第18話 祝祭の前
もういいだろう、と判断された。
天海優姫は間違いなく、乗れるジョッキーであると。
誰がというわけではなく、誰もが納得した。
条件戦で勝利を積み重ね、シュガーホワイト以外の馬でも重賞を好走。
そして今回いよいよ、淀のダートでGⅢを勝った。
砂を被って泥臭く、見事に勝利した。
その姿が逆に、可憐に映ったものである。
幼さとまでも言える若さ、女性騎手、そして実力。
マスコミへの対応こそ、ぎくしゃくとしたものではある。
だがこれを好意的に取る人間もいるのだ。
それだけマスコミというものは、もう一般人から反感を持たれている。
「そうなの?」
「優姫ちゃん、ネットあんまりしないよね……」
「普通にメールとか使ってるけど」
美奈は呆れるが、外部からの声は、あまり気にしない優姫である。
トレセンの中でも基本的に、厩舎に引きこもっている。
するとさすがに警備も厳しいので、無茶なマスコミはやってこない。
素人が無茶をして侵入を考え、警備員に叩き出される。
まったくもって走っている馬は、下手をすれば一億だの二億だの、そういうことも知らないのだ。
「テレビ出演なんてしたくない……」
「しなければいいんじゃない?」
「でも出た方がコネや伝手が出来る……」
「優姫ちゃんてそのあたり、本当に現実的だよね」
馬に恋する乙女のはずなのに、どうしてそういうところは実務的なのか。
また東京に向かわなければいけない。
あっちが来いと言いたいところだが、番組に出演してもらうには、東京のスタジオが必要というわけだ。
「服、どうしよう……」
「あのパーティードレスじゃダメかい?」
「あれは借り物だったから」
「今回も借り物でいいんじゃないかい」
ふむと頷く優姫だが、そう言う千草の方はしっかり、状況に応じたフォーマルドレスやスーツを持っているのだ。
いっそのこと競馬学校の制服で行ってやろうか、とも考える。
しかしそれは大学生が、高校の制服を着るようなもの。
身分を証明するようなものでもないため、実はアウトなのである。
「う~ん……久しぶりに姉を召喚する」
県内の大学に通っている姉を、上手く使う優姫なのである。
ハーフパンツにパーカー、そして伊達眼鏡。
「あんたいまだに男の子みたいだね」
姉の一花は遠慮なくそう言った。姉なので。
「そんで眼鏡って何?」
「変装用」
そういえばこの妹は有名人だったな、と改めて思い出す姉である。
なにせ中学や高校時代の友人から、久しぶりに電話がかかってくる。
テレビのニュースやバラエティで、よく見た顔が何度も映る。
不本意であるが一花は、優姫に借りがあるのだ。
大学に通う授業料などは、奨学金で充当した一花。
そんな利子の高いものはやめろ、と無利子無担保で去年、優姫が返却させ改めて貸した。
たとえばホープフルSの賞金だが、優姫の取り分はあのレースだけで500万円。
重賞は他にも勝っていて、ただでさえ勝ち鞍が50勝。
ならば母や姉を扶養に入れた方が、かなりの節税は出来るというものだ。
一花としては期待していなかった。
ジョッキーが高給取りとは聞いていたが、同時にピンキリとも聞いていたのだ。
まさか変人に片足以上突っ込んだ妹が、そのピンだとは思わない。
元から仲は良くないが、悪くもないという関係。
昔からずっと、他人のような関係ではあった。
「重賞勝ってお金あるから、一花にもプレゼントする」
「妹にそこまでされたら、姉の沽券に関わるから」
それはもう遅い。
優姫の一年目の収入は、手取りでおよそ3000万円といったところ。
契約金を別としたら、プロ野球選手の一年目よりも稼いでいる。
今年は皐月賞に勝ったので、現時点でもう去年を上回る。
「……それで、賞金っていくらだったの?」
やはりそれは気になるか。
「200万円」
「にひゃくまんえん……。2分とか3分とかでにひゃくまんえん……」
正確には調教をつけて準備し、騎乗手当なども別にあるのだが。
ただ優姫は基本的に金を使わない。
これまでに買った大きな買い物は、せいぜいが車ぐらいだ。
将来のことを考えると、貯金か運用はしておきたい。
(馬券が買えないからなあ……)
昔のように子供が、父親の代理で買いに来た、が通用しない時代なのだ。
それ以前に騎手は、競馬の馬券は買えない。
京都まで姉妹仲良く出て、ちょっとしたお高い買い物をする。
「これって経費に出来たかな……」
「あんた、小市民的なところが残ってて、あたしは安心だわ」
小市民でも富豪でも、人間には変わらない。
「ダービーって今いくらなの?」
「額面では6億円で、そのうち5%がジョッキーの収入。だけどダービーに勝ったらボーナスも出る」
税務署への申告がいらない、現金での支払いである。
馬主からの心づけ、というものだ。
良い子も悪い子も、脱税はしてはいけないぞ!
こんな優姫が相手であるが、一花は距離が離れたとは思わない。
優姫は昔から、こんな感じであったのだ。
「パンツスーツなの? スカートの方がよくない?」
「いつ馬に乗るか分からないから」
そんなことを気にして衣装を選ぶのか。
ただスーツの優姫は、ちんまりとしている。
一花から見ても、平均よりやや小柄な優姫。
肉体に脂肪分が少ないので、細く見えるのは確かだ。
もっとも腕相撲でもすれば、全く勝てないのが細さに秘めた腕力である。
「たまには平日でもいいから、お母さんに顔見せなよ」
「今は忙しいから」
優姫は競馬と結婚したのだ、と母などは言っている。
競馬学校など落ちて、普通に進学することを望まれていた。
運動神経だけではなく、頭脳も優れていた優姫なのだ。
(まあそれだから、これだけ注目されてるわけか)
だいたい週末や週明けには、ニュースで取り上げられることが多い。
そんな妹のことは、昔からの友人なら知っている。
世間の扱いでは、スーパースターと言うよりは、ヒロインである。
競馬界の姫、などとも言われているのは、肉親としてなぜか恥ずかしい。
だが優姫自身は、昔から何も変わっていないのだ。
(たぶん前世は馬だったんだろうなあ)
そんな無理な納得の仕方をして、食事制限をする妹を見る一花であった。
複合的な要因によって発生した第三次競馬ブーム。
だがブームはいつか去るもので、少しは全盛期よりまた落ち着いている。
だがJRAをはじめ、馬産地などもやはり、次のブームを欲しているのだ。
(あの子は大丈夫そうだけど)
東京へ向かう優姫を見送り、考え込む千草である。
彼女の元にはこれまで交流のあった馬主が、さらに違う馬主を連れてきてくれている。
優姫の存在の影響は、当然ながらここにも及んでいる。
シュガーホワイトはダービーを勝てれば、おそらく三冠馬になれるだろう。
そう優姫は言っていて、千草もある程度同意している。
鬼門なのはやはりダービー。
府中のあの直線を、どうやって勝つかということだ。
(展開は任せるしかないか)
千草自身も当然のように、馬に乗ることは出来る。
だがレースの騎乗に関しては、ほぼ優姫に任せているのだ。
女騎手。
これまでの競馬ブームでは、存在しなかった要素だ。
シュガーホワイトという存在に恵まれたとはいえ、優姫は最年少でGⅠレースを制した。
千草からしてみれば、その力はずっと前から分かっていたのだが。
女調教師に女厩務員。
女馬主という女尽くし。
(時代を動かすのが女? なわけない)
千草はフェミニズムに毒されていないのだ。
とても分かりやすい構図ではある。
ジョッキ―としてデビューして二年目に、三冠を制するのか。
(出来すぎだ)
信じられないことだが、皐月賞の時点で既に、信じられないことであるのだ。
今の時点でも充分に、時代を代表する存在になる。
JRAが広告塔として、色々と動いているのも仕方がない。
シュガーホワイトという芦毛。
毛色は父方から、代々受け継いできたもの。
父ホワイトウイングは、GⅠではなかなか勝てなかった、惜しい馬であった。
大阪杯を勝ったが、それまでにGⅠ2着六回などという記録もある。
ただGⅡを四つも勝っているので、種牡馬入り自体は決まっていたのだが。
このシュガーホワイトも間違いなく種牡馬になるだろう。
(三冠馬……いやいや、クラシックを勝っただけで充分だから)
千草はそう自戒するが、優姫にはそんな無駄な遠慮はないのだろうな、とも思うのであった。
東京でのスケジュールは忙しかった。
テレビ出演はともかく、JRAの要請をある程度断るのは慎重にした。
「体調を崩したくないので」
無茶な取材やスケジュールで、ダービーに乗れなくなったら、それこそ責任問題である。
やはりダービーに勝ってこそ、本当の価値が出てくる。
今の時点でも充分に、奇跡のような存在であるのだが。
競馬雑誌だけではなく、一般誌まで追いかけてきたのは、ちょっと予想外と言えるだろうか。
どうやら皐月賞の祝勝会から、ルックス売りもいけるなどと思われたらしい。
「だから事務所に所属しておくべきだったのに」
一緒にインタビューを受けた白雪は、そんなことを言っていた。
確かにスケジュール管理のためにも、必要はありそうだ。
まずはダービー。
それが終われば勝つにしろ負けるにしろ、精神的に余裕が出来る。
周辺を整理して、より秋からの競馬に力を入れればいい。
「一緒にグラビア出てみる?」
「嫌」
白雪もそんなつもりはないのに、そうやってからかってきた。
事務所と代理人については、確かにもう決めるべきことだ。
栗東に引きこもっていた時は、そこまで思わなかった。
だがJRAのみに限らずメディアの、スポーツという枠を超えて、自分はミーム化していないか。
クラシックの価値は知っていたが、これでダービーを勝ってしまえば、社会現象になるのではないか。
「もうなりかけてるよ」
芸能人白雪は、そのあたりの感覚は鋭いらしい。
優姫はただ、馬といたいだけなのだ。
そのためにジョッキーを選び、そしてその先には馬産を考える。
ジョッキ―には定年がないが、調教師には定年がある。
そして現実的な話、ジョッキーは体力が必要なのだ。
しかし馬を作るのに、定年などは存在しない。
ダービーウィークが迫ってくる。
シュガーホワイトはトレセンに戻ってきて、また調教を開始した。
ダービーが終われば次は、秋までしっかりと休むことが出来る。
弥生賞から比較的、短いスパンで使ってきた。
このダービーが終われば、一区切りになるのは間違いない。
それが競馬の世界なのである。
優姫は順調に勝ち鞍を増やしていく。
だが同時にダービーに合わせて、また体重調整もしていくのであった。
一番重要なのは、まず無事にダービーに出走すること。
「出走してくる馬も、だいたい決まったかな」
直前に出走取消、というのは普通にあるものだが。
ダービーの週は完全に、それだけに集中する。
皐月賞と同じく、ぎりぎりの仕上げを自分はするのだ。
おそらくコースの適性として、フォーリアナイトはより恐ろしい。
どういう作戦でいくのかと、優姫は色々と聞かれたりする。
「後ろからいってもいいかも」
そう口にはするが、これは全て盤外戦術である。
フォーリアナイト以外にも、強そうなところはいるのだ。
皐月賞には出なかった、青葉賞組も存在する。
またあえて皐月賞を避けて、完全にダービーに合わせてきた馬もいる。
トライアルは青葉賞だけでもないのだから。
過去の映像を引っ張り出して、マークすべき馬を考える。
だがそれより重要なのは、シュガーホワイト自身が一番の、マーク対象になるであろうということだ。
(最年少ダービージョッキーを、女に奪われたくはないだろうし)
現在の記録は20歳と3カ月。
優姫でさえ今年を逃したら、これを更新することは出来ない。
だが記録がどうこうではないのだ。
シュガーホワイトであれば、ダービーに勝てば菊花賞は、おそらく勝てる。
少なくともフォーリアナイトは、菊花賞向けではない。
(勝てる時に勝つ)
ダービーに勝てる馬に乗るなど、そうそうないことなのだから。
時代設定が近未来のため、賞金もやや上昇している。




