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プリンセス・ジョッキー ~優駿の姫騎手~  作者: 草野猫彦
一章 三冠の幻影

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11/12

第11話 最速の証明

『さあ、牡馬クラシックロードの第一関門、皐月賞。今準備が整って……スタートしました!

 各馬差のないスタートから、出てきたのは②番のグランジェッテ、続いて④番カルマインザダークが続いて、おおよそ内枠からするすると上がっていく!

 一番人気シュガーホワイト、芦毛の馬体は中団後方、ここにいます。ホープフルSや弥生賞からは位置取りが変わっています。

 前方先行集団は前二頭に続いて⑥番リステッドガバナー、前方が伸びた形になっています』


 シュガーホワイトと天海優姫の評価は、実はいまだに割れている。

 このレースに乗っているジョッキーたちでさえ、把握していない者は多い。

 それは分からないのではなく、分かりたくないという気持ちかもしれないが。

(一年目の新人の女の子にGⅠを取られて、二年目に初めてのクラシック挑戦だからね)

 ほぼ最後方のフォーリアナイト鞍上、五十嵐は現実的に見ている。

 彼にとっては優姫もシュガーホワイトも、最大限に危険な存在だ。


 シュガーホワイトが、女性にしか気を許さないという話。

 普通ならばどうにかして、信頼関係を築くべきなのが、馬との距離感なのだ。

(祖父に似たのかな?)

 だがあの白い悪魔は、知能自体は高かったはず。

 優姫は乗った重賞のほとんどが、シュガーホワイトによるもの。

 つまりガチガチにマークのきつい、皐月賞では厳しいはずだ。


 近年は1レースの消耗度合いが大きいので、むしろトライアルは避ける傾向さえある。

 フォーリアナイトにしても、実は問題を抱えているのだ。

 そのために弥生賞で、少しでもレース経験を積ませたかった。

 しかし期待通りの結果とはならず、レースを甘く見ている傾向は消えていない。

 シュガーホワイトには負けたとはいえ、内と外で距離があった。

 それにゴール板を過ぎてからは、フォーリアナイトはシュガーホワイトを抜いている。

 勝った、と誤解してしまったかもしれない。


 だが五十嵐は充分に、このレースの勝算を考えている。

 後方からの競馬はいつもと同じ。

 しかし今日は充分に、競るだけの多頭数になっている。

 さらに後ろから来る馬も、他に何頭かいるのだ。

 上手く併せていって、勝負根性を引き出す。

 差し切ったところでゴール板を過ぎていれば、それでフォーリアナイトは勝てる。

(ただ前からの競馬じゃないのか……)

 これまでのシュガーホワイトは、新馬と未勝利を除けば、おおよそ前めか逃げの戦法を取ってきた。

(詰まりやすい多頭数で、中団から抜いていけるか?)

 そこまでの技術があるか、あるいは運に任せているのか。

 少なくとも運任せはしないだろう、と五十嵐は優姫のイメージから考える。




 シュガーホワイトの普段の調教は、ダートコースを使うことが多い。

 また坂路を使って、下手にスピードが上がりすぎないよう、優姫は考えていた。

 放牧先にはウッドチップの販路もあったため、そこを使わせてもらったこともある。

(フォーリアナイトと、メテオスカーレットにスカイグライダー)

 後方三頭の位置は、完全に想像通り。

(前はこのペース、かなりスローになっている)

 すると前が残るのか、という判断になるだろうか。


 最初のコーナーまでに一度目の坂。

 今回の優姫はレースにおいて、そこまでに有利な位置取りに固執しなかった。

 多頭数のため内に封じられたら、かなり不利な展開になる。

 それが常識であるが、今日の芝の状態は、前までのレースで確認している。


 どのあたりを通ればいいのか。

 2000mの距離は短いと思われるが、それは何をもって短いと言うかだ。

 1コーナーを曲がって、そこで少しシュガーホワイトの順位が上がる。

 コーナーワークでしっかりと、スピードロスを最小限にしている。


 今日は先行を主張しなかったため、いい芝を走って坂を越えることが出来た。

 パワーに必要なスタミナを、そこでは消費しなかったのだ。

 2000mでも3000mでも、スタミナには種類がある。

 また馬によってはレース展開で、使われるスタミナの種類が違うのだ。


 ホープフルSでは間に合っていなかった、逃げ馬などが出てきた。

 だからあのレースのように走っては、おそらく共倒れになる。

 そして少頭数の弥生賞と、比べるわけにもいかない。

(ダービーが最大目標としても、クラシックに出したい馬主と調教師は多い)

 同じGⅠであっても、2歳とはレベルが違う。

 馬の成長度合いと、レースの権威がレベルを上げるのだ。




 牡馬クラシックには格言がある。

 皐月賞は「最も速い馬が勝つ」と言われる。

 これは馬の持つ、単純なスピードだけを指しているわけではない。

 早く仕上がって、皐月賞に間に合った馬が勝つ、という意味でもあるのだ。

 その点ではシュガーホワイトは、既にこれが7走目。

 ここのところの競馬の使い方としては、やや多いと思われるだろう。

 しかし中山の2000を、既に二度勝利しているのだ。


 経験の蓄積が最も多く、そして早い。

 これは間違いのないことである。

「少し上がったな……」

「どこ?」

「まだ真ん中から少しだけ後ろですよ」

「ああ、いたいた。やっぱり白いのはいい……」

 馬主席に上がっている、千草は双眼鏡を使っている。

 芦毛が向こう正面で分かりにくかったのは、最内を通っているわけではなかったからだ。


 優姫の考えていた作戦の一つに、ちゃんとなっている。

「普段はもっと内側通ってない?」

「今日はたぶん、芝の状態のいいところを通っているのかと」

 最内の芝は、荒れたものになりやすい。

 今日の終盤のレースでもあるし、中山開催の最終日。

 柵の移動で調整もしているが、芝の状態は一番悪くなっているはずだ。


 中山に来た優姫は、その芝を食べていた。

 もちろん口に含んで、実際に飲み込んだわけではないが。

 そして今日のレースも全て、調整ルームで見ていたはず。

 あのコースが一番、足場によるスタミナロスは少ないのだろう。


 シュガーホワイトは当然、とても足は速い。

 だが瞬発力勝負というと、少し違うものであるのだ。

 この瞬発力というのも、色々な意味がある。

 もちろん平均的なサラブレッドに比べれば、シュガーホワイトの瞬発力ははるかに優れている。

 しかしGⅠの舞台なら、さらにそれを上回る馬はいる。


 向こう正面で、予定していた位置取りになるか。

「だいたい計算通りです」

「信じちゃうからね」

 白雪は冷静な様子を保とうとしながらも、拳を上下させていた。




『向こう正面から第三コーナーへ。中山のカーブはきつい! さあどの馬が仕掛けていくか! 

 最後方やや上げてきた。前は少しきついか。タイムは平均です。

 おっと上げてきた上げてきた! 天海優姫シュガーホワイト! 青い帽子が上げてきた! 早いスパートか!』

『ちょっと早いかもしれないです。スペースを見つけちゃいましたかね』

『まだまだ距離は700mは残って……あ、ああ! この皐月賞のペース!』

『展開が似ています!』

『ペースは違います! 失礼しました。しかしこの仕掛けは! 早いがいい!』


 シュガーホワイトのコーナリング性能。

 それはとても優れているが、祖父から受け継いだものではない。

 小さなコースの競馬において、加速しながらコーナーを回る、そんなレースをしていたのはさらに昔の馬である。

 今でもいくらでも、見ることは出来るのだ。

 しかし日本で走っていない、はるか昔のあの馬を、今のジョッキーがどれだけ見るであろうか。


 その馬は、生まれつき足が曲がっていた。

 全くセリで売れることがなく、そのため生産者や調教師が権利を持って走らせていたものだ。

 シュガーホワイトは中山が、これで三度目。

 優姫が確信したそのコーナリング性能は、偉大なる祖父の、そのまた祖父から受け継いだもの。

 その名はサンデーサイレンス。


『第四コーナーを回って! シュガーホワイト先頭! ホワイト先頭! 

 天海の仕掛けが早い! だがここで先頭! 前の馬をあっさりかわして先頭でコーナーを出る!

 前の馬は引き離す! しかし後ろも迫っている! コーナーで差は詰めている!

 さあここからの坂はきついぞ! 

 まだ長い! 長くて短い中山の直線!

 ああきついか! 少しよれたシュガーホワイト!

 外によれていく! 大丈夫かシュガー! 

 来た! フォーリアナイト鞍上五十嵐来た! 三度目の皐月賞戴冠なるか!

 抜けている! 二頭が抜けている! 

 並ぶか! 外のメテオは届かないか!

 粘れるか! 粘れるかシュガー! ナイトが並ぶ!』


 五十嵐の想定をはるかに超えていた。

 あの内側から、わざと馬体を寄せてきたのか。

(併せてくるなら、こちらの方が上だ!)

 足は間違いなく、こちらの方が残っている。


 届かない。

 ぎりぎりで届かないのは、なぜなのか。

 弥生賞の時よりも、はるかに粘ったその白い馬体。

 弥生賞の仕上げがまだ完全ではなかった、というのは普通に分かる。

 追い切りの時計を見ていれば、簡単に分かるものなのだ。

 しかしその時計を、フォーリアナイトは超えてきたはずだ。




 計算通りであった。

 最後の直線、やや賭けの部分もあったが。

 やはりこの世代、この時点では二頭が抜けていた。

(大外を回っていたら)

 フォーリアナイトが大外を回っていたら、果たしてどうなったか。

 だがあちらも馬体を寄せてきたのだ。

 そういう馬なのだと、弥生賞で優姫は分かっていた。


 優姫の計算の、最後にあるのはド根性。

 男が乗った馬になど、負けてたまるかというもの。

 新馬戦で2着になった時の怒りから、優姫はそれが分かっていた。

 普段は温厚なシュガーホワイトだが、それは闘争心に欠けるというわけではない。

 むしろ逃げて競り落とすところなど、闘争心の塊ではないか。


 フォーリアナイトが、馬体を寄せてきて助かった。

 もちろん向こうも、最後には併せて来たかったのだろうが。

(あとは、私の分!)

 ムチなど振るわずに、全力で馬を追う。

 推進剤のように、自分の体でシュガーホワイトの首を伸ばす。


 残り100mで坂がなくなる。

 この100mのために、優姫は筋肉をつけてきたのだ。

 全力で追って、フォーリアナイトとの距離を保つ。

 およそ半馬身の距離のまま、永遠にこのままで、ゴールまでを駆け抜けろ。


 永遠の半馬身。

 わずかに向けられる、左後方からの視線。

 ジョッキ―と馬の、どちらもがこちらを見ている。

 届くか届かないか、両馬が共に足を伸ばす。

 つまりそれは差が縮まらないということ。

 ゴール板を半馬身差で、シュガーホワイトは駆け抜けた。


『ゴーーーーーーーーール! 

 シュガーホワイト! 父と同じ2000mの距離!

 天海優姫! クラシック制覇! ついに最年少記録破られる! 偉業達成!

 シュガーホワイト6連勝で戴冠す!

 シュガーホワイト! 皐月を制す!』


 ゴールして10mの後に、フォーリアナイトはシュガーホワイトを抜いていったのであった。

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