトだとしたら、この時期にも勝ち上がれないのは、まさに底辺と言えるのか。

 ……全くそうではない。

 JRAに入厩した時点で、既に半分よりは上であるのだ。

 3歳のこの時期に2勝して、重賞にも出たモーダショーも一流半。

 本当の底辺ならば、そもそも最初から中央など目指さない。

 もちろんここから地方に転厩し、そこでも勝てずに落ちていくことはあるが。


 だからオグリキャップは唯一無二であるのだ。

 ハイセイコーやイナリワンなどは、まだしも南関の大井競馬場からやってきた。

 しかしオグリキャップは、あの笠松からやってきた。

 後年になってもまだ、八百長騒動が起こるような場所。

 そこからやってきて、あれだけのことをしたから、さらに偉大であるのだ。




 北海道にやってきて、優姫は専用の寮に入っている。

 この期間の北海道というのは、馬も人も滞在するものなのだ。

「穂乃果~、アレ持ってない~?」

「アレ~? って、ユッキー! なんて恰好してんの!」

 男女共有の区画まで、タンクトップで出てきている優姫。

 ほとんどない胸であるが、全くないわけではないのが、はっきりと分かる。

「下は履いてるじゃん」

 ホットパンツである。

「そっちも問題だけど上もでしょ!」


「……見たか?」

「……まあ……」

「あれでも女なんだな……」

「むしろ上腕の筋肉がえぐかったが」

「脚も筋肉バキバキだったな」

「いや腹筋が完全に割れてたのが」

「あいつけっこう、栗東では頭からホースで水被ってますよ」

「「「なんで知ってんだてめえ!」」」


 こういうことがあると困るのである。

 穂乃果に説教された後に、JRAの職員にまで説教をされる優姫。

「若手の集中力を削ぐな!」

 セクハラなどは男性だけが気を付ければいいというわけではないのだ。

「プロとしての自覚が足りない!」

 むしろ女としての自覚が足りないのだろう。

 まだ若いジョッキーたちが、意外と白い優姫の肌などを見る。

 それはちょっと大変になってしまって、レースが終わった日曜日に、先輩ジョッキーに連れられて大門などに向かったりする。

 罪な女である。


 六月になるともう、新馬戦が始まってくる。

 期待の素質馬などはそれ以前、それこそ三月辺りには、入厩自体はしているのだ。

 そこからゲート試験などを終えて、また育成牧場に戻される。

 この試験などは別にジョッキーがやる必要はないのだが、気性難の馬などであると、優姫がやったりしていた。

 シュガーホワイトもゲート試験から優姫がやったものだ。


 リハビリというわけでもないが、シュガーホワイトは馬房の外を歩くようになった。

 故障した馬用の、クッションの利いた道である。

 その様子がSNSで流されたりして、ようやく世間も安心する。

 後に「空白の日曜日」とも言われたダービー馬がウイニングランをしないダービー。

 ホワイトショックはようやく、周囲の人間から抜けていくようであった。




 去年はほとんど、新馬戦には乗せてもらえなかった。

 斤量の優遇があるにしても、期待の素質馬はベテランに、と考えるのがほとんどだからである。

 また新馬というのが扱いが難しい、というのも本当のことである。

 だが今年は新馬から乗っていたりする。

 ゲート試験を優姫が通らせた、そういう馬がいるからだ。


 鳴神厩舎以外にも、乗ってみるかと言ってくる。

 だがやはり基本は、条件戦でも未勝利戦だ。

「そういえば天海、お前代理人付けてないのか」

 栗東のベテランジョッキーであり、選手会の会長もしている島田が言った。

 函館開催ももうすぐ終わり、という時期のことである。

 

 言われてみればそうなのだ。

 本当はダービーが終われば、その時に考える予定であった。

 だがあんなことがあったため、先延ばしにして忘れてしまっていた。

 その後もなんだかんだ、乗鞍にはあまり苦労していなかった。

 シュガーホワイトが故障したが、優姫のスター性はそのままであった。

 どうせなら任せたい、という依頼は多かったのだ。


 上手く勝ち上がったら、またジョッキーを変更してしまう。

 特にオープンに上がってしまえば、もう斤量の特典はない。

 普通なら勝ち上がれば、ジョッキーはそのままというのが不文律だった時代ははるか昔。

 とは言っても勝ちきれない馬を勝たせているのに、そこからの乗り替わりが多すぎるではないか。


 競馬の半分以上は条件戦である。

 なので勝ち星だけならどんどんと増やしていける。

 だが優姫の実績で、この重賞の騎乗回数。

 シュガーホワイトで5鞍、他の馬で3鞍と、いくらなんでも少なすぎないか。

「エージェントを付けてると、他のジョッキーとの兼ね合いもあって、続けてのせてもらえることもあるぞ」

「誰か紹介してもらえますか?」

「いいぞ」

 この時、他の若手は正直「余計なことを」と思っていた。

 ベテランでもうすぐ引退、という島田であったからこそ、こんな提案をしたのだ。


 優姫が乗った重賞レースは、シンザン記念のグランジェッテ、青葉賞のモーダショー、ユニコーンSのライガースラッシュ。

 それぞれ2着、3着、1着という成績。

 後に聞かされた島田は、思わず笑ってしまったそうだ。

 大舞台に強すぎるというのがその感想である。

 馬券圏内に持ってこれなかったのは、シュガーホワイトのダービーだけであった。




 開催は函館から札幌に移る。

 この時期の鳴神厩舎は、かなりの馬が北海道に来ている。

 千草もやってきたが、美奈は栗東でお留守番。

「今年はおかしな馬は入厩してこないからね」

 そうは言ったが千草としては、寂しい限りである。

 クラシックを取るような馬には、千草のようなコネクションの調教師は、なかなか巡り合えるものではないのだ。


 夏の北海道開催は、美浦も栗東も関係なく、期待の2歳馬がデビューすることが多い。

 そのため普段はあまり会わない面子と、つながりが出来たりする。

 またこの時期にはセリもある。

 それに参加する馬主の接待というのも、調教師の重要な仕事だ。

 経営者というのは、営業が仕事であるのだ。


 その中には牧場巡りも含まれている。

 優姫は千草と共に、中小の牧場を回っていた。

 去年は栗東に残って、色々な雑務をしていたものだ。

「牝馬かあ」

 接待されている白雪は、特に感情もなく呟いた。

 生まれてから四カ月、まだ幼さが残っている。

 毛色は栗色であるが、これはここから白くなっていく、と分かっている芦毛。

 シュガーホワイトの全妹(※)であった。


 白雪は基本的に、牡馬の方を買っている。

 長くレースを楽しみたいなら、そちらの方がいいと言われているからだ。

 これがもっと高度な趣味になってくると、繁殖牝馬を持ったうえで、その産駒に期待することになる。

 競馬というのは本当に、業の深い趣味である。

 そして制限がない、とも言われるのだ。


 牝馬であってもシュガーホワイトの全妹であれば、相当の値段が付く。

 だが付き合いも考えると、まずは白雪に話を持ってきた。

「皐月賞馬の全妹ってなると、私に売るよりセリの方が高くならない?」

「なりますよ。でもシュガーを買ってくれたオーナーに、芦毛が生まれたら話を持っていくのが筋でしょう」

 まあこういった会話がなされる。


 優姫は好奇心旺盛に、こちらを見てくる馬と目を合わせる。

 舌を出してくるくると回す、なんとも愛嬌のある馬だ。

「いくらになるかな?」

「う~ん……セリに出したら大手のクラブが、たぶん一億とか出しますね」

「1200万円の妹なのに?」

「引退後の繁殖としての価値がありますから」

 このあたり牡馬ばかり買っていた白雪には、説明が必要なところだろう。




 場所を移動して、牧場の応接間。

 およそ20頭ほどの繁殖牝馬を抱える、従業員が数人もいる中規模牧場である。

 そのうちの半分ほどは、馬主が預託しているというもの。

 シュガーホワイトの母スタークラフトは、今では牧場の所有となっている。

「牡馬っていうのは引退したら、ほとんど価値は0になりますよね? むしろ持っているだけで飼葉が必要になったり」

「そうだね。私も寄贈したり、地方の馬主に渡したりしてる」

「でもシュガーは違うでしょう?」

「ああ、それも相談に乗ってもらいたかったんだけど、まあ後回しだね」

 この相談の内容は、優姫もおおよそ予想がついている。


 牡馬は種牡馬になれば、年間に100頭以上もの産駒を輩出することとなる。

 だが牝馬はそうはいかず、年に一頭だけなのだ。

「あの子の形もけっこうシュガーには似てましたけど、それ以上に血統がいいんですよ」

「シュガーと両親が一緒だから?」

「そうです。皐月賞馬で、幻のダービー馬の父親も同じ妹です。将来は繁殖に入ることは間違いなく、そこで配合された産駒は、まあ……種牡馬によりますけど、五代が売るとしたら一億にはなるでしょうね」

「あ~……この子自身はまだ走ってなくても?」

「昔は本当の牧場の基幹牝馬は、売らずに道営で走らせていたりもしたんですよ」

 それだけ血統のいい繁殖牝馬は、重要なものであるのだ。


 価値が決まるまでは安い。

 だが一度価格が高くなれば、その後はどんどんと高くなる。

 これは絵画などの美術品に近いところがあるだろう。

 そもそもスタークラフトが、アメリカのステークスレースに勝っているのだ。

 シュガーホワイトの兄や姉も、おおよそ勝ち上がって繁殖入りしている。

 ただそれらは父親の違う、半兄や半姉と呼ばれるものであったが。


 スタークラフトもそこそこ高齢になってきた。

 だがホワイトウイングとの産駒は、セリで普通に一億にはなるだろう。

 そして血統を見ると、今の日本の主流血統が薄い。

 つまりどんな種牡馬であっても、おおよそ付けられるということだ。

「5歳で引退させて、牧場に戻してくれるなら、5000万でどうでしょう」

「は~、高くなるんだね~」

 金額には驚かなかったが、その高騰には驚いた白雪である。

 優姫や千草からすると、妥当なところであったが。


 白雪は金には困っていない。

 それでも5000万円がポンと出せるかというと、そういう金額ではない。

 ただ彼女には、抱えている一つの問題があった。

「いつまでに返事をすればいいのかな?」

「まあ……最初のセリは1歳になってからなんで、一応は待てるんですが、出来れば早く運転資金はほしいので……」

「あれ? 日高の当歳のセールは?」

「それはもうだいぶ前、2020年になくなってますよ。今もやってるセールはありますけど」

 優姫の疑問には、すぐに答えが返された。

「ちょっとだけ待ってもらえます。一週間ほど北海道にはいるので、それまでには」

「ええ、それぐらいなら大丈夫です」

 ほっと息を吐く牧場長は、あまり交渉事には向いていないだろう。

「実は私も相談がありまして」

 ここからが白雪の本題であった。


 ※ 全妹

 競馬においては母親は同じでも、父親は違うということが普通にありえる。

 なので父親が同じだけでは、普通はきょうだいとは言わない。母方の血のつながりできょうだいと判定する。

 父親の違う兄や姉は半兄や半姉、父親の違う弟や妹は半弟や半妹という。

 全妹というのは父親も同じ妹のことで、シュガーホワイトには全弟も既にいるが、そちらは母親似で芦毛ではなかった。

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