107 冬至と誠太郎
幻覚が完全に崩壊した後、たった一人で元居たリビングに立っていたみこしは、諦めとともに息を吐いた。
彼女等はおおかた善二のところへ向かったのだろう。今からでも止めに行こうと思える気力は無かった。あれだけ大勢のエラーに対抗するには霊力が全然足りない。淡々とした様子で呟く。
「遅いのう。わらわだけでは止められなかったのう」
せめてあの男がいれば、みこしの力になってくれたはずなのに。
サングラスをかけた無表情の男を思い浮かべて、早く帰って来いと毒づいた。
※
未散が全員を連れて移動した先は、巨大植物が支配している中央付近だった。
降り立つや否や、辺りに飛び散っている花粉が目に入ってくる。
「ちょっと位置がずれたみたいだ。一旦、後方に下がって」
目と口を簡単に手で覆い、本部と中央の間にある、崩れている分厚い壁近辺に集まる。ここまでは花粉が舞っていないようだ。
誠太郎が軽く咳き込んだ。さっきの花粉のせいだろう、手足に痺れを感じた。
ほんの少し花粉に触れただけでこの有様だ。だとしたら今、誠太郎の目線の先にいる大勢の隊員は一体どれほどの状態なのだろうか。
未散が誠太郎の背中を叩いた。
「大丈夫か?」
「平気。それより師匠、みんなを助けないと」
「分かってる。ここに打ってつけの男がいるから問題ないよ」
そう言って未散がにっこりと笑いかけたのは、リンに付着した花粉を払っていた景吾だった。
ぶるりと身を震わせた景吾が振り向く。
「なんですか?」
「悪いけど、あの花粉を根こそぎ吹っ飛ばしてくれないか」
それから、と続ける。
指示語の乱発で疲弊し、頭の働きが鈍ってきた未散は、比例して開きづらくなった口をやっとのことで動かす。
「ここは敵味方が入り乱れている。花粉を取っ払ったらまた戦いが始まだろうから、気を引き締めて。冬至もいる。必ず止めよう」
静かに全員が頷いた。
作戦としては、未散と善二で霊力が隠されている保管庫へ向かう。そしてその他全員でこの場を治める。前者に関しては、場所を特定できたので問題ない。
「じゃあ行こうか」
よーい、どん。
未散の気の抜けた掛け声とともに、作戦が実行された。
景吾が指示語を発する。鼬と共に爆風が巻き起こった。
誰もが重心を下に向けて、吹っ飛ばされないように体勢をとることで必死になっている。息すらできないほどの風圧は続く。
そんな中、一歩を踏み出したのは未散だった。善二の手を取る。
「私たちは真っすぐ突っ切るぞ」
乱れ狂うおかっぱ頭が風の強さを思い知らせている。
花粉が散ったおかげで通りやすくなった道を、二人揃ってぐんぐんと進んでいく。
「おい待てよ、未散」
至近距離で声がした。風のせいでまともに目を開けられないが、薄目に見ずとも誰なのかは分かった。
だから言い返す。
「今は無理」
「この先へは行かせない」
冬至が手を伸ばしてくる。それを振り払ったのは善二だった。
「悪いけど俺たちは行くよ」
「もうあそこは無くなるから、お前がわざわざ行く必要はない。桜木副隊長と取引しているんだ。あの地を消し去ったら、暴走因子を消す手術に必要な資金も環境も全て手に入る。ようやく善二を助けられるんだ。だからいくら善二だろうと邪魔はさせない」
力尽くで阻止する気だ。
未散は余力を確認するが、いい感触はなかった。今すぐにでも指示語を使って移動したいのは山々だ。しかしあまりにも乱発しすぎている。それに、距離で言えばすぐそこだ。何とかこのまま切り抜けたい。
動くに動けない未散の前に影が差した。
「冬至君、見つけた」
誠太郎が未散を背に庇うようにして立ちはだかった。
「師匠、ここは任せて」
「分かった」
未散は善二を連れて真っすぐ走る。暴風が徐々に治まってきた。目指す場所は、もう目と鼻の先だ。
※
冬至と真正面から対峙する。
誠太郎の知っている冬至と、バグ討伐部隊を去った冬至。今、誠太郎の目の前にいるのはどちらの冬至だろうか。
そんな誠太郎の迷いを見透かしたかのように、冬至が苦笑を漏らした。
「まさかこんな状況で誠太郎と対面することになるとは思わなかったよ」
「俺もだよ、冬至君」
広範囲に渡り花粉を一掃できたようだ。麻痺の症状が収まった大勢が、徐々に活動を再開する。
怒号混じりの喧騒が二人を取り囲む。
「人心を掌握せよ」
「正義の名の下に粛清せよ」
両者共に指示語を発した。
優位に立ったのは冬至だった。誠太郎の思考を強制的に捻じ曲げ、戦意を無くすように仕向ける。
誠太郎の行動がぴたりと止まった。それに続くように冬至も動きを止める。
「へえ、誠太郎もやるじゃん」
「まあね」
誠太郎の指示語は相手の能力を真似できる。けれどかなり繊細だ。コントロールが難しくてできない場合もある。未散を真似ようとして無理だったので実証済みだ。
冬至に対しては成功したが、長くは続かないと瞬時に悟った。
顔を顰めた誠太郎に冬至が言葉を投げかける。
「他者の思考と行動を強制する罪悪感。人を操る背徳感。少しのコントロールミスで人格を破壊するかもしれない恐怖感。誠太郎には耐えられないだろう。だって今にもやめたいって顔をしている」
「うるさい。俺は冬至君を止める為にここにいるんだからやめないよ」
吠えたものの図星だった。
冬至のエラーを真似て分かった。あまりにも指示語が持つ力が大きすぎることに。例えば地原のような物理的な攻撃力とは真逆の力。人を内側から粉々に壊すような、目に見えない残酷な攻撃力に圧倒される。それを自分が扱うには荷が重すぎると思ってしまった。