18 開花したエラー
ほんの数分前までの出来事である。
「この短時間でよくここまでボロボロになれたな」
保健室に舞い戻った誠太郎を出迎えてくれた景吾の嫌味に笑って返すと、結構な力で小突かれた。
「さっさと座れ。で、何があった?」
消毒液を片手に誠太郎の正面に腰を下ろした景吾が、取り調べ中の警察官さながらの鋭い眼光で先を促してくる。
正直に全容を話すとなると、清香に嵌められたことを言わねばならない。
あれだけ意気揚々と清香に着いて行った挙句、この体たらく。かなり格好悪くないか。
言い淀んでいる誠太郎は、絶え間なく注がれる強面の眼光に耐える術を持ち合わせていなかった。
早々に事の顛末を話す事と相成る。
「あの新人いびり大好き地原隊長に襲撃されたわけか。気になるのは乙野清香だな。何でわざわざ誠太郎を売ったんだ?」
「分からない。と言うか、考える余裕すら無かった」
「だろうな」
景吾は一つ頷くと、消毒液を誠太郎の腕に垂らした。
「く! 染みるぜ」
悶える誠太郎に容赦なくガーゼを押し当てる景吾の顔が、心なしか生き生きとしているような気がする。
恐怖に後退る誠太郎の耳に、突如として金属音のようにも聞こえる悲鳴が届いた。
二人で顔を見合わせる。その一秒後には、保健室を飛び出していた。
音の発生源に近づいて理解する。これは、助けを求める悲鳴なのではない。相手を傷つける為の叫び声だ。
「何だこれ、全身が痛いんだけど」
「候補生が指示語を見つけたのかもしれない。それにしても、無暗に近づくのは危ないな。一旦退避して、真倉先生を呼ぼう」
甲高い金属音のような叫び声で耳が痛い。叫び声に近づくほど、耳だけでは無く全身にも激痛が走る。まるで絶え間なく銃弾を浴びせられているようだ。
しかし、景吾の提案に頷くよりも先に、視界に入ってきた信じがたい光景に息を飲んだ。
時が止まったように場が静まり返った。
「師匠!」
未散がふらりとよろけた。そのまま血だまりに倒れ込む。
背後から景吾が呼び止める声がする。誠太郎は構わず歩を進め、呆然と立ち尽くす清香に明確な怒りを向けた。
そこで現在に至るわけだが、この膠着状態は長く続かなかった。
ぐぽり、と清香の口から血塊が吐き出された。ぐったりとした様子でその場にしゃがみ込む。
「景吾、助けを呼んできて」
「分かった!」
誠太郎は未散を抱き寄せて清香から引き離した。
未散の顔色は酷かった。血色が一つもない。不安になって口元に耳を近づけると、呼気はあった。
「師匠、頼むから死なないでよ」
とりあえず、未散の怪我をどうにかしないと。
怪我を確認しようと袖をまくると、細い腕には針に刺されたような数多の傷で埋め尽くされていた。
「さっきの叫び声のせいか。酷い傷」
そっと袖を戻す。
離れたところにいる清香の状態から見るに、攻撃する側も大きなダメージを負うようだ。喉元を抑えて苦しそうに呼吸する音が、こちらまで聞こえてきた。
理由は後で双方に聞くとして、今はとにかく助けなければ。
「待たせたな、誠太郎」
今、一番聞きたかった声がした。
颯爽と現れた堂前が、誠太郎の腕の中にいる未散を見て顔を顰めた。
「大丈夫。未散ちゃんは俺が治すよ。―――復元しなさい」
すぐに発した堂前の指示語により、未散の傷口が塞がっていく。
「これ、どう言うことよ! ちょっと堂前、おかっぱはどうでもいいから先に清香を治しなさいよ!」
堂前に続くようにして時子が現れた。
先程時子に殺されかけた誠太郎の身がすくむ。
「一緒に治してる。話しかけたらコントロール狂うから黙ってろな」
「早くしてよね」
誠太郎には目もくれず、清香に寄り添った。
「おかっぱは、何でここにいるのよ」
「俺を送ってくれたんだ。未散ちゃんなら早く着くから」
「そういう事。それにしてもバッドタイミングね。てっきり住屋誠太郎とやり合ってくれてると思ったのに」
清香の喉の状態が酷い。未散の登場で興奮してしまったせいだろう。
時子がそっと喉に触れると、一際多量の血を吐いて、ゆっくりと瞼が上がった。
時子がいることに気付いた清香が、ほっとしたように頬を緩めた。
しかし、それは瞬く間だった。
「頭が痛い」
頭が割れんばかりの鈍痛とともに、再び騒々しい声が聞こえてきた。
<やれ。殺せ! ここに居る奴らは皆殺しだ>
<この血だらけの女をやったように、こいつらも殺せばいい>
<バグの本能のままに叫べ! さあ、早く>
未散が言っていた。これはバグの囁き。
清香の脳内に嫌でも響く声に耐えられない。
意識がぼんやりとしてくると、喉元がかっと熱くなった。
「清香、しっかりしなさい」
時子の声が遠い。
叫ばなければ、バグの囁きが静まらない。叫ばなければ。その衝動が抑えられない。
「ああぁぁぁあああ!」
ひどく掠れて地を這うような、耳障りな悲鳴が轟いた。
時子が咄嗟に清香の口を押えるが、その手はすぐに血だらけになっていく。
「なんて威力なの」
「まずいな、これは」
至近距離にいるせいで、全身はすぐに針で突かれたような傷口を大量に作った。
「師匠が死んじゃう!」
未散に覆いかぶさると、誠太郎の背中に痛みが走る。
このままでは、全員助からない。清香の暴走を何としてでも止めなければ。
「絶対、助けるから」
ふう、と呼吸を整えると、頭がすっきりした。
体の内側から力が湧き上がってくるのを感じる。
強くなりたい。格好よくなりたい。近所にいた、あの憧れのお兄さんのように。
口が勝手に動き出す。
「正義の名の下に、粛清せよ」