第19話 偶像と虚像
世界はアイドルを必要としている。
それは男でも女でもよく、あるいは人間ですらなくてもいい。
よく言われるのは、マスコミに作られたアイドル。
初代競馬ブームを作ったと言われるハイセイコーなどは、野武士のイメージで語られたのが当時。
現在では父はチャイナロック、母も地方でしっかり勝ち鞍があった良血と知られている。
怪物としてやってきて、敗北の後も愛されたという点では、確かにアイドルであったのだろう。
二代目アイドルホースとも呼ばれるオグリキャップは、それとは違うものである。
血統的背景はさらに地味であり、最初から無敵どころか、デビュー戦で敗北している。
「だけどオグリは、そこから立ち上がって勝っていった」
「まあ今でもオグリキャップは話題になるけど、ハイセイコーはあんまり知らないかなあ」
優姫の言葉に、美奈は不思議そうに頷く。
優姫はオグリキャップのことを、まるで同時代に生きたように言う。
それだけ特別な存在だから、というのとは違う気がする。
優姫もまた今の時代に、ものすごく真っ当な持ち上げられ方をしている。
それがちょっとだけ年上の、美奈の感覚である。
どこか飄々としているが、それでしっかりと勝ち星を増やす。
天才だとも思うが、それ以上の何か、とも美奈は思うのだ。
よく分からないところがあるのは、天才の条件の一つだ。
あるいはそれは、天然というのかもしれないが。
JRAもしっかりとマスコミ対策はしている。
しかしマスコミ以上の悪意が、ただのファンを装って近づいてくることもある。
そのあたり優姫は、無自覚な悪意や、幼稚な承認欲求の対象が、自分になるとは考えていなかった。
タクシーがトレセンのゲート前で止まり優姫は降りる。
夜の厩舎地区は静かだ。
馬房の方から、かすかに馬が身動きする気配がする。
だがその静寂の中に、異質な視線が混じっていることに、優姫はすぐに気づいた。
ゲートの外側。
暗がりに、二人の男が立っている。
記者のようにも見えるが、首から下げたパスが無い。
(マスコミの取材は……違うか)
足を止めると、男たちはゆっくりと歩いてきた。その手に専用のカメラなどはない。
一人が笑顔を作りながら声をかける。
「天海騎手、ですよね。ちょっといいですか。五分でいいんで」
「JRAを通して」
「そんな固いこと言わずにさ。俺ら、アンチじゃないんで。ちょっと聞きたいだけ」
語尾は柔らかいが、生ぬるい柔らかさ。
優姫は後ろに少し下がった。
ゲートの向こうに警備員が控えていて、すぐにでも来れる距離だ。
(この角度ならいいか)
今は昔よりもむしろ、一般人の方がややこしい。
「肖像権と施設管理権」
優姫の言葉に、相手はぴたりと止まった。
「そのスマホで撮影している画面には、JRA所属の私とJRAの施設が映っている。それを流せばJRAはすぐに、法務部が施設管理権の侵害で動いて、チャンネルごと停止させることが出来る」
こういう時のために、教えられたことだ。
「嘘だと思うなら確認してからやってみればいい」
「いや俺たちはファンだし、変にアンチに叩かれたりする前にさ」
「それを決めるのは私ですらなくJRAだから、広報に確認してみればいい。現役ジョッキーのレースと無関係のチャンネルさえ、存在しない理由」
若い女だからと、甘く見ていたのだろうか。
命がけでレースに乗っているジョッキーを、甘く見てもらっては困る。
結局金と承認欲求が、こういった手合いの目的なのである。
そして前者の方が上回る人間が多いので、この警告は効果的であった。
事情を聞いた千草は、不謹慎にも笑っていた。
「お役所仕事だと思ったら大間違いさ。うちらの親分が一番うるさいのは『カネ』と『権利』なんだから。馬券のテラ銭を守るための法務部を甘く見ちゃダメだね」
しかも今の優姫はただでさえ、競馬界全体を盛り上げるための、キーマンであるのだ。
より馬券を売るためならば、JRAはガチで個人を訴えるし、アカウントなども停止させるであろう。
だが千草としては、優姫の冷静な対応も気に入った。
「よくもまあ、そこまで落ち着いてたね」
「前に調整ルームでスマホを使ってたジョッキーがいたから、今は厳密にそういう施設を撮影するだけで問題だと教育されるようになってる」
一億総配信時代とは、面倒になったものだ。
ただこの一件の後、周囲の関係者の優姫への当たりは柔らかくなった。
ダービーを控え、厳しいマークに合うことは間違いない。
しかし自分一人で迷惑配信者を撃退したのが、プロ根性とでも思われたのか。
レースで手加減されるわけではないが、何かまた一歩近づいたと言えようか。
JRAはダービーに向けて、警備を増やしたりもしたのだ。
ジョッキーは八百長対策のために、とても高いリテラシーが求められる。
SNSまではともかく、チャンネルを持っている現役騎手はいない。
普通に馬の調子を話すだけで、予想行為とされてしまう危険があるのだ。
それで年収1000万以上を失うなど、愚かにもほどがある。
そういう意味ではジョッキー同士は、ライバルであり商売敵であるが、外敵に対しては間違いなく仲間でもあるのだ。
ダービーまでの最後の一週間。
優姫だからというわけでもなく、普通にシュガーホワイト共に、JRA広報などの取材がある。
出走が決まった馬は半分以上、これまでにも対決している。
皐月賞から次には、適性からマイル路線に進む馬もいるが、やはりダービーには出たいのが競馬の世界だ。
優姫自身は有馬記念が好きだ。
なぜなら名馬は、有馬記念を勝って引退すべきだと思っているからだ。
おそらく今度も厳しい相手になるのはフォーリアナイト。
そして同じ末脚勝負の、ネバークライ産駒のメテオスカーレット。
シュガーホワイトは体格や血統からして、府中の2400mは最適条件ではない。
しかし今年の3歳馬の中で、唯一の三冠の資格がある馬だ。
それでも最後の直線勝負だと、やはり厳しいものがある。
だが勝つ気なく、乗ることはありえない。
(競馬は相手がいるから……)
そして運が関係してくる。
ダービーは運のいい馬が勝つ、とは言われる。
だがダービーに出られた時点で、その運は充分なのだ。
(最後の直線かあ……)
それまでの攻防がどうなるかで、勝負は決まるだろう。
優駿たちは数多い。
この年に選ばれた18頭の中でも、打倒シュガーホワイトを託されている一番手は、やはりフォーリアナイトである。
弥生賞に続いて皐月賞も敗北。
だが府中のコースの相性は、間違いなくこちらが上のはずだ。
中山のきついカーブを曲がる、そんなコーナリング性能がシュガーホワイトにはあった。
きついカーブからでも、ロングスパートに入る馬であったのだ。
「どうだ、拓也」
最後の追い切りを終えた五十嵐に、調教師から声がかかる。
「いいですね。万全の状態かと」
皐月賞から比べても、さらに馬が成長している。
やはり問題は気性であろう。
フォーリアナイトがシュガーホワイトの後ろから競馬をするのは間違いない。
その時に併せていって、最後にどちらが勝つか。
「あっちも強いですけど」
「後ろからはメテオもいるからな」
最後の10mほどで前に立つのが理想。
「あとは大外を回していくか……」
「そりゃあギャンブルだな」
フォーリアナイトの気分だけに、任せるということになる。
今年のダービーは注目度が違う。
久しぶりに入場制限がかかるだろう、とも言われているのだ。
「半分以下の年齢の娘っ子に負けるわけにゃいかねえだろ」
「走るのは馬ですけどね」
しかし優姫はユニコーンSでも勝ち、シュガーホワイト以外での重賞を勝利した。
社会が彼女たちを後押ししているようだ。
そしてあの美しい馬が、三冠を達成したら。
(一応はあれも日高の馬(※)だからなあ)
ホワイトウイングも現役時代、善戦マンとして人気があった。
もっともGⅡ以下は勝っているので、ジョッキーの目からすれば充分な名馬であったが。
祖父から三代の日高産。
あの芦毛の孫にしては随分と、気性も穏やかなところがある。
人間の選り好みが激しいのは、あの一族に共通していることだが。
(JRAとしてはダービーも勝ってほしいんだろうな)
そして菊花賞の適性は、確かに向こうが高そうなのだ。
負けるつもりなどない。
だがクリーンな騎乗をして、勝たなければいけない。
(どう乗ってくるか、天海)
人間よりも馬の方が、彼女にとっては近しい存在らしい。
世間の盛り上がりとは別に、五十嵐は勝利に全力をかける。
(ハイセイコーと対決したタケホープって、こんな感じだったのかな)
あながち間違ってもいないのだろうな、と思う五十嵐であった。
JRAは公正である。
ただ出来れば、という思惑ぐらいは持っている。
ダービーに勝利すれば、史上初の女性ダービージョッキーが最年少で誕生する。
勝ってほしい、とは正直思うのだ。
なれば全力で広報部もバックアップして、売り出していこう。
第三次競馬ブームは、虚構が組み合わさったものだった。
しかし訪れつつあるこのブームは、馬と人が共に実感としてある。
『白馬にまたがったお姫様』
今、作られつつあるイメージだ。
姫と言うには優姫は、かなり泥臭い競馬もしてくるのだが。
ダービーの枠も決まる。
2枠4番という、スタートのいいシュガーホワイトとしては、願ってもない枠だ。
こういう運の積み重ねもあって、ダービー馬は誕生するのだろう。
「天海騎手には積極的に前面に出ていってほしいですね」
「騎乗依頼も増えているみたいです」
競馬界の内外で、名前が出ることが増えていく。
同じ条件戦でも、未勝利ではなく1勝クラスなど。
お手馬にする馬が、集まっていっている。
女性騎手であるから、男性騎手ほどの安定した騎乗は望めない。
絶対的な体力差がある。
そういうイメージはあるし、実際にダービーの開催に合わせても、その週は他の騎乗依頼は完全に断っているのだ。
この皐月賞と同じ動きを見て、ならば本気で勝ちにきているのだろうと思わせる。
もちろん本気で勝ちに行く。
JRAは公正である。
だからこそ注目が集まっている優姫を、他の騎手と同じように、集中して乗れるように動く。
トレセン前で馬鹿なことをしていた配信者は、他の案件から叩いて、抹消させた。
あとは勝ってほしいが、負けても次につながればいい。
「オグリキャップも、負けてからが本番だったからな」
年配の職員の言葉に、同意できない若手。
だがあの姿に脳を焼かれたJRAの職員は、いまだにとても多いのだ。
将来の話をする。
まだダービーの前であるが、常に先のことを考える。
「引退後はうちに」
種牡馬として引き受けたいと、五代は白雪に話す。
これまでに走らせてきた馬とは、扱いが全く違うのだ。
引退後の馬は乗馬クラブに寄贈するか、それもなければ地方で走らせたりと、見送ってきた白雪である。
だがシュガーホワイトには、第二の馬生が待っているらしい。
「どう思う?」
「そうですね……」
意見を求められた千草は、元は牧場の娘であった。
担当の調教師に話すのは、全くおかしなことではない。
シュガーホワイトは早熟で、クラシックの皐月賞を勝っている。
父ホワイトウイングは、他にもGⅠ馬を出し、人気の日高の種牡馬だ。
その後継としては、日高も欲しがるであろう。
あとは母系が、日高には向いているのだ。
アメリカから輸入した繁殖で、スピードとスタミナが備わった血統。
サンデーサイレンスのラインが一本しかないというのは、今の日本の馬産では血統的に魅力である。
「オーナーがどういう馬生を送ってほしいか、ですかね」
個人的な話だけなら、日高のスタリオンに持ってきてほしいが。
五代のスタリオンに入れば、優れた繁殖をあてがわれる。
すると自然と、種牡馬としても成功する確率は高くなる。
シュガーホワイトの子供を、また持って走らせる。
「優雅な趣味だね~」
「そうですよ」
ただ千草としては、注意したくなることもある。
優れた種牡馬というのは、早世することが多い。
やはり種付けというのは、負担であるのは間違いないのだ。
ホワイトウイングなどは、それが上手くて床上手らしいが。
実際に千草の実家も、何度か付けているはずだ。
長生きしてもらうように、条件を付ければいい。
「あとはシンジケートとか」
「ほうほう」
競走馬として走らせるのは、シュガーホワイトぐらいになれば、五歳ぐらいまでであろう。
しかし種牡馬になれば、さらにその後も楽しむことが出来る。
「繁殖牝馬を持って牧場に預託して、種馬を指定して楽しむことも出来ます」
基本的に牡馬を買っている白雪だが、牝馬でも白ければいい。
千草に会いにきたわけではなく、シュガーホワイトの調子を見に来た。
だが話の流れで、こういうことも相談する。
肝心の馬の方は、順調に調整は進み、いよいよ関東に移動となる。
パドックなどで会う前に、ゆっくりと顔を見ておきたかった。
「ダービーって、すごいねえ」
貴女もすごいからですよ、とはわざわざ言わない千草であった。
※日高
日本で一番馬産の集中している地方で、多くの場合日高というと中小の馬産農家を示す。
実際はそれなりに大きな牧場もある。
だいたい物語では大牧場に対抗するという、主人公の図式で登場する。




