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不自然災害

 朝、必要になるかもしれないと、手に入れたばかりの鍋やらナイフをリュックにおれは詰め込んだ。食べられる野草についての図鑑は仕事に行く道中、めぼしい物を見つけることがあるかもしれないので常に調べられるよう手に持っていくことにした。

 宿のラウンジで先輩を待つ。


「準備できました」

 部屋から先輩が出てくる。


「じゃあ、今日もひと稼ぎ、行きますか」


 おれは宿の扉を開けて、一歩踏み出す。するとなにやら靴先にもふっという柔らかい感触。


「フニャーッ!」


 叫んだのは猫だった。ドアのすぐそばで寝転んでいたのかおれは気づかず蹴飛ばしてしまった。


「うわ、すまん、痛かったか」


 おれは毛を逆立ててこちらをにらみつけている猫に手を伸ばす。すると重たい図鑑が手からすり抜けた。


「痛っ」


 図鑑が足の甲に落ちておれはうずくまる。声に驚いた猫はシャーと唸っておれの手やら顔に爪を立てていく。


「あだだだだ」


 ひっかき傷に悲鳴を上げると頭に猫の重みがずしりと加わり、今度は急に軽くなった。

 猫がおれの頭を踏み台にして飛び上がったのだろう。すると今度は背中にどすっという重い衝撃がリュック越しに伝わってきた。


「うげっ」


 背中に落ちてきた物が地面についたおれの手の横にごろりと転がる。宿の窓辺に置いてあった鉢植えだった。


「わわっ、今、猫さんが鉢植えを、って黒木君、大丈夫ですかっ?」

 先輩が宿から慌てて出てくる。


「まあ、大丈夫、です」

 おれはひりつく頬をさすって答えた。





「朝から災難でしたね」


 おれと並んで歩いていた先輩が心配そうに言った。仕事現場までの道のすぐそばには川が流れている。そのせいか空気がひんやりとして気持ちが良い。少し熱を持っている頬にはなお冷たく感じられる。


 猫のひっかき傷は宿で簡単な手当をしてもらった。傷は深くないので薬を少々塗っただけだ。出発には手間取ってしまったが、余裕を持って準備していたのでそれほど急がなくても仕事の時間には間に合う。


「ちょっと引っかかれただけですから。猫も怪我をしたわけでもなくて良かったですよ。これもきっと仕事中にうっかりするなってことでしょう」


 そんなことを話していると道の向こうに荷車を付けた馬と人影が見えた。立ち止まって何かをしている。


「あれは昨日のリンゴ農家の方でしょうか?」


「そうですね、なんかあったんですかね?」


 おれたちは近づき、先輩が声をかけた。


「おはようございます、あの、どうかされたんですか?」


 先ほどの先輩の言うとおり、そこにいたのはリンゴ農家の男で、荷車には袋に入ったリンゴが積まれている。そして、彼の子供らしい小さな娘が二人。どちらもうつむきしょんぼりとしている。


「ああ、君たちか。おはよう。いや、ちょっと娘たちがふざけていたら、車輪に縄が絡まってしまってね、それを今、取り除いていたんだ。昨日、リンゴがなかなか好評だったから今日も持って行こうと思ってね」


「そうでしたか」


 見てみると片側の車輪は細い綱がぐちゃぐちゃと絡みついている。


「あの、おれがこの綱、切りましょうか? ちょうど、ナイフ持ってるんで」


「ああ、それは助かるなあ。じゃあそっち側、頼んでいいかい?」


「ええ」

 おれはリュックからナイフを出して車輪のそばにかがんだ。


「早速の活躍ですね」


 先輩がおれの手元をのぞき込む。


「まさかこんなすぐに役立つとは」


 おれはそう言って革のケースからナイフを抜いた。刃が朝日にきらりと光る。すると急におとなしかった馬がいなないた。前足をあげ興奮しているように見えた。


「何だ、突然?」


 リンゴ農家の男は慌てて馬をたしなめる。しかし馬は落ち着かない。おれは一度、がたがたと音を立てる車輪のそばから離れようとした。


 が、遅かった。


 暴れた馬が引いていた荷車を蹴る。ドンッと響くような音の後に荷車が倒れ、積んであったリンゴがおれに向かってゴロゴロと落ちてくる。さすが自慢のリンゴ。皆、大きく実が詰まっているのだろう。一つ一つの重さが骨に響く。おれはまるで全身がボコボコとたこ殴りにされている気分だった。


「黒木君っ」


「おい、大丈夫か?」

 先輩と男の声が聞こえる。


「えっと、大丈夫、です」

 おれはリンゴに埋もれながらじんじんと痛む頬をさすって答えた。





「働く前からずいぶんボロボロだな」


 作業現場に着くともじゃ髭の現場監督がこちらに気づいてそう言った。おれの顔は傷と腫れで少し赤くなっているようだった。


「こっちの不注意のせいで本当にすまなかった」

 リンゴ農家の男が今日、十回目の謝罪を口にする。娘たちもごめんなさいと後に続いた。


「私も馬に気をとられていて、どうにもしてあげられませんでした」

 先輩までも申し訳なさそうに言った。


「いや、あれはほんの事故でしたから、皆さん、気にしないでください」


 うなだれる一行に向かっておれは言った。身体はあちこち痛むが、大怪我というわけではないのだから。


「じゃあ、今日は飯のほうでも手伝ってやれ」


「はい」


「じゃあ、私は向こうの作業を手伝ってきますので、後で会いましょう」


 先輩と別れ、おれは言われたとおり、リンゴ農家の一家に混ざって食事当番をすることにした。


「そういうわけでよろしくお願いします」


「痛みがひどかったら休んでいいんだよ」


 農家の男は心配そうな顔をしていたがおれは首を横に振った。


「今は大丈夫です。それよりも昨日のリンゴのレシピ教えてくれませんか? 先輩がすっかり気に入ったみたいで」


「もちろん良いとも。それじゃあ、ちょっとの間、その火にかけた鍋を見ていてもらっていいかな、荷車から生のリンゴを運んでくる。鍋は時々かき混ぜればいいから」


「分かりました」


 おれの前には六つのたき火があってその上に足のついた鍋がそれぞれ置かれている。テーブル代わりの木箱の上には何枚もの皿が重ねられていて、そばにはナイフや革の手袋が置かれていた。


 おれは自分が持っているナイフを思い出し、リュックに手を伸ばした。荷車の車輪の件では結局、ナイフの出番はなかった。今度こそ役に立つかもしれない。ファスナーを開け、おれはナイフを手にする。

 すると、ごごごごごと地鳴りのような音が聞こえておれは顔を上げた。


「なんだ、この音は」


 まだ地響きは続いていた。音はだんだんと大きくなる。河原にいた町の人たちも異変に気づき、仕事の手を止めた。


「おい、辺りに注意しろ、地響きだ。また山が崩れるかもしれねえ」

 ひげもじゃ現場監督はそう叫んだ。


 バキッ、バキバキバキッ。


 今度の音ははっきりと山の上から聞こえてきた。近くの土砂で崩れている山の頂上辺りで、木がゆっくりと倒れていくのが見えた。


 ここから崩れた山まで少し距離はある。いくら、あの山の半分が崩れてもここまで土砂が襲ってくるとは思えない。そんなことを考えている間に木はバキバキと折れて、おれは身構えた。すると山肌に何かが見えた。


「あれ、土砂じゃなくて、岩?」


 木をなぎ倒しながらゆっくりと山を下りてくるのは、大きな岩だった。


「すげーな、ありゃ」


「おいおい、どこまで落ちてくるんだ?」


 町の人たちが口々にそんなことを話していると、岩はずしんと山の麓まで下りてきた。


「止まった?」

 耳を澄ませながらおれはつぶやいた。麓に茂っている木のせいで岩の姿が見えなくなっていた。しかしそれもつかの間のことだった。


 メキ、メキキキッ。


 木を左右に倒してその岩はごろりと現れた。まるでか弱い人々を蹴散らして歩く悪漢のようだ。しかしどういうわけか転がる勢いを失ったと思っていたその岩は、ごろごろと平地を転がり進んでいる。だんだんとその速さも増してきているようだった。


「な、何だ? こっちに来てるのか?」


 その不自然としか言いようのない岩の転がりかたは、こちらへと明確な意志をもって迫ってきているように思えた。


「みんな気をつけろ、行ける者は川の向こうに行け、あの転がる岩、普通じゃないぞ」


 現場監督の声に急ぎ逃げる人や冷静にその岩の行方を見つめている人達。

 そんな中、おれはなぜか、あの岩から逃れられない、そんな直感めいたものが頭をよぎって動くに動けなかった。


「はあっ!」


 声とともに先輩が人とは思えない脚力で転がる岩の前に飛び出した。両足首の辺りに魔法陣が二つ沿うように浮いていて、岩の正面に来た瞬間、足にあった片方の魔法陣を盾のように展開。それで転がる岩を受け止め、進行を止めようとしている。魔法陣のもう片方は踏ん張る足のそばに浮いていた。


「先輩っ」


 ずずず、と先輩が魔法陣ごと押されていた。えっと、こういうとき、どうしたらいいんだ?

 おれが何にもできずにいると、先輩のほうで変化が現れた。


 しゅるりと先輩の片足に魔法陣が浮かぶ。さらには両手のそばにもそれぞれ魔法陣が出現。両手両足にひとつずつ、それから盾に使っているもの、あわせて五つの白い魔法陣が先輩を取り巻いていた。


「すごい」


 よく分からないが、魔法陣の数が増えたのだ。きっと今まで以上の力を使っているに違いない。実際、岩の進みが遅くなった。回転は穏やかになりやがておれたちと山の真ん中辺りで岩はピタリと動きを止めた。


 展開していた魔法陣を先輩は解除する。岩は先ほどまでの勢いが嘘のように静かになっていた。


「大丈夫です、皆さん。岩は止まりましたよ」


 唖然とするおれや町の人たちに向かって先輩は叫んだ。


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