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9 不気味な笑い声

 それは突然だった。

 真横に居た景吾が、凄まじい勢いで後ろに吹っ飛ばされたのだ。


「痛いだろうが、クソ野郎」

 

 景吾の地を這うようなどすの効いた声で、ようやく状況を察した誠太郎は、すぐさま景吾を背に庇うようにして立つ。

 鼻と口を派手に切ってしまったようで、その顔面は血だらけだ。

 それを笑う者が一名。

 真正面から睨め付ける誠太郎だが、全く意に介していない様子だ。


「ひゃひゃひゃ! ひっでえ顔だなあ、風見のお坊ちゃん」

「そっちこそ相変わらずひっでえ笑い声だな、地原玄じはらげん

 

 地原は眼球を見開き、にたりと不気味な笑みを携えて、指先をゆったりとした動作で誠太郎の後ろにいる景吾へ向けた。

 ひょろりとした長身と白髪のせいで一瞬老人と見間違うが、なかなか端正な顔立ちである。しかし、せっかくの容貌も狂ったような笑顔で台無しだ。

 ちらりとまつりを見ると、ドン引きの表情を浮かべて後退っていた。


「ひゃひゃ、そんな怒るなよ風見。俺はただ、お前より一足先に指示語を得たから挨拶にきてやっただけじゃんかよう」

「いらねえよ、気色悪い」

「そんなこと言うなって。ほら、しっかり見とけよ」

 

 地原が地面に手を付く。

 そして口を開いた。


「大地よ、形成しろ」

 

 それが地原の指示語だった。

 放たれた言葉に呼応するように、地原が触れた地面がミシミシと音を立てる。

 土を固めて綺麗に整備されていた地面の一部が抉れて浮き上がると、それは粘土のようにぐにゃりと自在に変形していく。


「嘘でしょ。こんなのってアリなのかよ」

 

 誠太郎は愕然とした。背中に嫌な汗が伝う。

 目の前にはにんまりと笑う地原が、死神の如く大鎌を携えていた。


「ひゃひゃひゃ! これが俺の理想の武器だ。なあ風見、ここで死んどくか?」

「あ? 無理」

「あっそ。まあ殺すけど」

 

 地原が地面を蹴る。そう思った瞬間には、すでに誠太郎を追い抜いて景吾の首筋に刃を当てていた。

 薄く切れてしまったようで、血が流れ落ちる。


「あと少しでも力を入れたら、あっという間に血の海だ。ひゃひゃひゃ、お前は弱いなあ」

 

 ぐっと柄を持つ手に力が入ると、ぼたぼたと流れ落ちる血が増えた。

 痛みに顔を歪めた景吾は、それでも冷静だった。

 殺されそうな状況にも関わらず冷静すぎる。誠太郎が止めに入ろうとするのを、目で牽制してくる余裕すらあるのだ。

 だから、きっと景吾には何か考えがあるのだろうとは思っていた。


「舞え、鎌鼬かまいたち

 

 刃が首に食い込んでいるせいで、ひどく掠れた小さな声だった。

 けれど、それは景吾が発した指示語に他ならない。

 辺りが静まり返る。

 数秒、体感では数十秒立っても何も起こらない。

 その空気を動かしたのは地原だった。腹を抱えて蹲る。


「ひゃひゃひゃ、あひゃひゃひゃ! おいおい、この死に際でも指示語を得られないのかよ! 風見の坊ちゃんがこんな無能だとはなあ! 笑いすぎて死ぬっつーの。あー、腹痛い。あひゃひゃひゃ!」

 

 グラウンド中に響き渡る笑い声だった。

 指示語探しに集中していた候補生たちだが、あまりに煩い地原の笑い声に怪訝な顔を向けてくる。

 誠太郎はこのチャンスを生かすべく、誰かこの場を収めてくれと懇願の目を向ける。しかし合わさった視線はすっと逸らされた。


「・・・景吾の指示語は違ったっぽいし、もう俺が助けに入るべきだよな。とりあえず景吾を引っ張ってあの狂人から離そう。・・・あの鎌怖いけど」

 

 怖気づく足を叩いて気持ちを奮い立たせる。

 地原が腹を抱えている今が景吾を助けるチャンスだ。


「よし行くぞ!」

「きゅん」

「ん? きゅん?」

 

 変な音が聞こえた。

 思わず踏み出した一歩を戻すと、もふりとした感触が足に纏わりついた。

 そろりと足元を確認する。


「きゅん!」

 

 そこには、誠太郎を見上げる動物がいた。


「これいたちじゃん」

 

 つぶらな目が瞬く。

 肌触りの良さそうな真っ白な毛並みを思わず撫でつけたところで、誠太郎ははっと閃いた。


「景吾の指示語で現れたのかも」

 

 未だ笑い転げている地原を横目に、抱き上げた鼬を景吾に向けて掲げる。

 顔面血だらけ状態で視界が悪いかと思ったが、鼬に気づいた景吾は寄こせとばかりに両手を広げた。


「きゅうん!」

 

 鼬は誠太郎の腕から飛び出すと、一目散に景吾の下へ駆ける。

 鼬が景吾の腕の中へ飛び込む寸前、その存在に気付いた地原が、大鎌を容赦なく鼬へ振り下ろす。


「おい、何だこの弱っちい物体! 目障りだから千切りにしてやるよ!」

 

 駄目だ、間に合わない。

 誠太郎は思わず目を逸らした。

 ずさり、と重たい音が耳に届く。


「・・・良くやった」

 

 続いて聞こえたのは、嬉しそうな景吾の声だった。


「どういうことだ?」

 

 目を開く。

 最初に見えたのは、切り傷だらけで倒れている地原だった。その背中には元気そうに跳ねている鼬がいた。


「きゅうん!」

「良かった、無事だったんだ」

 

 誠太郎は安堵に胸を撫でおろした。


「にしても無茶しすぎでしょう」

 

 まつりはズカズカと景吾に歩み寄るなり、その胸倉を掴み上げた。

 痛みに顔を歪める景吾だが、力を緩める気は一切ないようだ。


「まつりちゃん! 景吾がめっちゃ痛がってるよ」

「自業自得ですよ。どうせあの状況を利用したんでしょうけど、見てるこっちは心臓に悪いです」

 

 居心地悪そうに視線を逸らしていた景吾がぽつりと呟く。


「危機的状況に陥った方が指示語を見つけやすいって言う論文があるだろ」

「それを参考にしたって? だからって自分から死にに行くような無謀な行動は、無能がすることだと思いますけど。地原は風見家を目の敵にしていますからね。本気だったと思いますよ」

 

 誠太郎も肌で感じていた。

 地原が景吾を見る目には、確かな殺意が存在していた。


「・・・分かった。気を付ける」

「是非そうしてください。・・・みなさーん、貴重なお時間を邪魔してすみませんでしたあ! こちらは片付きましたので、指示語探しにお戻りくださーい!」

 

 いつの間にか誠太郎たちを囲うようにして集まっていた候補生たちが、瞬く間に散っていった。


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