#3 休息
『アルトマイヤー准将、貴官の今回の行動に関する処分については、追って沙汰する。ヘテルニッツ港へ帰投後、しばらくの間、宿舎にて謹慎せよ』
「はっ!」
地球一〇四五への帰投中、軍総司令部よりこう告げられる。僕はただ短く答え、軍司令部からの決定を告げる総参謀長のディーステル大将に敬礼する。
「まもなく、ワームホール帯に突入します」
「了解、ワープ準備」
「超空間ドライブ作動、ワープ準備。カウントダウン、十、九……」
艦内は僕の置かれた状況など構うことなく、地球一〇四五に向けて最後のワープ準備に入っていた。ここを抜ければ、目的の星域外縁部に達する。
「……二、一、今!」
「超空間ドライブ作動、ワームホール帯突入!」
窓の外から、無数の星が消える。真っ暗な異空間に突入する。が、数秒ほどで再び星が現れる。もっともそれは、先ほどとは異なる星図だ。
「ワープアウト完了、星図照合、地球一〇四五星域と確認!」
「了解。僚艦とのデータリンク再接続、状況を知らせ」
「はっ!」
一万隻の艦艇が、次々とワープアウトする。いや、すでに一万隻を割り込み、九千隻余りの艦隊ではある。手酷くやられたものだ。
撃沈が約四百隻、行動不能による脱落艦が二百隻以上。何よりも、歴戦の猛将を失ってしまった。それでよく、六百隻程度の被害で済んだものだと自分でも思う。だが、負けは負け、僕は今や、敗軍の将だ。
まさか一個艦隊を指揮する羽目になるとは思わなかった。僕よりも上の階級の艦隊司令官が三人もいたにも関わらず、誰も指揮権を引き継いでくれなかったばかりに、僕に敗戦の責任が押し付けられることになってしまった。いや、こうなることが分かっていたからこそ、誰も指揮権を引き継ごうとはしなかったのだろうな。まんまと僕は、はめられた。
とはいえ、最悪の事態は免れた。僕が決断しなければ、さらに多くの将兵の命が失われたはずだ。僕は決して間違ってはいない。そう自身に言い聞かせる。
「地球一〇四五、ヘテルニッツ港まで七時間の予定!」
「了解、隊列を組みつつ前進する。進路そのまま、両舷前進微速!」
地球一〇四五とは、半年ほど前に見つかったばかりの星だ。その星で最大の国家であるグラーツェン帝国と、我が地球一〇七は同盟条約を締結し、その帝都ヘテルニッツのそばに宇宙港を築いた。現在、急ピッチでその周辺を整備、構築しているところだ。
その宇宙港の脇に建設された住宅地に、僕の住まいがある。佐官以上は一軒家が貸し出され、尉官以下は高層アパートの一室が与えられる。
もっとも、僕にとっては一軒家は持てあます。なにしろまだ独身だから、たった一人で二階建ての家を独占していることになる、勿体ないことこの上ない。いや一応、婚約者はいる。いることはいるのだが……うーん、憂鬱だ。
その婚約者は、この敗戦の報を聞いて何と思うだろうか? やっぱり、いつも通りなのか。謹慎を食らったことよりも、僕はそちらの方が気になってならない。
◇◇◇
私は、部屋に入った。戦艦ペレスウィートは全長四千メートル級の大型艦だが、部屋は狭い。ベッドを二つ並べると、もうテーブルを置く余地もない。
そんな狭い部屋に入ると、私は着の身着のまま、ベッドへ寝転がる。艦隊は大勝利したが、私の配下の強襲艦隊の損害に限っては、馬鹿にならないほど甚大だ。それが悔やまれてならない。
などと悶々としていると、部屋のドアが開く。現れたのは、女性士官だ。彼女は直立、敬礼し、こう告げる。
「少将閣下、スクリャロフ少尉、入ります!」
ベッドから上半身だけ起き上がりつつ、私も思わず返礼で応える。すると、私と同じ姓を名乗るその少尉は部屋のドアを閉めると、ずかずかと私に迫ってくる。
そして、いきなり上半身に抱きついてきた。
「ちょっと聞いてよメレンチェ! 船務長ったら、またあたしのこと……」
ああ、やっぱりまた揉めたのか。仕方がないな、ただでさえ将官の妻をやってるんだ、ある種の人物からは、ひがみや妬みを一身に受けることになるだろう。
「分かった分かった! で、私にどうしろと?」
「あなた少将閣下なんだし、あんなやつ、ガツンと言ってやってよ」
「いや、そうもいかないだろう。任務上で非があるわけでなければ、将官だからと言って何か指摘するわけにはいかない」
「えーっ、それじゃ少将閣下の妻であるメリットが全然ないじゃない!」
何を言ってるんだ、こいつは。そんなことのために、私と一緒になろうと思ったのか?
そう、わがままをさらけ出しているこの金髪の女性士官こそ、私の妻だ。エカチェリーナ・スクリャロフ少尉。担当は旗艦ペレスウィートの長距離レーダーの監視員。そんな彼女と入籍して、かれこれ三ヶ月が経つ。
まるで職場いじめにでもあっているかのように私に報告する彼女だが、別にそういうわけではない。こいつ、かなりドジなところがあるから、それをとがめられただけだろう。いや、それだけではないかもしれないが。
だが、御覧の通り遠慮のない性格だ。その分、人ウケがいい。だからこそ、これだけの階級差を乗り越えて一緒になれたわけだが、それにしても最近はちょっと甘え過ぎじゃないか?
「でね、オリガったら帰投したら真っ先に彼とドゥルベスカヤ通りにあるレストランに行って、ビーフストロガノフ食べるんだって。ねえ、これから帰投するんでしょう? 私たちも帰ったら、どこ行こうか」
もう話題が変わっている。気楽なものだ。船務長の件はもういいのか?
「いや、エカチェリーナよ、今はあまりそういう気分になれないんだ」
「なによ、百隻の強襲艦隊を沈められたことを、まだ引きずってるの?」
「そりゃあ、引きずるだろう。私の戦いの拠り所なのだぞ。それが痛手を受けたとなれば、落ち込まない方がどうかしている」
「落ち込む方が、どうかしてるわよ」
「なんだって?」
「落ち込んだら、死んだ人が生き返ったり、その百隻が帰ってきたりするわけじゃないんでしょう? だったら、死んだ人の分も生きなきゃ」
「いや、そうは言ってもだなぁ」
「それに敵なんて、その何倍も沈んだんでしょう? あっちの方がもっと落ち込んでるはずよ。こういう時は、立ち直った方が勝ちよ」
言っていることは無茶苦茶だが、妙に説得力がある。こういう能天気さが、彼女の持ち味ともいえる。
「いやあ、やっぱりすぐには立ち直れないな」
「えーっ、だらしないわね! あんたそれでも異例の出世を遂げた少将閣下じゃ……ふぎゃっ!」
「立ち直るためには、やはりひと汗かいた方がいいだろうな」
「ちょ、ちょっと待ってよ! こっちはまだ準備が……」
「無防備に抱きついてきて、よく言うよ」
抱きついてきたやつを、逆に抱き返したら文句を言い出したぞ。こいつだって覚悟の上で抱きついてきただろうに、何を考えているのやら。
◇◇◇
やれやれ、ワープを終えて半日かけて、ようやく帰投した。宇宙港ロビーを出て、僕は宿舎の一軒家に向かう。
すでに夕刻で、空が夕焼けで真っ赤に染まり始めた。ああ、明日は晴れるな。僕の気分以外は。指揮官を突如失い、混乱の最中で我が艦隊の壊滅を必死で食い止めようと努力したというのに、どうしてこれほど気分が晴れないのだろうか。敵は今ごろ、戦勝パーティーで乾杯でもしている頃だろうか?
などと憂鬱な気分で家路につく。とぼとぼと夕焼け空の下を歩くと、すぐに僕の家の玄関が見えてきた。手の平をドアのセンサーに当てて、ロックを解除する。そして、ドアを開けた。
誰もいない家。そりゃそうだ、僕はまだ独身だ。誰かが待っているはずなどない。
……いないはずなのに、そこには一人の女性が立っていた。僕は思わず、背筋を伸ばす。
「か、カタリーナ様!?」
濃い赤色のワンピースドレスに身を包み、不機嫌そうな表情で立つそのご婦人に、思わず僕は声をかける。
「先ほど、敗軍の将がおめおめと帰ってきたと聞きましたので、待っておりましたわ!」
で、返ってきた言葉がこれだ。やはり僕は、この人が苦手だな。にしても、いつの間にこの家のロックに認証登録していたのだろうか。
いや、その気になれば無理やりでも押し通すだけの力がある方だ。何せこのお方はグラーツェン帝国貴族の名門、アンドラーシ伯爵家の次女、カタリーナ・フォン・アンドラーシ嬢なのだから。
そして、どういうわけかこの人は僕の「婚約者」ということになっている。
「はい、どうにか生き長らえて帰ってまいりました」
「まったく、だらしがない! 一度敗けたくらいで卑屈になるなど、私の婚約者として不甲斐なさ過ぎではありませんか! そもそも戦いに臨むお覚悟が足りないのではありませんこと!?」
うーん、言いたいことを言う人だ。婚約者とは言うが、当の本人は僕のことを婚約者とは認めていないだろう。父親であるアンドラーシ伯爵様が、将官である僕が独身であることをいいことに、勝手に婚約を結んできた。しかしだ、僕はどこかの名門貴族というわけでもない。それが彼女にとっては気に入らない。
だから出会った日には、下賤の者とは話したくないだの、散々な言われようだった。だから僕としてもさっさと婚約を解消してほしいのだが、父親にはその気がない。だから僕は彼女からはののしられ続け、そして彼女はますますイラついている。
「とにかく、アンドラーシ家の名に恥じぬよう、いちいち落ち込むのではありませんことよ! いいですか!?」
「は、はい!」
夕暮れ時とはいえ、ちょうど帰投したばかりの佐官や将官が歩き回っている。そんな中、玄関先で大声で罵るものだから、周りから目立って仕方がない。ほんと、早く帰ってくれないかなぁ。
「というわけで、私は帰りますわ」
「ええと、帰るって……もう暗いですから、お屋敷まで送りましょうか?」
「結構です! 近くに御者を待たせてますので、でわっ!」
暗いところを、ご令嬢一人歩かせるわけにはいかない。そう思って声をかけるも、けんもほろろに断られる。不機嫌そうにいきり立ちながら、宿舎の並ぶ間の道を早足で帰っていった。
ああ、なんということか。ただでさえ敗戦に追い込まれ、さらに謹慎まで食らって気が滅入っているというのに、追い打ちをかけるように気高すぎるお嬢様に罵られてしまった。今日はもう、寝よう。
にしても、だ。どうして彼女はあれだけの用事のために、わざわざ僕の宿舎にまでやってきたのだろうか?