109 つかのまのエトランゼ
「君がここにいるのは想定外ですが、問題はありませんね」
桜木は善二にそう声をかけた。
人が増えたところで桜木がやることに変わりはない。この忌々しい場所を消し去り、正しい世界をつくり直す。
「俺に問題なくても、未散がいるぜ」
善二はゆっくりと呼吸を繰り返した。その度に、喉を通る空気が多くなる。体が軽くなる。
冬至によるコントロールが緩んでいるのは明らかだった。善二に施している指示語がこれほどまでに緩むなんて、余程の事がない限りそうあることではない。つまり、冬至は追い込まれているということだ。
「すげえや、あの子達」
ならばこちらもやるしかないと腹をくくる。
リンと同じように、善二だってこんな争いは一刻も早く止めたいと思っているのだ。
無数に浮かんでいる光る玉の一つが、善二の頭を撫でるように滑って行った。
リスクがあるのは百も承知の上、震える声で指示語を発した。
「我が身に集い力を差し出せ」
どくんと心臓が大きく脈打った。
霊力が善二の体内へ流れ込んでくる。気ままに浮いていた光る玉が、善二のいる方向へ引っ張られてくる。
「冬至はこの力が欲しかったんだろうな」
光る玉がぽつんと一つ、善二の手のひらに乗っかった。
これは霊力の塊だ。けれど、冬至が地下室で集めていた、グロテスクな形状と成り果てた霊力とは全くの別物だった。
穢れの無い清らかで温かな霊力が、善二の体内に入ってくる。
「暴挙に出たね」
桜木が言う通り、コントロール皆無なこの力のせいで、周囲にいる未散や堂前も影響を受けてしまっている。
しかし、それは桜木も同じだ。
「俺が全てを吸い込めばいいってだけだ」
光る玉のおかげで明るかったこの室内は、あっという間に真っ暗になった。それでもなお、霊力の吸収は止まらない。
桜木が出現させて巨大植物は消え、業火を拘束していたものも無くなった。膝をついた業火は、暗くなった室内を絶望の表情で見つめる。
「ああ、お前たちは何てことをしてくれたんだ」
不老の源を消された業火は力なく項垂れた。
桜木は真っ暗な視界の中、霊力が流れ込んでいく先にいる善二に目を向けた。
「これ以上は本当に戻れなくなるよ」
この蔵だけでは収まらない。外にいる敵味方の霊力すらも吸い込んでいく有様である。
未散は想像以上のスピードで力を奪われていくことに危機感を覚えた。
「善二、もう止めろ」
「ごめん。それは無理っぽい」
「まさかお前」
善二は苦し紛れに笑うことしかできなかった。
全てを吸収してしまえば、戦いを終わらせられると思った。逆に飲まれてしまうほどの莫大な霊力を前に、それがどれほど浅はかだったかを思い知る。
「二度と勘弁だと思ってたのにさ」
視界が白んでいく最中で不思議に思ったのは、バグの暴走を起こしてしまったあの時のような絶望感が一切ないということだった。
善二の内側に留まった霊力が爆ぜてしまう様子がまるでない。
眠るように善二は意識を手放した。
「目を覚ませ。またお前を失うなんて絶対にごめんだ」
善二が地面に頭を打ち付ける寸前に、何とか未散が滑り込んだ。そうっと頭を膝に乗せる。
「聞こえているか、善二」
善二の瞼がピクリと動く。
何度も大きく揺さぶられると、静かに瞼を上げた。
未散は目を見張った。善二の体が仄かに発光しはじめたのだ。きっと光る玉を吸収した影響だろう。その光を頼りに、堂前が駆け付けた。
「未散ちゃん、善二は」
「今意識を取り戻しました」
「よかった」
善二は堂前を見つけると、きらきらと目を輝かせた。その顔に既視感を覚えた堂前は、震える声で声をかけた。
「君、芽衣ちゃんじゃないか?」
「よく分かったね。久しぶり、堂前さん」
すっと立ち上がった善二が、両手を広げてくるりと回った。軽やかに、楽しそうにはしゃぐ。
その様子を見ていた桜木は呆然と立ち尽くし、瞳に善二を映す。何が起こっているのか理解が出来ない。姿も声も善二のままなのに。
善二は自分の体が自由に動くのをひとしきり確認した後、桜木の元へ駆けた。
「こら春生、喧嘩したなら仲直りしなきゃでしょ」
桜木は気づくと泣いていた。
ぼろぼろと涙を零しながら、どう足掻いても芽衣にしか見えない善二を力いっぱい抱きしめた。
「君は本当に芽衣なのかい?」
「ふふ、違うかもね」
「・・・・・・いや、君は芽衣だよ」
柔らかく発光する善二の体は温かかった。
芽衣が戻ってきた。光る玉に刻まれていた芽衣の記憶が、善二に宿ったのだろうか。桜木にはもうどうでも良かった。芽衣が戻って来たのなら他に何もいらない。
「一緒に逃げよう」
「それはできないよ。私がこうしていられるのは一時的なものなの。春生のこと、此処で見てたよ」
照れくさそうに桜木の腕から抜け出し、その頬を両手で包み込む。
「だから分かってるよ。捕らわれていた私を、ここから助けようとしてくれていたんだね。ありがとう、春生」
善二の体は依然として発光していたが、少し弱まってきた。それが芽衣とのタイムリミットを表しているように思えてならない桜木は懇願する。
「またいなくなってしまうのか。そんなの耐えられるはずないだろ。だったら僕も一緒に連れて行ってくれ。ずっと芽衣以外は何もいらなかったんだ、僕は」
桜木の口を手で塞いだ善二が、首を横に振った。
善二の発光が一際弱々しくなる。
「春生は私の分まで生きるの。大丈夫だよ、堂前さんにも頼んであるから」
「芽衣、頼むからもう僕をおいていかないで」
桜木越しに堂前を見た善二が、にこりと笑った。
「どうか春生のことよろしくお願いしますってね」