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プリンセス・ジョッキー ~優駿の姫騎手~  作者: 草野猫彦
一章 三冠の幻影

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第13話 若き女王に侍る者

 日曜日のレース後、祝勝会も終えた優姫は、用意されたホテルで死んだような眠りに就いた。

 翌日は月曜日のため、基本的にトレセンは全休日。

 だが馬の健康を考えるなら、必ず軽い運動はさせるのだ。

 優姫にしても厩舎所属として、シュガーホワイトやその他の馬を、曳き運動で動かしている。

 本当なら月曜日にはすぐに、栗東に戻るはずであった。

 しかし若き女王の周囲には、それを許さないものがある。


 JRAは優姫に対して、メディアへの露出を要請してきた。

 これは関東にいる間に、さっさと済ませるべきことだ。

 本当ならばもう栗東に戻って、馬たちの様子を見て、翌日以降の予定も立てていかないといけない。

 だが女性初、かつ史上最年少など、話題性を作りすぎた。

「第四次競馬ブームが来るかねえ」

 そう話している競馬記者もいたものだ。


 テレビへの出演が一件、雑誌の合同インタビューが一件。

 それを終わらせてから、やっと優姫は新幹線に乗れた。

 千草も美奈も他の馬の管理のため、既に朝には出発している。

 だが優姫は夜も遅くなってからようやく、トレセンに帰還することが出来た。


 馬主の祝勝会は、日曜の夜に終わっている。

 しかしトレセンではこの月曜日に、厩舎全体として行っているのだ。

 もっとも生き物を世話する関係で、何人かは入れ替わりで馬房を見ている。

「お帰り」

 千草は自分の住居ともなっている、厩舎の端で優姫を待っていた。

「ただいま戻りました」

 現在の若手騎手は全て、トレセン内の騎手寮に住んでいる。

 優姫も建前はそうなのだが、週の半分以上は千草の住居に泊まり込んでいる。

 だからここは、優姫の家でもあるのだ。


 千草はしっかりとテレビを見ていた。

「いい気にはなってないみたいだね」

 それに対して優姫は当然のように頷く。

「重賞もGⅠも勝っているとはいえ、全部シュガーの鞍だからね」

 千草の言う通りで、GⅠ2勝とGⅡ2勝は、全てシュガーホワイトによるもの。

 あとの重賞は好走しても、まだ勝ちきれていない。

 それでも上位に持ってくるので、シュガーホワイトが強いだけ、とはさすがに言われなくなっている。

 一般の浅い競馬ファンは、いまだにそう言うものもいるが。


 そもそも優姫が、強い馬に乗れていない、という前提がある。

 重賞は斤量のメリットがないからだ。

 だが未勝利馬を勝たせたり、下級条件で勝たせたりと、いくら斤量の優位があっても、あまりに勝ちすぎているのは確かだ。

 女だからというのも、そろそろ理由にはならなくなっている。

 しかし決定的になるには、やはりシュガーホワイト以外での重賞を、どうにか勝っておきたいところだ。




 ブームや流行は作り出せるか。

 20世紀であれば作り出せる、とマスコミは言ったであろう。

 だが今の時代は、情報の発信源に対して、個人が反対意見を出せる時代だ。

 本物でなくては、その力にはなりえない。

 コンテンツは無限で、その中から選んでもらう必要がある。

 もちろん拡散の仕方に、ある程度のコツもあるのだろうが。


 オグリキャップが再び現れることはない。

 競馬界ではよく言われることだ。

 だが確かにそこまでは届かなくても、ブームになる要素を持っていた馬は、ある程度存在する。

「来るかもな」

 そうひそひそと囁かれている。


「これだけ分かりやすい受ける要素が揃ってればな」

「調教師が女で、厩務員も女で、ジョッキーも女の上に史上最年少記録」

「セリじゃなく庭先(※1)ってのもいいな」

「血統はそれなりにいいが、馬主の個性もプラスされる」

「MNRの白雪か……あの人、今いったい何歳なんだ?」

「それは業界のタブーじゃないのか?」

「噂じゃあエルフの血が入っているとか」

「人間じゃねえじゃねえか」


「馬もいいな。まだ3歳なのにあの芦毛か」

「そもそも女にしか世話をさせないっていうしな」

「そのあたり詳しく、裏取りしておいた方がいいか」

「他に売っていく要素はどうだ?」

「天海は元オリンピック代表候補だったらしいけど、そのあたりから掘っていくか」

「家族のことはどう引っ張るかだな」

「あとは小中学校の担任の話とかか」

「今ではそのあたり面倒になってるが」

「本人の了解さえ取れればいいだろ」


「三冠馬になったら、凄いことになるぞ」

「そう考えると新馬で負けているのが惜しいな」

「新馬で負けてる名馬なんていくらでもいるだろ」

「アーモンドアイもテイエムオペラオーも、それこそオグリキャップがデビュー戦で負けてるしな」

「あといいのは、新馬戦からずっと、ジョッキーが変わってないことだな」

「若いジョッキーと芦毛の怪物かあ」

「むしろダービーまでは勝って、菊花賞あたりで負けた方が、ドラマとしてはいいかもしれないな」

「そこから長く走ってくれるかだが」

「個人馬主だし、そこは大丈夫なんじゃないか?」




 ホープフルSも一つの事件ではあった。

 だがクラシックに初めての挑戦で、いきなり勝ってしまっているジョッキー。

「他の馬でも重賞を勝ってくれたらなあ」

「重賞での騎乗成績は……ほとんど乗れてないのか。シンザン記念以外はオープンでも乗せてもらってない」

「まあ女だからっていうのと、新人っていうのもあるんだろうけど」

「モーダショーで青葉賞には乗るんだろ」

「とにかくダービーには勝ってもらわないと」

 こういった重圧は次第に、優姫に重くかかってくる。


 悪意があるわけではない。

 商売としてやっているだけ、という意識があるのはまだいい。

 むしろこうやって広げることが善であると、勝手に思い込んでしまう。

 しかし競馬界全体を考えると、世間への認知度は高い方がいいのは間違いない。

 それはJRAすらも認めることなのだ。


 今の多くの記者は、オグリキャップの時代を知らない。

 現在でもいくらでも、当時の熱狂を伝え聞くことは出来る。

 だがこの組み合わせであれば、第四次競馬ブームを巻き起こすのではないか。

 第三次が複合的な要因であったため、一人と一頭による注目度の引き上げは、悪いことではないだろう。

 そして実際にそれが、同時代に起こりつつある。

 同時代性への熱狂を、感じたいとマスコミたちが、自ら真剣に考え始めている。


 比較的良血ではある。

 だが父系を遡れば、あの白い悪魔を祖父に持っている。

 しかしオグリキャップも、祖父はグレイゴーストと呼ばれていた。

「ホワイトウイングもけっこう人気は高かったからなあ」

「ハイセイコー(※2)と同じで、父親はそれなりってところか。しかし兄や姉はもっと人気の種牡馬につけてるわけだし」

「ホワイトウイングは駆け込み寺(※3)だからな」

「ああ、でももうGⅠ馬も出してるし、重賞もかなり勝ってるよな」

「ホワイトウイングの場合、GⅠ2着6回っていうのと、GⅡ4勝が大きいだろ」

 なかなかGⅠを勝てなかったが、それでも充分に名馬である。


「だけど次のダービーは苦しいだろうな」

「言われてますけど、どうしてなんです?」

「ホワイトウイング産駒は府中ではあんまり勝ててないし、あとは血統的にどう出るか」

「母系がスピードとスタミナ、混ざってるからなあ」

「この母の奥のモンジューやミルリーフがどう響いてくるかだな」

 不安要素というのは、いくらでも見つかるものだ。

「まあジョッキーが若くて美人だし、それだけでも売れるだろ」

 身もふたもないことを言われているが、こういった世俗の中にこそ、日本の競馬は存在するのである。




 栗東にマスコミがやってくる。

 ダービーまでの日々を密着取材、という規格である。

 作業着で厩務員の仕事も手伝う優姫。

 美少女が汗にまみれる、という構図はとても絵になるものであった。

「19歳は少女だろうか?」

「化粧すれば化けるの、分かっちゃったからね」

 美奈と軽口を叩く優姫である。


 そして皐月賞の翌週は、青葉賞である。

 モーダショーの東征と共に、優姫は府中に向かう。

 土日の週末で他に5鞍、レースを確保してもらった。

 全て条件戦であるが、軽く乗れるなら文句はない。

(今年中に見習いは終わらせないと)

 あと1kg、筋肉を増やすのだ。


 追い切りに乗ってみたが、完全な仕上がりとは言えない。

 モーダショーがズブいというのもあるが、余裕残しの仕上がりとなっている。

 三ツ木はこれでいいと考えているのか。

 確かに青葉賞からダービーへの日程を考えれば、メイチで仕上げるのもためらわれる。

(面子的にも、どうなるかな)

 青葉賞の勝ち馬から、ダービー馬は出たことがない。

 それでもダービーの優先出走権をかけて、挑んでくる馬は仕上げているのだ。


 ホースマンとしてはやはり、ダービーに出走してこそ、という意識はある。

 だから境界線にいるのであれば、青葉賞に出ないという選択はないし、そのために全力で仕上げてくる。

(菊の方が向いてそうなんだけど)

 それは三ツ木とも話したことなのだ。

 夏のローカルで、絞りながら仕上げていく。

 そうすれば普通に、菊花賞トライアルには間に合うと優姫は考えている。


 ただシュガーホワイトも、その馬体や血統からして、3000mは走れる。

 ダービーにしても菊花賞にしても、誰か他のジョッキーが乗る必要がある。

 まずは出走権を手にしないと、いらぬ心配になるだけだが。

(秋には怖い存在になってるかな)

 そしてまた週末がやってくる。




 もしもモーダショーがダービー出走権を得たら。

 優姫はダービーに出走する、お手馬を二頭も持つことになる。

 だがその場合はどちらに乗るか、当然ながら決まっている。

 自厩舎のシュガーホワイトであり、そもそもまだ今のモーダショーでは勝負にならないと思っている。


 栗東で調教をつけていても、多くのマスコミがやってきている。

 あるいはテレビに出てほしい、などという依頼もあった。

 ジョッキーの仕事は馬に乗ることである。

 それでも時期によれば、マスコミ対策も仕事のうち、と優姫は考えている。

 だがモーダショーのダービー出走権と、シュガーホワイトのダービー。

 おそらく府中のダービーを勝てれば、秋の菊花賞は取れると優姫は思っている。


 コースの特徴的にも、シュガーホワイトには府中のコースが、一番難しいはずなのだ。

 シュガーホワイトも切れる脚を持っているが、瞬発力ではフォーリアナイトの方が上であったと思う。

(ヨーイドンは負けるから、やっぱり早めに仕掛けるしかないと思うけど)

 新幹線の中でも、優姫はずっとそれを考える。


 簡潔に府中とも呼ばれる東京競馬場。

 優姫はシュガーホワイトで、一度だけこのコースを走っている。

 クラシックで、あるいはGⅠレースで、一番紛れが少ないとも言われるのがダービーだ。

 運がいい馬が勝つ、などというのは俗諺とも言える。


 今回の優姫は、ちょっと特別扱いを受けている。

 マスコミの要請をJRAが受けた形で、調整ルームに入る様子を撮影する、ということになっている。

 ダービー当日でもあるまいに、というのが優姫の感想だ。

 しかし栗東に来るマスコミも、相当に多くなっていた。

(それに昔とは違うか)

 今は一億総発信時代。

 ファンという名の迷惑客は、その分野でも出てくるものなのだ。


 JRAがタクシーを手配してくれている。

 ダービー当日ならばともかく、これは大袈裟だと思ったものだが、これは優姫の認識が間違っていた。

 公営競技であるだけに、さすがのマスコミも無茶は出来ないのが競馬のはずだった。

 しかしマスコミ以上の悪意が、ただの興味として存在する。


 マスコミは確かに、競馬に関しては無茶をしない。

 国を本気で敵に回す、マスコミなどは存在しない。

 またマスコミ同士の了解で、ラインをちゃんと決めている。

 昔から無茶をしては、色々と禁止されてきた歴史がある。

 また皐月賞までのことで、優姫は安心していた。

 だが警備員がいる前などには、一般人がスマホを構えて相当数いた。

 なぜ遮光スクリーンのタクシーを用意されていたのか、これが原因であったのか。


 この一週間、珍しくも没交渉の姉から、連絡があったりした。

 また母からも連絡があって、不思議に思ったのは確かである。

 ずっと栗東のトレセン内にいて、ほとんどテレビも見なければ、ネットの利用も限られている優姫。

 自分の注目度に関して、無知であったと言うほかはない。


 だが調整ルームに入っても、まだ優姫はその深刻さを認識していなかった。

 彼女が本当にそれを実感したのは、翌日のレースになってからである。

 東京競馬場、土曜日のメインはGⅡ青葉賞。

 それ以前のレースにまず、2鞍優姫は乗ることになっていた。

 パドックにおいて、馬にまたがるそれ以前。

 待機している状態の彼女に、歓声が浴びせられたのだ。

(こんなのだったっけ?)

 あるはずのない記憶から、優姫は記憶を引き出す。

(時代が違うから?)

 騎乗した優姫に対しては、さらなる声援がかけられる。

(いや、パドックでそんな非常識な)

 サラブレッドは繊細で、このパドックでの人間の歓声だけで、神経質になってしまう馬もいるのだ。


 トレセン内に居住して、ただレースにのみ集中していた。

 そして自分の、あるはずのない記憶を、無意識のうちに頼ってしまっていた。

 優姫は間違いの少ない人生を送ってきたが、規格外になってしまった自分に対して、間違った反応があることまでは予想していなかった。

 ※1 庭先

 庭先取引の略。馬主が牧場に行って直接買ってくる。馬主が一目ぼれしただの、売れ残りを買っただの、ドラマが生まれやすい。五冠馬シンザンの時代はこれが普通であった。


 ※2 ハイセイコー

 第一次競馬ブームの立役者。地方競馬からやってきて皐月賞を無敗で勝利した。

 ハイセイコーを歌った曲なども出て、当時としては大ヒットの50万枚以上を売り上げた。

 地方からやってきた野武士というイメージがあるが、実は父は大種牡馬チャイナロックで、母も地方だがしっかり勝っているので、オグリキャップに比べればはるかに良血である。


 ※3 駆け込み寺

 この場合においては、繁殖牝馬に本来配合する種牡馬が上手くいかなかった場合や、予約がとれなかった場合、またなかなか受胎しない場合につける種牡馬に使われることがある。

 白い悪魔は今でも80%の受胎率を誇るが、これは不受胎の多い繁殖を相手にもしているからで、最高の年は95%以上を記録していたと言われる。

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