学年一位の眼鏡男子に勝負をしかけてきた
10月1日は眼鏡の日みたいです
「ああああ! また二位じゃない!」
学園の校舎に張り出されたテストの順位表を見上げたエレナは、頭を抱えて大げさに叫んだ。ウェーブのかかった薄茶の髪が、彼女の感情に合わせるようにうねりをあげる。
「二位だって十分すごいじゃん」
隣にいる友人が呆れ気味に肩をすくめたが、エレナは勢いよく首を振った。
「すごくない! だって、ずーーっと二位! 永遠の二位よ!」
一位の位置には、いつも同じ名前が輝いている。
“キース・トーンベンダー“。
薄い黒縁の眼鏡に整った漆黒の髪。常に冷静沈着で無駄のない所作。顔立ちは悪くないほうだが、無愛想で眼鏡の奥にある蒼い瞳は何者も寄せ付けない冷たさがある。
学園に入ってからの二年間。
キースはいつだって、当然のように一位を独占してきた。その事実に、エレナの我慢は限界を迎えたのであった。
「キース!」
「……なんだ?」
「次のテスト、私と勝負よ!」
興味なさげに淡々と順位表の横を通り過ぎるキースに、エレナはつっかかった。友人が「ちょっとエレナ、目立ってるって」と止めに入ったものの、そんな忠告は耳に入らない。エレナは胸を張り、大口を叩いた。
「負けたほうがなんでも一つ言うことを聞く! いい!?」
びしっと指を差して宣戦布告をしたエレナを前にしても、キースの眉はひとつも動かなかった。
「お前、馬鹿だろ?」
「……なっ!?」
「だから万年二位なんだぞ」
眼鏡を押し上げてため息をついたキースは、何事もなかったかのように彼女の前から立ち去っていく。
「……っ、見てなさい! 絶対一位になってみせるんだから!」
エレナは拳を握りしめながら、彼の背に向かって叫び続けた。
〇〇
次のテストまで約三ヶ月。
エレナはいつも以上に図書室に入り浸っていた。少し離れた場所では、キースが本を開いている。彼も同じように勉強しているのだろう。
二人が図書室で勉強をするのは、今に始まったことではない。だが、エレナのキースへ向けている視線だけは、いつも以上に熱いものだった。
キースが眼鏡を押し上げゆっくりとページをめくるたび、余裕を見せつけられているようで胸のざわついて仕方ない。
──絶対、一位になるんだから……!
心の中で何度も誓いながら、問題集に向き合った。
〇〇
──ああ……わかんない……。
ほどなくしてエレナは行き詰まった。ペンを握る手はしばらく止まったまま、とめどなくため息がもれる。
頬杖をついてしかめっつらをしていると、ふと後ろから声がかかった。
「わからないのか?」
「……っ!!」
振り向くと、無表情のキースが立っていた。
「わからないんだろ?」
「あなた……敵に塩を送るようなことをしていいわけ?」
「別に、お前を敵と思ったことなんてない」
「んなっ……!」
キースは眼鏡の奥からエレナを見下ろしたまま、何も言わずにノートを覗き込んでいた。
「ここだな」
エレナの肩越しから身を寄せるようにして、キースはノートの一部を指でなぞった。
ふわりと落ちてきた彼の気配が、すぐ近くにある。体温や息遣いまで伝わってきそうな距離感に、エレナの心臓は大きく音を鳴らした。
「この公式、順番を逆にしてみろ。ほら、こうなる」
「……あ、たしかに」
「お前、けっこうこういうミス多いんじゃないか?」
「余計なお世話よ」
悔しさと恥ずかしさで頬を膨らませたエレナだったが、人からの好意を無下にするほど彼女も無神経ではない。それが例えライバルだとしても、だ。
エレナはわずかに唇を尖らせながらも、精いっぱいの感謝を込めた。
「だけど……礼はちゃんとするわ。ありがとう」
「別に、礼を言われるようなことはしていない」
「素直じゃないわね。私なんかに手を差し伸べて、後悔しても知らないんだから」
「後悔、か」
くすりと笑ったキースの蒼い瞳が眼鏡の向こうで楽しげに揺れる。そしてエレナのほうへ顔を近づけ、耳元で低く囁いた。
「後悔するのは、どっちだろうな」
その言葉をエレナの耳に残したまま、キースは元いた場所へと戻っていった。
エレナは熱くなった耳を押さえながら、ただ呆然と彼の背を見つめていた。
──なんなのよ、あいつは……!
心臓が変に脈打っている。悔しさとも、屈辱とも違う何か。
問題集に向き合っても、内容が頭に入ってこない。熱を帯びた耳の感覚と、近くにいた彼の気配を思い出すたび、胸がざわざわとする。
──負けないんだから……!
改めて強く決意しながらも、エレナは自分でも不思議な感覚に戸惑っていた。
〇〇
そして三ヶ月後。
テストが終わり、結果発表の日。
順位表の前でエレナは手に汗を握っていた。
──絶対、一位になってるはず……!
自信はあった。一時は気を逸らされてしまったものの、ちゃんと勉強には身が入っていたはずだ。
覚悟を決め、ゆっくりと順位表を目にした瞬間。エルナから思わず声がもれた。
「……うそ、でしょ……」
周りの生徒たちのざわめきが遠く感じられる。心臓が早鐘のように打ち、手が震える。
目の前にあったのは──キースの名前のすぐ下にある自分の名前だった。
──また、二位……?
愕然とした。頭が真っ白になって、全身から力が抜けていく。
「惜しかったね、今回は三点差なんてさ。三点なんて、ほぼ一位だよ。エレナだってすごいって」
友人が必死にフォローしてくれる声も、エレナの耳には届かない。
「ごめん、ちょっと一人になりたいかも……」
「エレナ……」
友人に背を向けたエレナは、中庭のほうへとひとり歩みを進める。木漏れ日が落ちる石畳の道を抜けて、ふらりとベンチに腰を下ろした。
深呼吸しても胸のもやもやは消えず、視線は地面に落ちたまま。周囲の笑い声や話し声は、別世界のように遠く聞こえた。
そのとき、背後から静かな足音が近づいてきた。足音は腰掛けているベンチで止まり、視界の隅にかすかな人影が映る。
おもむろに顔を上げた先には、キースがいた。眼鏡の奥から、蒼い瞳がじっとエレナを見つめている。
「後悔してるだろ?」
「……なにに?」
「俺に勝負を挑んできたこと」
「……まあね」
大きくため息をついたエレナの隣に、キースは腰を下ろした。
「約束は約束よ。あなたの言うこと、なんでも一つ聞いてあげるわ」
「俺はそんな約束していないし、そもそも勝負を受けた覚えもない」
「それでも、私の気が済まないから。あんな大口叩いておいて『二位だったからやっぱりなかったことに』なんて、言えるわけないじゃない」
キースは無表情のまま、ちらりとエレナを見た。わずかに赤くなった頬や唇を尖らせる仕草からは、安易に挑発してしまった彼女の自責の念すら感じられる。
ふうと息を吐いたキースは、妥協案を提案した。
「わかった。じゃあ、こうしよう。次のテストで、また勝負をする。で、また負けたほうが一つ言うことを聞く」
「……なにそれ? そんなのでいいの?」
「そんなのでいい」
「ふーん。なんか、頭はいいのにもったいないわね。私、もてあそばれるのかと覚悟してたのに」
「それこそなんだよ」
「まあ、また勝負ができるってことよね。少しだけ元気出たわ。三点差なんだもん、次こそ私が一位になるんだから」
エレナの顔にわずかな覇気が宿る。キースはそんな彼女の顔をじっと見つめていた。眼鏡越しの蒼い瞳はいつもより鋭く、少しだけ意地悪そうに光っている。それにエレナは気づいていなかった。
「エレナ」
「なに?」
無邪気に返事をした彼女の腕を、すっとキースが掴む。そのままエレナは、ぐいとキースのほうへと引き寄せられた。近づけられた距離に瞬時に反応できず、気づけは彼の整った顔が目の前にあった。
「俺だけを見ていればいい」
低く、艶やかな声。図書室のときよりも、さらに激しくどきんと鼓動が脈打つ。
呪縛のようにすら聞こえてしまう響きに、エレナは息を詰めた。
「……っ! あなた、前に私に『馬鹿』って言ったけど、あなたも大概だからね!」
勢いよく立ち上がったエレナは「とにかく、次は負けないんだから!」と、全身を巡る熱を振り払うように叫んで立ち去っていった。
●●
──ちょっとやりすぎたか。
キースは小さくため息をつく。エレナの後ろ姿が見えなくなるまで、その背から視線を外すことはなかった。
口では強がっていたが、彼女の表情や震える声色からは、隠しきれない悔しさと必死さと──わずかな含羞を感じられた。
思い出しただけで、ぞくりと一筋の快感が身体を走る。
キースに追いつくため誰よりも努力し、キースを追い越すために誰よりも彼を見ているエレナ。
あの子が自分を見ている限り、一位を譲るわけにはいかない。
勝負に負けるつもりなど、彼には毛頭なかった。
眼鏡の奥にある瞳を細め、くすりと笑う。
──でも、そうだな。
彼女が負け続けたある日に、本当のことを言ってもいいのかもしれない。
負けて、負け続けて、悔しがって。
そのたびに自分を追いかけるエレナが、どうしようもなく愛おしかった。
キースが一位にこだわるのは、ただエレナに勝ち続けたいからではない。“俺を見ていてほしい“──それだけだった。
だから、一位は絶対に譲らない。
「ずっとずっと、俺だけを見ていろ」
その独り言は、誰にも聞かれずに中庭の風に消えていった。
お読みいただきありがとうございました!
流行りましたよね、眼鏡男子……
個人的には、素晴らしい流行りでした
ヤンデレオチになるとは書いてて思いませんでしたが、ブクマ・評価がたいへん励みになります!
ぜひぜひよろしくお願いします(っ´∀`)╮ =͟͟͞͞ ★★★★★