#4 沙汰
で、あれから三日経った。もちろん僕は、家から一歩も出ていない。
それでは困るだろうと、謹慎初日に部下である参謀補佐のヒンメル少佐が買い出しをしてくれた。おかげでこの三日間、食うに困ることはなかった。
もっとも、食欲など湧こうはずもない。この三日間はただひたすら、自身を責めていた。
あの時、あの作戦をもっと強硬に反対するべきだった。三人の司令官とも口裏を合わせ、通常戦法に出るべきだと進言すべきであった。人型重機隊を駆使した強襲戦術を得意とする敵がいることを、もっと考慮すべきであった……まあ、何を思うにせよ、今となっては後の祭りである。
布団の上で、ただひたすら栄養ゼリーとスルメを食べつつ、ゴロゴロと寝転がって動画ばかりを見ていた。ここにあの令嬢でも現れようものなら、また口酷くののしってきたたことであろう。
しかし、いつまで謹慎していればいいのやら。僕もいい加減、動きたくなってきた。そろそろ洗剤も切れてきたし、だからといっていつまでもヒンメル少佐に頼るわけにもいかない。まさか軍は僕を野垂れ死させようと企んでいるのではなかろうか?
と、思った矢先だ。いきなり僕のスマホが鳴り出す。相手は、ヒンメル少佐だ。
「……アルトマイヤーだ」
『准将閣下! 軍司令部より、直ちに出頭せよとの伝言です! すぐに来てください!』
いきなりの呼び出しだ。ようやく外に出られる。それを聞いた僕は電話を切ると、毛布をガバッと取り払い立ち上がる。栄養ゼリーの空容器が二、三個、その勢いで宙に舞う。
ボサボサの髪を櫛でとかしつつ軍帽をかぶり、将官の飾緒付きの軍服に着替えると、僕は玄関を飛び出した。スマホを手に取り、アプリを開く。やがてすぐにタクシーが一台、こちらにやってくる。その無人のタクシーに飛び乗ると、僕はマイクに向かってこう叫ぶ。
「軍司令部へ!」
ドアを閉じて、キィーンと音を立てて勢いよく加速するタクシー。宿舎通りを抜けて宇宙港前を過ぎ、やがてこの宇宙港に隣接する街と、帝都とを隔てる壁にたどり着く。
その壁の一角には、検問所がある。ここは我々、地球一〇七の住人と、帝都ヘテルニッツの人々とを隔てる境界線である。そこを越えるには、身分証の提示が必要だ。
が、僕が身分証を見せるや、すぐに通行許可が出る。それはそうだろう、こう見えても将官だ。タクシーは検問所を抜けて帝都の街に入る。アスファルトから石畳の道路に変わったため、ゴツゴツとした振動がシートから伝わってくる。
途中、広場が見える。あれは帝国の砲兵隊の詰所があるところだ。両側に車輪の付いた、古風で大きな鉄の筒に、綿棒の化け物のようなものを突いて何かを詰め込んでいる。やがて、その一つが火を噴いた。
ドーン、という火薬音がこのタクシーの中まで響いてくる。どうやら砲撃訓練をしているらしい。グラーツェン帝国の誇る砲兵隊の訓練風景だが、あれを見て僕は思う。
この先、あれは何の役にも立たないだろうな。せいぜい派手な砲撃音をとどろかせるだけだ。
この宇宙時代に突入しても、この国はまだ伝統的な戦い方を捨て切れないらしい。例えば、帝都槍騎兵連隊は丸ごと陸戦隊に転属させられて、今は人型重機の訓練をさせられていると聞くが、砲兵隊は帝国でもっとも優遇された部隊であるためか、未だに硝煙を無駄に垂れ流すだけの訓練を続けている。
まあいい、彼らの行く末よりも、まずは自分の心配だ。まもなく僕は、遠征艦隊総司令部付きの参謀長の任を解かれるかもしれない。
そうなれば、本星に帰されることになるのか? でもその時は、僕とカタリーナ様との婚約も破棄されることになるだろうな。
うん、そう考えると悪い話ではないな。僕自身は故郷に戻れて、彼女は理想の婚約者に出会えることになるかもしれない。互いに、願ったり叶ったりではないか。
などと思いつつ、司令部に向かうタクシーから外を眺めていると、やがて背の高いビルが見えてくる。あれは、軍司令部のあるビルだ。
なぜか軍司令部だけは、宇宙港そばにある治外法権の街中ではなく、帝都のど真ん中に建てられた。そのビルの中に、遠征軍の中枢が存在する。これは皇帝陛下のたっての希望によりそうなったとのことだ。
強大な力を持つ宇宙軍をお膝元におき、コントロールしたいと考えてのことだろう。が、その偉い人の思いつきにより、司令部が宇宙港から離れてしまい不便極まりない。
ともかく、僕を乗せたタクシーはそのビルの麓にたどり着く。ロータリーで停まると、僕はタクシーを降りる。再び無人となったそのタクシーは、ドアをバタンと閉じると、そのまま走り去っていく。
ビルに入り、エレベーターに乗り込む。ガラス張りの外壁沿いのそのエレベーターからは司令部ビルの外が見える。やがてスーッと昇り出し、ある程度の高さに達したその透明のエレベーターからは、帝都が見渡せる。
円形に配置された街、中央部には広場があり、その北側は宮殿や貴族の屋敷が並ぶ。南側は、低めの赤っぽい建物がびっしりと並ぶ。あそこはいわゆる平民街というところか。
馬車がひっきりなしに走るのが見える。まだ車はまだらだ。ここはまだ、近世の様相を色濃く残す街で、例の砲兵隊の訓練中の空砲が出している白煙がそれを物語っている。
で、目的の階に着いた。帝都の眺めから、開いた扉の向こうへと目を移す。
さて、その目線の先には会議室の扉がずらりと並ぶのが見える。奥の一際大きな扉の前に立ち、僕は一呼吸する。そして扉を開いた。
「アルトマイヤー准将、入ります」
僕はその部屋に並んで座る将官らに向けて敬礼する。あちらも立ち上がり、返礼。正面奥に立つ総参謀長のディーステル大将が、まず口を開く。
「アルトマイヤー少将、そこに座りたまえ」
「はっ」
僕は大将閣下が指し示す席に座る。大将閣下の脇には、ユルゲルス中将とシュルツェ中将の姿もある。そういえば、エンゲルハルト大将の姿がないな。
いや、それ以上に僕は、総参謀長の言葉により違和感を感じた。ちょっと待って、この人、今、僕のことを何と呼んだ?
「これより、貴官に対する軍司令部からの決定を伝える」
が、思考を巡らせる隙など与えられない。いきなり本題に入る。
「アルトマイヤー少将、貴官を遠征艦隊総司令部、参謀長の任を解く」
ああ、やはり思った通りの決定が下された。つまり僕は、ここを離れることになるのか。と、思った矢先だ。まったく想定外の言葉が、僕に発せられる。
「加えて命じる。貴官を第二遠征艦隊司令官に任ずる。以上が、司令部の決定である」
一瞬、耳を疑った。今、第二遠征艦隊と言わなかったか? しかも、司令官に任ずる? それってつまり、艦隊指揮官ということじゃ……
「そ、総参謀長殿、お聞きしたいことが二つございます」
「ああ、貴官の聞きたいその二つのことはだいたい分かっている。だがその前に、私はすでに総参謀長ではない。その辺りの話から始めようか」
さらに想定外の言葉が飛び出した。総参謀長が、総参謀長ではない? どういうこと? 意表を突かれっぱなしの僕に、衝撃的な事実が告げられる。
「先日の会戦で殉職されたグートハイル元帥閣下に代わり、私が遠征艦隊総司令官に就いた。なお、エンゲルハルト大将は、総司令官戦死に際して指揮権を引き継ぐべき立場にありながら、それを拒否した。このため分艦隊司令官の任を解き、本星にて防衛艦隊へ転属となった。なお、新たな分艦隊司令官は後日決定されることになっている」
ああ、そういうことがあったのか。エンゲルハルト大将が解任というのは納得だ。あれは確かに職務放棄に近い行為だった。真っ当な決定と言えるだろう。ついでに、グートハイル上級大将は戦死による特進で、元帥閣下になられたことを知る。
「で、貴官が聞きたいことの一つ目だが、貴官は本日付で少将に昇進となった。で、二つ目、第二遠征艦隊というのは、本星の防衛艦隊より転籍された一千隻の艦艇で構成される新たな艦隊のことだ。そこの指揮官として、少将となった貴官をあてた。そういうことだ」
さっきから、僕の想像を超える話ばかりが飛び出すなぁ。それってつまり、僕が艦隊を指揮するってこと? しかも、一千隻という規模の艦隊を。
「あの、総司令官閣下。さらに疑問点が増えてしまったのですが、お聞きしてもよろしいですか?」
「構わない」
「どうして、小官が一千隻の艦隊指揮官として任じられたのでしょう?」
「それは先日の戦いにおいて、見事に総司令官代理を務めたからだ。撤退戦ながら、味方の損害を最小限にとどめた。その手腕を活かすべきと考えるのは当然だろう」
「はぁ……しかしなぜ、わざわざ独立した小規模の艦隊を設立されたのですか?」
「今回の戦いの敗因を分析した結果だ。敵は、例の強襲艦隊を使って機動戦に打って出てきた。あれに対抗できる小集団が必要だ、ということになり急遽、この艦隊が組織されることとなった」
「つまり、強襲艦隊への対抗策のため、ということですか」
「そうだ。で、その強襲艦隊に一矢報いた貴官が適任だろう、ということにもなった。それが今回の決定の根拠である」
あの戦いを正確に分析し、その対応まで考えられている。これまでなら考えられなかったことだ。今までならグートハイル上級大将が決めたことを、ただ履行するだけのワンマン体質な組織だった。それだけ今回の戦いでの敗けは、我が軍にとって大きな転換点となったわけか。
「ということで、一週間後には一千隻がここ地球一〇四五に集結し、第二遠征艦隊が結成される。で、結成早々、貴艦隊にはある任務についてもらう」
「はっ。で、その任務とは、どのようなものでしょうか?」
「敵浮遊砲台群の殲滅だ」
◇◇◇
「……以上により、引き続き貴官には強襲艦隊を指揮してもらうことになるよ」
相変わらず、他人事のように述べるパザロフ大将だが、そもそも自身の艦隊内のことでしょうと、私は思わざるを得ない。
「はっ! 次の戦いでは、完全なる勝利をもたらせるよう、力を尽くします」
「まあ、そんなに肩に力を入れんでいいよ。勝利よりも、まずは命だ。命あっての艦隊だからね」
今一つやる気があるのやらないのやら、つかみどころのない指揮官だ。のらりくらりと流すその姿勢から、軍内部では「のらろふ大将」と揶揄されている。
それを本人は知ってか知らずか、しかし部下にある程度の裁量をゆだねており、仮に失敗してもその責任を引き受けて、あの調子でのらりくらりとかわしてくれる。一見すると不安しか覚えないこの采配によって、どれほどの勝利がもたらされたことか。それゆえにこの方は、我が地球三一五の遠征艦隊指揮官としての地位を確固たるものにしている。
「いずれにせよ、強襲艦隊の補充には最低でも三週間ほどかかるだろう。しばらくは動けまい」
「はっ、仰る通りです。今すぐにでも、前線に赴きたいところではありますが……」
「あれだけの損害を受けたのだ。敵もしばらくは動けまい。その三週間は休息期間としてしっかり休め」
「承知いたしました、大将閣下。では、失礼いたします」
私はのらろふ……じゃない、パザロフ大将に敬礼し、司令官室を出る。
大将閣下の言う通りだな。少なくとも敵は六百隻以上を失った、当分の間は動けまい。
司令官室を出て、エレベーターへと向かう。そのまま一階まで一気に降りると、私はビルを出て地上に立つ。
ここはチェザレスクの郊外にある宇宙港のそばに建てられた軍司令部ビル。百五十年近い歴史のある港で、まさに宇宙進出と共に栄えたチェザレスクを象徴する場所だ。
この宇宙港はほぼ軍港ともいえる港で、見渡す限り赤褐色の駆逐艦が並んでいる。手前のドック群には、強襲艦も見える。あれはまさに、私が指揮する強襲艦隊の一部だ。
二千機以上の人型重機を失った。それと同数のパイロットも、同時に失われた。重機パイロットが一人前になるまでには五、六年はかかる。それが一度の戦いでこれほど失われてしまえば、なかなか補充が効かない。人というものはそれだけ、貴重なのだ。
駆逐艦任務の重機パイロットなどをかき集めつつ、その不足分をそろえるしかないだろう。次はそう簡単にやられるわけにはいかないな。私は遠くに並ぶ強襲艦の列を眺めながら、そう誓う。
「はぁい、少将閣下、こっちですわよ」
で、司令官のすぐ外から、おかしな口調で私を誘うのはエカチェリーナだ。少尉が少将である私を、ほぼタメ口で呼ぶ。
「なんだ、浮かれてるな。浮かれてるのはいいが、ここはまだ軍施設の敷地内なんだから、もう少し配慮をだな……」
「えーっ、夫婦なのに配慮がいるのぉ? いいじゃない、敷地なんてあと一歩で出られるわよ。ほい」
と言ってエカチェリーナのやつ、ピョンと跳ねて門の外に飛び出した。門番の怪訝な表情と、その視線が痛い。
で、外に出た途端、さらに遠慮がなくなったエカチェリーナは、私の腕にしがみついて歩く。どちらも軍服姿のままだから、まるで若い愛人を連れたいけない将軍、という絵柄だな。いや、我々は夫婦だから、これは合法だ。周りに聞こえるでもなく、心の中でそう叫びつつ、私とエカチェリーナは宿舎に向かう。
「そういえば、この間戦った敵さんって、地球一〇四五から発進した艦隊なんでしょう?」
「そうらしいな」
「てことはさ、近くの連合の星が艦隊引き連れて、その星に駐留してるってことじゃない?」
「当然、そういうことになる」
「てことはその人達、未開の星の人たちに宇宙船技術を見せびらかして、ちやほやされている真っ最中ってことじゃん。無論そこの将官なんて、自分たちが上だっていうのを良いことに、たくさんの愛人作ってきゃあきゃあ言わせてるんじゃないの? だとしたら、何だかちょっと腹たつわね」
何を言い出すかと思えば、そんなことを考えてたのか。想像力がたくましいというのか、妄想を拗らせすぎていると嘆くべきなのか。
だが、もしかすると我が強襲艦隊を打ち破った例の指揮官は、今ごろ現地の愛人と共に甘ったるい夜を過ごしているのかもしれないな。そう思うと少し、腹が立ってきた。次こそは、その愛人が愛想を尽かすほどの敗北を味あわせてやる。そんなことを考えつつ、私とエカチェリーナは家路を急いだ。
◇◇◇
先ほどのディーステル大将の言葉が、耳から離れない。
浮遊砲台群を叩くだって? 命令であるがゆえに受けてしまったものの、極めて困難な任務だ。
浮遊砲台群とは、第二一〇五中性子星域内の連盟側支配圏の境界上にある、推定三千基の砲台群のことだ。おそらくは重要拠点に続いているワープポイント、すなわちワームホール帯を取り囲むように、それらは存在する。
もっとも、その浮遊砲台のほとんどはどこにあるか分からない。連盟の持つ不可視化技術、つまりレーダー探知を何らかの方法で無効化する技術を使いその存在を隠しており、発射寸前になってようやく探知可能となる。が、その時はすでに手遅れで、狙い撃ちされるという無人の兵器だ。
それを叩くための被害が馬鹿にならないから、一個艦隊でも攻めあぐねているというその浮遊砲台群を、たったの一千隻で叩けと大将閣下は仰る。そりゃあ幾ら何でも無茶だろう。もしかしてこれは、僕に遠回しに死んでこいと言っているのだろうか?
軍司令部のビルを出て、とぼとぼとロータリーに向かう。またタクシーを捕まえて、さっさと宿舎に帰ろう。そう思いながら僕は、スマホを取り出す。
するとそこには、メッセージが表示されていた。相手はあの御令嬢だ。それを読んだ僕の心は、さらにえぐられそうになる。
曰く、直ちにアンドラーシ家の屋敷まで来い、とだけ投げやりに書かれている。なんでも、当主であるアンドラーシ伯爵様のご希望だそうだ。ならば、断るわけにもいかないな。僕は呼び出したタクシーに乗り込むと、貴族街にあるアンドラーシ家の屋敷へと向かった。
ここグラーツェン帝国は、地球一〇四五で最大の国家だ。北方大陸と呼ばれる陸地の半分以上を領地とし、他国に先駆けて銃や大砲を実用化して、強大な軍事力を背景に栄えた巨大国家だと聞いている。もっとも、その銃と大砲というのは、要するに火縄銃の類いではあるのだが。我々の武器からみれば、相当に不便で威力も弱い武器ではある。
ところで、アンドラーシ伯爵家というのは、いわゆる「外様」の貴族である。
帝国の重鎮ともいえる地位にあるアンドラーシ伯爵様だが、それほどの人物が「公爵」や「侯爵」の位にないのは、それが理由である。
帝国開闢以来、三百五十年。初代皇帝の時代に付き従った貴族が、今の帝国で侯爵以上の地位を持つ「譜代」の貴族だ。全部で七つの家があり、七大家と呼ばれている。
ただし、いくら由緒ある絵柄とはいえ、そこから常に有能な人材が輩出されるわけではない。その後、帝国の拡大と共に貴族の数も増えていったが、その貴族の中には有能な者がおり、それが帝国の繁栄を支えた。
が、彼らは「外様」として、伯爵以上の身分を与えられなかった。その代わりに辺境の広大な領地や宰相としての実質的な権力などは、外様の貴族に与えられた。というより、外様貴族からしか宰相を務められるほどの人物が現れなかったのだろう。
アンドラーシ伯爵家は、その外様組の貴族の中でももっとも古い家柄の一つだという。かれこれ三百年近く、帝国を支えてきた。過去に宰相経験者を三人も輩出する、名門中の名門。そして現当主であるゲーアハルト・フォン・アンドラーシ伯爵様は、四人目の宰相になるのではと噂されている。そんな家柄であっても、伯爵以上の地位にはなれないらしい。
まあ、そんな帝国の事情など知ったことではない。僕は生まれながらにして民主主義に触れて育ってきたし、貴族などという特権階級はいずれ衰退するはずだ。それはこの宇宙ではよく見られる事象でもある。この星のこの国だって、例外となりうる保証はどこにもない。
と、考えるうちに、タクシーはある大きなお屋敷の前に停まる。僕は開いたドアから降りると、タクシーは颯爽と走り出して去っていく。
「アルトマイヤーです。伯爵様より招待頂き、参りました。お取次願いたい」
僕は門番にそう告げると、その門番は一礼して屋敷の方へと走る。未だこの屋敷には、インターホンが取り付けられてはいないようだ。
しばらくすると、門番と共に侍従が現れ、僕を出迎えてくれる。そのまま僕は屋敷の中に案内される。
大きな扉が開き、僕の住む宿舎がすっぽり入るほどの玄関ホールが見える。そこで侍従が、僕にこの場でしばらく待つように告げると、大急ぎで屋敷の奥へと向かった。
正面には、アンドラーシ家初代当主の姿を描いた大きな絵画が掲げられている。その絵画を何気なく眺めていると、奥から笑い声が聞こえてくる。それは次第に大きくなり、その声の主らが僕の目の前に現れた。
それは、僕が一番会いたくなかった人物だ。
「あら、敗軍の将様ではありませんか?」
あからさまな嫌悪を向けてくるその人物、つまりカタリーナ嬢は、三人のドレス姿の女性を伴ってこの玄関ホールへとやってきた。僕は無言で敬礼し、その嫌味な言葉に応える。そんな僕の態度を見ていた後ろの取り巻きどもが、クスクスと笑う。
ああ、最悪だな。よりにもよってこのお嬢様と顔を合わせるなどとは。そのお嬢様は、僕の態度を受けてこう続ける。
「で、今日はどのようなご用件で参られたのですか? まさか、先日の負けっぷりをお父様に御報告に参られたとか」
自分でメッセージを送ってきておいて、よく言う。あの取り巻きの三人は、おそらくどこかの子爵か男爵の娘だろう。その取り巻きどもの前で増長したカタリーナ嬢は、手に持った扇子で口元を隠しながらも、相変わらずの毒舌で僕をののしる。
「いえ、伯爵様よりお呼び出しを受けましたので、参上した次第です」
事情は知ってるくせに、嫌な言い方だな。ややムッとした表情で、僕はそう応える。が、僕が言い終わらぬうちに、カタリーナ嬢とは反対側から大声が聞こえてくる。
「おお、提督殿、待っておったぞ!」
一瞬、カタリーナ嬢の眉がピクッと動く。提督という言葉に引っかかったようだ。そしてカタリーナ嬢と三人の取り巻きらは、一斉に頭を下げる。
振り向くとそれは、アンドラーシ伯爵様だ。僕は伯爵様に敬礼する。
にしても、だ。いつもなら「婿殿」という伯爵様が、僕を「提督殿」とお呼びになった。つまり伯爵様は、僕が艦隊司令官になったことをすでにご存知ということか。
「先ほど軍より、砲艦一千隻、十万の兵の将になったと聞いたぞ。いやはや、さすがはわしが見込んだ婿殿であるな」
「はっ、恐れ入ります」
後ろにいて見えないカタリーナ嬢とその取り巻きどもではあるが、なぜかその感情を背中でひしひしと感じ取ることができる。敗軍の将などと馬鹿にしていた相手が、まさか十万の兵の将であったとは……特に、真夏の太陽光のように熱いカタリーナ嬢からの目線が、僕の背中にジリジリと刺さる。
「で、重要な作戦を任されたとも聞いたぞ。一週間後には、出陣するというではないか」
「はい、敵はおそらく、我々がしばらくは攻勢に出ないであろうと考えております。その意表を突くのが、今度の作戦の狙いでもあります」
「うむ、そうじゃな。百戦して百勝とはいかぬもの。しかし、先の戦いで亡くなられたグートハイル殿の弔いのためにも、次はぜひ勝利を期待したいところじゃ」
そして僕は伯爵様に奥の応接間に通される。そこでは伯爵様より作戦のことや勝算について聞かれた。が、未だ手元に自身の艦隊編成すらない状態では、作戦など立てられるはずもない。なので、適当に答えておいた。が、それでも伯爵様は満足らしい。
暫し伯爵様と歓談した後、再び玄関ホールへと戻ってくると、そこでまたカタリーナ嬢と出会う。というか、僕が現れるのを待っていたようだ。取り巻きらは、すでにいない。
「近々のうちに作戦というのは、本当なのですか?」
で、開口一発目に、こう尋ねるこのお嬢様。僕は答える。
「はい、一週間後には出撃する予定です」
「そうなのですわね。お父様はとても期待しておいでのようですから、がっかりさせない程度の戦果を挙げるよう、努められるのですよ。無論、あなた様にはその覚悟はあるのですか?」
相変わらず厳しいなぁ、このお方は。にしても、今の「覚悟」という言葉が僕の心に刺さる。
僕に、十万人の将兵の命を預かる覚悟はあるのか? そういえば、あまり考えたこともなかったな。そんな心持ちで、よくもまあ艦隊指揮官代理などやってしまったものだ。
「肝に、銘じます」
僕はカタリーナ嬢へ、そう答えるにとどめた。それ以上の言葉は、現時点では僕には言えない。その場で敬礼しつつ、玄関ホールを出る。
ちょうど僕の眼前を、一隻の駆逐艦が通り過ぎるのが見える。平民街上空付近を通過する、五、六十階建てのビルほどの大きさの艦が宇宙港へと向かっている。半年前は、あれが通り過ぎるだけで大騒ぎをしていた地上も、今や慣れたもので誰も気にも留めない。
でも冷静に考えたら、僕の方にはあんな馬鹿でかいものの、それも一千隻分の命を抱えることになるのか。なんだか急に、恐ろしくなってきた。
また、食欲無くなりそうだ。栄養ゼリーでも飲んで、寝ようかな。