第11話 最速の証明
『さあ、牡馬クラシックロードの第一関門、皐月賞。今準備が整って……スタートしました!
各馬差のないスタートから、出てきたのは②番のグランジェッテ、続いて④番カルマインザダークが続いて、おおよそ内枠からするすると上がっていく!
一番人気シュガーホワイト、芦毛の馬体は中団後方、ここにいます。ホープフルSや弥生賞からは位置取りが変わっています。
前方先行集団は前二頭に続いて⑥番リステッドガバナー、前方が伸びた形になっています』
シュガーホワイトと天海優姫の評価は、実はいまだに割れている。
このレースに乗っているジョッキーたちでさえ、把握していない者は多い。
それは分からないのではなく、分かりたくないという気持ちかもしれないが。
(一年目の新人の女の子にGⅠを取られて、二年目に初めてのクラシック挑戦だからね)
ほぼ最後方のフォーリアナイト鞍上、五十嵐は現実的に見ている。
彼にとっては優姫もシュガーホワイトも、最大限に危険な存在だ。
シュガーホワイトが、女性にしか気を許さないという話。
普通ならばどうにかして、信頼関係を築くべきなのが、馬との距離感なのだ。
(祖父に似たのかな?)
だがあの白い悪魔は、知能自体は高かったはず。
優姫は乗った重賞のほとんどが、シュガーホワイトによるもの。
つまりガチガチにマークのきつい、皐月賞では厳しいはずだ。
近年は1レースの消耗度合いが大きいので、むしろトライアルは避ける傾向さえある。
フォーリアナイトにしても、実は問題を抱えているのだ。
そのために弥生賞で、少しでもレース経験を積ませたかった。
しかし期待通りの結果とはならず、レースを甘く見ている傾向は消えていない。
シュガーホワイトには負けたとはいえ、内と外で距離があった。
それにゴール板を過ぎてからは、フォーリアナイトはシュガーホワイトを抜いている。
勝った、と誤解してしまったかもしれない。
だが五十嵐は充分に、このレースの勝算を考えている。
後方からの競馬はいつもと同じ。
しかし今日は充分に、競るだけの多頭数になっている。
さらに後ろから来る馬も、他に何頭かいるのだ。
上手く併せていって、勝負根性を引き出す。
差し切ったところでゴール板を過ぎていれば、それでフォーリアナイトは勝てる。
(ただ前からの競馬じゃないのか……)
これまでのシュガーホワイトは、新馬と未勝利を除けば、おおよそ前めか逃げの戦法を取ってきた。
(詰まりやすい多頭数で、中団から抜いていけるか?)
そこまでの技術があるか、あるいは運に任せているのか。
少なくとも運任せはしないだろう、と五十嵐は優姫のイメージから考える。
シュガーホワイトの普段の調教は、ダートコースを使うことが多い。
また坂路を使って、下手にスピードが上がりすぎないよう、優姫は考えていた。
放牧先にはウッドチップの販路もあったため、そこを使わせてもらったこともある。
(フォーリアナイトと、メテオスカーレットにスカイグライダー)
後方三頭の位置は、完全に想像通り。
(前はこのペース、かなりスローになっている)
すると前が残るのか、という判断になるだろうか。
最初のコーナーまでに一度目の坂。
今回の優姫はレースにおいて、そこまでに有利な位置取りに固執しなかった。
多頭数のため内に封じられたら、かなり不利な展開になる。
それが常識であるが、今日の芝の状態は、前までのレースで確認している。
どのあたりを通ればいいのか。
2000mの距離は短いと思われるが、それは何をもって短いと言うかだ。
1コーナーを曲がって、そこで少しシュガーホワイトの順位が上がる。
コーナーワークでしっかりと、スピードロスを最小限にしている。
今日は先行を主張しなかったため、いい芝を走って坂を越えることが出来た。
パワーに必要なスタミナを、そこでは消費しなかったのだ。
2000mでも3000mでも、スタミナには種類がある。
また馬によってはレース展開で、使われるスタミナの種類が違うのだ。
ホープフルSでは間に合っていなかった、逃げ馬などが出てきた。
だからあのレースのように走っては、おそらく共倒れになる。
そして少頭数の弥生賞と、比べるわけにもいかない。
(ダービーが最大目標としても、クラシックに出したい馬主と調教師は多い)
同じGⅠであっても、2歳とはレベルが違う。
馬の成長度合いと、レースの権威がレベルを上げるのだ。
牡馬クラシックには格言がある。
皐月賞は「最も速い馬が勝つ」と言われる。
これは馬の持つ、単純なスピードだけを指しているわけではない。
早く仕上がって、皐月賞に間に合った馬が勝つ、という意味でもあるのだ。
その点ではシュガーホワイトは、既にこれが7走目。
ここのところの競馬の使い方としては、やや多いと思われるだろう。
しかし中山の2000を、既に二度勝利しているのだ。
経験の蓄積が最も多く、そして早い。
これは間違いのないことである。
「少し上がったな……」
「どこ?」
「まだ真ん中から少しだけ後ろですよ」
「ああ、いたいた。やっぱり白いのはいい……」
馬主席に上がっている、千草は双眼鏡を使っている。
芦毛が向こう正面で分かりにくかったのは、最内を通っているわけではなかったからだ。
優姫の考えていた作戦の一つに、ちゃんとなっている。
「普段はもっと内側通ってない?」
「今日はたぶん、芝の状態のいいところを通っているのかと」
最内の芝は、荒れたものになりやすい。
今日の終盤のレースでもあるし、中山開催の最終日。
柵の移動で調整もしているが、芝の状態は一番悪くなっているはずだ。
中山に来た優姫は、その芝を食べていた。
もちろん口に含んで、実際に飲み込んだわけではないが。
そして今日のレースも全て、調整ルームで見ていたはず。
あのコースが一番、足場によるスタミナロスは少ないのだろう。
シュガーホワイトは当然、とても足は速い。
だが瞬発力勝負というと、少し違うものであるのだ。
この瞬発力というのも、色々な意味がある。
もちろん平均的なサラブレッドに比べれば、シュガーホワイトの瞬発力ははるかに優れている。
しかしGⅠの舞台なら、さらにそれを上回る馬はいる。
向こう正面で、予定していた位置取りになるか。
「だいたい計算通りです」
「信じちゃうからね」
白雪は冷静な様子を保とうとしながらも、拳を上下させていた。
『向こう正面から第三コーナーへ。中山のカーブはきつい! さあどの馬が仕掛けていくか!
最後方やや上げてきた。前は少しきついか。タイムは平均です。
おっと上げてきた上げてきた! 天海優姫シュガーホワイト! 青い帽子が上げてきた! 早いスパートか!』
『ちょっと早いかもしれないです。スペースを見つけちゃいましたかね』
『まだまだ距離は700mは残って……あ、ああ! この皐月賞のペース!』
『展開が似ています!』
『ペースは違います! 失礼しました。しかしこの仕掛けは! 早いがいい!』
シュガーホワイトのコーナリング性能。
それはとても優れているが、祖父から受け継いだものではない。
小さなコースの競馬において、加速しながらコーナーを回る、そんなレースをしていたのはさらに昔の馬である。
今でもいくらでも、見ることは出来るのだ。
しかし日本で走っていない、はるか昔のあの馬を、今のジョッキーがどれだけ見るであろうか。
その馬は、生まれつき足が曲がっていた。
全くセリで売れることがなく、そのため生産者や調教師が権利を持って走らせていたものだ。
シュガーホワイトは中山が、これで三度目。
優姫が確信したそのコーナリング性能は、偉大なる祖父の、そのまた祖父から受け継いだもの。
その名はサンデーサイレンス。
『第四コーナーを回って! シュガーホワイト先頭! ホワイト先頭!
天海の仕掛けが早い! だがここで先頭! 前の馬をあっさりかわして先頭でコーナーを出る!
前の馬は引き離す! しかし後ろも迫っている! コーナーで差は詰めている!
さあここからの坂はきついぞ!
まだ長い! 長くて短い中山の直線!
ああきついか! 少しよれたシュガーホワイト!
外によれていく! 大丈夫かシュガー!
来た! フォーリアナイト鞍上五十嵐来た! 三度目の皐月賞戴冠なるか!
抜けている! 二頭が抜けている!
並ぶか! 外のメテオは届かないか!
粘れるか! 粘れるかシュガー! ナイトが並ぶ!』
五十嵐の想定をはるかに超えていた。
あの内側から、わざと馬体を寄せてきたのか。
(併せてくるなら、こちらの方が上だ!)
足は間違いなく、こちらの方が残っている。
届かない。
ぎりぎりで届かないのは、なぜなのか。
弥生賞の時よりも、はるかに粘ったその白い馬体。
弥生賞の仕上げがまだ完全ではなかった、というのは普通に分かる。
追い切りの時計を見ていれば、簡単に分かるものなのだ。
しかしその時計を、フォーリアナイトは超えてきたはずだ。
計算通りであった。
最後の直線、やや賭けの部分もあったが。
やはりこの世代、この時点では二頭が抜けていた。
(大外を回っていたら)
フォーリアナイトが大外を回っていたら、果たしてどうなったか。
だがあちらも馬体を寄せてきたのだ。
そういう馬なのだと、弥生賞で優姫は分かっていた。
優姫の計算の、最後にあるのはド根性。
男が乗った馬になど、負けてたまるかというもの。
新馬戦で2着になった時の怒りから、優姫はそれが分かっていた。
普段は温厚なシュガーホワイトだが、それは闘争心に欠けるというわけではない。
むしろ逃げて競り落とすところなど、闘争心の塊ではないか。
フォーリアナイトが、馬体を寄せてきて助かった。
もちろん向こうも、最後には併せて来たかったのだろうが。
(あとは、私の分!)
ムチなど振るわずに、全力で馬を追う。
推進剤のように、自分の体でシュガーホワイトの首を伸ばす。
残り100mで坂がなくなる。
この100mのために、優姫は筋肉をつけてきたのだ。
全力で追って、フォーリアナイトとの距離を保つ。
およそ半馬身の距離のまま、永遠にこのままで、ゴールまでを駆け抜けろ。
永遠の半馬身。
わずかに向けられる、左後方からの視線。
ジョッキ―と馬の、どちらもがこちらを見ている。
届くか届かないか、両馬が共に足を伸ばす。
つまりそれは差が縮まらないということ。
ゴール板を半馬身差で、シュガーホワイトは駆け抜けた。
『ゴーーーーーーーーール!
シュガーホワイト! 父と同じ2000mの距離!
天海優姫! クラシック制覇! ついに最年少記録破られる! 偉業達成!
シュガーホワイト6連勝で戴冠す!
シュガーホワイト! 皐月を制す!』
ゴールして10mの後に、フォーリアナイトはシュガーホワイトを抜いていったのであった。




