朝殺しのアサ -モーニング・ハイ-
わらわらと。
次から次へと現れる黒スーツに。
若き殺し屋の少女、朝霞アサはウンザリしていた。
「なーんで、ラスボスの前にこんな雑魚ばっか倒さにゃいかんの…。ヒーロー番組か!」
時刻は早朝5時。人気のない山間部の廃工場で。
たった一人きりで半グレ集団を相手取る、この虚しさ。
サクッと終わらせて帰ろうと思ってたのに、こちらの動きを読まれていたのか。
ずいぶん派手な歓迎だ。
黒スーツ軍勢はざっと数えただけでも、およそ百人はいる。
さきほどから撃ったり殴ったり──本当は全員銃撃したいところだが弾がもったいない──あるいは絞め殺したり。それでも、出るわ出るわの無限残機ども。
まったくキリがない。
また一つ。
ドラム缶の陰から黒スーツが襲いかかってくる。
「こんの小娘ェェ!ボスんとこにゃ行かせねーぞォォォォォ!」
はいはい。
お決まりの台詞ね。そう言えって言われたんでしょ、”ボス”に。
三文芝居の茶番はいい加減にしてほしい。
黒スーツは懐から拳銃を抜いた。
それをいち早く察知したアサは、面倒なのでサクッと。いや、ボキッと。
相手の腕をへし折ってやった。
「いぎゃあああああああ…!」
これまた下っ端の戦闘要員らしい安っぽい悲鳴。
ちょっとベタすぎて面白いので、思わず含み笑いが漏れる。
(無課金でも突破できるレベルじゃん、こんなの)
が。
アサは、一瞬油断していた。
「隙ありいィィィィィィィィィィィっ」
死角から。
頓狂な奇声とともにナイフを手に迫ってくる、新たな黒スーツ。
つい、反応が遅れて。
「…っ」
すんでのところで、回避はしたものの。
バランスを崩しよろけたアサの体は、地面に転がった。
砂利と鉄屑のせいで、二の腕や太ももが切れた。服の上からではるものの結構痛い。
大ダメージ(?)だ。
砂埃の舞う中。
ふと、アサは天を仰いだ。
朽ちた工場の屋根はところどころが剥がれていて、その隙間から夜明け前の青白い空が見える。
場所柄か、うっすらと輝く星々も。どっかに明けの明星ってやつもあるのだろうか。
いつだったか、子供の頃か。
家の庭先で天体観測をしたことがあるような気がする。
(懐かしいし、綺麗だなぁ…)
世の中の多くがまだ眠っているこの時間に。一体全体、自分は何をしているのだろう。
次々と湧いてくる黒服を。作業ゲーのように潰す。
こんな汚れ仕事に、なんの意味があるという。ただただしんどいだけじゃないか。
まったく感傷に浸っている場合ではないのだが。
それでも人間、一度沈んでしまった心持ちを立て直すのは結構難しい。
だが、そう悠長に休んでもいられない。
ひぃふぅみぃよぉ…4人?いや、5人、いや6人。いやいや、もっと沢山。
とにかく沢山のスーツ軍勢が、一歩また一歩と。ゆっくりとした足取りで詰め寄ってきているのだ。
もしかしたらアサは、すでに屍になったと勘違いされているのかもしれない。
なので。
自分の生存を示すため、アサは寝そべったまま血みどろの右手を上げた。
はいはーい無事ですよー、と。
「そんな簡単に死なないからぁね、私」
これを聞いた途端、まるで挑発に乗せられた獣のように。
黒服の群れが一気にアサを目がけて。
ウォォォオオオオオオオオオ!という唸るような雄叫びとともに、全力の猛進。
やれやれ。
またしてもあの数をぶっ殺さなきゃいけないのか。しかも、あんなにイキリ立った野郎どもを。
考えるほどに、しんどい。ふざけるな。
(もう、やってらんないわ…)
そう判断したアサはコートのポケットから銃を、否。”銃”型の注射器を取り出した。
シリンジ部に注がれているのは青空色の液体で、『Mornig High』という名のドラッグ。
直訳すると”朝の高揚”。もっと意訳するならば、”朝の目覚め”といったところか。
いわゆるアッパー系の覚醒剤である。
注射器を──ちょうど銃を向けるような形で──自らの首に押し当てる。
なんの躊躇いもなく、トリガーを引く。
すると、疲労とストレスで曇っていたアサの表情は、次第に恍惚としたものへと変化していった。
喘ぐような吐息を漏らしながら、クスリの齎す快楽を堪能する。そうすることで、沸々と体のうちから戦闘意欲が起こってくるのだ。
「よっしゃ…いっちょ参りますかね…」
アサは悠然と、しかし威風堂々たる構えで。
今度こそ、ほんとの拳銃を携えて。
自らを目がけて攻め寄せてくる黒スーツたちを、静かに迎えた。
「オラァァァ!いっただきィィィィィ…」
いィ!?
真っ先にアサに討ちかかった男は。
哀れにも、気付かぬうちに土手っ腹を仕留められていた。
ピューっと。間抜けな噴水のごとく、血がさかんに吹き出している。
おそらく自らの死を悟る間もなく。男は倒れた。
「この…クソがきゃぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁ」
今度は、仲間の雪辱を果たそうとした男が、果敢にもアサに銃口を向けた。
だが、それは容易くかわされ。
「ブッブぅー!そんな幼くねぇしぃ!!」
と、罵られた次の瞬間には。
持っていたリボルバー銃を奪い取られ、手首があらぬ方向へと捻れていた。
「…いってェェェェェッェェェェェェェ!!」
まるで小童のような情けない叫びを上げ。
男は苦悶の表情で、ジタバタとのたうち回っている。
それを横目に、首を傾げるアサ。
男から鹵獲した銃の使い方が分からないのだ。
見たことのないカタチ。当然、マニュアルなんかない。
そもそもアサは殺しの者でありながら、さして銃器に詳しくなかった。
自分の愛銃でさえ、まともに扱えていない。
なのに、どうしてか何だかんだで弾をぶっ放せて、結構な命中率を誇っているのだ。意味がわからない。
おい、天才か。
いや。
推し量れる要因なら無いことはない。
件のドラッグだ。『Morning High』。
つまるところ、アサは最高にハイな酩酊状態でこそ、天才的なガンナーになれるのかもしれない。
知らんけど。
ともかく。
アサは手探り感覚で、あるいはお遊び感覚で。
適当に銃いじりを続けていると。
パァンッ!
突然ソイツは火を吹いた。
発射された弾が、元・持ち主の男のドタマに命中。
また一つ、屍が増えた。
いきなり暴発した銃が恐ろしくなったアサは、その聞かん坊を捨てた。
「あーあーあー!もぉぉ!まどろっこしいよぉ!」
もはやアサの辛抱は限界だった。
キリがない、本当にキリがなく終わらない。
この工場のどこかに、”黒スーツ無限発生装置”でも仕掛けられているのではないか。
アサは本気で考えた。
荒唐無稽に思えるかもしれないが、今の彼女の脳味噌は正常ではないのだから仕方あるまい。
キョロキョロと。
アサは工場内を見渡し。なんと、それらしきものを発見した。
大きな黒い円筒状の物体。高さも横幅もちょうど、人間がすっぽり収まりそうなくらいのサイズ感。
(ははぁん、あっこから出て来てるんだな。マ○オの土管みたいもんか)
今や全身にクスリが回り、まともな思考が出来なくなったアサは。
バッと、着ていたコートを脱ぎ捨て。
足元に転がった屍のふくらはぎを両手で掴み。
砲丸投げの要領で思いっきりぶん回すと、あの選手よろしく雄叫びを上げながら。
屍を勢いよくぶん投げた。
刹那。
ドォッッガァァンッ…!
地を揺らすような、大規模な爆発が起こった。
大きな黒い円筒状の物体、まぁ要するにドラム缶は。
跡形もなく吹っ飛び、工場内の黒スーツたちを巻き込んで燃え上がった。
当然、アサにも火の粉は降りかかったが、爆発自体は目の前に展開されていた野郎どもの肉壁のおかげでギリギリ免れた。
「しゅごぉい。人間一匹飛ばしただけでこんななるんだぁ…」
なりません。
そんな人の死体をぶつけたくらいで、ドラム缶が破れてしかも爆発する?
本来ならありえない。
けれども。
この少女ならやりおる。
ドラッグで狂い切った頭と並外れた馬鹿力を持つ、朝殺しのアサなら。
まったくもって不可解だが。
フラフラと。
アサはしばらく火の海の中を彷徨っていた。
やがて。
なんとか光の差すほうを見つけ、熱で炙られた体を抱えながら出口を目指した。
少し日の出が近づいたのか。
幾ばくか明るくなってきた空の下で。
さっきまで殺し屋たちの戦場だった廃工場は、今や轟々と激しく火柱を上げている。その勢いが収まる気配はない。
命からがら外へと脱したアサは、ただボーっと。キャンプファイアでも眺めるかのように佇んでいた。
「やぁ…これはこれは」
突如、低く威厳のある声が響いた。
背後を振り返ると、一人の紳士がこちらへ接近してきている。
先ほどまでの黒スーツ雑魚戦闘員たちとは違って、上品で高級そうな人物だ。
キザったらしくキメたヘアスタイルに、昔の偉人みたいなご立派な髭を蓄えていて、その身を包んでいるのはベルベット調の白いスーツ。
年齢は50代から60代といったところか。
経年の功とでもいうべき、威厳のある双眸がアサの姿を捉えた。
「まったく派手にやってくれましたね。君はとんだ刺客だよ」
アサは殺しの依頼主から見せられた写真を思い出し、目の前の男と照らし合わせた。
…うん。間違いなし。
(このいかにもなオヤジだ!今回の標的はぁ!)
ようやく仕事に終わりが見えたアサは。
クスリの効用も助けてか、自身のテンションが急激に高潮するのを覚えた。
「出た出たぁぁぁ!!ラ・ス・ボ・スッぅぅぅぅぅぅぅ☆」
狂喜乱舞、イカれたように飛び跳ねるアサを見遣って。
髭の紳士は。
別に呆れるでも咎めるでもなく、悠然と口を開いた。
「君は…。蜘蛛を見たことがあるかね」
「あ?蜘蛛?そりゃぁ、モチのロン。どこにでもいるじゃん」
「ハハっ…。少し違うな。私が言っているのは、これのことだよ」
紳士は嗤った。そして、上着の内ポケットから青色の液体が入ったアンプル瓶を取り出した。
アサが使用している『Morning High』と似ているが、こちらの方が少し暗い色味のようである。
瓶に貼られたラベルによれば、
『Midnight Spider』
とある。
直訳すれば、”真夜中の蜘蛛”だろうか。よく分からないけど。
「これはね。君が打っている『Morning High』を、私の手でさらにチューンアップさせたものなんだよ」
「へぇ…」
「無論、『Morning High』も十分に強力なアッパーの作用を持つ逸品なのだがね…。だが、これをさらに強化させたならどうなると思う?」
「さあ…」
「ハッハハ…!その答えがこの『Midnight Spider』さ!コイツが我々に与えるのは、もはや神の力にも等しい究極の覚醒体験さ。あらゆる身体の感覚は拡張され、誰しもが比類なき全知全能の境地へと到達できる。まさに!人類をさらなる次元へと昇華させてくれる、未曾有の大発明だ!そうは思わんかね?」
「…いやぁ」
「なぜ理解できない!この卓越した画期性をっ!」
「ん〜…?」
「もうよい!君は話にならんな。クスリで脳がやられているのだろう」
あ゛?
オマエガイウナ。
アサは、うだうだと講釈を垂れるシャレ髭のクソジジィに。
心底、腹の虫が収まらなかった。
だいだい頭がやられてるのはお互い様だ。ジジィの首元には注射痕が見える。つまり、ご自慢の何ちゃらスパイダーを摂取しているはずだ。
だから、こんな小物くさい悪役の真似事なんかしてるんだ。
同じヤク中のくせに、まるで自分の方が偉いような顔しやがって。
ムカツク、ムカツク!そろそろクスリも切れそうだし!クソ眠いし!早く帰ってあったかぁい布団でオネンネしたいし!!
こんなとこでお前なんかのごっこ遊びに付き合ってやる義理はねぇんだよ!!!
「…加減にしろよ…クソジジィ」
「ん?なにかね?」
おとぼけ顔で訊き返してくるジジィ。
そのおちょくった耳元にもしっかり届くよう。アサは鳩尾を振り絞って声を出した。
「いい加減にしろっつてんだろ、こんのクソジジィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ…!」
力強く握りしめられたアサの拳銃が、銃口が、紳士のドタマを捉えた。
ズバンッ…
アサが撃った弾は完璧な軌道を描いて、標的を撃ち抜いた…
かのように見えたが。
紳士はその歳を重ねた外見とは裏腹に、驚くべき俊敏な動きでこれを回避した。
「畜生ぉ!ジジィのくせしてやりやがるぅぅぅ」
アサはその場で地団駄を踏んだ。
ただ紳士の肉体が若々しいだけなのか、はたまた『Midnight Spider』による力なのか。
いずれにしても、廃工場にいた黒服たちほど容易くはいかないようだ。
「くたばれぇ、クソったれ!このマッドサイエンティストめがァァァ!!!」
ズバンッ!ズバンッ!
「”マッドサイエンティスト”とは。安直な表現だね。私はそのような低俗な者ではないよ」
ズバンッ!ズバンッ!ズバンッ!
機敏に動く的を狙って銃弾を発し続けるアサ。
だが、接近してみても遠ざかってみても。
はたして一発も命中しないどころか、かすりさえもしなかった。
「なんなんだよ、アンタはぁ!ほんっとに!」
「うむ。いうなれば…私は、天啓を受けた夜蜘蛛だよ。新時代のメシアさ」
…っ!
気がつくと。
アサの目の前には、澄まし顔の紳士の姿があった。
さながら蜘蛛のように、気配を消し音も立てず。彼は現れた。
その手にはリボルバーが握られていて。
パァン!
放たれた銃弾はアサの太ももを裂いた。瞬く間に脚部が血潮に染まっていく。
ジクジクとした肉体的な痛みと、一方的に追い詰められていく悔しさ。
そうした心境からか。アサは視線を落とし、静かに哭いた。
そんな少女に紳士は、
「まあ、君も健闘したほうさ。なにせこの私を、夜蜘蛛を相手取ったんだからな」
勝ち確の余裕からか、惨めな負け犬にせめてもの慰めをかけた。
しかし。
滑稽なことに。
実は、彼こそまさしく、間もなく敗れるであろう噛ませ犬なのだ。
初めから敗北が決まっているのは、メソメソやっているイカれた殺し屋少女のほうではない。
だいたい彼女には立派に名前がある。朝霞アサ。
一方で、紳士のほうはどうだ。
”紳士”。それが彼の本名…なわけはない。
名前さえまともに記されていない男が勝利するエンディングなど、万が一にも決してありえない。
「ごめんなさぁい…っ」
アサはその嘘くさい泣きっ面を上げ、紳士の方を振り返った。
頬には涙の跡ひとつない。まったく飽きれたものだ。
「なんかぁ…アンタの銃。適当にイジったら壊しちゃったみたい。てへぺろ☆」
ガチャ…
ガチャガチャン…ッ
金属同士が擦れる音を立てながら、紳士の銃はまるで玩具のように壊散した。
慌ててパーツを掻き集め、繋げ合わせようとしても直らない。というか、直せない。
彼もまた、銃器の知識を持ち合わせていなかったのだ。
額に大粒の汗を滲ませながら、それでもなんとか体裁だけは取り繕って。
紳士は震える声を絞り出した。
「君…コレ…いつの間に…」
ズバンッ…!
今度こそ、アサの銃撃はクリティカルヒットした。
散々暴れてくれやがった夜蜘蛛の体は、もはやピクリとも動かない。完全に息絶えている。
こうして、紳士の死亡を確認したアサは。
撃たれた脚を引き摺りつつ、どうにか立ち上がり。わずかに残った気力で。
屍を、未だなお燃え盛る廃工場へ。
パチパチと。
音を立てながら広がっていく焼却炉の前に立って。
その中心へ、屍をぶん投げた。
「夜の蜘蛛ごときに、朝の蜘蛛が殺せるわけないっつーの」
去り際。
誰に聞かせるわけでもなく、アサは呟いた。
もう、体はクタクタである。いよいよクスリも切れてしまったらしい。
精神的疲労までもが、波のように押し寄せてきて。
うう…っ。
短いうめき声と共に、アサはその場へ倒れ込んだ。
少女は眠ってしまったのだ。
『Morning High』。このドラッグは特殊な性質を持っている。
使用者は朝方の、それも早朝といわれるような時間帯に摂取しなければ、殆どその真価を発揮できない。
そして、効果が切れた暁には、尋常でない眠気が訪れるのも特徴。
であればこそ、切れる時間を逆算して行動するのが必至である。
仮に急に倒れてしまったとしても、安全な場所にいれば問題はない。なんせただの”昼寝”なのだから。
ほんの10時間程度眠れば、また普通に活動を再開することができる。
にも関わらず。
朝霞アサめ。このような体たらく。
あらかじめ依頼人から、仕事の危険性をきちんと説明されていたはずである。
まったく無茶しよるからに。