表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
プリンセス・ジョッキー ~優駿の姫騎手~  作者: 草野猫彦
一章 三冠の幻影

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/35

第21話 王冠への孤独

 ダービーで逃げた馬が勝てなくなって30年。

 だが「逃げ馬」が勝った例はあるのだ。

 おかしな話と思うかもしれないが、逃げ馬が逃げるのでなく、さらに前に馬がいた例などである。

 一本調子ではなく、ラップを乱してスタミナで削り取る。

 このレースは完全に一番人気の一人旅で、それをするための条件は整っていた。


「お~、このまま一気に行っちゃうつもりかな?」

「それはさすがにないですけど」

 馬主席に上がって、白雪はレース展開について千草と話す。

「周りの反応見る限り、意表を突くのには成功したのかな?」

「ええ、それはもう」

 馬主席ですらあんぐりと、このレース展開を見ている者が多数であるのだ。


 ダービーで逃げた馬が、勝っていないわけではない。

 歴代屈指の強豪と言われるミホノブルボンなど、そのいい例であろう。

 だが現在はもう、馬場も血統も変わっている。

 現実として逃げ馬が勝っていないという事実。

(そもそも天海は2400を……)

 長い距離のレースをしたことがないはず。

 優姫のキャリアを思い出して、動いたジョッキーがいた。


『一番人気シュガーホワイト! 絶好の枠からまさかの逃げ! 二年目天海優姫! ここでまさかの逃げです!』

『いや、これは難しい。そもそも彼女のキャリアで2400を走ったことがほとんどないでしょう。……いや、青葉賞がありますか』

『血統的にはどうですか石塚さん』

『あまり良くないと思ったので、ここは消しちゃっていたのですが』

『後ろから動きます! ⑥番カルマインザダークが動きます! 釣られたように数頭動いていきますが!』

『青葉賞組です』

『青葉賞からのジャンタルトン! 早くも動いていった!』

『天海騎手の動きを知っているからでしょうが、どうでしょう』


 誰かが思い出した。

 さすがに優姫もデビューレースを勝ったわけではない。

 だが生まれて初めて乗った、重賞東京スポーツ杯2歳Sは、重賞初挑戦で初勝利であった。

 そして次はGⅠ初騎乗、シュガーホワイトがそのままGⅠ初騎乗で初勝利。

 さらにその次は、クラシック初騎乗。

 これまた皐月賞を初騎乗で初勝利。

 つまり天海優姫という人間は、初めての大舞台にとんでもなく強い。

 あるいはシュガーホワイトの能力が、傑出しているのかもしれないが。


 今度はダービーだ。

 ダービーに初騎乗で、初勝利などされたらたまらない。

 いくら馬がいいと言っても、馬がいいだけではないと、ジョッキーならばもう分かっている。

 それにいくらダービーで、逃げが不利だと言われても、逃げという戦法自体が持っている利点が失われるわけではない。

 ポジション争いにスタミナを奪われず、また芝のいいところを走れるのだ。


 ただ引き続いて追いかけようとしたジョッキーも、すぐにそれは諦めた。

 スタートダッシュを決めたシュガーホワイトは、既にある程度の差がついてしまっている。

 これに下手に追いつこうと思ったのなら、自分の馬の脚を使ってしまうのは間違いない。

 先に動いた数頭も、二頭だけがまだ捕まえようとしている。

 これであの二頭は消えた。




 逃げの戦法を取った時のアドバンテージ。

 ストロングポイントにもなるが、ウィークポイントにもなること。

 それはペースを自分で調整できることだ。

 スタートダッシュで2馬身以上は先行できる、と計算していた。

 そしてそこから後ろが、果たしてどう動いてくるのか。

(まず二頭消せた)

 そのうちの一頭は、警戒していたカルマインザダーク。

 本気で勝つつもりなら、スタートから先頭争いをする必要があった。

 だが先行からの抜け出しも出来るので、それが選択肢を間違えさせた。


 優姫としてはここから、ペース配分を考えていかないといけない。

 まずはコーナーまではしっかりと確実な先頭を確保する。

 あとはどう息を入れていくかだ。

 ウィークポイントになるのは、後ろのペース配分が上手くいっていれば、ペースメーカーにされてマークされるということ。

(シュガーの賢さを、どこまで理解してるか)

 向こう正面に入って、ペースはダウンしている。

 ここである程度、差が縮まってくるのは仕方がない。

 むしろ縮まってこなければ困る。


 体内時計は59秒を切ったあたりか。

(また少し、脚を使った)

 後ろの馬が自然と、ペースを早めたりしている。

 シュガーホワイトと優姫の逃げは、最後までに潰れると思っているのだろう。

 だがそれまでに好位にいなければ、後ろから抜かれるのも確かなのだ。


 優姫は他のジョッキーの力を侮ってはいない。

 二連敗していながら、フォーリアナイトの力を信じている五十嵐。

 あの馬は直線の長い府中なら、キレで勝負してシュガーホワイトに勝てるのだろう。

 そう思っていても、ずっとそれを信じ続けるのは難しい。

(あとはこの人たち)

 およそ二馬身差にまで、差を縮めてきた馬。

 美浦のジョッキーであり、栗東のベテランたちはもう存分に、優姫のしたたかさを知っている。


 他には綿貫も来ている。

 現状の一番人気が逃げて、二番人気がほぼ最後方という状況。

 これでは途中でどの位置にいるか、考えなくてはいけないのは確かだ。

 直線だけで勝負する競馬になるのか。

 そうさせないために優姫は、色々と考えてきたのである。




 馬を見るという点において、おそらく日本でも一番。

 五代勇作はレースの序盤から、ハラハラし通しであった。

(どういう作戦なんだ!)

 ダービーには自分の牧場の馬に、グループのクラブ場も出走している。

 だから当然ながら、こうやって馬主席にいて、営業もしている。

 それを別としても、ダービーを見に来るのは当然であった。


 フォーリアナイトもグループの生産馬である。

 だがこちらはセリで、馬主に販売したものだ。

 生産者として間違いなく、大きいところを取れると信じている。

 特に直線のキレは素晴らしいが、気性面の難しさも知っている。


 経営者としてはシュガーホワイトの方を高く評価していた。

 一瞬のキレはともかく、持続力とコーナリング性能は、フォーリアナイトよりもずっと上だ。

 馬の強さにも種類があり、特徴としては多様な種牡馬がいた方がいい。

(ホワイトウイング産駒の割には頭がいいし、ストレンジ産駒の割には気性が難しい)

 シュガーホワイトとフォーリアナイトのことで、どちらの力も備わっていれば、まさに最強の馬になるのだろうが。


 馬産全体から見た場合、シュガーホワイトに勝ってもらっても構わない。

 おそらくダービーを取れたなら、菊花賞も取れると優姫が言っていた。

 その見立てはグループの人間からも出ており、ならば三冠馬の可能性が高い。

 それだけでも種牡馬としては、絶対的な価値を持つ。

 だが重要なのは強さだけではないのだ。


 優姫とシュガーホワイトの組み合わせは、人気として異常なものになっている。

 そんな馬が種牡馬として、五代のスタリオンに入る。

 芦毛のオグリキャップの夢よ再び、と思う人間も多いだろう。

 血統背景を見ても、かなり付けやすい馬となっている。

 今の時代にサンデーが一本だけ、そしてキングカメハメハが入っていないのだ。


 五代グループの責任者として、また日本の馬産をリードする者として、逆にシュガーホワイトのことを心配している。

(ここで惨敗は困る)

 おそらく普通に走っていれば、3着ぐらいには来れたであろうに。

(だが、ダービーなら狙っても仕方ないか)

 それでももし、優姫が勝って、ダービージョッキーになれば。

 本来の種牡馬能力はともかく、付加価値がとんでもないものになるだろう。


 馬への愛と、経営者の計算と、日本の馬産を背負う責任。

 そういったものを全て持って、彼はダービーを見つめているのだ。




 ジョッキーの体内時計は、おおよそ正確である。

 なので優姫がほんの少しずつ、1ハロンのラップを変えているのにも、多くのジョッキーは気づいていた。

 気づいていたが、自分の馬をそれに、上手く合わせることは出来ない。

 そんな小刻みな調整をしていたら、逆に馬のリズムが狂う。


 シュガーホワイトは確かに、操作性に優れた馬である。

 またステイヤーとしての素質も、充分にあるようだ。

 だがそれ以上に優れているのは、鞍上の指示に従う頭の良さではないか。

(もう待てん!)

 下手に抑えるぐらいならば、もう行ってしまった方がいい。

 そういった割り切りの良さも、ジョッキーには必要なのだ。

 しかしそれでは仕掛けが早すぎる。


 第3コーナーからは少し、シュガーホワイトもペースが落ちる。

 しかし鞍上の優姫は全く、姿勢がぶれない。

(おかしいな)

 シュガーホワイトは、確かにラップを上下させている。

 それなのにジョッキーの手元が全く動いていない。

 ただ手綱を緩めてもいないのは、間違いないのだが。


 優姫はあれで追える騎手だ、というのはもう知られている。

 未勝利戦で未勝利馬を勝たせるのは、腕力と脚力で外から力をかけてやらないといけない。

 ただ軽いだけでは勝てないほど、未勝利馬は能力が低かったりする。

 そこで二割も勝つのだから、間違いなく性能がおかしい。

(完全に折り合っている)

 近くで見る綿貫は、そう考えた。

 シュガーホワイトは賢い馬だとは、見てきて分かっているのだが。


 残りはおよそ800m。

 優姫は手綱をしごくのではなく、体重移動で馬に伝える。

(そろそろ行こうか)

 一度は落としたペースを、また上げていく。

 ここからのロングスパート、最後は果たしてどうなるか。


 18頭のうち10頭はもう振り落とした感触がある。

 残り8頭のうち、迫って来れる力があるのは、せいぜい2頭といったところか。

 フォーリアナイトとメテオスカーレット。

(どちらも末脚勝負だけど)

 フォーリアナイトは馬群を捌いて上手く出てくる。

 対してメテオスカーレットは、大外に持ち出していた。


 勝負はいよいよ最後の直線へ。

 まだ後ろの二頭は、飛び出してきてはいない。

(息はしっかり入ってる)

 スタートダッシュから1コーナーまでは、それなりに速いペースであった。

 だがそこからは上手く、ペースをコントロール出来たはずだ。

 それでも後ろの方の二頭は、思惑に乗らなかったのだ。




『向こうの直線から差は縮んできた。だがまだ先頭はシュガーホワイト! 逃げ切るのかシュガーホワイト! 白い芦毛に白い勝負服。先頭のままだシュガーホワイト!

 二番手集団は激しいポジション争い、二番人気フォーリアナイトはまだ後ろ。

 第3コーナーに入ってここからどう動くか。さあ大欅の向こうで集団がどう動くか!

 最初に出てきたシュガーホワイト。脚色はどうだ? まだ落ちないか』

『ラップは落ち着いて見えますが、天海の手は動いていないですね』

『今度の直線は長いぞ! シュガーホワイト第4コーナー! ペースが上がったか! 天海の鞭が振るわれる! シュガーホワイト、ロングスパートか!』

『ここからだと最後に差されます!』


 優姫の作ったペースのおかげで、後続集団はある程度、脚色が定まってきた。

 その中を貫いてくるフォーリアナイトは、ひたすらシュガーホワイトを目指している。

 大外に持ち出したのはメテオスカーレット。

 そこまで持ち出して届くのか、とはレースを見ている全員が思った。


「行ける行ける行ける! まだ行ける!」

 ぶんぶんと手を振る白雪に対して、無言の千草は唇をかみしめ、拳を強く握っていた。

(ステイヤーなら……)

 距離ではなくコース適性。

 確かに府中の左回りには、やたらと強い馬がいるのだ。

 直線にかかったところで、優姫はわずかに手綱を動かす。


 見ている人間は、競馬関係者であれば、はっきりと分かった。

 ほんのわずかな動作で、シュガーホワイトの手前(※)が変わったのだ。

 左回り用の左手前から、右手前へ。

 コーナーで差が縮まったのは、左手前で走っていたこともある。

 そしてその間、右は少し休んでいたわけで。


『シュガーホワイト先頭! 最後のストレートへ! 大外回したメテオスカーレット! 

 カルマインザダークは後退! 馬群に沈む! しかしもつのか! もつのか東京の直線! 

 シュガーホワイトはもつのか!』


 集団の真ん中を抜けてくる。

 フォーリアナイトが抜けてくる。


『シュガーホワイトはどうなのか! 母父ジャングルポケット!

 府中の2400! 適性はどうなんだ! シュガーホワイト先頭! 最後の坂にかかっていく! 後ろからは二頭が抜けたか!』


 府中の直線は長い。

 シュガーホワイトは一度、その直線で勝っている。

 だが1800mと2400mでは、根本的に違うのか。

 相手は強いが、こちらの血はどうなのか。

 薄められたスピード血統の奥に、莫大なスタミナが潜んでいる。



 ※手前

 馬の利き足のようなもの。右足を前に出すか、左足を前に出すかで走り方が違う。

 一般的に左回りのカーブは左手前が回りやすく、右回りはその逆である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ