110 桜木春生の人生計画
善二は周囲一帯の霊力を吸収し尽くすと、糸が切れたように桜木の腕の中へ倒れた。
再び訪れた暗闇と静寂の中、呼吸一つすら戸惑ってしまう妙な緊張感があった。
未散は、はくはくと無意味に口を動かす。何を発言すればいいのか分からず、声は出ない。ほんの少し暗闇に目が慣れてきた時、もぞりと誰かが動く気配がした。
「よかった、電球は切れてないみたいだな」
ぱちん、と弾ける音と共に頼りない豆電球が頭上で点灯した。
入り口近くにいる堂前が照明のスイッチを押してくれたらしい。光る玉を失った薄暗い室内は、どこにでもあるような、古びた壁や床が目に付く小さな空間だった。
「春生、もう終わりだ。分かってるよな?」
桜木は善二を抱きかかえたまま静かに頷いた。無表情のまま涙を流し、小さく口を動かす。聞こえないからと桜木に近づいた堂前は、悔しさのあまり唇を噛んだ。
桜木はうわごとのように同じ言葉を繰り返す。
「芽衣と一緒にいきたい。芽衣と一緒にいたい。殺してくれ、もう一度会いたいんだ」
芽衣の霊力を閉じ込めて利用していた憎き場所を消せた。目標は達成された。ここから世界は生まれ変わるのだ。だからもう、これ以上、桜木が成すべきことは何も無い。だから一刻も早く芽衣の後を追いたかった。
堂前が桜木の肩を強く揺さぶった。
「おい、しっかりしろよ、春生」
焦点の定まらない目を堂前に向け、変わらず涙を流しながら口元にだけ小さな笑みを作る。
「僕は重罪を犯した。処刑が妥当だろう。だからここであんたが僕を殺し、英雄になるんだ。誰もが巨悪である僕を殺したあんたを讃えるだろう。そして、上層部や四大一族なんかじゃない、堂前治良こそがトップに立つべきだと考えるはずだ」
朗々と演説するかのように淀みなく喋る桜木。ずっと考えていたからこそだと思うと、堂前はとてもじゃないが冷静ではいられない。それでも血を吐く思いで冷静を装い問うた。
「最初からそのつもりだったのか?」
「ええ、その通り。これは全て僕が考えた、僕が死ぬまでの壮大な計画だ」
そこでようやく二人の視線が嚙み合った。
桜木の思う正義は、堂前しか持ち合わせていなかった。黒く染まるのが簡単なこの世界で、愚直に正しくあろうとする彼こそが唯一の希望だった。
組織の膿となっていた悪が消え、せっかく綺麗になったこの世界。次はどうか堂前のように明るく穢れの無い人々で溢れますように、と切に願う。
「さあ、早く。これでフィナーレだ」
堂前は護身用に持っていた短刀を懐から取り出すと、流れるような動作で桜木の胸元目がけて振り下ろした。
その瞬間、桜木の脳裏に懐かしい記憶が過った。
※
派手な音を立てて、隊長席から立ち上がった堂前が叫んだ。
「一旦仕事は止め。みんなでランチに行こうぜ」
「勤務時間内に不要の外出は駄目でしょ」
間髪入れずに未散の苦言が入る。堂前はにひひ、と何かを企んでいることが丸分かりの顔をして〇番隊全員を屋上に連れ出した。
「どうよ、準備は進んでるう?」
「ばっちりです」
他隊の一人が食器を準備しながら答えた。堂前が現れると、とたんに周囲に人が湧くのはいつものことだ。続々と肉を持った隊員や野菜を抱えた隊員が現れる。かなりの人数だ。
バーベキューだ。善二と冬至はすぐに思い至り、未散の腕を引っ張って準備に交ざる。
「俺らの肉を確保するぞ!」
「肉を育てるのはこの俺に任せろ!」
いつになくテンションの高い二人を未散は面倒くさそうに思う。とんとん、と肩を叩かれて振り返ると、桜木が静かに微笑んでいた。こっそりと耳打ちしてくる。
「堂前隊長がいつになく張り切ってるんだけど、その理由はね、君たちの仕事ぶりを褒められて嬉しかったからみたいなんだよね。ほら、最近出張続きで忙しかったでしょ。申し訳ないけど最後まで付き合ってやってね」
「あ、はい」
ふうん、そっか。未散は赤くなる頬を押さえる。ちらりと堂前を見ると、楽しそうに瑠々子と話しながら金網を用意していた。
堂前が自分たちのことで喜んでくれていたのかと思うと、未散の気分はどうしてだか上を向くばかりだ。
いい天気だ。周りを見渡すと、まだ関りの無い隊員もちらほらといる。みんなが笑顔で温かい。こういうのもたまには良いな、と漠然と思った。
「未散、肉を焼くから早く来い。俺がトングを持ってる今がチャンスだぞ」
善二が遠くで吠えている。
未散は苦笑を漏らした。
「うちの同期は肉のことしか考えてないのかよ」
賑やかな屋上に、香ばしい良い匂いが漂う。
皆に交じっていく未散の背中を見送った桜木は、屋上のフェンスにもたれ掛かり、隊長や部下、顔見知りの隊員を眺めた。
麗らかな昼時の心地よい風が、桜木の頬を撫でてゆく。
「やっぱり、あなたの傍は良い世界だ」
※
バグ討伐部隊と創世の会の戦いは終わりを迎えざるを得なくなった。
霊力のコントロールがままならないどころではない。霊力を感じ取れない事態に陥ったのだ。
「これって善二さんがやったってこと?」
「多分な」
誠太郎は奇妙な感覚に戸惑っていたが、地原はそうでもなかった。
戦闘中、突如として使えなくなった霊力に混乱する者は多かった。けれど、バグ討伐部隊側はすぐに状況を把握して切り替える。
「肉弾戦もたまにはいい。あひゃひゃ、ぶっ壊し甲斐があるぜ!」
霊力がなくなったと分かり降伏する者がいれば、悪あがきをして地原にコテンパンにやられる者もいた。隊員は捕獲した敵を次々と運んでいく。冬至は少し前に真っ先に連れられて行った。
誠太郎は傍に立つ景吾に歩み寄る。
「景吾は手負いの獣かってくらい警戒してるよね」
リンの細い腕を掴み、般若のような顔で周囲を威嚇している。
「油断できない。特に一九番隊がいたら終わりだ」
「おう、俺も見張っとくよ。それにしてもさ」
誠太郎は焼け落ち、激しい戦闘でボロボロに崩れた上層部の城を見上げる。
「酷い有様だ、本当に」
いつの間にか暴れるのを止めた地原が傍にいた。三人揃って同じものを見ているが、思う所は違う。地原が口を開いた。
「でもよ、上層部に恨みのあるやつは少なく無い。俺みたいにほくそ笑んでる奴は必ずいるぞ」
「だろうな。これからどう上層部を立て直していくのか見物だな」
同意を示した景吾は、言外にその立て直しがどれだけ難しい事なのかを教えてくれていた。